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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

恩讐の彼方に

2010-08-17 | Weblog
父親が殺された。息子は決意する。下手人に復讐を。息子は父の仇を、苦節幾歳月、人生を賭けて果たそうとする。典型的な仇討物語である。さてこれは、「曽我の対面」や「赤穂浪士」など、歌舞伎の世界の話だろうか。いやいや、トーゴの現代史である。トーゴの政治には、もう数十年という長い間、この仇討物語が付きまとって来た。

1960年にトーゴは独立を果たした。初代大統領となったのは、シルバヌス・オランピオ。ところが、3年後の1963年1月、大きな事変が起こる。軍の青年将校がクーデタをおこし、オランピオ大統領は、銃で撃たれて殺されたのだ。殺したのは、エヤデマ大尉。そして、エヤデマは1967年に再びクーデタに訴えて、自ら大統領に就任する。以来、38年にわたり大統領の座に座り続ける。

殺されたシルバヌス・オランピオ大統領には、息子がいた。その息子ジルクリスト・オランピオは、父が殺された時に27歳。すぐに米国に逃げて以来、エヤデマ大統領に敵愾心を燃やし、エヤデマの一党独裁にしぶとく挑戦する。エヤデマ大統領の側も、ジルクリストに対して、国家反逆の罪で2度も死刑判決を出している(欠席裁判)。ジルクリストは、1991年にトーゴに戻って、「変革への結束党(UFC)」を組織した。そして、1993年、1998年と、大統領選挙に立候補して、エヤデマ大統領に迫る勢いを示す。

だからもう、トーゴの政治といえば、エヤデマ大統領と、クーデタで彼に父を殺された、ジルクリスト・オランピオUFC党首との、蛇とマングースの闘いであった。エヤデマ大統領は、2002年に憲法を改め、「過去1年にトーゴに在住していること」を大統領選挙の立候補資格に加えた。ジルクリストの挑戦を封じ込めるためである。ジルクリストは、エヤデマ大統領による暗殺を恐れてパリに在住していた。だから、この憲法規定により、2003年の大統領選挙には立候補できないことになった。

そして、2005年になり、ついにエヤデマ大統領が死去する。後を継いだのは、エヤデマ大統領の息子の、フォール・ニヤシンベ大統領である。そして、今年2010年3月に、ニヤシンベ大統領の再選をかけて、大統領選挙が行われた。今回は、与野党間の政治合意で、憲法規定にも関わらず、ジルクリストは立候補できることになっていた。蛇とマングースの闘いは、息子どうしの間に引き継がれた。選挙戦を通じて、トーゴじゅうが相当激しい殴り合いに巻き込まれるのではないかと、皆がずいぶん心配した。

ところが、意外な展開により、この殴り合いは回避された。ジルクリストは持病の腰痛が悪化して、結局立候補できなかったのである。だから、ニヤシンベ大統領は、順当に再選を決めた。選挙そのものも平穏に、暴力沙汰もなく行われた。トーゴ史上、はじめて死者が出なかった大統領選挙、と言われた。皆がほっとした。

でも、それは国内の対立がなくなったことを意味しはしなかった。ニヤシンベ大統領の「トーゴ人民連合(RPT)」は、北部出身者を代表している党で、これに対して、ジルクリストの「変革への結束党(UFC)」は、南部出身者を代表している党である。だから、仇討の関係もさりながら、トーゴの南北対立が厳然として残っている。対立がある限り、やはり殴り合いの火種は残っている。

ところがここで、ニヤシンベ大統領はあっぱれな手を打った。ニヤシンベ大統領は、選挙で圧倒的な勝利を収めたにもかかわらず、ジルクリストに呼び掛けたのである。
「さあ、あなたがたUFCも政権に参加してください。一緒に政府を作りましょう。」

あっぱれなのは、ジルクリストも同じである。彼は、長年の仇敵と協力するなどとは、と難色を示すUFC党内の同志たちを前に言った。
「対立は終わりにしなければ。これからは、開発だ。国の建設だ。」

ニヤシンベ大統領とジルクリスト・オランピオUFC党首との間で、5月26日、協力協定が署名された。そして、ウングボ首相続投で組閣された新内閣には、31人の全閣僚中、UFC側から7人の閣僚が任命された。その中には、外務・協力相、高等教育相といった、重要ポストも含まれている。

この新体制が、ほんとうに国民和解内閣になるのかどうかは、もう少し仕事ぶりを見てから判断しなければならないかもしれない。両者の間で結ばれた協力協定にしたがって、地方首長選挙を実施するという、次の段階の課題がある。エヤデマ前大統領のもとでは、地方首長は大統領任命であって、民選ではなかった。これを地方選挙で選ぶことにするのだ。当然、UFC出身の市長がたくさんでてくるだろう。同様に、裁判官や、各国駐在の大使なども、UFCにも一定数を割り当てる合意になっていると言われる。

これをUFC側への譲歩のしすぎだと、ニヤシンベ大統領のRPT側にも、批判がある。ジルクリストのUFC側でも、昨日の敵と一緒に働くということに大きな抵抗がある。与党に取り込まれて、次の大統領選挙への勢いが削がれるではないか、と。それで、先の大統領選挙に、腰痛のジルクリストに代わって立候補したファーブルUFC事務局長は、ジルクリストへの叛旗を翻し、毎週土曜日に、連立反対のデモを繰り広げている。ジルクリストはこれに怒って、UFCの臨時党大会を開いて、ファーブル事務局長を除名するという事態にまで至っている。

それでも、国民の多くは、両指導者が手を握ったことを歓迎している。長年トーゴの政治を荒廃させ、経済社会成長を損なう結果になってきた、オランピオ系(南部)とエヤデマ系(北部)の国内対立が、指導者の強い意志による国民和解のかたちで、解消されようとしている。民主主義の定着に、国民がだんだん自信を深めつつある。

半世紀にわたる恩讐を乗り越えるには、まだ継続して努力が必要だろう。しかし、恩讐の当事者であり、国内対立を体現する指導者どうしが、国民の前に手を握って国民和解への道筋を示したという一歩は大きい。「勝者一人占め」を譲ったニヤシンベ大統領、「対立ではない、開発だ」と喝破したジルクリスト・オランピオ。私は、両方に声援を送りたい。

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