Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

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ユクスキュルのダニ

2016年02月07日 | Weblog
「ダニを見るのだ、この動物を賞賛するのだ」
-『対話』ジル・ドゥルーズ+クレール・パルネ(江川隆男・増田靖彦訳)

レディ・メイドとは何か
1923年、マルセル・デュシャンは木製椅子の上に一輪の車輪を固定し、その回転する影を眺めるという妙案を思いついた。数ヵ月後には風景画の複製を購入し、その地平線上に二つの点-一方に赤を、他方に黄色の点をつけ加え、「薬局」と名づけた。1915年、ニューヨークに渡ったデュシャンは、金物屋で一本の雪掻きシャベルを買い、「折れる腕に備えて」というキャプションを記した。この頃、デュシャンはこうした表現形式を「レディ・メイド(既製品)」と名づけた*1。1917年には逆さまに置いた磁器製の男性用小便器を「噴水(泉)」と題し、R. Muttという匿名て展示。そして1919年には、デュシャンの作品のなかでは最も名高い、モナリザに髭を書き加えた「L.H.O.O.Q(フランス語の発音でElle a chaud au cul―彼女の尻は熱い=彼女は性的に興奮しているの意味)を制作した。

レディ・メイドが誕生しておよそ100年。レディ・メイドとは何だったのか。誕生100年を機に改めて考えてみようというのが、本公演を企画したそもそも始まりだった。もちろん、レディ・メイドについては、多くの批評家たちがすでに優れた解釈を行っている。今さら、つけ加えるべきことなどあるのかというのが大方の見方だろう。確かにそのとおりだ。したがって、本舞台の意図はレディ・メイドの解釈でも、いわんやデュシャン論でもない。

われわれなりにレディ・メイドの作品構造をなぞりながら、他のさまざまなことがらと接続してみようという試みにすぎない。たとえば、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」*2と。ここでわれわれは、デュシャンがモナリザに書き加えた髭は、「進歩の強風」によってもがれてしまった天使の翼に違いないと考えた。あるいは同じくベンヤミンの「脱文脈化された対象」や「複製可能性」という概念*3と。さらには、ボルヘスの『「ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」』やベケットの『クワッド』や『幽霊トリオ』と。その他、多くのテクスト、あるいはテクストのみならず映像、音響、身振り……と。

もちろん、このような言明は奇をてらったペダンチックな羅列にすぎない。そうならないためにも、屋下に屋を架すことになるがレディ・メイドについてわれわれなりの見方を示し、いくつかの接続例をあらかじめ説明しておくのが賢明というものだろう。

デュシャンのレディ・メイドは、きわめてシンプルなものである。既製品-その多くは工業品を一つ選び、ある場所-その多くは美術館やギャラリーと呼ばれる場所に置き、キャプション(=タイトル)をつけるだけである。モノ(選ばれた既製品)、場所(展示空間)、テクスト(タイトル)。レディ・メイドはこの三つの要素からなっている。レディ・メイドについてしばしば指摘されることは、芸術という展示空間に既製品を持ち込むことで、反-芸術、非-芸術を試みたというものである。確かにそのとおりであろう。デュシャンもまたレディ・メイドの選択について、「趣味(美)の欠如」を語っている*4。レディ・メイドがベンヤミン言うところの伝統的な芸術概念、創造性や天才性、唯一性、永遠の価値等々にことごとく反していることは明らかである。しかし、こうした伝統的な概念は、あくまでも近代的な芸術(美=感性)概念であり、レディ・メイドを反-芸術、非-芸術と一般化するわけにはいかない。オクタビオ・パスも指摘するように*5、デュシャンは決して芸術を否定したわけではない。デュシャンが否定しようとしたのは、あくまでも近代的な美(趣味)である。
 われわれとしてはレディ・メイドについて、あまり反-芸術、非-芸術を強調したいとは思わない。デュシャンは、美とは習慣化された麻薬であり、その種の汚染からレディ・メイドを守りたいとも語っている*6。おそらく、デュシャンの最大の敵は、習慣に違いない。

