ケアマネなんかやってられっか!

現役ケアマネが介護や福祉の現場で気づいたこと、腹の立つこと、疑問に思うことなどをごく個人的な思いで語ります。

放言、ようするに言いたいほうだいね。

2010-02-28 | Weblog
  2月25日付けの朝日新聞朝刊の社説で「お年寄りを難民にするな」と題して、「低所得で身寄りがなく、体の弱ったお年寄りが見捨てられている。」実態を昨年の静養ホームたまゆらの火災から説き明かしている。介護や福祉に関わっている人間にとってはほとんど既知の事実であるが、特養の不足や病院から出されるが自宅でも介護できないことも書いている。こうした事態を打開するために施設整備や人材配置への補助金を大胆に増やすこととも書いている
 当たり前のことなのでわざわざ社説で書くほどのことなのかと思ったが、一般の人には分からない事実も多いと気づいた。多くの人は実際に介護の問題が出てきて始めて考えるのだろう。

 しかしまた一方で今の日本は高齢者が優遇され若者にお金が回っていないという意見もある。少子高齢化を何とかしなければいけないのだから、高齢者とともに若者にも夢と希望を与える社会でなければ国として衰退してしまう。とまあ書いていて、では実際にどうするかが問題だ。出生率をあげて子育てをしながら働き続けられる環境を作り高齢者には安心して住める住居と介護環境を提供すること。現実的にはそれぞれをもっと細かく見ていって具体的にどんな政策が必要か考え実行することである。

 具体的な方法も国として、実質的には官僚だろうが、考えればそんなに難しいことはないだろう。難しいのはその具体的方法を実行するのにどこからお金を持ってくるかである。ずっとこの書いていることだが、やはり資本主義なのでお金が無ければ何も出来ない。政治家の人たちには本気で福祉や介護、少子化対策にお金を使うことを決めて欲しい。
 とりあえずとして介護報酬の値上げ、居宅が独立して経営できるだけの報酬を出す。施設で働く人間にも一般企業並みの給料が出せるだけの報酬を出す。介護の質をあげるためにはよい人材を集めなければならない。そのためにはせめて普通の収入が保障されなければ人は集まらない。

 どうなるか分からないようだが、せめて子ども手当てや高校無償化が実現してほしい。もちろん、それで少子化が解決するわけではないが、これも第1歩として考えて次の政策を実現して欲しい。
 財源をどこから持ってくるかについては大胆な発想の転換を考えていくしかないだろう。







匂いについて

2010-02-20 | Weblog
多くの高齢者のお宅では独特の匂いがある。高齢者でない家でもそれぞれの匂いはあるが、高齢者に独特の匂いである。加齢臭と違うように思う。(自分自身が加齢臭が出るころになったので分からないのかもしれないが)
 昔だと年寄りは抹香臭いなどと言ったのかもしれないが、最近ではお線香や抹香臭い家はあまり無いように思う。お線香自体に匂いが少ないものが多くなったからかもしれないが、毎日、仏壇に線香をあげたり拝んだりしているひとが少なくなっているのではないか。(宗教に凝っている人は別として)
 私はお線香の匂いやお寺の匂いは嫌いではない。むしろほっとする感じがある。今、チベットのお香をたいたりしているのもそのためだと思う。アジア雑貨のお店で売られているインドの強い香りのものはあまり好きではないが、日本の線香はよい香りのものもあると思う。

 犬やネコを飼っている家では時にかなり強烈な匂いに出会うことがある。キチンとした世話ができず、放し飼いのような状態で床がベトベトしているところや、野良ネコだか飼い猫だか分からない状態でまさに悪臭フンプンというところもある。利用者にとっては犬猫が大切な同居人となっている場合もあり、何とかしたいと思っても犬猫の世話は介護保険ではできない。時折、テレビなどでも高齢者のゴミ屋敷と一緒に犬やネコを何十匹も飼って(?)いて近所迷惑になっているという人が取り上げられる。糞尿を庭で焼いていたなんていう人もいましたね。まあ大体、そういう人は認知症が入っていて、判断力の低下が原因の一つになっていると思う。


