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清末愛砂さん講演会報告 ~EWAセミナー2019「改元でうかれてると改憲でえらいめにあうよ」

2019-11-22 04:58:39 | 
以下の文章は、「朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会」の「ミリネ通信」に掲載されたものです。
太字の部分は清末さんが話された内容の主要な部分です。

清末愛砂さん講演会報告
~EWAセミナー2019「改元でうかれてると改憲でえらいめにあうよ」

 大阪教育合同労働組合(EWA)では、8月17日の夏のEWAセミナーに、天皇制&ジェンダー平等の問題について切り込んでお話をしていただける人ということで、清末愛砂さんをお迎えすることになりました。清末さんは、EWAの委員長がつけた講演会の題名「改元でうかれてると改憲でえらいめにあうよ」を、「私の今日の話の内容にまさにぴったり!」といたく気に入ってくださって、フルスロットルでお話ししてくださいました。
 講演会に呼ばれても、「天皇制」「日の丸・君が代」について語ることは気を使うことが多いそうですが、今回は逆に、「まさにその部分について、タブーなしで思いっ切りどうぞ!」ということでお願いしました。清末さんの専門は憲法学、家族法で、『右派はなぜ家族に介入したがるのか~憲法24条と9条』、『自衛隊の存在をどう受けとめるか』、『北海道で生きるということ~現在・過去・未来~』など、著作も多くあります。10年以上前に、雑誌「前夜」でパレスチナについて書かれていた頃は、30代の若手研究者・活動家として記憶されている方も多いのではないでしょうか。
清末さんは憲法研究者として、自民党の改憲の動きに非常に強い危機感を持っています。私たちはついつい自民党の改憲案というと9条、と思ってしまいがちですが、清末さんの話を聞くうちに、24条の改憲に込められた自民党、それを下支えする日本会議の思惑に背筋がぞっとするような怖さを感じました。保守派の願いは、「天皇の元首化・国家神道化」、つまり大日本帝国憲法復活といっても過言ではないでしょう。それを実現するためには、まずは教育(=学校・家庭)から、という発想が透けて見えるのです。24条は、アメリカの憲法にも明記されていない画期的な男女平等原則です。これを何が何でも死守しなくてはなりません。

 清末さんの講演は、最初に天皇制における問題性から始まりました。
 日本国憲法第1章「天皇」(この章の存在自体問題なのですが)1条に、保守改憲派にとっては「屈辱」以外の何ものでもない「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」という文言があります。が、これは個々人のアイデンティティの否定であり、外国籍住民に対する排他性を含むもので問題あり。また3条4条の「天皇による国事行為」では、天皇の国政への関与は否定されているはずですが、現実には政権との連動性が見られるということで問題あり。天皇皇后の被災地慰問や第二次大戦の激戦地への慰霊の旅など時流に乗った動きをしています。
何より注意しなくてはならないのは、女性の活躍推進政策を進めるために、令和ブームに便乗して新皇后雅子さんを前面に押し出したイメージづくりが行われていること。そこからはキャリアウーマンにこそ子どもを産んでほしいという優性思想が透けて見えます。
保守改憲派の憲法観は、今なお大日本帝国憲法のメンタリティ~排外的ナショナリズム、愛国心の強制政策(皇民化教育/家庭教育)、植民地支配、軍事侵略の正当化、家制度~そのものです。サンフランシスコ講和条約発効からすぐに彼らは改憲運動を開始し、あろうことか、元号法の制定から始まり、紀元節の祝日化、国旗国歌法の制定、教育基本法の改悪、夫婦別姓法制化阻止に成功しているのです。保守改憲派の積年のターゲットはもちろん改憲で、①天皇の元首化、②24条改憲、③9条改憲(国防軍/自衛軍の保持)、④緊急事態条項の導入が柱です。とりわけ、改憲右派は、①②はセットでなければ意味がないと考えています。このことは、意外と意識されてこなかったのではないでしょうか。ですが、24条に関して、保守派は執拗に改憲案を出していたのです。
1954年の自由党「日本国憲法改正案」では、「血族共同体への保護と尊重、親孝行」が明記されています。2001年日本会議新憲法研究会「新憲法の大綱」の中で、24条に関係しそうな項目を抜き出してみると、「天皇元首」、「自助努力と自己責任に基づく権利の行使、および新しい人権や義務の導入」、「国家による家族の尊重と保護」、「学校教育における国家責任」などが並びます。2004年の自民党政務調査会・憲法調査会憲法改正調査会憲法改正プロジェクトによる改憲「論点整理」では、家族や共同体の価値の視点から、婚姻・家族における両性平等の規定の見直しを求めています。
同党の2012年の「日本国憲法改正草案」には、「家族の尊重」や「家族の助け合い」が謳われています。「家族の尊重」や「家族の助け合い」の何が悪いの?と思うかもしれませんが、憲法は、公権力の暴走を抑止するためにあるので(立憲主義)、市民を縛るようなモラルを盛り込むのは禁じ手なのです。2018年3月には、自民党党大会で、改憲が2018年度の運動方針の第一項目になりました。ですが、党大会直前にまとめられた自民党の改憲素案たたき台4項目(①自衛隊の明記、②緊急事態条項の創設、③参院選合区解消問題、④教育環境の整備)のうち、③と④は改憲ではなく個別の法律で対応が可能な項目で、自民党の本命は危険な①と②です。自民党の改憲はまさしく壊憲そのもの、何としても改憲させないムードを作ることが重要だ!