習慣からの離脱、脱文脈化
習慣(あるいは習慣化された感性)という観点からレディ・メイドを眺めてみると、いくつかのことが分かってくる。美術館やギャラリーといった展示空間に既製品を置くことは、その既製品が使われる日常性(習慣)から切り離すことであり、逆さまに据えることは下に流れる小便を受けとめるという便器の常識(重力の法則)を覆し、上に噴き上げさせることである。そして「噴水」という言葉による地口の介入。

ベンヤミンもまた「複製技術時代の芸術作品」の異稿のなかで、「文脈から対象を引きずり出す」という知覚行為について書いている。『歴史の概念について』のなかでも、過去の特定の文脈から自由に取り出して提示することを、過去の「呼び戻し」と呼んでいる。*7

特定の文脈(日常性)から切り離されたレディ・メイドは、その有用性を引きはがされ無意味化され、モノそのもの、あるいは事物の外部を晒し出す。もちろん、レディ・メイドという対象だけではなく、それが展示された場所(芸術という文脈)も何らかの変容を余儀なくされるだろう。脱-文脈と再-文脈。ベンヤミンにおける歴史のとらえ方も、脱-文脈と再-文脈の相互作用のなかで、一瞬きらめく出来事、あるいは諸事物の相貌をとらえることであった。

ボルヘスの『「ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」』においても、ほぼ同じことが試みられている。この短編は架空の作者ピエール・メナールが書いた『ドン・キホーテ』を論じたものだ。メナールの『ドン・キホーテ』は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』のいくつかの章を一字一句そのまま転写したもの(『ドン・キホーテ』の第1部第9章、第38章、さらに第22章の断片からなる)である。たとえば、セルバンテスが「……真実、その母は歴史、すなわち時間の好敵手、行為の保管所、過去の証人、現在の規範と忠告、未来への警告」(第1部第9章)*8と書いたものを、メナールの『ドン・キホーテ』では「……真実、その母は歴史、すなわち時間の好敵手、行為の保管所、過去の証人、現在の規範と忠告、未来への警告」と書く。ボルヘスは次のように論じる。「セルバンテスのテクストとメナールのテクストは文字どおり同一であるが、しかし後者のほうが、ほとんど無限に豊かである」と。

なぜ、ボルヘスは一字一句同じ文章であるにもかかわらず、セルバンテスよりもメナールの文章のほうが「豊か」だと言うのであろうか。答えは簡単だ。時代という文脈が異なるからだ。実際、メナールは17世紀のスペイン語の用法を切り捨て、断章の周到な選択を行っていると、ボルヘスは言う。17世紀に書かれた作品を一字一句そのままに20世紀に書くこと(メナールの『ドン・キホーテ』は1934年に書かれたと想定されている)。つまり、特定の文脈(17世紀という時代の文脈)から切り離し、新たな文脈(20世紀という時代の文脈)を再導入することで、セルバンテスの同一の文章が豊かに蘇る、あるいは言葉が外部に晒される。

アルバムなきコレクション
再び、問おう。なぜ、ボルヘスはオリジナルよりもコピーを「豊か」と言うのだろうか。
なぜ、文脈を変えることが「豊かさ」につながることになるのだろうか。
われわれはここで、ディヴィッド・ヒュームという18世紀のイギリスの哲学者を召喚したい。ヒュームはフランシス・ベーコンに始まるイギリス経験論の完成者と言われる哲学者である。ヒュームの経験論は「連合説」を唱えたことで知られている。ヒュームはその著『人間本性論』のなかで、人間の精神は印象と観念からなっていると書いている。ヒュームの精神について、ジル・ドゥルーズはヒューム論『経験論と主体性』のなかで、ひじょうに分かりやすい解説を行っている。少し長いが引用する。

ヒュームは、精神と想像と観念が同一であるということを絶えず肯定する。精神は自然ではない。精神には自然が備わっていない。精神は精神のなかの観念と同一である。観念とは、与えられるものという意味での所与であり、経験である。精神は与えられるものなのである。精神は諸観念のコレクションであって、まだシステムではないのだ。そこで、前述の問をつぎのように表現してよいだろう-ひとつのコレクションは、どのようにしてひとつのシステムに生成するのか。諸観念のコレクションが想像と呼ばれるのは、想像が能力をではなく、ひとつの総体を指し示すかぎりのことであって、ここで総体というのは、語のもっとも漠然とした意味での諸事物、すなわち現れでしかない諸事物の総体である。たとえば、アルバムなきコレクション、劇場なき劇、あるいは諸知覚の流れである*9。

