ケアマネなんかやってられっか!

現役ケアマネが介護や福祉の現場で気づいたこと、腹の立つこと、疑問に思うことなどをごく個人的な思いで語ります。

とっくに破綻しているはずなのに‥‥

2010-07-31 | Weblog
  厚生労働省は次の改定にむけていろいろと考えているようですが、その中に要支援の人と要介護1の人を介護給付からはずす案があるようです。要支援が出た段階でそうなりそうな感じはしていましたが、やはりという思いです。ただ要介護1まで含めるのはどうでしょう。かなり無理があるように感じます。要介護1の人は軽い人で要支援でも納得する人はいますが、重い人では介護サービスがなければ生活が成り立たない人もいます。本人の状態ももちろんですが、介護力の問題や経済的な問題でサービスが受けられなければ確実にQOLが低下する人たちがいます。
 厚生労働省はそんなことを分かっていてもやるつもりでしょう。要するに貧乏人は生活の質も低いし勝手に死ねということです。こうして日本は確実に低負担低福祉にむかっているようです。
 前回の参議院選挙で消費税が上がるといったら民主党が負けましたが、(もちろん原因はそれだけではないでしょうが)私は何度も何度も書いているように負担がなければ、これ以上の福祉は望めないと思います。成長をあげて税収アップにより、負担を少なく福祉を維持するのはもう無理だと思います。消費税のアップや税率の変更もやむをえないでしょう。その前にムダ使いを減らすことは絶対に必要ですが。

 毎回毎回こんなことを書いているとむなしい気持ちになってきます。ですので今日は身近な利用者の話題を1つ。


 以前にも書いたかもしれませんが、認知症の方の生命力は思っているよりもあるように感じます。たとえば腐った物をたべてもあまりお腹をくだしませんし、体につける軟膏をなめた人もいましたが、特に具合も悪くなっていませんでした。ちゃんと調べたらどこか悪いのかもしれませんが。ある人は独居で発見されたときに全身糞尿まみれで脱水状態になっていて入院しましたが、脱水が直ったら内臓的には何の問題もなく帰ってきました。
 またある人は信号も分からず道路を渡ろうとしますが特に事故も起こさずに徘徊します。すべての認知症の人がそんなに強いわけではなく、むしろ危険性が大きいことは分かりますが、ときどきなんでこんなに丈夫なのだろうと思う認知症の利用者がいます。それが問題をこじらせたり、大きくする原因になる場合も多いのですが‥‥。

 で、これはかなりこじつけですが、今の日本の福祉の財政は元気で運の良い認知症の人のように思えます。病気や事故になっても不思議ではないのになぜか元気という、そんな感じがするのです。現在でも日本の財政は国債(借金ですよね)が馬鹿でかくてギリシャのように破綻してもおかしくないのにかろうじて持っている。そんなふうに私には思えます。

 以上はまったくの私の独断によるものですので適当に読み流してくださいね。


今日のキーワード  「消費税」「低福祉低負担」「軽度者の切捨て」「元気な認知症者」


 
 
 

○負担○福祉

2010-07-16 | Weblog
  IMF(国際通貨基金)が日本の財政状態に対し、「政府負債の減少と安定化のために10年間で国内総生産(GDP)の10%に近い調整が必要だとし、消費税の引き上げを勧告した。」とのことである。

 よけいなお世話だと見る向きもあるが、このまま消費税もあげず、社会保障を充実させようというのは非常に困難だと思います。不可能に近いかもしれません。
 世論調査によれば国民の6割は消費税をあげることをしかたないと思っているようです。ならばなぜ今回の参議院選挙であれだけ民主党が負けたのでしょう。今までの内閣すべて消費税を口にすると選挙では負けてきました。先の世論調査で消費税あげることもやむなしというのは建前で実はあげもらいたくない、払いたくないということなのでしょうか。

 確かに管総理の発言はぶれたし、先にもっとムダを省くことが必要でしょう。しかし、いままでの自民党がだめで民主党に変えたのにわずか10ヶ月でまた自民党に票をいれ、これからどうなるか分からないみんなの党にも10議席を与え、とにかく目先がころころ変わるだけの政治情勢を作ってよいのでしょうか。

