Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

イメージの病(やまい)-臨床と症例 14

2013年12月10日 | Weblog
もう一つの純粋視覚(?)を求めて
第31回土門拳受賞作品展 高梨豊展「IN’」(銀座ニコンサロン)

今年の土門拳賞を受賞した高梨豊展「IN’」を観てきた。高梨豊は伝説の写真誌『プロヴォーク』における3人の写真家-中平卓馬、森山大道、そして高梨豊-の一人であり、すでに高い評価を受けている写真家である。高梨豊はその初期作品から一貫して「都市」をテーマにした写真家であるとともに、その方法論にきわめて意識的な写真家としても知られている。高梨豊の方法論の核とも言うべきものは、肉眼(身体を伴った)とカメラアイ(機械の眼)の乖離、狭間、衝突、葛藤、絡み合い、離接関係、相互関係・・・のなかで写真というイメージをどう組織化するか、という問題であったように思える。すでに高梨豊は『カメラ毎日』(1966年)に掲載された初期作品「東京人」の撮影後記で次のように語っていた。

  「そういえば、このシリーズをはじめると同時に、ボクは相反する二つの
   生きものをからだの中に住みつかせていたようです。一人は、目に見え
   ないものばかりを射落とそうとねらう「イメージの狩人」。もう一人は、
   目に見えるものだけしか信用出来ない「スクラップの拾い屋」です」
   (「「拾い屋」と「狩人」の葛藤 <東京人>の一年間」 
    『カメラ毎日』1966年1月号)

「拾い屋」と「狩人」のそれぞれ極北を目指したのが、中平卓馬であり、森山大道と言えないこともない。もちろん、こうした図式的なとらえ方自体に問題があるかもしれないが・・・。しかし二人のどちらにも属さない、中間、狭間で写真を思考してきたのが高菜豊ではなかったか(個々の写真家の作家論は数多く存在するが、3人の写真家を比較検討した論考はあまりないような気がする。単にこちらが無知なだけかもしれないが)。今回のレビューでは、高梨豊の独特のポジション-方法論の一端を摘出し、考えてみたいと思う。もちろんこのレビューは、高梨豊の作家論を目指すわけでも、その方法論の全体を論じるわけでもない。その紙幅も、時間も、能力もない。いずれ高梨豊論」を書いてみたいと思うが、このレビューがその発端にもなればと願うばかりである。

さて今回の銀座ニコンサロンでは、すでに発表されたことのあるシリーズ「WIND SCAPE」「silver passin’」に加え、未発表の作品「LAST SEEIN」が展示されていた。今回、「WIND SCAPE」「silver passin’」 「LAST SEEIN」が順に展示されることで、鑑賞者にとって3作品の方法論がより明快に浮かび上がってきたように思える。

最初に展示されている「WIND SCAPE」は、2001年から2002年にかけ写真家が<青春18きっぷ>を使って(当時、70歳近い写真家がこの切符を使って列車の旅をするという、何とも言えないユーモア。実際、この切符に年齢制限はないらしい)、全国を旅した列車の車窓からの「風・景」を撮影したものである。「silver passin’」では2008年から2011年にかけて、今度は高齢者用パス<シルバーパス>を使って乗車した線バスの車窓を通した東京の街が撮影されている。「LAST SEEIN」は写真家が75歳になった2010年にやはり東京の街を写したものだ。この三つのシリーズに共通しているものはなんだろうか。それは撮影の条件にかける“負荷(悪条件)”とも呼べるようなものではないだろうか。

まずは「WIND SCAPE」から見てみよう。それなりのスピードで走る列車から外の風景をとらえるためには、その撮影条件にかなりの負荷がかかるとともに、高いテクニックも必要とされるだろう。しかも高梨豊の写真は、単に車窓を流れる風景をとらえているわけではない。実際、高梨豊の車窓からとらえた風景には、よくある“車窓からの風景”といった詩情感とは一切無縁な、見るべきものを撮る(とらえる)という強固な凝(ピントの精度)を感る。しかも列車は一定のルートを走るもので、視界も、構図も、パースペクティブ、視点さえも限定されてくる。こうした悪条件(さまざまな制約)を自らに課すことで、高梨豊は日本の風景から何を切り取ろうとしているのだろうか。