ここでドゥルーズが言う「システムの生成」とは、諸知覚の流れでしかない印象や観念が継起の反復や習慣によってむすびつけられ、原因-結果という因果性のシステムが確立されていくことである。手が氷に触れれば、冷たいという経験が反復されることで、原因-結果の因果性が確立される。つまり、因果性は諸知覚がむすばれる関係性の結果として生じたものなのだ。意味のない所与のコレクションから、因果性による意味づけの連合システムへ。われわれの主体という精神も、この連合システムの結果-効果から生じたものにすぎない。

ヒュームの連合説を逆にとらえれば、あらゆる出来事の因果性は単なる習慣の結果にすぎず、いかなる根拠(自然性)もないことになる。たとえば、「空想とは想像力がそれの観念を入れ替えたり変化させたりする自由をもつこと」*10であり、詩や物語に見られる作り話のなかでは「自然の秩序がまったく混乱させられ、話に出てくるものといえば、翼をもつ馬や、火を吐く竜や、とてつもない巨人といったものばかり」になる。

もちろん、われわれはこの習慣による連合がなければ、日常生活に支障をきたすことになり、「ある時は赤く、ある時は黒く、ある時は重く、ある時は軽い辰砂」*11というカント的悪夢に苛まされることになるだろう。ある種の精神病患者が見舞われる状況とも言えるかもしれない。

しかし、他方でアルバムなきコレクションとは、バラバラの諸知覚が自由な関係(接続)をなし得ることであり、われわれの主体、精神も変わり得るということである。アルバムがまずあって、それによってコレクションが集められるというのがカントの超越論的立場だとすれば、ヒューム的立場はまずあるのは諸知覚のコレクションであって、アルバムはいかようにも作られるということになる。

豊かさと貧しさのパラドックス
ボルヘスが言う「豊かさ」とは、継起の反復や習慣によって排除された、諸知覚の多様なむすびつきを指しているのだろうか。だとすれば、空想力を駆使して奇想天外な話を語ればいいことになる。実際、スペクタクル化された現代の文化とは、そのようなものの一つと言えるかもしれない。習慣からのつかの間の離脱。真夏の夜の夢。残念ながらこれでは、非日常と日常、ハレとケという二項対立から抜け出すことはできない。

ドゥルーズはそのベケット論『消尽したもの』のなかで、可能性を「実現すること」と、「消尽すること」の違いについて書いている。「可能なことの実現は排除によって行われる」*12。複数ある可能性から排他的に選択される(排他的選言命題)のが「実現」である。空想力による奇想天外な話-諸知覚の法外なむすびつきといえども、そこではやはり選択と排除が行われているということだ。そこでは「さまざまに変化する選択や目的を前提とし、これらはいつも先行する選択や目的にとってかわる」。

では、消尽するとはどういうことか。「消尽することは、これ(実現)とはまったく別である。あらゆる選択の順序や目的の組織化、あらゆる意味作用を放棄するという条件で、われわれは一つの状況の変数の総体を組合せる」。訳者の宇野邦一はその解説で次のように書いている。「消尽することは、ドゥルーズが「思考のイメージ」と呼んだような、思考に強いられるさまざまな前提や表象や媒介や拘束から、思考が離脱し、思考をうながすものに思考がじかに触れるような過程でもあるに違いない」。つまり、われわれの思考を触発するバラバラな諸知覚にじかに触れることである。それはある意味、内部化されない絶対的な外部とも言えるかもしれない。ここに豊かさと貧しさのパラドックスがある。法外な空想力は一見、より豊かに思えるが、ドゥルーズに言わせれば、それは可能性のいくつかを実現しているにすぎない。真の豊かさとは諸知覚に直に触れることであり、「可能なことにおいて実現されないものを、消尽する」ことである。