 先日、生活保護担当の人と話しました。私の自治体のところでは毎月50人近く生活保護の人が増えているそうです。他に移ったり、亡くなったりする人が10人いるかどうかでこのままではほんとに財政が破綻すると思うといっていました。他の市区町村では生活保護をうけさせないようにかなり「悪どい」こともやっているようです。生活保護を自治体が拒否することがときどきマスコミにのりますが、実態はまだかなりあるようです。貧困ビジネスを生み出すような、生活保護を受ける方にも「悪どい」人はいますが、法律としてある以上少なくとも受けたいと思う人にキチンと審査をすべきでしょう。受付段階で拒否することは倫理的にも許されないことではないでしょうか。

 とにかく政治が安定して国債が減っていくようにしなければ、社会保障の充実などできません。いつか国家が破綻することになります。
 
 民主党がこのまま与党を続けられるのか分かりません。しかし今の野党が、たとえば自民党がまた与党になったとしても政治が安定して国債を減らすような政策を実施しなければ同じように日本国自体が破綻します。政治家の皆さんは本当に真剣に、選挙のためではなく100年の計をもって国の行く末を考えて欲しいと思います。私たちも目先の利益に目を奪われることなく、(すでに何度もこのブログで書いていますが)低福祉低負担を選ぶのか高福祉高負担を選ぶのか、そろそろ決めていくべきではないでしょうか。今までは中福祉中負担と言われていましたが、すでに状況は低福祉低負担の方向に向かっています。負担のない高福祉はないですし、今の日本の状況では高負担中福祉がせいぜいのところでしょう。それでよいのでしょうか。私たちの老後と子どもたちの未来を想像力を働かせてリアルに具体的に思い描くことが必要だと思います。


 うーん今日も何か、ばらばらな思いつきの感じの文章でした。


今日のキーワード  「○負担○福祉」「高負担中福祉」「生活保護」「民主党大敗」「不安定な政治」




最近の身の回りのこと

2010-06-28 | Weblog
  世の中はワールドカップで盛り上がっています。私もにわかサッカーファンとして夜中3時に起きて日本代表の試合を見てしまいました。いやーすごかった。良かった。良かった。

 と、そんな中で参議院選挙もやっています。民主党の人気は下がっていますが、だからといって自民党も人気が回復したわけではないようです。二大政党制になるのかと思ったら、いつのまにか小党が乱立していて、よくわけがわかりません。どうなるのでしょう。

  最近、知り合いの事業所の利用者が詐欺にあいました。二つとも株、または投資信託に名を借りた詐欺のようです。100万円を現金で降ろさせて預かり、通帳から振り替えにできるようにして手数料をすぐに20万円とか引かれています。
 またこんなこともありました。10数万円の領収書があって収入印紙は貼ってあるのですが、受取人のところに何も書いていないのです。品代のところにもなんだか型番のようなものが書いてあるだけです。 
 
一人暮らしの認知症の方の場合、こういった被害を防ぐことはかなり困難です。デイやヘルパーを増やしてなるべく家に一人でいさせないようにするのがよいのでしょうが、24時間365日監視はできません。家族がそのリスクを認識して動かないことには手の打ちようがないです。

 すごく疑り深い方の場合には詐欺にひっかかりませんが、今度は認知が進むと何でも集めてきたり、何も捨てられなくなったりしてゴミ屋敷になります。介護保険の拒否も強くヘルパーはもちろん包括の職員なども家の中にも入れません。

 少し極端な例ですが、一人暮らしの認知症の方の支援はほんとに難しいです。そしてこれからもっと増えて難しくなるでしょう。

 社会保障をどうするのか、財政を立て直ししながら実現できるのでしょうか。最初に増税ありきでは困りますが、本当に国の将来を考えて選び、また政治家も実行してほしいものです。



