コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

エヤデマ大統領物語

2010-03-03 | Weblog

以前にトーゴに出張に行ったら、交差点の路上で漫画本を売っていた。「エヤデマ大統領物語」とあるので、面白そうだ、一冊買った。エヤデマ大統領というのは、1967年から2005年に逝去するまで、38年間の長きにわたってその座についていた、先代の大統領である。ロメの街のあちこちで売っている漫画本だから、この「物語」にあるエヤデマ大統領の伝記は、当局として問題はないものなのだろう。そこには、「あの事件」をどう記してあるだろうか。

エヤデマ大統領の生い立ちから、この漫画本でたどってみる。エヤデマ(Etienne Gnassingbé Eyadéma)は、1936年にトーゴの北部のピャ(Pya)で、普通の農家の家に生まれた。頭が良くて、相撲をすれば村一番の子供だった、とこれは英雄伝であるから、だいたいそういう風にはじまる。エヤデマ少年は、ある日、村に徴兵に来たフランス部隊に目をつけられて、フランス軍に入隊する。

フランス軍では、インドシナ戦争、アルジェリア独立戦争と転戦。エヤデマがアルジェリア戦争に従軍中に、祖国トーゴは独立を果たし(1960年)、シルバヌス・オランピオ(Sylvanus Olympio)が初代大統領に就任する。その後エヤデマは、ニジェールで勤務しているときに、非常に成績が優秀なので、フランス軍の上司の将校たちから、フランス本土の士官学校への進学を勧められた。ところが、本国トーゴのオランピオ大統領は、エヤデマには十分資格があるのに、彼を士官学校に送ることを拒否した。エヤデマは北部出身である。南部出身のオランピオ大統領が、北部出身の優秀な将校が生まれるのを嫌がったからだ、と書いてある。

エヤデマはフランス軍を除隊してトーゴに帰る。オランピオ大統領の政治が、国中に危機をもたらしていたので、憂慮して帰ったということになっている。国に戻ったエヤデマは、同じくフランス軍を除隊した同僚たちとともに、トーゴ国軍に編入されることを申し出るが、オランピオ大統領はこれを拒否する。表向きは、財政難のため雇えないということであった。実態は、北部出身の兵士を嫌ったからである、と説明される。

さて、オランピオ初代大統領の政治は、国中に不満をもたらしていた。公務員の給料は昇給停止になっているのに、大統領の側近は私服を肥やしている。国の主要農産品であるカカオとコーヒーに、生産税をかける一方で、買上げ価格を低く固定して、農民たちの怒りを買っている。そして、権威主義的な政治により、大学の自治を弾圧し、国民議会の権限を弱体化した。何より問題なのは、南部出身のオランピオ大統領が、南部の人間を重用し、南部による北部支配を確立しつつあることだ。南部から派遣された役人が、北部の地元の村長たちと衝突をおこしている。と、これらも全部この漫画本の記述である。

いずれにしても、こうした背景のもとで、「あの事件」は起こった。起こる必然性があったということだろうか。1963年1月13日のことである。
エヤデマと除隊兵士数人は、夜陰に乗じてオランピオ大統領の邸宅を襲った。オランピオ大統領は、寝込みを襲われて、警護隊に連絡する暇もなく、窓から逃げた。隣にアメリカ大使館がある。そこに塀を乗り越えて避難しようとした。
「バン」
兵士の一人が思わず撃った。弾はオランピオ大統領に命中し、大統領は即死。こうしてクーデタになった。

エヤデマは、そこですぐに権力を握ったわけではない。はじめはグルニツキーという野党党首が2代目の大統領になった。南部出身のグルニツキー大統領と、北部出身のメアチ副大統領との、南北和解政権であった。しかし、グルニツキー大統領とメアチ副大統領の間の対立は次第に深刻になり、南北の民族対立から政府は機能しなくなった。エヤデマは、1967年1月13日に、再びこんどは本格的なクーデタを指揮し、グルニツキー大統領を辞任させた。無血クーデタであった。

今度はエヤデマ自ら、大統領に就任した。「物語」では、暗殺未遂事件、燐鉱山の国有化、飛行機事故(機は大破したのにエヤデマ大統領は無傷で生還)、ロメ港の開発など、エヤデマ大統領の逸話が続く。国内では国民のために働き、南北の和解に心を砕き、国際的にもトーゴの地位を高めた、偉大な大統領として描かれる。この漫画本は、1976年出版の、再版である。フランス大統領として、ジスカール・デスタンが描かれているから、その時代を感じる。