 高齢者の介護だと排泄の問題が大きくて処理の仕方や匂いの問題が取り上げられることが多い。でも弄便などは別として排泄は処理をうまくすればそんなには問題にならないと私は思う。オムツ交換の大変さなどもちろんありますが。
 それよりも家全体や部屋全体に染み込んだ匂いや生活臭が私は気になることが多いです。お風呂に入らない方もいてそんな方はかなり体臭がします。饐えたような匂いになっていることも多いです。また冷蔵庫に賞味期限切れの物や腐ったものがある家では、文字通り腐った匂いがします。高齢者のお宅ではそれら、排泄、体臭、犬やネコの匂い、腐ったものの匂いなどがまざりあって独特の匂いを作り出しているのではないかと思う。窓や出入り口をあけて空気の入れ替えを行えばよいのだけれど、それを嫌がる人もいて支援が進まない場合も多い。何十年も家と人とで作り出してきたものだから、仕方がない面もあるのだろうけれど、変化を受け入れれば快適な生活になる可能性があるのですが。
 
 自分が年をとったときには物にこだわらず生きたいと思います。しかし、今の自分がすでに物事にかなりのこだわりを持って生きているので、難しいことかもしれません。こだわりを捨てれば楽に生きられて、もっと言えば、悟りの境地になるのでしょうが、私にはとうてい及びのつかない境地のようです。


 今日もまた、こころにうつるよしなしごとをそこはかとなく書きました。



今日のキーワード  「匂い」「こだわり」
 
 







「アルコール」と「シンギングボウル」

2010-01-31 | Weblog
  1月29日と遅い、間の抜けた新年会がありました。二日酔いで土曜日は死んでいました。タダ酒だと飲みすぎてしまう。まったく意地汚いです。恥ずかしい。反省しきりです。でもまた繰り返してしまうのだけれど…。
 アルコールアセトアルデヒドに分解されてアセトアルデヒドは酢酸に分解され、酢酸は二酸化炭素と水に分解されます。白人と黒人にはアルコールを分解する酵素が必ずあるけれど黄色人種にはアルコールを分解する酵素がない人がいます。
 またアルコールを分解する酵素とアセトアルデヒドを分解する酵素は別々なので、アルコールの酔い方は大体4つの型に分かれます。一つはアルコールとアセトアルデヒドを分解する酵素を多く持っている人、いわゆる大酒のみ、飲んでも酔わない。二日酔いもあまりしない、という人。二つ目はアルコールとアセトアルデヒドを分解する酵素をほとんど持たない人、おちょこ1杯でもすぐ真っ赤になって青くなって倒れてしまうような人です。
 三つ目はアルコールを分解する酵素は少ないけれど、アセトアルデヒドを分解する酵素はそれにくらべて多い人、飲むとすぐに真っ赤になって騒いで酔って寝てしまってまた少し経つと起きて飲むような人。四つ目はアルコールを分解する酵素は多いけれどアセトアルデヒドを分解する酵素がそれに比べて少ない人、アルコールを分解する酵素は多いのでその場では飲めてしまうけれど、後からアセトアルデヒドが分解できなくて二日酔いになってしまう人。私はどうもこのタイプらしくてそうと分かってからは注意しているのですが、なかなか…。やはりアルコールを飲むと理性のタガが外れてしまうので抑えるのが難しい。それにやはり最近年のせいか、酔いがある程度を過ぎると急にきてしまう。なのでいままで周りの状況が分かっていたのに、あるときから急に記憶が無くなってあとから恥ずかしい思いをすることが多い。大変にいけない状況だと思う。

 ストレスのせいとはしたくないけれど、いろいろと公私にわたってあるとついつい羽目をはずしたくなる気持ちもある。それは否定できない。二日酔いは当然の結果かもしれない。