列車と違い都市バスでは、移動のスピードや車窓の制約(窓のサイズや広さ等々)は異なるとはいえ、「silver passin’」にもまた、「WIND SCAPE」と同様の“負荷”をみることができるだろう。それでは「LAST SEEIN」はどうなのだろうか。列車にも、バスにも乗っているわけではない。75歳になる写真家の歩行からとらえられた東京の街である。「LAST SEEIN」というタイトルからも、写真家が自らの老いを意識していることは明らかであろう。つまり“老い”という負荷。もちろん言うまでもないが、高梨豊は自らの“老い”を感傷的にとらえ、特権化しているわけではない。むしろ自らの“老い”を上記二つのシリーズと同じように、一つの“負荷”ととらえ、方法論的に活用しているのである。この冷徹なというか、感傷に溺れることのない、厳密性を求める姿勢には頭が下がるばかりである。その姿勢はどこかセザンヌを思わせる。

もちろん、ここでわれわれが考察の対象としなければならないのは、「なぜ、あえて負荷をかけたのか」という、高梨豊の方法論そのものである。映像技術の進歩により、その解像度がますます高まる中で、画一化された映像体験を強いられる流れに対してブレーキをかけるといった抵抗(「とまれ!」といった)もあるかもしれない(そういえば、「LAST SEEIN」の最後の写真は、「とまれ」と書かれた進入防止用の石柱が写されていた)。しかし、高梨豊が選択した“負荷”には、近代的な視覚体制を考える上で、きわめて示唆的な問題が含まれているように思える。

例えば、「WIND SCAPE」を俎上に挙げて、もう一度、この問題を考えてみたい。まず車窓という制約。車窓=窓を通して見る、あるいはとらえられた風景は、写真装置を介して得られた写真というイメージそのものを顕在化していると言えるだろう。われわれはしばしば、写真(と言うイメージ)をレンズという窓がない(=透明な窓)として写真をとらえることで現実とイメージを同一化し、さらには撮影者のまなざし(=知覚経験)と同一化していく。撮影者が見たものを反復する鑑賞者。言うまでもなく、透明な窓を通して得られるイメージは、ルネサンスに始まる古典主義的な光学システム(視覚体制)によるものである。高梨豊はまず、この大前提を引き受ける。

しかし、写真は単にカメラオブスキュラを典型とする古典主義的な視覚体制を受け継いだものでも、その系譜につらなるものでもない。ジョナサン・クレーリーがその著『観察者の系譜』で指摘するように、むしろ写真の登場(発明)は古典主義的な視覚体制との断絶(危機・崩壊)と密接な関係を持っている。カメラオブスキュラの視覚体制が暗い部屋の中で見る人間の身体を抹消することで得られるイメージを幾何学的な光学システムによって組織化されたものであるとすれば、写真はむしろ暗い部屋(カメラオブスキュラ)から外に出た-つまりは生理学的身体に基づいた視覚体制を背景にしている。幾何学的な光学システムから生理学的身体に基づく視覚体制へ。この近代への移行は、ベルグソンやフッサールの哲学から、19世紀の心理学やフロイトまで、一貫して問題化されてきたものである(例えば、この問題を明確に整理しているフーコーの「心理学の歴史」フーコー・コレクション1所収を参照のこと)。

この見ることの身体性の問題は、とりわけ70年代前後から、最良の写真家や批評家によって取り上げられてきたものである。例えば、写真の断片性や非中心化された知覚、あるいは写真の身体化。ここに見られる考え方は、身体による無媒介な視覚(=意識を逃れた野生のまなざし)によって、裸の事物、非人間的な光景を獲得することにあったと思われる。例えば、当時、最良の写真家によって撮られた「東京」は、その断片性や非中心化された知覚、あるいは身体による流動的な視覚を根拠にして、全体化(「東京」という記号)されない細部をとらえることで、いわば都市の“ほころび”“よどみ” “闇”“古層”…といったものを浮上させることにあったと思われる。つまり凡庸な写真家たち、あるいは広告写真家たちが「記号化された東京」を追認、再認する形で写真の断片性を利用したとすれば、最良の写真家たちは全体化されない断片、あるいはその全体を脅かす断片に眼を注いだと言えるだろう。しかし、彼らがとらえる“見る身体”はすでにして、ある統一化された身体であり、その身体の絶対性を疑うことがなかったように思える。

