デュシャンと写真
マルセル・デュシャン。芸術の変革者。稀代の詐欺師。近代美術史のなかでもきわめて特異な位置を占めるマルセル・デュシャン。かのグリーンバーグが終始デュシャンを認めることがなかったのに対し、デュシャンもまた「網膜的絵画」として抽象絵画を忌み嫌いました。デュシャンはモダニズム美術にとっての矛盾であり、罠であり、であるがゆえにポストモダンの潜在的な可能性でもあるわけです(モダンか、ポストモダンかの問題は、リオタールが「ひとつの作品は、それがまずポストモダンでないかぎり、モダンになることができない」と禅問答のような巧みな表現をしたとおり、きわめて錯綜した論争がある。ここではとりあえず、便宜的にモダン、ポストモダンの用語を使うことにする)。
デュシャンの画家としての出発は、ブラックやピカソによるキュビスムとともにありました。しかし、その作品の一つ「階段を降りる裸体No2」(1912年作)は1912年のアンデパンダン展(キュビスム派)で拒絶されてしまいます。「階段を降りる裸体」は高速度写真のような、運動の連続したイメージを絵画したものです。確かに、造形的な問題を追求するキュビスムとデュシャンの絵画には大きな隔たりがあるように思えます。この違いについて深く立ち入りませんが、デュシャン自ら語るように、写真や映画以後における絵画のあり方なのです。実際、「階段を降りる裸体」は明らかに、写真によって運動を解明しようとしたエチエンヌ・ジュール・マレーの連続写真(クロノフォトグラフ-モーションキャプターのルーツ?)の影響を受けたものです。
クラウスは、デュシャンの全作品-芸術には、一つの母型〈マトリックス〉としての写真の論理が働いていると指摘しています。という以上に、デュシャンは指標記号と写真を明確に結びつけた最初の人だと語っています。シュルレアリスムの写真行為がある種の直感(それはいうまでもなく、伝統的な絵画、あるいは芸術に対する違和感から生じたものだ)にもとづいていたのに対し、デュシャンはきわめて意識的に写真の論理をその芸術行為に応用したということです。
例えば、「おまえは私を」(1918年作)は指標的痕跡により構成された「指標のパノラマ」であり、「網膜機械」の回転円盤と女装したポートレートを組み合わせた「ローズ・セラヴィとしてのマルセル・デュシャン」(1920年作)は、分身によって「私」と「あなた」を分割することで、対象を指示する言葉を混乱に落し入れる試みであり、「埃の栽培」(1920年作)はまさに時間の経過に対する物理的指標であり、「わが頬の中の舌」(1959年作)は指標(現実の石)とイコン(図像)を組み合わせた自画像による記号論的な分裂を試みたものです。そしてデュシャンを代表する作品として知られているレディメイドがあります。
レディメイドの論理
レディメイドとは、「既製品」と訳されるように、すでに作られたものを「芸術作品」として提示する方法です。デュシャンが初めて既製品を使って「作品」を制作したのが1913年の「自転車の車輪」。その後、ニューヨークで「雪掻きショベル」を購入し、「折れた腕の前に」という書き込みをして展示。その際に初めて「レディメイド」という呼び名をつけました。デュシャンのレディメイド作品で最も有名なのが、ニューヨーク独立芸術家協会・展覧会の際に、R・マットと署名され、「泉」と題されて展示された「男子用便器」です(その他、モナリザに髭をつけた「LHOOQ」もレディメイドとしてい)。無審査であったにもかかわらず展示を拒否され、その後、「反・芸術」の象徴ともなった作品です。
