コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

トーゴの大統領選挙

2010-03-04 | Weblog
エヤデマ大統領は、2005年2月5日、飛行機の中で逝去した。心臓麻痺であった。トーゴの憲法によれば、こういう場合は国民議会議長が暫定大統領となり、2ヶ月以内に大統領選挙を行うことになっていた。ところが、ナチャバ国会議長は、そのとき隣国ベナンにいた。トーゴ軍はベナンとの国境で、ナチャバ国会議長がトーゴに戻るのを阻止するとともに、国会に指示して、息子のフォール・ニヤシンベを急遽国会議長に選出させ、「憲法の規定に従い」、ニヤシンベ大統領を就任させた。国会は同時に、2ヶ月以内に大統領選挙をしなければならない、という憲法規定も改定し、故エヤデマ大統領の任期である2008年まで、ニヤシンベ大統領はその職を続けることができる、とした。

そんなのは、憲法の名を騙った反憲法である。国際社会から、猛然と非難が湧き起こった。それを見て、弱冠39歳ワシントン大学修士号のニヤシンベ大統領は、こんなことではいけないと考えた。それで、2月25日、いったん大統領の座から降りて、他の人に暫定大統領の地位を明け渡し、憲法の規定どおり、2ヶ月後に大統領選挙を行った。2005年4月24日に、大統領選挙が行われ、ニヤシンベ候補は、60%の得票を得て、正式に大統領となった。

これが5年前の話である。憲法の規定で、大統領の任期は5年であるから、今年の2010年は大統領選挙の年である。2月28日(その後4日ほど延期され3月4日になる)の投票日を前に、ほぼ半年くらい前から、皆がやきもきしたのである。前回2005年の大統領選挙でも、選挙結果をめぐる与野党の攻防で、野党支持者が警備隊と衝突して多数の死傷者を生ずる事態を招いた。そして南北騒乱や弾圧を予想したトーゴ国民が、3万人以上も国外避難するような騒動になっている。トーゴでは、大統領選挙というと物騒な話なのだ。今度の大統領選挙では、民主的で平穏な選挙ができるだろうか。

ましてや今度の選挙では、あの因縁の対決がある。これがどのように火を噴くのか。誰もが恐る恐る見ていたのである。因縁の対決とは、47年前の「あの事件」の復活戦というべきか。最大野党である「変革への結束党(UFC)」の党首は、ジルクリスト・オランピオ(Gilchrist Olympio)という人である。そう、47年前にエヤデマ大統領のクーデタで殺害された、シルバヌス・オランピオ大統領の実の息子である。対する与党「トーゴ人民連合(RPT)」の現職大統領は、フォール・ニヤシンベ。エヤデマ大統領の実の息子である。この二人の、大統領選挙での対決である。

父親どうしの権力争いを、息子どうしで再び戦う。ジルクリスト・オランピオの挑戦を、ニヤシンベ大統領は、正々堂々と受けることにした。実は、彼は2005年の大統領選挙のときは、大統領候補資格がないとみなされ、立候補できなかった。エヤデマ大統領時代に、長年亡命生活を送ってきていたので、「過去1年間はトーゴに住んでいること」という憲法上の資格を満たさなかったのだ。今度の選挙でも、憲法上は資格がないのであるが、特別の政治合意により、ジルクリスト・オランピオの立候補資格が認められた。そして、世代をまたいだ因縁の対決が、まさに実現しようとしていた。

ジルクリスト・オランピオには、弱点があった。野党としてはもう一つ「革新行動委員会(CAR)」という党があり、大統領候補として、別の有力候補がいることである。その候補者アボイボ党首との間で、野党統一候補の折り合いがつかなかった。これは、トーゴの大統領選挙制度上、決定的に不利である。憲法上、大統領選挙は一回だけ。最大得票者が当選する。上位2人で決選投票を行う2回投票制ではない。もし、野党支持者が票を割ってしまえば、現職大統領にはとても勝てなくなる。

野党候補の2人とも引かない、ということが分かったときから、野党側は憲法を改正しろと言い出した。決選投票を行う2回投票制に変えるべきだ、というのだ。そんな、今さら時間もなく、憲法改正など無理だ。それなら、大統領選挙は延期してでも、先に憲法改正をすべきだ。そういう無理難題のやりとりが続いて、場合によっては野党は選挙をボイコットする可能性もある、と全面対決つまり衝突の様相が濃くなってきた。大統領選挙が行われたとしても、流血を伴うような衝突が起きるようではいけない。野党が不参加というのも、片手落ちになる。残念な大統領選挙にならなければいいが、と心配していたところで、思わぬ方向に事態が展開した。

ジルクリスト・オランピオには、意外なところにもう一つの弱点があったのだ。腰である。訪問先の米国で、持病の腰痛が悪化して動けなくなり、そのまま入院してしまった。一歩も歩けないくらいひどいという。憲法上は、立候補にあたって、医師3名から心身ともに健康上の問題がないとの、診断書をとりつけなければならない。これが得られなかった。考えてみれば、ジルクリスト・オランピオは70歳ちかくで、激しい政治活動では、腰にきてしまったのも仕方がない。まことに本人は、天を仰いで嘆いたに違いない。しかし、これも天命である。彼は立候補をあきらめた。

2月16日から、選挙戦が開始された。投票日は本日、3月4日である。「変革への結束党(UFC)」は、ジルクリスト・オランピオ党首ではなく、ファーブル事務局長を自党の大統領候補として立てた。大統領選挙での、息子どうしの果し合いは、幻に終わった。あとは、選挙が平穏のうちに行われ、選挙結果をめぐって騒動が起こるようなことのないよう、願うばかりである。

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