このように、着々と右派は改憲に向けて動き出しています。自民党の改憲素案たたき台4項目には、直接的には24条は含まれていませんが、「天皇の元首」化が進むと、当然、神社本庁が最大派閥である日本会議が、道徳と称して「国家神道」化をねらってくるのは目に見えています。(藤生明さんの『神社本庁』には、右派の改憲に向けての戦略について詳らかに書かれており、こしゃくなことに右派市民を巻き込んで着々と歩を進めているのです。)
清末さんは、自民党は改憲に前向きな政党を巻きこむ戦略だとも指摘していました。自分の支持政党が改憲に前向きな場合は、改憲に反対するよう強硬に議員に働きかける必要があるでしょう。戦時中の皇民化政策の愚行を繰り返さないためにも、今こそ日本人の責任の下、改憲阻止で闘わなくてはならない時です。
次に、いよいよ24条と戦後の家族法改革の話になりました。
日本で家族法という場合、主には戦後に憲法13条(個人の尊厳と公共の福祉)、14条(法の下の平等)、24条(家族生活における個人の尊厳・両性の平等)に基づいて抜本的に改正された民法の第4編(親族)と第5編(相続)のことを指します(もちろん、民法には、婚姻適齢の男女差や女性にのみある再婚禁止期間や一方の姓を名乗ることの強制など、直接的または間接的なジェンダー差別が数々残っていますが)。個人の尊厳と両性の平等は、近代天皇制イデオロギーと真っ向から対立する発想なので、改憲右派にとっては「屈辱的」です。
そして、ここからが何より肝要なのですが、「非暴力による平和主義」は、9条だけでは成立せず、13条・14条・24条・25条が欠かせません。つまり、最も重要なキーワードは「非暴力」で、これなくして平和はない!
 なぜならば、家族の中で、個人の尊厳が保障され両性の平等の意識がなければ、そこで暮らす人間に平和主義の思想は育ちません。そこで、安全が守られ安心できる家庭の理想形・あるべき姿は、暴力に依拠しない人間を育てる場であり、軍国主義や愛国心を強制しようとする国家に対して従順に従わない人間を育てる場であり、強権的な政府を生まない努力をする人間を育てる場であり、強権的な政府が誕生してしまったときに抵抗できる人間を育てる場であるべきだと。

ついつい私たちは、子どもを育てるというと、衣食住を満たし教育(=学校)を受けさせることと思いがちですが、清末さんは未来に対して責任を持てる子どもを育てるという、非常に積極的な意味を養育に求めています。この視点はとても新鮮でした。なかなかここまで言い切れるものではありません。ですが考えてみると、よりよき社会を作るためには、人任せにしないで一人一人がかかわっていかなければなりません。そこが日本人の非常に弱いところだな、と香港や韓国の若者の姿を見て思いました。日本の親は、たとえ考えは同調できたとしても、子どもが体制に反旗を翻すことに対して「過激なことは他の人に任せておきなさい」とたしなめるのが一般的ではないでしょうか。(日本だけではないかもしれません。グレタ・トゥンベリさんの親も、座り込みには反対したそうです。)
ですが、そんな流暢なことは言ってはいられないくらい危険な法案が日本各地で策動されています。自治体レベルでの家庭教育支援条例の制定や、文部科学省主導の少子化対策としてのライフプラン教育、そして家庭教育支援法の制定の動きなどです。「親学」という上から目線の言葉には注意が必要です。目的はまさしく、愛国心の強化です。「家族のために」は、実は「国家のために」につながるので大変危険です。
ここでは詳しく書きませんでしたが、清末さんの住んでいる北海道にはもちろん基地があり、教え子には自衛隊員の子どももいます。集団的自衛権や北方領土、ロシアとの関係悪化などの問題が起こるたびに、自衛隊員を抱える家族は鬱々とした日々を送ることになります。そして、現政権は「家族の尊重」というスローガンを掲げながら、集団的自衛権を行使して自衛隊員を戦闘地域に派兵することもあるでしょう。派兵された自衛隊員が死傷した場合、家族は大事な人を殺されてどう思えばいいのでしょうか?これは「お国のため」の死ですか?自衛隊員は何のために死ぬのですか?そうした意味でも、平和主義の問題は清末さんにとって切実な問題だと語っていました。
24条は、前文の平和的生存権(恐怖と欠乏からの解放)と25条(生存権)を結ぶ接着剤です。24条の個人の尊厳を前提として、社会権としての25条が存在しています。24条と25条が隣り合っているのは、関連性が強いからなのです。改憲右派が、24条に「家族の尊重・保護」という文言を入れたがる理由は、将来ますます深刻化する高齢化に伴う福祉の問題や貧困・格差から生まれる経済的な負担を家族に背負わせて、社会保障対策に充てようとしている可能性があります。