今日のキーワード  「ワールドカップ」「参議院選挙」「高齢者を狙った詐欺」

これからは70過ぎても新人

2010-06-15 | Weblog
  大野一雄さんが亡くなった。1906年生まれなので103歳だった。数年前から寝たきりだったが、耳元で音楽を流すと手を動かして踊ろうとしていたという。
 私が大野さんの舞踏を見たのはいつだったろう。20年近く前になるかと思う。その後、何度かその踊りをみて感動して涙が出ることを始めて体験した感じがした。映画やドラマ、ノンフィクションで涙したことはあるが、舞踏と言ういわば抽象芸術で感動して涙を流したことは本当に衝撃だった。
 だから立てなくなって椅子に座って踊るようになって、その後寝たきりになったことは本当に残念だった。仕事が忙しくなったり家庭ができて舞踏そのものを見る機会もあまりなくなってこんな風に人生は過ぎていくのかなと思っていた。(ここらへんの感想はかなりすっとんでいます。ほんとに個人的思いで書いています)

 そんなときに6月14日の朝日新聞の夕刊に小島信夫文学賞をとった今年80歳になる千田佳代さんの記事が載っていた。「ずっと一人で生きてきた女性が70歳を過ぎて、猫と暮らすことになった。その日々を遠い戦争の記憶や亡き人たちの思い出と共に書いた小説『猫ヲ祭ル』」だそうだ。 

 (大野一雄さんが舞踏家として認められたのが70歳を過ぎてからなので、それよりも遅い出発ということになる。)

 その『猫ヲ祭ル』だが主人公と介護保険の認定をする若いケアマネージャーの対話で始まる(!)そうである。小説は読んでいないが、楽しみである。これからはもっと高齢者の「新人」が出てくるはずである。仕事上で高齢者に関わるだけでなく、いろんな分野で高齢者の活躍が見聞できるようになる。これも楽しみである。若い人たちの才能にも驚くべきものはあるが、高齢者の「生きてきた人生の味」を理解するようになるともっともっと世界は広がるはずだし、世界自身が高齢社会になっているのだから理解する必要があると思う。


今日のキーワード  「大野一雄」「千田佳代」「70過ぎてからの新人」



 

「困ったちゃんたち」への対応

2010-05-15 | Weblog
   利用者の中にこれは嫌だ、困ったという人が数人います。正確には利用者ではなく家族です。その人たちに共通して言えることは「人の話を聞かない」「自分の都合のよいように解釈する」「責任を他人に転嫁する」ことです。

 介護保険制度のことについても他のケアマネや(大体そういう人はケアマネを何人か変えています)サービス事業者から聞いていますが、制度のことを説明すると「初めて聞いた」「前のケアマネ・事業者はそんなふうに言っていなかった」と言います。以前のケアマネや関わっている事業者と話すとそんなことはなく制度のことをキチンと話しています。実際にその場にいたわけではないのでどんな言葉でやりとりされたかまでは分かりませんが、自分が対話した感じからも上記の3点、「人の話を聞かない」「自分の都合のよいように解釈する」「責任を他人に転嫁する」が感じられるので、やはり受け取り方の問題だと思います。それでも説明すればその場では「分かった」ように言われるので良かったと思うのですが、しばらくするとまた同じことの繰り返しや新たにいろんな問題を引き起こします。
 しかし、それを我慢して続ければ、3歩進んで2歩下がるで少しずつでも進めばよいのですが、3歩進んでは4歩5歩下がるようで徒労感に包まれてしまいます。

 ではどうしたらよいか考えました。まずは書面にすることを考えましたが、制度の細かいことを正確に書くことはかなり難しく、また書いたものが残ることで返って誤解を生む可能性もあり、控えました。でも担当者会議など第3者を入れて決定したものについては書いて残します。ただ、電話で話したことや玄関先で話したことなどは録音でもしない限り残せません。


 ただここで私はふと気づきました。認知症の方や高齢者夫婦の場合、介護保険制度のことを分からないことはよくあることだし、認知症では上記の3点のことはよくあることです。でもそういった方には、そんなに私は困ったとも嫌だなという気持ちも起きません。違いを考えると、私が「嫌だな」と思う人たちは認知症でもなく、特に高齢でもなく普通以上に理性的で判断力ももっていると思われる人たちなのです。ただ単に介護保険制度についてはなぜか理解しようとしない
と思われるのです。そのため特に徒労感が深いのだと思います。
 