 なんとか明るい話題を考えるが、うーん。
 明るいといえるかどうか分からないが、最近シンギングボウルを買ってならしている。シンギングボウルというのはチベットやネパールの密教の法具で日本のおリンの大きいものです。日本と違うのはボウルのふちを回して鳴らす方法もあることです。そのときの音が癒しになると言われています。本来は密教の法具なのですが、いまでは8割以上がヨーロッパなどに輸出されて楽器として使用されているそうです。
 そのシンギングボウルを鳴らしてお香--チベットのお香です--を焚いて、物思いにふけるのが最近の寝る前の儀式になっています。家族からは多少、白い目で見られています。



今日のキーワード  「アルコール」「アセトアルデヒド」「シンギングボウル」








「社会保障のあり方を考える」!

2010-01-08 | Weblog
  朝日新聞朝刊に「ケアのかたち 超高齢社会に挑む」という連載記事が載っている。
 1月6日の記事ではもとコムスンにいた方が自分のしたい介護をするために退職して自分たちで新しい事業所を立ち上げたという記事だった。それを読んでいて思うのだが、この方はとても介護に熱意を持っている方であり、尊敬できる方だと思うが、ケアマネがそこまでやる必要があるのかと。「でもしかケアマネ」の私などは思ってしまう。介護報酬に反映しないのならばむしろやるべきではないとさえ思ってしまう。コムスンのように収益ばかりを重視するわけではないが、この人たちに「いいケアを目指してまじめにやればやるほど、きつい」と言わせる介護報酬ではやがて燃え尽きてしまうのではないかと思う。


 記事のなかで広井教授という人が話しているように「…質のいい介護を受けたければ、国民が相応の税や保険料を負担し、報酬を上げるのは当然。…社会保障全体のあり方を議論する必要がある」と思う。

 このブログでもつねづね書いているが、今こそ私たち国民自身が「高福祉高負担」か「低福祉低負担」を選ばなければならないと思います。「今までの政府が言っているような」(これからどうなるか分からないので)「中福祉中負担」は難しいでしょう。今までの日本は「一億総中流」などと言われていましたが、すでにアメリカのような格差社会になってきつつあるわけで「中負担」はありえない。
 民主党を選んだのか、自民党が嫌だからなのか分かりませんが、とにかく変化を望んだのだから、この際、国民も社会保障全体を考えるべきでしょう。社会保障というと大きなものに思えますが、自分や親の老後という身近な問題から考えれば難しくないはずです。



今日のキーワード 「「高福祉高負担」か「低福祉低負担」か」「身近な問題から考える社会保障」





今年も……、来年こそは!

2009-12-30 | Weblog
  今年も残すところ、後2日となりました。
 いろいろありました。………。

 来年こそは良い年でありますように。
 

 皆様もよいお年を!

 

 短いので、やたら字がでかい

ケアマネジメントは妥協の産物

2009-12-16 | Weblog
 先日行き付けの喫茶店のご主人から父親のケアマネを受けてくれないか頼まれたが、知り合いの人からは受けないようにしていると断った。
 ケアマネの仕事には完璧はない。冷めた言い方かもしれないが、介護保険制度、社会保障制度がそうなっているから、妥協していくしかない。そうするとケアマネと利用者・家族の間には信頼関係がないのかと言われそうだが、たぶん100%の満足はないと私は思う。家に介護力があって福祉用具のみとかデイサービスのみの利用で満足していてケアマネが何のためにいるのか良く分からない人に関しては、満足とはいえないかもしれないが、少なくとも不満は無い人はいる。ほんとに冷めた言い方で情がないようだが。ま、実際、私はあまり仕事には情は持ち込まないようにしているが…。 

 相性もあれば、介護保険制度の仕組みを利用者に完全に分かってもらって利用してもらうこともかなり難しいと思うし、とにかく利用者にとって100%満足のいくケアマネジメントは私は実現することは難しいと思っている。他のケアマネさんで出来る人はいるかもしれないが、私は無理だ。なので知り合いの人のケアマネを引き受けたとき不満がでてくると以前の関係には戻れなくなる。私の例でいえば行き付けの気持ちのよい喫茶店が無くなるということである。これは困る。なのでこのような知り合いの人から頼まれたケアマネは断るようにしている。