デュシャンのレディメイドとまず比較されるのが、シュルレアリスムがしばしば作品づくりに用いていた方法「見出された物体(ファウンド・オブジェ)」です。しかし、シュルレアリスムの「見出された物体」とデュシャンのレディメイドでは、いくつかの違いがあります。シュルレアリスムの「見出された物体」も、レディメイドも、自らの手の関与を拒否し、「芸術家とは自らの手で何かを制作する者」という芸術の概念を覆しました。そこで芸術家によって「制作=創造」される「もの」は、具体的な物ではありません。一種のアイディア(概念)のようなものでです。しかし、シュルレアリスムの「見出された物体」には、昔のオブジェやアフリカの彫刻など、発見者(芸術家)の趣味性が付加されています。つまり、そこには従来の芸術作品に対する美的な観点からの“反趣味”の意図が隠されています。デュシャンのレディメイドは、既成の工業製品を選ぶことで、そうした趣味性(美的観点)を極力排除しています(シュルレアリスムがしばしば蚤の市などでオブジェを漁ったのに対して、デュシャンは百貨店に陳列しているオブジェを購入している)。
つまり、デュシャンのレディメイドには、趣味性の戦い(美という地平の共有-どちらがより美しいかといった)はありません。むしろ、美やイメージが成立する場、地平そのものを問題化しているわけです。ある一つの何でもない「物」が文脈(コンテクスト)を変えることで、別なものに変貌する。ある「物」に奇妙なキャプションを付けること(便器を泉と呼ぶこと等々)で、別なイメージを喚起させるという手法も同様でしょう。
こうしたレディメイドの一連の操作は、写真の論理ときわめて一致しています。写真もまた現実の一部(断片)を切り取り、別なコンテクストに移動させることが可能です。またキャプションによって、写真から受ける意味(メッセージ)は変化します。写真は絵画のように象徴的な意味を介在させることなく、直接、対象を指示するがゆえに、意味を動揺させ、崩壊させるのです(が、一方で、写真は特定の意味を自然化してしまう危険性もある-客観性のイデオロギー)。デュシャンのレディメイドは、意味の一義性、あるいは記号の自律性を脅かし、そこ(対象と記号の対応関係)に裂け目を入れることで、われわれの経験あるいは知覚・認識を宙吊りにするわけです。
マルセル・デュシャン。芸術の変革者。稀代の詐欺師。近代美術史のなかでもきわめて特異な位置を占めるマルセル・デュシャン。かのグリーンバーグが終始デュシャンを認めることがなかったのに対し、デュシャンもまた「網膜的絵画」として抽象絵画を忌み嫌いました。デュシャンはモダニズム美術にとっての矛盾であり、罠であり、であるがゆえにポストモダンの潜在的な可能性でもあるわけです(モダンか、ポストモダンかの問題は、リオタールが「ひとつの作品は、それがまずポストモダンでないかぎり、モダンになることができない」と禅問答のような巧みな表現をしたとおり、きわめて錯綜した論争がある。ここではとりあえず、便宜的にモダン、ポストモダンの用語を使うことにする)。
デュシャンの画家としての出発は、ブラックやピカソによるキュビスムとともにありました。しかし、その作品の一つ「階段を降りる裸体No2」(1912年作)は1912年のアンデパンダン展(キュビスム派)で拒絶されてしまいます。「階段を降りる裸体」は高速度写真のような、運動の連続したイメージを絵画したものです。確かに、造形的な問題を追求するキュビスムとデュシャンの絵画には大きな隔たりがあるように思えます。この違いについて深く立ち入りませんが、デュシャン自ら語るように、写真や映画以後における絵画のあり方なのです。実際、「階段を降りる裸体」は明らかに、写真によって運動を解明しようとしたエチエンヌ・ジュール・マレーの連続写真(クロノフォトグラフ-モーションキャプターのルーツ?)の影響を受けたものです。
クラウスは、デュシャンの全作品-芸術には、一つの母型〈マトリックス〉としての写真の論理が働いていると指摘しています。という以上に、デュシャンは指標記号と写真を明確に結びつけた最初の人だと語っています。シュルレアリスムの写真行為がある種の直感(それはいうまでもなく、伝統的な絵画、あるいは芸術に対する違和感から生じたものだ)にもとづいていたのに対し、デュシャンはきわめて意識的に写真の論理をその芸術行為に応用したということです。