 つまり問題なのは相手が自分の立てたプランや計画を無視することで専門家としての自分のアイデンティティ、ひいては自分自身の人格までを無視されたように感じるのではないかと言うことです。自分ひとりで完璧なプランや仕事ができるわけはないので、利用者・家族、サービス事業者の意見を聞いて変更するのは当たり前のことなのですが。
  特に「嫌だ」「困った」と感じる人には自分のケアマネとしての仕事をビジネスとして割り切っていないせいで「嫌だ」と感じるのではないかと思うのです。
 これからはやはりビジネスに徹してプランはあくまでたたき台でいくらでも変わるのだと思うことにします。たとえ、それがその人のためにならなくても、というと悪いのかもしれませんが、キーパーソンである家族がそのような判断を下す以上仕方がないと割り切ります。
 しかし、こんな私はやはり冷たいのでしょうか…。


今日のキーワード  「『人の話を聞かない』『自分の都合のよいように解釈する』『責任を他人に転嫁する』人たち」


利用者の家族のせいで胃痛になった。

2010-05-08 | Weblog
利用者の愚痴や批判はしないようにしていますが、今日は愚痴を書きます。
 
 わがままな利用者や家族がいますよね。この業界にかぎらず、サービス業や接客業ならば誰にも経験があると思いますが。私もいままで何人もわがままな利用者・家族を担当してきました。中にはいわゆるブラックリストに載るような人もいました。ですからある程度のわがままには対応できると思っていましたが、この利用者・家族に関してはどうにも我慢ができません。
 本人はまだ60前後で第2号被保険者で、夫がさらに若くまだ50代で中小企業の支店長クラスの役をしています。子どもはいません。本人は寝たきりで意志もあまりはっきりしないので、この夫がキーパーソンであり、代弁者です。この夫がワガママな上に優柔不断、何かあると責任を人に押し付ける。二言目には「私は介護や医療のことが分からないから、適当にやってくれ」。こちらで考えて「これはどうですか。こうしたらどうでしょう」というと、「じゃあ、そうしてください」と言うが、あとからまた、「私が決めたのではなく、そちらに言われたからそうした。やっぱりちょっと考えさせてほしい」等といって一向に話がすすまない。
 障害のサービスも使っているので、そのサービスの調整も行っているのに、それをケアマネがやって当然だと思っている。医療保険で訪問看護も入っているのでその調整もしますが、それもケアマネがやって当然。自分は仕事で忙しいから、介護はプロにまかせるという態度なのです。それならばこちらの意見を聞いてくれればよいのですが、人の話は聞かず、同じ話を何度話しても、自分の都合のよいようにしか受け取らない。収入もかなりあるのですが、介護には金を使おうとしないのでとにかく安くあげてくれと言う。
 介護は、つまるところ「金をかけるか、人手をかけるか」だと思いますが、そういう話をしても自分は仕事を辞められない(もちろん仕事を辞めてなどとは言っていません。せめて残業をしないことはできないかという話はしますが)、介護は自分にできることはやっている。と自分だけが頑張っているのに介護のプロのお前たちがどうしてこちらに希望にかなうことができないかというばかりなのです。
 介護保険も障害保険も制度の中で行っているサービスなので制限があると言っても、「難しくてよく分からない」と言って話を理解しようとしない。子どもが駄々をこねているような態度なのです。

 こんな人間が上司では部下はさぞつらいだろうと思うのですが、会社でのルーティーンワークは結構こなしているのかもしれません。

 しかし、こんな利用者の家族と付き合っていると胃が痛くなります。先日、サービスのことでちょっとした行き違いがあり、話していてほんとに胃が痛くなって半日くらい横になっていました。

  くそっ、 バカ野郎!!