 病院に入院している人はケガや病気で何らかのマイナスを持っている。たとえ一室10万円の個室に入っていようと環境部分のマイナスが少し小さくなるだけである。でも病院の場合、多くはマイナスがかなり小さくなるか、なくなるかしてたいていは退院する。しかし、介護の場合、原因となる障害が無くなったり良くなったりと言うことはあまりない。マイナスが大きく減るということはあまりない。
 退院直後、自宅に帰ってきたときは寝たきりに近かったが家に戻って意識もはっきりしてケガも治ってADLが向上するなんてことはある。経験から考えるとそのように明らかにADLやQOLが向上する人は10人で1人か2人ではないだろうか。今まで家族だけで頑張ってきて初めて介護保険を利用してADLやQOLが向上する人はいるが、そういう人も長いスパンで考えると向上するというよりは、現状維持か、急降下ではなくなるという感じだと思う。介護度で言えば、退院直後は要介護3の人が半年後に要介護1とか要支援になることはあっても、自宅で受けた最初の介護度が要介護2の人が要介護1や要支援になることはあまり無い。要介護1と要支援を行ったり来たりする人は介護認定の問題でもあるので、実際に良くなったり悪くなったりしているのかは別である。

 つまり、そういうことで利用者もケアマネも介護保険制度・社会保障制度と妥協していくことになるので、とてもじゃないが100%の満足なんてありえない。むしろ頑張っていろいろあれもできますこれもできますなんてことをやっていくと利用者はそれが当然と思ってどんどん要求がエスカレートしていく場合がある。それで感謝されて本人も家族も非常に満足するということもまれにはあるけれど。とにかく
 ケアマネジメントは妥協の産物を作っていくしかないのではないかと思う。回りくどい歯切れの悪い言い方だが、どんなに頑張っても高齢者を若返らせることはできない。認知症を治すことはできない。それでも少しでも生活の楽しみを見つけてもらうようにするとか介護者の負担を減らすとか、それをケアマネの私は目指すことしか出来ないのだと思う。

 なんだか後ろ向きの発言で申し訳ないが…。いやもちろん私も一生懸命ケアマネをやっていますよ。でもね、ときどきやっぱり報われないなあーという気持ちになるのですよ。知り合いの人のケアマネも受けてどんどん頑張れば良いのだろうけど…。そんな人も確かにいます。「頑張ってやってそれでダメなら仕方がないじゃないの。頑張れば相手もそのことは認めてくれる」ってポジティブシンキングの塊みたいな感じの人。でも私はなれませんねー(~_~;)


今日のキーワード 「知り合いのケアマネを引き受けるか」「ケアマネは妥協の産物」「ポジティブシンキング」

行ったり、来たり……。

2009-11-30 | Weblog
  新規の利用者がここ数ヵ月で5人ほど増えた。そのうち2人が要支援から要介護1になった人である。1人はガンで、抗がん剤の副作用で体調が悪いときに訪問調査を受けたので要介護になったらしい。今はほぼ自立で認知症もなし。妻が家事をやるので困ることもなく、使っているサービスは手すりのレンタルのみ。

 もう1人はうつ病だが、身体的にはほとんど問題ない。糖尿病があるが、経口薬のみでインスリンはない。こちらもほぼ自立。調理の支援ということで週2回のヘルパーが入っているが、コミュニケーションのためのほうが大きい。
 この人は生活保護でケアワーカーに連絡したら、何であの人が要介護になるのか。状態が変わらないのだったら、私は忙しいから連絡してこなくても良いと、とてもつっけんどんな対応。腹の中で怒りをこらえて、介護度が変わってケアマネが変わったらケアプランを届けるのが義務ですからというと、では置いていって下さい。私は忙しいのでどうしてもという場合以外は相手しませんので、と。この人は担当している生活保護の人を訪問したときにいないと「どうしていないの」と怒るそうですが、こんな人に担当されている利用者はかわいそうです。

