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音楽大好き男の徒然なる日記

「Goodnight Saigon」(1982・Billy Joel )~福島第1原発・吉田昌郎元所長を悼む

2024-03-15 | 音楽
(項目初出:2013年7月11日付)

「nipon.com」日本を救った男-吉田昌郎元所長の原発との壮絶な闘いと死
https://www.nippon.com/ja/currents/d00093/?pnum=1

どんなにトップや政治家が愚か者の集団であっても、
下に就いた者は懸命にその任務を遂行しなければならない。


東京電力福島第1原発事故の収束作業を指揮した吉田昌郎元所長(58)が、7月9日死去した。
原子炉への海水注入の中断を求める東電本店の指示を無視し、
独断で注入を続けるなど毅然(きぜん)とした態度が評価された一方、
震災前に第1原発の津波対策の拡充を見送ったことも明らかになった。

原発立国の光と影を背負ったまま、58年の生涯を閉じた。
「親分肌」「面倒見が良い」と現場の信頼を集め、本店とは距離がある協力企業の作業員の人望も厚かったという。


この歌はベトナム戦争を題材にしたものなのだが、あの爆発事故の収束作業は戦争同様に決死の作業だったはずだ。
彼はまぎれもなく殉職したのだと思う。
吉田元所長に
緊急作業に従事して人知れず亡くなられた方々に
そして、原発事故関連で亡くなられた方々に   合掌

札束の力で原発を日本に広めた中曽根康弘氏は、今からでも福島第1原発を表敬訪問するべきだ。
年齢が年齢だ・議員を引退した、なんて言い訳は許されない。

2019年12月追記:
11月29日、中曾根康弘氏、101歳で死去。
無言のうちに逃げられてしまった。 卑怯者。


クローズアップ現代+
「原発事故 “英雄たち”はいま 被ばく調査拒否の実態」
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4105/



「Goodnight Saigon(グッドナイト・サイゴン~英雄たちの鎮魂歌)」(1982・Billy Joel)

Billy Joel - Goodnight Saigon (Official Video)


僕らはパリス島で出会って 
大親友になった
そして病院を退院するように
島を離れた
ナイフみたいに
鋭く尖って
命を投げ出せるぐらい
熱くなっていた

やがて来た時の僕らは野生の馬みたいに
手がつけられなかったけど
去る時には番号を書かれた死体みたいに
扱いやすくなっていた
そしてすぐに僕らは
軽装で旅する方法を覚えた
武器は重かったけど
お腹は引き締まっていた

銃後の守りなんてものは僕らにはなくて
お世辞を言ってくれる人もいなかった
彼らは「プレイボーイ」を送ってきて
ボブ・ホープを与えてくれた
僕らは深く塹壕を掘って
何かを見つけたらすぐさま撃って
あとはただひたすら神様に祈った

景色を撮影するカメラなんて
僕らは持っていなくて
ハシシのパイプを回し飲みしては
ドアーズのテープを聴いた
そして夜には
辺りは本当に真っ暗闇になった

僕らは兄弟同士のように
互いを頼りにして
手紙を書くことを母親に約束した

そして僕らは一丸となって進んでいった
一丸となって進んでいこうと誓い合った
そう 僕らは一丸となって進んでいった

チャーリーを覚えているかい
ベイカーを覚えているかい
いたるところで
彼らの少年時代が置き去られた
一体誰が間違っていて
誰が正しかったんだろう?

だけど戦いの真っただ中では
そんなことは関係なかった

昼間の時間は
僕らの掌中にあったから
思い通りにできたけど
夜が訪れるといつも
パリス島の6週間と同じくらい
長く感じられた

僕らは海岸線を占領していて
連中は高台を押さえていた
やつらと来たら
まるでナイフみたいに鋭くて

僕らのモーターのうなりを耳にすると
プロペラの数を数えてから
僕らの到着を待ち構えていた

そして僕らは一丸となって進んでいった
一丸となって進んでいこうと誓い合った
そう 僕らは一丸となって進んでいった



     日本語訳:野村宏伸
     オリジナルアルバム『The Nylon Curtain(ナイロン・カーテン)』収録

ウィキペディア解説は、
https://w.wiki/4wdk


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