Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

イメージの病(やまい)-臨床と症例 17

2013年12月14日 | Weblog
われわれは「具体」から何を学ぶのか。
『「具体」-ニッポンの前衛18年の軌跡』展(国立新美術館)

戦後日本美術の代表的な前衛グループとして知られてきた「具体(具体美術協会)」。本展はその「具体」の18年に及ぶ活動の軌跡を振り返る、東京では初めての展覧会だそうである。確かに言われてみれば、活動の一時期のみに焦点をあてた展覧会はあったが、活動全体を紹介するものはなかったかもしれない。その意味では貴重な展覧会である。と同時に、「具体」を再考する良い機会になるだろう。

さて、本展は6つのセクション(章)から構成されているが、大きくは3つの活動時期に区分されるだろう。「具体」の結成(1954年)からアンフォルメルの提唱者ミシェル・タピエとの出会い(1957年)までの初期。タピエとの出会いにより、アンフォルメル絵画へと収斂されていく中期(1957年~1965年)。そして、1965年から1972年の解散までの後期。まずは今回の「具体」展の特徴のようなものを、思いつくままに列挙してみたい。

まず一つは、記録写真が少ないことである。「具体」と言えば、われわれすぐさま村上三郎が紙を破る写真や白髪一雄が泥に塗れる写真、嶋本昭三が絵の具の入った瓶を投げる写真を思い浮かべる。「具体」の代名詞ともなった、いわゆる「アクション」や「ハプニング」である。今回の初期活動の展示では、村上三郎が紙を破る作品『入口』(再制作)や映像は展示されているが、その他はない。これは本展カタログの中で、「たとえば白髪一雄の《泥にいどむ》や村上三郎の《通過》のように、行為する瞬間の記録写真だけがひとり歩きし、マスコミに制作過程を公開した際に撮影されたものであるという説明がないままに、あたかも観衆を集めて行なわれたかのごとく誤解され、行為それ自体が作品であるという認識やパフォーマンス・アートの先駆という評価が生まれるなど、作品の形態や記録写真だけで構築された“行き過ぎた評価”も存在する」(平井章一「具体-近代精神の理想郷」本展カタログ所収)と書かれている通り、どうも意図的なようだ。実際、「具体」の初期活動を紹介したセクション(第1章「プロローグ」、第2章「未知の美の創造」)では、当時、野外展示された作品や平面作品が数多く展示されている。屋外の展示空間を擬似的に体験させるためなのか、芦屋公園の写真を印刷したスクリーンを垂らしていたが、これはどうもいただけない。

二つ目は、「具体」の指導者であった吉原治良に個別のセクション(第3章「ミスターグタイ=吉原治良」)が設けられ、吉原の戦前の作品や芸術観が紹介されていることだ。吉原の戦前の仕事に焦点をあてることで、「具体」の活動を戦前からの思想的流れに位置づけようとしているのかもしれない。同じカタログの中で、平井昇一は、吉原が唱えた「精神の自由」を白樺派に代表されるような大正教養主義に由来するものと論じている。

三つ目は、おそらくは今回の「具体」展の目玉にもなっている、活動後期の作品を数多く展示していることだろう。この時期は、素材の物質性を強調するアンフォルメル絵画を離れ、当時台頭しつつあった新しい抽象表現を積極的に求めた時期である。実際、アンフォルメル風のいわゆる「熱い抽象」から、無機質でシスティマックな抽象表現やステンレス、プラスチック、モーターなど、工業素材を使った抽象表現へと変化している。確かにこれまで、この時期の「具体」の作品を見る機会は少なかったし、あまり論じられてこなかった気がする。

こうしていくつか、本展の特徴のようなものを挙げていくと、今回の「具体」展の狙いのようなものが見えてくる。これまでの「具体」への評価が主に初期・中期に焦点があてられ、その独自性や革新性、先駆性が論じられ、いわば「断絶(=前衛)」ばかりが強調されてきたのに対して、歴史的な連続性(近代美術史)、あるいは社会的・世界的な同時生といった視座から、「具体」をとらえなおそうという試みのように思える。こうした視点は理解できないわけではないし、その必要性も認めるが、それでもどこか違和感も覚えざるを得ない。