 ほんとにただの愚痴でした。



今日のキーワード 「わがままな利用者・家族」「駄々をこねる子どものような人」

 

とりとめもなく…

2010-05-06 | Weblog
   1か月に2回は書き込みをしようと思っていますが、先月は1回でした。なんだか忙しくて、そのくせ酒を飲んでばかりで1月過ぎてしまいました。1回目を書くのが遅いのも忘れる原因だと思うので今月は早めに書きます。書くことがなければ書かなくてもよいのかとも思いますが、そうすると書くという習慣がなくなってしまいそうで…。

 そんなわけで、(どんなわけ?!)とりあえず、連休中のことを書きます。でも連休中どこにも行かず、むしろ仕事の電話があり、仕事場に行ったくらいです。近くだから行きましたが、1時間もかかるようなところなら絶対に行きません。

 訪問介護や通所介護はもともと祝日など関係ないので、申し訳ないような気もしますが、やはり休めるときは休みたいので、そんなに仕事に命をかけているわけではないので。

 なんだかずっといいわけめいたことばかり書いているようです。

 私の事業所も多くの事業所と同じく、居宅介護と訪問介護が一緒になっています。しかし、訪問介護のほうはあまりやる気がないようで営業や新しい仕事を積極的に受けようとはしません。経営者があと数年で辞めたいと言っているので仕方ないかもしれません。だからといって今の仕事に手を抜いているわけではありません。ただ、この業界の将来的なことを思うと事業を拡大していくことに前向きになれないようです。
 居宅のほうは管理者が介護や福祉に対してとてもやる気がある人なので、訪問介護をやめても居宅だけでも続けていくようなので私も仕事を続けようと思います。というか続けないと食べていけないのですが…。

 連休があって特にそう思うのか、ケアマネの仕事に対して、モチベーションがわきません。こうやって書くとなおのことそう思うので、マズイのでしょうが。

 私も訪問介護の経営者と一緒で将来的なことを思うと果たしてこの仕事にどれだけの未来があるのか疑問です。仕事自体はなくならないでしょうが、どんどん締め付けが厳しくなってほんとに必要な支援ができなくなってしまうのではないかと危惧しています。そうなったときのケアマネの存在とは何なのか。今から考えることがおかしいとも思います。悪い方向に行く可能性だけとは限りません。政治家、国民が自分たちの未来のことを真剣に考えて、それだけの負担を受け入れるようになるかもしれません。(低福祉、低負担のほうが良いと考える人が多ければその方向に行くかもしれませんが) 現状での中福祉、中負担は破綻していくことはたぶん間違いないと思います。先日の保険者の調査でもこのままでは介護保険の財政はうまくいかなくなると考えているところが7割くらいありました。
 そんな調査結果や現場での経験から考えると負担を国民が受け入れるとは思いませんし、国も行政もマズイとは感じながらも、どうすればよいかを積極的に人々に訴えようとはしません。結局、手遅れになるまでわからないのでしょう。仕方のないことです。



 うーん、暗い話で、とりとめもなくすみません(ーー;)




今日のキーワードは  「…」
 

新しいデイの特徴とは。

2010-04-20 | Weblog
  最近、事務所の近辺でデイサービスが相次いで開設している。この数ヶ月で3件開設した。それらのデイで共通しているのが、自費でのお泊りサービスである。つまり昼間はデイ、夜は自費でお泊り、費用はだいたい数千円。いずれも好調のようである。なぜなら私の地域では圧倒的にショートなどの資源が不足しているため希望の日にショートが取れない。取るにも数ヶ月先からの予約である。その点、上記のようなデイならば1日で2日でも空きさえあれば、翌日、いや当日でも泊めてもらえる。これは介護者にとっては大変ありがたい。
 家で介護したいという人は多いが、実際にしてみると休憩したくなることも出てくる。冠婚葬祭もある。そんなときに家を空けられないのは介護者にとってかなりの負担になる。その隙間をぬってのデイの自費での泊まりサービスである。
 良いことではあると思うが、反面、自費であるため介護保険にしばられないから、設備や人員をそろえる必要がない。つまりあの「静養ホームたまゆら」のような形態に近いのである。こうして考えると「静養ホームたまゆら」は必要悪だったのかと思えてくる。
 そうは思いたくない部分もあるが。現実を見た場合、ショートや介護老人保健施設などが取りにくい地域では、自費での(介護保険にとらわれない)サービスが必要不可欠であるといえる。こうした問題を解決しなければ自宅での介護疲れから無理心中や介護殺人が起こってくる。大げさに考えすぎだと思われるだろうか。これからそういった悲惨な事件は、はずれてほしいけれども、増えてくるのは確実だろう。それからでなければみんな(政治家などが特に)真剣に施設のことなど考えないだろう。


