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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

 「希望のバス」と大阪教育基本条例案

2012-10-09 21:10:49 | 

  11月10日、韓進重工業影島造船所85号クレーンからキムジンスク労組指導員が生還した。整理解雇撤回を要求し高空籠城に入って以来、実に309日が経過していた。労使間の合意が成立したことにより彼女はクレーンを降りた。そして彼女は、「今日からが新しい始まりで、出発だ」と、さらなる闘いの意志を明らかにした。闘いはなおも続く。

 私は彼女の闘いと希望のバスの運動を『世界』10月号で知った。言うなれば一企業の整理解雇撤回の運動に、なぜこれほどまでの市民が集まるのか。「希望のバス」とは一体何か、それを知りたいと思った。

 大阪では、新勤評、君が代起立強制条例、そして現在府議会で審議に付されたままW選のため宙ぶらりん状態にある教育基本条例案。教員生活もあとわずかという今頃になって信じられないような教育支配政策が立て続けに打ち出されていた。遠因にあるのは、すべてを市場に委ねようとする新自由主義経済とそれを支える新国家主義。いつの世も権力を持つ者にとっては、教育政策こそが要であるに違いない。権利や平等、平和の概念は教育から葬り去らねばならないのだろう。非人間的な労働現場でも従順に働く労働者をつくりだすためには競争原理と愛国心の教育を必要としているのだ。生きていく力は黙って耐える力だと言わんばかりの教育政策だ。こんな教育では人は生きてはいけない。それなのに、その危機意識をなかなか市民と共有できないでいた。教育基本条例案は決して教員の問題ではなく大阪府民の問題であるはずなのに…。そんな苛立ちのなかで知ったのが韓国の「希望のバス」の運動だった。第5次希望のバスの案内に私は即日参加を決めた。 

 10月7日、韓進重工業ヨンド造船所85号クレーンに籠城するキムジンスク労組指導員と、彼女を応援するために「希望のバス」に乗ってやって来る市民たちと出会うため、私は「希望のエアプレーン」に乗った。集会前日、私たち一行4人は85号クレーン前に行き、夜空高く大きく手を振るキムジンスクさんと出会った。孤独にも見える闘いは、しかし彼女一人の闘いではない。縦軸には、20年以上にわたる韓進重工業労働運動の歴史があり、そして横軸には「希望のバス」で駆けつけた多くの市民の存在があった。8日の集会に集まった多くの人々。言葉は通じないが、彼ら彼女らにとってはそれぞれの生活の延長上に集会がありデモがあるように私には見えた。車椅子での参加者も大勢いた。高校生いや中学生と思えるような若い人もいた。子連れで参加している人もむろんいた。集会は実に楽しかった。塩花をあしらったおそろいのバンダナを身につけ、老若男女が入り乱れ、歌ありダンスあり、おしゃべりを楽しみあうというものだった。運動の主体はまぎれもなく参加者ひとり一人だった。

 しかし、この夜クレーン前のキムジンスクのところに行くことはできなかった。1万の警察官が行く手を阻んでいたからだ。国家と資本は希望のバスの運動を怖れていたのだ。事態の収拾のため、ついに韓進重工業労使合意は実現した。しかし、闘いは終わったわけではない。キムジンスク労組指導員が言うように闘いはなおも続く。「希望のバス」の運動は新しい時代の「市民革命」になるかもしれない。そして確かな希望を受け取った私は、教育基本条例案が成立すれば大阪の学校はどうなるのか、府民と共有しつつ新たな運動を創っていきたいと考えている。

※『世界』2012.1月号「読者談話室」に投稿掲載された元原稿です。

 



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