その後のパネルディスカッションでは、学校教育に対する行政の介入について、教員として天皇制(今や日の丸・君が代だけではすまなくなってきている実態)や民族差別、性暴力問題とどう取り組むのか、戸籍制度や同性婚の問題についてなど提起がありました。清末さんは、「天皇制と戸籍がなくならない限り、家父長制はなくならない!」と力強くおっしゃっていました。
講演会は、あいちトリエンナーレで「表現の不自由展・その後」が電凸テロにより公開中止になった2週間後でした。河村名古屋市長をはじめ、権力の大ナタを振り回しねじれてゆがんだヘイトクライムを公言する大阪の知事・市長への怒りを、参加者で共有できたのではないでしょうか。講演会となるとついついこっくりしてしまう人も多いのですが、清末さんの中身の濃い熱血講演の間、70名以上いた参加者は手に汗握って最初から最後まで聞き入っていました。講演後、何人もの参加者から「改憲論議に、確かに24条の視点は希薄だった」「はじめて意識化できた話も多くて、すごくためになった」等々感想を聞くことができ、本当に充実した内容の講演会でした。

1989年の昭和天皇の代替わりから、徐々に天皇制も日の丸・君が代も、人々の問題意識から遠ざかっていったような気がします。陛下ファーストの平民・美智子さん効果で、すっかり皇室ファミリーは理想の家族像の地位を獲得しているかに見えます。今年は代替わりで、来年はオリンピックで、嫌でも日の丸の小旗が目に入り、君が代が耳に入ってくるでしょう。ですが、清末さんがおっしゃっていた通り、天皇制をなくさないとジェンダー平等はありえません。
2011年から大阪では、職員条例・国旗国歌条例に基づいて職務命令を出して教員の思想信条信仰を縛りました。入学式・卒業式での君が代斉唱時の不起立教員70名に対し処分を乱発したため、その後不起立者は激減しました。今年、不起立者は大阪府で2名になりほとんど絶滅危惧種状態ですが、実態はというと、いやいや立っている教員も多い。
大阪教育合同労働組合では、卒業式や入学式で君が代時不起立した組合員の支援を行っています。「日の丸・君が代」強制反対、不起立処分を撤回させる「大阪ネットワーク」では、不起立で悩んでいる教員の相談活動を長年続けています。被処分者のグループ「ZAZA」は、弁護士や研究者のサポートを受けながらユニークで個性的な運動を展開しています。これらの大阪のグループは、東京の被処分者の人たちと共闘しながら、粘り強く地道な活動を続けています。これからも関心と支援をよろしくお願いします。

追伸
清末さんは、10月6日にドーンセンターで開催された「RAWA(=アフガニスタン女性革命協会)と連帯する会」主催のスピーキングツアー「アフガニスタンのいま」でRAWAのメンバーの通訳をされていました。講演の内容は、日本のメディアからはなかなか伝わってこないアフガニスタンの話が満載でした。RAWAのメンバーの本国での闘いは苛酷を極め、家族もRAWAに参加することには賛成していないそうです。そんな中でも、子どもに教育をということで地道な活動を続けておられることに胸を打ち、勇気をもらったように思いました。
また、今年の10月には「平和とジェンダー正義を求めて~アフガニスタンに希望の灯を~」という本を耕文社から上梓されました。是非、読んでみてください。
(教育合同 S)
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