さて、38年間という、おそらくアフリカでも最長の治世ののち、2005年にエヤデマ大統領は死去した。そして、息子のフォール・ニヤシンベが大統領職を継いだ。いくらか混乱があったけれど、同年(2005年)に大統領選挙を行って、ちゃんと民選で選ばれた。大統領の任期は、憲法で5年と定められている。今年は2010年だから、フォール・ニヤシンベ大統領は、今年再選をかけて大統領選挙をしなければならない。それが、明日3月4日に行われる。

今から47年前に起こった「あの事件」は、半世紀を経て、今だにトーゴ政治に影を落としている。今回の大統領選挙について、そのいきさつを把握するには、「あの事件」について知っておく必要があるので、漫画本を紐解いたわけである。

(画像はクリックで大きくなります)


表紙:「エヤデマ大統領物語」


「オランピオ大統領は、南部の北部への独裁政権だわ。」
「彼は、憲法の権限を乱用している。」「多数の政治家が投獄されたらしい。」
「公務員の給料は凍結されているのに、大統領側近は懐を肥やしている。怪しからん。」
「カカオとコーヒーに課税するだけでなく、産品の買上げ価格を上げるのを拒んだそうよ。農民たちは怒っているわ。」


「北部に派遣された政府の代官が、村々の長たちと衝突しているらしい。」「彼らは、南の連中だからね。」
オランピオ大統領が権威主義政治を強行すると、もう腕力による解決しかなくなっていく。
国民議会はその権限を奪われ、政治による政権交代の可能性はない。
「状況は悪化している。僕はトーゴに帰る。」「本気か、お前。」


「エヤデマ、君も我々同様、除隊して帰ってきたが、オランピオ大統領は任用してくれない。」
僕が、自分で昔の同僚に頼んでみる。
「傭兵どもは、ここから入るな。」
やはり、皆が言ったとおりだ。
その一方で、人々はエヤデマに、事態打開のために力になってくれるように懇願する。


オランピオ大統領に考えを改めるよう、何度も求めたが無駄だった。
「特殊部隊による作戦なら、うまくいくだろう。」
1963年1月13日。「エヤデマ、準備万端だ。今夜いくぞ。」
「大統領、傭兵出身者たちが何か企てているようです。護衛を強化しますか。」「その必要はない。」


「静かに、音を立てるな。」バン!
「襲撃だ、憲兵隊に連絡しよう、いや遅すぎる。」
「隣のアメリカ大使館に逃げ込もう。敵は正面からだ、私は裏口から逃げる。」
バン!
「仲間の一人が、大統領を撃ってしまった。オランピオは死んだ。」


「エヤデマ、権力を握れ。」「いや駄目だ。軍は政治に手を出してはいけない。」
「南部のグルニツキーが軍に擁立されて、大統領になった。北部のメアチが副大統領だ。南北和解政権ということらしい。」「警察国家が終わったことは、ともかくも良い事だ。」
エヤデマは軍に戻り、昇進を受ける。1965年には大佐として、参謀長の座につく。
「グルニツキーとメアチは、また古い対立を持ち出した。南北対立だ。」
「政治家というのは、本当にどうしようもない。」


ラジオ「グルニツキー大統領は、メアチ副大統領を解任しました。」
人々「グルニツキーは辞職せよ。グルニツキーを追い出せ。」
1966年11月:「軍は、正統性のある大統領のために仕えなければならない。」
軍のおかげで、グルニツキー大統領は、危機をしのぐことができた。


しかし、政権が続くには、あまりにガタガタになっていた。
1967年1月13日:「君たちに呼びかける。軍は立ち上がり、政権を奪取せよ。」
閣議で法務大臣「フランス軍に、介入を求めよう。」
「フランス軍が、どっちの味方をするか、見ものだよ。」
しばらく経って、
「エヤデマ大佐、グルニツキーとその政府は、全て辞職しました。一滴の血も流れずに、クーデタ成立です。」
「トーゴ国軍は、すべての領土において、政治の責任を取る。トーゴ国民よ、平静につとめ、国軍を信頼せよ。時期が来れば、国民の声による政治を必ず回復させる。」


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