 さてその二人ですが、半年後には多分また要支援に戻る可能性が大きい。ガンの人は悪化している可能性もありますが、多分あまり介護サービスは使わないだろうと思われます。そんな人たちでも要介護になった以上はケアマネを変えてプランを作って、担当者会議を開いて、と一応の手順をふまなければなりません。関わる人たちの時間、手間と紙の無駄な気がします。こういった要支援と要介護を行ったりきたりする人は必ず何人かいます。なぜ要支援と要介護を区別したのか。今更ながら馬鹿馬鹿しいと思います。
 要支援になった人をそのまま委託することもありますが、今の事業所では特定事業所加算Ⅱを取っているのでできれば委託は取りたくない。そもそも委託自体を前から取りたくないと思っているのに。そうなるとまた包括に戻すことになります。そのときにまたプラン作成、会議……と。ふーむ。

 この制度も事業仕分けの対象にしてほしかったです。


今日のキーワード 「要支援」「要介護」「行ったり、来たり」


 

つれづれなるままに…

2009-11-11 | Weblog
  最近の出来事から思うことをつれづれに。
   
 一つ目はごく身近なこと。
 私の住むマンションには常駐の管理人などはいなくて、月曜から土曜まで掃除の方が来ます。その人がゴミだしやゴミ置き場の掃除、駐輪場の整理をしてくれます。1年位前から、知的障害者の女の人が掃除をするようになりました。特に親しくはしませんが、会えば挨拶くらいはしていました。最近、その人がこちらを避けるようになってきました。近づくと明らかにその場から逃げるように行ってしまうのです。家族にそんな話をしたら、他の住人の人に髪の毛を引っ張って引きずり回されたそうです。その他にも知的障害のことをあからさまに悪口を言われたこともあるとのことでした。そんなことがあってなるべく住人とは会わないようにしているようなのです。

 掃除の女の人にはもちろん同情をしますが、同時に非情に悲しい思いがしました。わずか40戸あまりのマンションなのに、暴力を振るう人や他人の障害を悪し様に言う人がいることにです。

 都会だからなのでしょうか…。現在では都会に限らず、地方でも恐ろしい殺人事件などが起きています。マスコミ報道がそんな事件ばかりを出すからなのでしょうか…。



 二つ目はその恐ろしい殺人事件。
 英国人の女性が殺された事件です。まだ殺人と断定されていませんが…。死体遺棄ということだけでも大変なことです。
 その容疑者が捕まったときに容疑者の両親がマスコミの前に素顔を出して質問に答えたことです。雨の中を40分間も立ったまま屋外で取材に応じていました。その中で「マスコミや世間の人は息子のことを鬼のように言われるかも知れませんが、私たちにとっては優しい息子だったのです」と言ったことです。
 外国ではときどき犯人の両親などがマスコミに出てそういったことを話すことはありましたが、日本ではあそこまではっきりと言った人たちは始めて見たように思います。
 テレビでコメンテーターが「あんなしっかりしたご両親がいて、どうしてあんな事件を起こすような子供になってしまったのか」といったことを言っていましたが、私もそう思いました。しかし、一方では30歳にもなったのだから、両親とは関係なく別の一個の人格として扱わなければならないだろうとも思うのです。

 
 


 長寿社会開発センターで募集していた「介護の提言」に応募したのですが、見事に落選しました。やはり賞金目当てではだめだったのでしょう…。トホホ。




ぜひ、あの人を客寄せパンダに!

