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湘南空手道連盟OB会

1979年に設立された謎の空手団体

最終話 無事昇級

2015-05-17 22:00:00 | 悲願熱涙編
真樹先輩が 「止め!。熱くなるなよ」 

二人目

ハイキックが上手い黄帯だったが警戒して前に出てこない。

「見てたって相手は倒れないぞ」 真樹先輩の一喝。

すぐ打ち合いになった。

俺の左そでをつかみながら右へステップ

左ハイを出そうとしたのだろう

左へステップ、俺の回転右後ろ蹴りが黄帯の右わき腹を捉えた。


ドンッ!。 一本である。

「止め!。 村田~、あまり練習に来てないのに強くなったな!」


三人組手ラスト

なんと毛利先生である。

毛利先生(本名 安部)は同じ横浜一商の同期である。


茅ヶ崎にある真樹先輩の家でも稽古をつけてもらっていて

ヨーロッパでも大会に出場

のちに芦原カラテの流れを組んだ誠英学舎を立ち上げるのだ。


しかし当時はまだ発展途上


「村田!ムキになるなよ」と真樹先輩に釘を刺された。

冷静に捌いて1分キチンとこなして1分終了。



こうして無事五級に昇級した。

心技体絶好調、ある意味一番強かった時期かもしれない。

「万一、ウチの緑帯が他流の二段にやられたら道場を閉める」

と大山館長が言われていた時代である。

一歩手前だが嬉しかった。

この後 紆余曲折 黒帯を取るまでに23年かかるのだが。

その間(いやさ今でも)

「実力極真五級です」と答えるのは

卑屈ではなく自信があるからである。

これからもいろいろあるだろうが

「力なき正義は無能なり」

真理だと思う。

『頑張って稽古続けなければな』

この気持ちは還暦前の今でも変わっていない。


もっともこの時は

『さて、九州に報告に行かなくちゃな』

という気持ちの方が強かったが(笑)。


ということで ここでペンを置く次第。

押忍! 


2カ月もの間 おつきあいいただきありがとうございました。



127 ひさびさの審査

2015-05-17 12:00:00 | 悲願熱涙編
審査員は真樹先輩と梶原先生である。

梶原先生は空手なんてやってないだろ
と長年思われていたが

数年前に渡辺一久先生が
「彼は緑帯までは行ったはずだ」
と語られていた。

なんであれこの二人に見られての審査は緊張する。

腕立て伏せは50回というので二本指で行なった。

難なくクリア。調子も良かったが

緊張のたまものである。

連続組手は3人。

1人わずか約1分であるが

「試合(全日本)は予選120秒、本戦180秒だが
 実戦だったら30秒でカタつけないとやられてしまうよ!」

と大山館長が熱弁されていた時代である。

(後に目にしたグリーンベレーの書にも同じ事が書いてあったので驚いたが)

一人目 I先輩は技は多彩だが技そのものは軽い。冷静に捌いて確実にローを入れた。

あせってきたのか回し打ちで顔を狙ってきた。

黒川やアルバートさんのパンチをしのいできた俺である。

軽くかわしてカウンターで右ローを入れた。

ガシッ!!

動きが止まった。


126 高森先輩

2015-05-16 22:00:00 | 悲願熱涙編
当時黄帯は未知数の入門者のストッパー役である。

全国から極真にあこがれて入門してくるわけだから

それなりに強い奴も入門してくる。

沖縄空手バリバリの奴が白帯で入って来て
真樹先輩のアゴに足刀横蹴りを入れてきた奴もいた。

さすが真樹先輩、キチンと捌かれてそれなりのお返し(笑)もされて対処されていたが。

しかし指導員にまでいかせては行かんのだ。

そんなわけで我々黄帯が元気な入門者を締めるわけだ。

とはいえデカくて強い奴も現れる

そんな時止めて(締めて)くれるのが高森先輩である。

高森日佐志先輩。梶原兄弟の末弟で普段は物静かな優しい方だ。

当時は現代カラテマガジンの編集長。

当時は黄帯を締められていたが空手何ぞやっていなくても強い!。

生意気なデカい奴が来ると必ず高森先輩がしっかり締めてくれる。

おかげで俺の出番がなく(笑)助かった事も多々あった。

6級でも荷が重いかと感じていたが

いろいろあって自信も出てきた。

『とりあえず5級受けておくか』



125 進級

2015-05-16 12:00:00 | 悲願熱涙編
ところで今度こそ留年しそうだった。

出席はピッタリ3分の2足りてるが点数が低すぎた。

あわてて勉強再開である。


空手も普通に週一通っていたが

まっすぐ帰宅して勉強だけやっていた。

その甲斐あって学年ドンペだったのが

いきなり上位10番に入った。

誰より俺が驚いた。

 
 余談だが初恋のエミさんが

この頃から不良化(笑)し始めて

卒業時には学年で後ろから数えて5番くらいになったという。

それでも無事大学進学したが

人生とはわからないものだ。


 永瀬先生が過去の足りない分も相殺してくれて無事3年になった。

本間のフォローもある。

いや一番迷惑かけたかもしれない恩人である。


 そんなおり真樹先輩から審査を受けろと言われる。
 
 「村田、一年間全然受けてないじゃないか。五級受けろ」


124 本牧⑨

2015-05-15 22:00:00 | 悲願熱涙編
しばらくボッとしていたら

内海さんが来た。


「お疲れ様でした。素晴らしい試合でした。さすが大山先生のお弟子さんです」


『一部誤解があるがまあいいか』


最後まで見て行こうか。


どうも沖縄の人らしいアルバートさんとも話したいな ケガも気になる、 と思っていたら


「横浜駅までお送りします」

「えっ?」


斎藤が神妙な顔をして戻ってきた。


最初はわからなかったが 見るからに未成年が戦ってるのが問題だったようだ。


「しかし空手というのはすごいですね。最初は村田さん やられると思ってました」


「その上 最後でも逆転、踊りのようなものだと思ってましたが見直しました」


「ありがとうございます」


『確かにそうかもしれない。俺自身が空手をどこかで漫画と混同していたところがある』


「今後 お会いする事はないと思います。 些少ですがお受け取りください」


どうやら内海さんがイワノフ・ロゴスキーだったようだ。


いや、カイザーかもしれない(笑)。


「いや申し訳ありません。ありがとうございました」


「じゃ またね。本当にありがとう」


斎藤が神妙だった。そのまま内海さんと現地に戻ったようだが

それ以降まともに会うことはなかった。

(バブル前にゴルフ会員権を売っているという噂は聞いたが)


さて

下ろされたは良いが

終電過ぎてた(爆)。


ふと封筒見たら聖徳太子が5枚入っていた。


「おお! タクシーで帰ろう」


生まれて初めてもらったファイトマネーである。

これでサンスイのプリメインアンプ AU―22を購入するのだが

40年経った今でも大切に持っている。