※私たち当該7名は、それぞれの学校現場の同僚たちに思いを伝えたいと思っています。
今回は当該梅原聡さんが書かれた「同僚への手紙」(2012.7.16付)を掲載します。
多くの方々に私たちの思いを知っていただければ幸いです。
A高校教職員のみなさま
拝啓 うっとうしい梅雨空の続く毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。突然お手紙をさしあげ、驚かせましたことをお許し下さい。
ご存じの方も多いと思いますが、私は、今年3月の8期生の卒業式で、国歌斉唱時に起立せず、これによって、昨年成立したいわゆる君が代条例に基づく職務命令に違反したということで、戒告処分を受けました。
私の行動を見た府会議員が式中にお詫び?発言をし、不愉快なブログを書いたりしたために、結果的には生徒や保護者の皆さん・教職員のみなさんに気分の悪い思いをさせたり、ご心配をおかけしたりしました。このことについては、申し訳なく思っています。しかし、卒業式を振り返って、あのとき立っていれば良かったとは思えません。処分は覚悟していたので戒告の辞令(こんなものも辞令と言うんですね)は黙って受け取ってきましたが、「悪うございました」という気持ちにはもちろんなれません。これからどうしていくべきなのか、いろいろ考えましたが、今春の卒業式・入学式で不起立に対する処分を受けた何人かの人と相談して、府の人事委員会に処分に対する不服申し立てを行いました。今後は、その審理を通じて処分の前提となる君が代条例の問題点を明らかにしていきたいと考えています。これまでは同僚の皆さんに、私の考えをほとんどお伝えできていませんでした。遅くなりましたが、少しでも理解していただければと思い、このお手紙を書かせていただいています。
条例では、国旗掲揚や国歌斉唱は、子供たちが「伝統と文化を尊重し国と郷土を愛する意識を高揚させるとともに、他国を尊重し国際的社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ために行うとされています。日の丸や君が代に対しては、その歴史的な背景からいろいろな考え方があり、立ちたくない、歌いたくないという人もいることは周知のことです。A高校の卒業式にも朝鮮半島にルーツを持つ人をはじめいろいろな気持ちで国旗・国歌に向き合った人たちがおられたと思います。国旗や国歌に対して起立斉唱するというのは絶対にせねばならないことでしょうか。また、国家的な行事でもない卒業式に、国旗や国歌が必要なのでしょうか。式の場に国旗・国歌を押しつけることで国や郷土を愛する心が育つとはとても思えません。ましてや、国際社会の平和に寄与する態度を育てるためとは…、首をひねりたくなります。
率直に言うと、私自身は日の丸や君が代に強いこだわりはありません。ただ、日本は日の丸や君が代を拒む人たちの考え方も許す国だったはずだと思っています。憲法に保障された思想や良心の自由は、少数の声でもそれを尊重するということではなかったのか。何もかも多数の意見に従えというのなら憲法なんて必要ありません。今こそ、戦後ずっと神棚に祭り上げられてきた憲法の意味を、手許に引き寄せて考えてみるべきときではないかと思っています。
私が教師になってから30年がたちます。教師になった当時は卒業式に日の丸も君が代もなかったように記憶しています。それでも、卒業式は何の問題もなく粛々と行われていました。文部省の指導などで日の丸・君が代が式に持ち込まれ始めましたが、君が代は開式前のテープ演奏であったり、日の丸は屋上での掲揚だったりしました。国も国旗や国歌は強制するものではないと明言しておりましたし、その後、指導が強まって式次第の中に国歌斉唱が入るようになっても、国歌斉唱時には着席する教員や生徒が少なからずいました。しかし、卒業式がそのような行動のためにだいなしになったなどと感じられたことは一度もありません。起立斉唱をするしないは自由である旨のアナウンスのあった学校もあるそうです。
私が愕然としたのは娘の小学校の卒業式でした。壇上には正面の壁いっぱいに巨大な日の丸。卒業証書を受け取る子供たちの姿は夕日に向かって飛ぶ小鳥のようにかすんでいました。祝辞を述べる来賓も、登壇する際には日の丸に向かって最敬礼をします。主役であるはずの子供たちには尻を向けて…。この光景は戦前のフィルム映像となのかと。
そして、今、君が代を歌わない教師なんて言語道断だ、すぐに辞めさせろと言われます。どんな内容であれ、まず、公務員・教員は命令に従わせる。そのうち、歌わない生徒は非国民だと言われるようになるのではないしょうか。今の雰囲気が戦前と似ていると言われる年配の方もあります。そんな世の中になっていくことが、私には本当に恐ろしくて仕方がありません。そんな中で一部のグループが勢いにまかせて作った条例に従うことは危険だ、そんな意識が、私を起立させなかったのです。
世の中、特に学校には、いろいろな考え方が存在することが、精神的な豊かさを生み出します。日の丸・君が代に賛成できない者を排除してしまうような不寛容さは、その他のことにも必ず波及し、学校を非常に息苦しいものにしてしまいます。今、国旗・国歌に限らず、少数の意見は切り捨てられ、何でもかんでも競争だ、ついていけない者・勝ち残れない者は努力が足りないのだという論調が目につき、その波は学校にも容赦なく押し寄せてきています。日本は、そして、学校はこれからどうなっていくのだろうと思うと暗澹たる気持ちになります。
私は、今まさに日本が戦争に向かって突き進んでいるなどと思っているわけではありません。卒業式に国旗や国歌があることはけっして当たり前ではないのに、今それを全員に強制しようとしている。今の日本は特異な国になっていこうとしています。しかも、それが、この大阪から変わっていこうとしていると強く感じるのです。それが悔しくて仕方がありません。私はただ、フツーに平和で、フツーに自由な、私の好きな日本であってほしいだけなのです。私の危機意識が思い過ごしならばいいのですが…。
いろいろな考えがまとまりもなく浮かび、そのままダラダラ書いてしまいました。最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。読んでいただいて感想やご意見、アドバイスなどをお聞かせいただければうれしく思います。
これから夏本番を迎えます。お体に気をつけてお過ごし下さい。節電が叫ばれ何となくパッとしない感がありますが、精いっぱい夏を愉しんで、文化祭や2学期の活動に取り組んでいきたいと思います。(U)
敬具
2012年7月16日
できれば、11月11日「梅原さんを支援する会」がありますので、ご参加いただければありがたいです。