しかし、高梨豊は古典主義的な視覚体制に対して、生理的身体に基づいた視覚を対峙させることで、その後者に無媒介な視覚(=意識を逃れた野生のまなざし)を求めることはなかった。むしろ、高梨豊はこうした身体に根拠をおいた視覚に疑いを抱いた、きわめて稀な写真家の一人であったように思える。なぜなら、こうした身体に根拠をおいた散漫な視覚こそが20世紀の視覚文化を支えているものではないかという疑いである。むしろ、高梨豊が取り組んだのは、不安定な知覚の時代において、“見ることの不変性と確実性をいかに確立することができるか”という、ある意味ではもう一つの純粋な視覚を確立することではなかったか。であるがゆえに、高梨豊は写真が前提とする古典主義的な光学システムに対して、生理学的な身体による視覚を対峙させるのはなく、前者の大前提を引き受けるとともに、生理学的な身体に基づく視覚に対しても抗ってみせるのである。

繰り返しになるが、写真家は車窓(=透明な窓)の制約を引き受ける。さらに移動(動いている)という制約がかかる。この移動(動く)には二重の意味が隠されている。写真装置を持つ身体(カメラオブスキュラの外にある身体)、この移動する身体(ベンヤミンが言う“フラヌール=ぶらぶら歩き”)こそが、先ほどの体による流動的な視覚を根拠づけてきたものだ。「WIND SCAPE」では、この身体の移動が列車の移動に条件づけられることによって、身体が括弧に入れられる。この移動の二重性の設定に、高梨豊の前述した“身体性”への疑いをみてとることができるだろう。

“車窓”と“移動”という二つの制約のなかで写真家は、見るべき風景をとらえ、それをいかに正確に撮るかを考える。この時の身体のあり様、あるいは感覚器官のあり様とはどのようなものであろうか。おそらく外の風景に注意を向け、凝視することを強いられるだろう。ひたすら見ること、外の風景への没入。この見ることの没入は、他の感覚器官を遮断し、視覚を分離・孤立させることにもなるだろう。ここで立ち上がる視覚は、古典主義的な視覚体制による身体を排除された抽象的視覚に似ていないこともない。しかし、この二つの抽象的視覚は似て非なるものである。前者が生理学的身体から抽象化されたものであるとすれば、後者は理念的なものから抽象化されたものである。この生理学的身体から分離・区別され、抽象化された視覚は何を物語っているのだろうか。まず一つ言えることは、高梨豊は身体を一つの統一されたものとしてみていない。いやむしろ、身体を一つの統一化されたものととらえることは、われわれが世界をとらえる際の、通常の感覚-運動的図式に従うということである。ここで問われていることは、固定され不動となった眼(注意、没入によって得られた視覚)は、世界の見せかけの自然らしさを無効にし、逆に身体に基づいた流動的な視覚こそが、すでに構築された世界(=見せかけの自然らしさ)の特性をもっているということである。

例えば、われわれは疲れた時や熱を出した時などに、一つの感覚が研ぎ澄まされることがある。麻薬等によるトランス状態にも似たような知覚分裂がある。高梨豊の方法論には、これらの知覚経験と同様なものを見いだせるだろう。列車と都市バスという条件の違いはあれ、「silver passin’」にも同様の方法論が貫かれていないだろうか。さらに、「LAST SEEIN」もまた、衰えた身体(老人の身体)が通常の身体的視覚の感覚-運の図式を逃れることで、新たな視覚を立ち上げようとしているように思える。もちろん、この純粋な視覚は、身体を否定し、身体から分離した純粋な視覚ではない。むしろ、感覚的な世界に対しての新たな認識的、身体的な関係から浮上する純粋な視覚ではないだろうか。

それでは、そのような方法で生まれたイメージとはどのようなものなのか。あるいはそうして切り取られた「日本の風景」や「東京」とはどのようなものなのか。それを確かめるためには、言うまでもなく、再度、注意深く、念入りに、一枚一枚の写真に眼を向けなければならないだろう。


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