例えば、「おまえは私を」(1918年作)は指標的痕跡により構成された「指標のパノラマ」であり、「網膜機械」の回転円盤と女装したポートレートを組み合わせた「ローズ・セラヴィとしてのマルセル・デュシャン」(1920年作)は、分身によって「私」と「あなた」を分割することで、対象を指示する言葉を混乱に落し入れる試みであり、「埃の栽培」(1920年作)はまさに時間の経過に対する物理的指標であり、「わが頬の中の舌」(1959年作)は指標(現実の石)とイコン(図像)を組み合わせた自画像による記号論的な分裂を試みたものです。そしてデュシャンを代表する作品として知られているレディメイドがあります。
レディメイドの論理
レディメイドとは、「既製品」と訳されるように、すでに作られたものを「芸術作品」として提示する方法です。デュシャンが初めて既製品を使って「作品」を制作したのが1913年の「自転車の車輪」。その後、ニューヨークで「雪掻きショベル」を購入し、「折れた腕の前に」という書き込みをして展示。その際に初めて「レディメイド」という呼び名をつけました。デュシャンのレディメイド作品で最も有名なのが、ニューヨーク独立芸術家協会・展覧会の際に、R・マットと署名され、「泉」と題されて展示された「男子用便器」です(その他、モナリザに髭をつけた「LHOOQ」もレディメイドとしてい)。無審査であったにもかかわらず展示を拒否され、その後、「反・芸術」の象徴ともなった作品です。
デュシャンのレディメイドとまず比較されるのが、シュルレアリスムがしばしば作品づくりに用いていた方法「見出された物体(ファウンド・オブジェ)」です。しかし、シュルレアリスムの「見出された物体」とデュシャンのレディメイドでは、いくつかの違いがあります。シュルレアリスムの「見出された物体」も、レディメイドも、自らの手の関与を拒否し、「芸術家とは自らの手で何かを制作する者」という芸術の概念を覆しました。そこで芸術家によって「制作=創造」される「もの」は、具体的な物ではありません。一種のアイディア(概念)のようなものでです。しかし、シュルレアリスムの「見出された物体」には、昔のオブジェやアフリカの彫刻など、発見者(芸術家)の趣味性が付加されています。つまり、そこには従来の芸術作品に対する美的な観点からの“反趣味”の意図が隠されています。デュシャンのレディメイドは、既成の工業製品を選ぶことで、そうした趣味性(美的観点)を極力排除しています(シュルレアリスムがしばしば蚤の市などでオブジェを漁ったのに対して、デュシャンは百貨店に陳列しているオブジェを購入している)。
つまり、デュシャンのレディメイドには、趣味性の戦い(美という地平の共有-どちらがより美しいかといった)はありません。むしろ、美やイメージが成立する場、地平そのものを問題化しているわけです。ある一つの何でもない「物」が文脈(コンテクスト)を変えることで、別なものに変貌する。ある「物」に奇妙なキャプションを付けること(便器を泉と呼ぶこと等々)で、別なイメージを喚起させるという手法も同様でしょう。
こうしたレディメイドの一連の操作は、写真の論理ときわめて一致しています。写真もまた現実の一部(断片)を切り取り、別なコンテクストに移動させることが可能です。またキャプションによって、写真から受ける意味(メッセージ)は変化します。写真は絵画のように象徴的な意味を介在させることなく、直接、対象を指示するがゆえに、意味を動揺させ、崩壊させるのです(が、一方で、写真は特定の意味を自然化してしまう危険性もある-客観性のイデオロギー)。デュシャンのレディメイドは、意味の一義性、あるいは記号の自律性を脅かし、そこ(対象と記号の対応関係)に裂け目を入れることで、われわれの経験あるいは知覚・認識を宙吊りにするわけです。