今日のキーワード 「デイの自費でのお泊り」「静養ホームたまゆら」


グループホーム火災、外国人看護師

2010-03-29 | Weblog
   少し前になりますが、グループホームの火災があって、また犠牲者の方が出ました。ご冥福をお祈りします。これは以前から書いている通り、一つのグループホームの問題だけではなく夜勤を一人しか付けられない介護報酬、何十万、何百万もするスプリンクラーを補助もなしに付けられない介護保険制度に問題があります。問題を矮小化しないで理解して欲しいと思います。

 外国人看護師が3人合格しました。しかし残りの外国人看護師251人は不合格だそうです。まあ、当然でしょう。日本語を、しかも特殊な用語がある看護、医学用語を相手に試験をしてわずか1年や2年で合格しろというほうが難しい。最初から無理な注文です。今後外国人看護師や介護福祉士が劇的に増えることはありえないでしょう。これも受け入れる枠組みだけ作って育てる仕組みやお金を出さない国のやり方が間違っています。形だけの外国人看護師、介護福祉士の受け入れです。つくづく日本という国は「よそ者」を受け入れないし、将来のことを考えない、その場限りの政策しかしない国だと思います。



 どうも景気も良くないし、体調も良くなく、風邪をひいて治ったと思ったら、胃腸を壊して、半月以上、ぱっとしません。そのためまとまったことも考えられず、断片的なことだけをただ書き連ねました。反省です。


今日はキーワードというか「グループホーム火災」「外国人看護師」そのままです。

キーワードは自分が後で何を書いたか、全部読まなくても最後を見れば分かるようにと思って付けているのですが、今日みたいに単純ですと、ほんとにすぐに分かります。
とこれは蛇足ですね。





扱いにくい利用者

2010-03-13 | Weblog
  扱いにくい利用者がいます。えり好みをするわけではありませんが、やはり人間なので相性もありますし、性格的に問題のある方も(認知症などの病気ではなく)います。
 まず一番多いと感じられる利用者は生活保護の男性の一人暮らし。それらの多くの方は複数の肉体的病気を抱えている上に(多くは糖尿病、ヘビースモーカーなど)精神的にもかなりこだわりが強く、ヘルパーなどともトラブルを起こしやすい。何人もヘルパーを変える、事業所を変える、ケアマネも変えるという人が多いようです。

 もう一方で多いのが元社長とか大学教授とか地位の高かった男性です。プライドが高くデイサービスなどはほとんどが嫌がります。自分が衰えたところを見せたくないのです。一方で家族にはかなり手厳しく当たっており、引退して何もしないのに、仕事をしていたときと同じように家事は一切せず、妻や嫁、娘に言いたい放題で家族からは疎んじられています。

 経済的な面や引退する前の地位や職業はほとんど正反対なのに、なぜか生活保護の男性と元社長、大学教授などは同じように扱いにくいのです。もちろん女性でも他の普通の(?)男性でも扱いにくい方はいますが、上記の方々は同じような扱いにくさなのです。

 介護を受けるまでの実生活では多分全く交わらなかった両者が不思議と体が衰えて介護をうけるようになると一致した反応を示すのです。

 両者に限らずですが、介護をうけるようになると今までの地位や職業に関わらず、素の自分が出てくるように感じます。今までの生活暦や考え方がもちろん影響しますが、上記の両者の場合、自分の思うとおりに生きてきた、言い換えればワガママなところが似ているのでしょう。そのために自分の体や精神が自分の思うように働かなくなると、そのワガママな部分がより強調されて周囲、他人に出てしまうのかもしれません。

 前にも書いたかもしれませんが、年を取ると素の自分がより見えてきてしまいます。認知症などになると人格変化がでてしまいますが、そうでない場合は、なるべく周囲の人間から疎んじられないような人間になりたいと思います。周囲の人間に媚びるわけでもなく、自分の主張もキチンと言えればベストなのだと思いますが。
 私の場合、いまでも家族などからは意地悪ジジイと言われているので難しいかもしれませんが。(~_~;)


今日のキーワード  「扱いにくい利用者」