2009-10-27 | Weblog
  酒井法子(被告とはつけません。このブログはマスコミではないので)が裁判で「これからは介護の仕事につきたい」と言ったことについていろいろなコメントがある。曰く「介護の仕事は甘くない」「介護の仕事につくなら一生の仕事としてやってほしい」「裁判対策で本気でやる気はないだろう」等など。
 私は酒井法子にはぜひ介護職をやってもらいたい。欧米には刑罰の変わりに社会奉仕を行う命令が出されることがある。最近ではナオミキャンベルがトイレ掃除などを行ったことが有名だ。
 介護の仕事をなめないでほしいというが、どれだけの人が介護の現場を知ってから入ってくるのだろう、どれだけの人が介護を一生の仕事として就いているのだろう。専門学校を出て介護福祉士の資格をもってはいるが、まったく現場のことをしらずに入ってきて使い物にならない人間もいれば、資格はないが入ってみて面白いと思って介護の仕事を続けようという人もいる。動機は何であれやってみてその面白さに気がつく人もいる(収入と見合うかどうかは別として…)。
 介護の仕事から他の仕事に移ろうと、他から介護の仕事に移ろうと良いのだと思う。前回のブログで書いたように一度に大量に建設業などから入ってきて、また景気が良くなれば大量に戻るのは困るけれど。

 酒井法子の場合は、言い方は悪いけれど「客寄せパンダ」になって介護や福祉、社会奉仕をアピールしてもらいたい。もちろんそのためには二日とか三日とかではダメだけれど、半年とか1年とか排泄介助や入浴介助、夜勤などを実際に体験してもらって介護の大変さをより多くの人にアピールしてもらいたい。

 自分の母親や義母を介護した有名人もたくさんいるし、つい最近では南田洋子と長門裕之の例もあるが、赤の他人を介護した有名人はいないように思う。介護士が有名になった例はあるけれど。笑う介護士とか。

 そこで酒井法子にはぜひ介護の仕事についてもらい、その後、芸能界に復帰して介護の仕事のアピールをしてもらいたい。本人の更生にも役立つし、介護の仕事も日の目を見るし、一石二鳥だと思うのだけれど。でも問題は酒井法子が半年とか1年もつかどうか…。最初から1年契約で受け入れてくれる施設はないでしょうかね。もしコムスンが続けられていたら、あの社長だったら受け入れてくれたと思うのですが。

 悪ノリですかね?!



今日のキーワード 「酒井法子」「客寄せパンダ」
 
 


 

小規模多機能居宅介護

2009-10-17 | Weblog
 10月です。鳩山民主党政権が誕生して1ヶ月です。まだまだ評価はできないと思いますが、いろいろと変革しようとしていることは確かなようです。その結果については10年後20年後に本当に分かるのではないでしょうか。民主主義はとにかく時間がかかります。

  最近、事業所の近くに小規模多機能型居宅介護施設がオープンした。その施設から歩いて10分ほどのところに半年ほど前も小規模多機能型居宅介護施設が開設している。こんな近くに二つの施設があって利用者が集まるのだろうか心配している。先にオープンしている施設が定員のまだ3分の1くらいしか集まっておらず経営的にはかなり苦しいと聞いている。全国でも小規模多機能型居宅介護施設は利用者が思うように集まっていないとの報道がある。
 小規模多機能型居宅介護施設は利用者にとっては通いも泊まりも訪問介護も同じスタッフが行うのでなじみの関係ができることが、売りとして出来たものだが、他のサービスを利用できないという問題点やいままでのなじみのケアマネやヘルパーが使えないということがある。経営する側としては介護報酬単価が安く、小規模のため利用者が集めにくく、スタッフを確保することができないという問題点が大きい。

 このブログで何度も言っていることだが、どんなに理念が立派でもお金に結びつかなければ人は集まらない。福祉の現場には高い志をもって仕事に当たる人も多くお金よりもやりがいが重要として仕事を続けている人たちがいる。しかし、これだけの高齢社会になって介護する人が必要になってきたときに志だけでは必要な人間は集まってこない。最近は不況の影響で他業種、とくに建設業などから介護業界に移る人も多いと聞いたことがあるが、そういった人たちは景気が良くなって元の仕事が増えればそちらに戻ってしまうだろう。定着して継続的に人員が確保できなければ介護の質も保証できないし、介護保険制度の存在自体が危うくなる。と私は考えているが、そこまで国は考えているのだろうか…。
 どうも後手後手で泥縄な感じがしています。



今日のキーワード 「小規模多機能居宅介護施設」