例えば、先にも記したように、本展は「具体」の指導者であった吉原治良に個別のセクションを設けることで、吉原が戦前から培ってきた近代精神の流れの中で「具体」をとらえようとしている。その結果、「精神の自由」という空疎な言葉と結びつき、「吉原にとって、既成の概念を打破し、独創的、革新的な表現を開拓することは、精神を解き放ち生命を完全燃焼させること、今日風の言葉で言い換えるならば「自己実現」と同義であった。そして、その自己実現で得られた感動が、色や形、物質によって直接的かつ具体的に提示されたものこそ、「具体」における作品なのであった」と論じられる。そして、「今回の展覧会で「具体」の作品の数々を、その時々の作家の精神を具体化したものとして捉え直してみるならば、それらが戦後日本の復興から高度成長期に至る時代を鏡のように映し出していることがわかる」と言い、挙句には「戦後復興期のニッポンを背負った美術グループであった。そしていま、私たちニッポン人が、その運動体の精神的な遺産から汲み取るべきものは少なくないはずだ」(以上、引用はいずれも同上)と結論付けられている。おいおい、マジかよ、「頑張れ、ニッポン!」かよ、と茶々を入れたくなる。蛇足ながら、本展のカタログを読んでいちばん驚いたことがある。それは歴史的な文脈の中で「具体」をとらえ直すことが、「具体」の批評的限界として再考することではなく、むしろ時代精神の反映として肯定的にとらえられていることである。本展のキュレーターたちにとってもはや芸術は、時代の精神の批評的限界を証すもの-反時代的なものではなく、時代の精神を典型的・肯定的に指し示すものなのだ。

芸術=精神の自由の発露、芸術=自己実現。ロマン主義の系譜に連なる近代精神。こうしたとらえ方は明らかに、宮川淳(『アンフォルメル以後』)やイヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・クラウスが批判した(『アンフォルム』)ジャン・ポーラン的アンフォルメル観そのものである。いわく「無垢で完全な自己表現」(宮川淳)への希求。ご存知のように、宮川淳は1963年に書かれたアンフォルメル論『アンフォルメル以後』の中で、「アンフォルメルが・・・無垢で、完全な表現を求める、いわば「絵画のテロル」としてのみ規定されたとき、そこにはらまれていた現代の真の可能性もまた流産してしまった」と書き、アンフォルメルをフォルムからマチエールへの移行ととらえ、表現概念そのものの価値転換と論じた。平井章一(おそらく、本展の中心的なキュレーターであろう)のようなとらえ方をしては、われわれは「具体」から何も学ぶことはできないし、その可能性を引き出すこともできない。ただただ、「精神の自由」といった「抒情的恍惚」(イヴ=アラン・ボワ)に浸るだけではないか。

今回の展示で最も関心を惹きつけられたのは、やはり第4章に展示されていたアンフォルメル的な作品群である。質的にも、作品の完成度的にも、最も充実しているように思える。もちろん、それだけが関心を惹きつけられた理由ではない。「具体」の可能性の中心は、平面作品にあるとともに、やはり素材との関わり-物質性にあるのではないかと、改めて思わせたことだ。例えば、初期作品のアクションやジェスト、身振り、身体性といった問題群も、前述した宮川淳が『アンフォルメル以後』で次のように語っているように、マチエール(素材)とのディアレクティクな格闘から解き明かすことができるだろう。「つねにジェストがマチエールの潜在的可能性を明証化し、一方、マチエールがジェストを現実化する」。

とするならば、芸術における物質性の問題が再度、浮上するだろう。絵画であれ、彫刻であれ、あるいは文字や音であれ、物質的な素材を使って観念的な対象(イリュージョン)を現前させるのではなく、物質の感覚そのものを現前させることにどのような意味があるのかと。もちろん、この問題は文学ならば、マラルメの「骰子一擲」(1897年)に、絵画ならばマネにまで遡るだろう。あるいはモーリス・ブランショが説くような、何かを再現する(現実であれ、空想であれ、観念であれ)イメージではなく、不透明な厚みのある物質としてのイメージ=「遺骸的類似」と関わるものかもしれない。

ところで最後に、「具体」について考えるたびに思ってきたことを一つ。それは「具体」という名称についてである。もちろん、その由来は雑誌『具体』創刊号に記されている。いわく「われわれはわれわれの精神が自由であるという証しを具体的に提示したいと念願しています」。吉原治良はこの「具体」という言葉をどこから思いついたのか。1940年代後半に登場したピエール・シェフェールのミュージック・コンクレートや50年代のコンクリート・ポエトリーとの関連はないのか。これら「コンクレート(具体)」という言葉に、何らかの共通性はないのか。宮川淳はすでに『アンフォルメル以後』の中で、マチエールという観点からアンフォルメルとシェフェールのミュージック・コンクレートとの比較を行っている。歴史的文脈や同時代性をうたうならば、本展でもこの辺りへの言及があってもよかったのではないか。


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