3月10日の秀吉のお墓の夢という記事の続き。
あの後、自分の過去生をつらつらと思い出し、mixiには書いていたけれど、こっちには忘れていた。
転載しておきます。
・ ・ ・ ・ ・
2月のチャネルクラス@上海での瞑想で「キリスト意識」と出会っていましたが、
その続きがあり、その後過去生を思い出しました。
まず3月10日に、豊臣秀吉のお墓に立ち寄る夢を見ました。
秀吉のお墓の上に、十字架の光が降り、円形の虹が架かっていました。
この円形の虹は、私の中で、光が直線に進まない5次元界の象徴なんです(勝手に)。
その時、この夢の意味は理解できないでいました。
その後数日経ってから、家事をしている最中にある感情(負の)が沸き起こってきました。
それがきっかけで、一晩かかってボロボロと過去生と対面することに。
私は秀吉を憎みました。(という経験をした魂の一つを今世に引き継いでいる)
なぜならキリシタンだったからです。
秀吉の政策を憎んだ。
チャネルクラスでちゃぴさんに「隠れキリシタンだった過去生がある人もいるよ」と
さらりと言われていましたが、私もそうだったようです。
先の秀吉のお墓に十字架の光が降りる夢は、私の中に「許し」の心が生まれた証拠だったようです。
秀吉に抱いた憎しみ。
でも、その憎しみはもう終わりましたよ、とのこと。
この深い深い負の感情と向き合うときが来たんだと悟ったとき、
思わず自分に手を合わせていました。
ありがとう、じぶん、って(笑)
だって、こうやって生まれてこなければ、この感情は浄化できなかったんですもの。
隠れキリシタン時代、私は天草にいたように思います。ってか絶対にいました。
今世でも縁があり、仲のよい友達が天草に住んでいて、隠れキリシタン時代、ここにいたな、
と思われる崎津天主堂という教会に15年ほど前に行ったことがありました。
天草自体が、非常に悲しみの気で覆われたところと感じるのですが、この崎津天主堂周辺は
10分といられないくらい、晴天の昼間なのに目にはグレーに映るような寂しさが村落を支配していました。
あの寂しさと悲しさは、スピっていない時代の出来事でしたが忘れることができません。
そしてその後、その友人が天草4ヶ本寺の一つのお寺に嫁に行く事になりました。
そこは島原の乱の後に、民衆のメンタルケアのために徳川幕府が建てたお寺です。
鎮魂の意味もあります。
そこの住職であるお友達の旦那さんが、私(と旦那のために)と特別仕様の数珠を作ったよと、
送ってくれたことがありました。
正直、当時は数珠などには露程も興味が無く、素直に喜べない自分がいたのですが
その数珠には本当に霊的な意味があって私のところへ来たのだな~、
とほんと先週になって思う事ができるようになりました。
ちなみに、そのお寺を建立した代官様は三河の賀茂生まれ。
賀茂一族のご加護を感じます。(と代官様を勝手に思ってみる)
同時に私という魂は、いつの時代も賀茂一族に助けられてきているということが解ってきました。
(決して、この一族だけではありませんが)
(さぼりぎみですが)チャクラを掃除することで、過去生がよりボロボロと出て来るようになり、
自分を守ってくださっている霊団というのかソウルグループがより明確に解ってきた気がします。
少なくとも、自覚的には3つのソウルグループを感じています。
まぁ、どれも根源は一緒ですけどね♪
・ ・ ・ ・ ・
なんてことがありました。
また一つ、口惜しいとじたんだを踏んでいた自分の魂の記憶のエネルギーを光に戻すことができました。
あの後、自分の過去生をつらつらと思い出し、mixiには書いていたけれど、こっちには忘れていた。
転載しておきます。
・ ・ ・ ・ ・
2月のチャネルクラス@上海での瞑想で「キリスト意識」と出会っていましたが、
その続きがあり、その後過去生を思い出しました。
まず3月10日に、豊臣秀吉のお墓に立ち寄る夢を見ました。
秀吉のお墓の上に、十字架の光が降り、円形の虹が架かっていました。
この円形の虹は、私の中で、光が直線に進まない5次元界の象徴なんです(勝手に)。
その時、この夢の意味は理解できないでいました。
その後数日経ってから、家事をしている最中にある感情(負の)が沸き起こってきました。
それがきっかけで、一晩かかってボロボロと過去生と対面することに。
私は秀吉を憎みました。(という経験をした魂の一つを今世に引き継いでいる)
なぜならキリシタンだったからです。
秀吉の政策を憎んだ。
チャネルクラスでちゃぴさんに「隠れキリシタンだった過去生がある人もいるよ」と
さらりと言われていましたが、私もそうだったようです。
先の秀吉のお墓に十字架の光が降りる夢は、私の中に「許し」の心が生まれた証拠だったようです。
秀吉に抱いた憎しみ。
でも、その憎しみはもう終わりましたよ、とのこと。
この深い深い負の感情と向き合うときが来たんだと悟ったとき、
思わず自分に手を合わせていました。
ありがとう、じぶん、って(笑)
だって、こうやって生まれてこなければ、この感情は浄化できなかったんですもの。
隠れキリシタン時代、私は天草にいたように思います。ってか絶対にいました。
今世でも縁があり、仲のよい友達が天草に住んでいて、隠れキリシタン時代、ここにいたな、
と思われる崎津天主堂という教会に15年ほど前に行ったことがありました。
天草自体が、非常に悲しみの気で覆われたところと感じるのですが、この崎津天主堂周辺は
10分といられないくらい、晴天の昼間なのに目にはグレーに映るような寂しさが村落を支配していました。
あの寂しさと悲しさは、スピっていない時代の出来事でしたが忘れることができません。
そしてその後、その友人が天草4ヶ本寺の一つのお寺に嫁に行く事になりました。
そこは島原の乱の後に、民衆のメンタルケアのために徳川幕府が建てたお寺です。
鎮魂の意味もあります。
そこの住職であるお友達の旦那さんが、私(と旦那のために)と特別仕様の数珠を作ったよと、
送ってくれたことがありました。
正直、当時は数珠などには露程も興味が無く、素直に喜べない自分がいたのですが
その数珠には本当に霊的な意味があって私のところへ来たのだな~、
とほんと先週になって思う事ができるようになりました。
ちなみに、そのお寺を建立した代官様は三河の賀茂生まれ。
賀茂一族のご加護を感じます。(と代官様を勝手に思ってみる)
同時に私という魂は、いつの時代も賀茂一族に助けられてきているということが解ってきました。
(決して、この一族だけではありませんが)
(さぼりぎみですが)チャクラを掃除することで、過去生がよりボロボロと出て来るようになり、
自分を守ってくださっている霊団というのかソウルグループがより明確に解ってきた気がします。
少なくとも、自覚的には3つのソウルグループを感じています。
まぁ、どれも根源は一緒ですけどね♪
・ ・ ・ ・ ・
なんてことがありました。
また一つ、口惜しいとじたんだを踏んでいた自分の魂の記憶のエネルギーを光に戻すことができました。