ところで、ドゥルーズは「ユクスキュルのダニ」*13をしばしば引用し、多くの著作のなかで触れている。たとえば、

「彼(ユクスキュル)はこの生物を三つの情動から規定する。まず光に反応する情動(木の枝の先端までよじのぼる)、第二嗅覚的な情動(哺乳動物が枝の下を通るときにその上に落下する)、第三に熱に反応する情動(毛がなく、熱の高い部位を探す)。広大な森に起こるさまざまなこと、そのすべてのなかにあってたった三つの情動から成り立っている世界。満腹してほどなく死んでいくダニ、またきわめて長期間空腹のままでいられるダニ、この動物のもつ触発される力は、こうして最高の強度閾、最低の強度閾をもつ」*14

「この三つがダニのもつ情動のすべてであり、それ以外の期間、ダニは眠っているのだ。ときには何年間も眠り続け、広大な森で起きていることにはいっさい関心をもたない。ダニが示す力能の度合は、たらふく血を吸ってから死ぬときの最良の上限と、飢えて待ち続けるときの最悪の下限という二つの限界のあいだにすっぽり収まっている」*15

ダニがもつ「環世界」は、ハイデッカー流に言えば、きわめて貧しい世界*16である。その諸知覚の組み合わせ(関係)もきわめて限られたものだ。なぜ、ドゥルーズはこんなダニを賞賛するのか。ドゥルーズがここで述べる「最高と最低」「最良と最悪」の「強度」「力能」とは何のことなのか。触発されることをひたすら待ち続けるダニの緊張感(強度)。しかも、三つの情動しかないダニにとって、可能なことにおいて実現されるものはきわめて少ない。逆に言えば、ダニは自らが感知できない未知の出来事によってつねに脅かされていることでもある。たとえば、千葉雅也はそれを次のように的確に書いている。「貧しい環世界は、その貧しさゆえに、無関心な外部に接する。そこでは、無関係のとしての他者の他者性が、剥き出しになっている」*17。つまり、ここには可能なことにおいて実現されないもの、絶対的に非知なるもの、不可能なものが満ち溢れているということだ。

思えば、ベケットも、デュシャンも、まるでダニのようなきわめて限られた「環世界」=沈黙の生を生き抜いた人たちではなかったか。われわれもまた、本舞台「髭を生やしたモナリザ」を鑑賞する皆さんに、ダニのような待ち続ける緊張感を与えられればと思っている。


*1・ミシェル・サヌイエ編『マルセル・デュシャン著作集』(北山研二訳)を参照
*2・ヴァルター・ベンヤミン著『歴史の概念について』(鹿島徹訳)を参照
*3・ヴァルター・ベンヤミン著『ベンヤミン・コレクション1』所収「複製技術時代の芸術作品」(浅井健二郎編訳)を参照
*4・ミシェル・サヌイエ編『マルセル・デュシャン著作集』(北山研二訳)を参照
*5・オクタビオ・パス著『マルセル・デュシャン論』(宮川淳・柳瀬尚紀訳)を参照
*6・ミシェル・サヌイエ編『マルセル・デュシャン著作集』(北山研二訳)を参照
*7・ヴァルター・ベンヤミン著『歴史の概念について』(鹿島徹訳)を参照
*8・J.L.ボルヘス著『伝奇集』(鼓直訳)を参照
*9・ジル・ドゥルーズ著『経験論と主体性』(木田元・財津理訳)を参照
*10・同上
*11・ジャン=クレ・マルタン著『ドゥルーズ/変奏』(毬藻充他訳)を参照
*12・ジル・ドゥルーズ著『消尽したもの』(宇野邦一訳)を参照
*13・ユクスキュル著『生物から見た世界』(日高敏隆・羽田節子訳)を参照
*14・ジル・ドゥルーズ著『スピノザ 実践の哲学』(鈴木雅大訳)を参照
*15・ジル・ドゥルーズ著『千のプラトー』(宇野邦一他訳)を参照
*16・ハイデッガー著『形而上学の根本諸概念』(川原栄峰他訳)を参照
*17・千葉雅也著『動きすぎてはいけない』を参照
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写真のパラドックス―物質性をめぐって

2015年03月24日 | Weblog

ロザリンド・クラウスは「メディウムの再発明」*1という論考の中で、二度の「芸術と写真の合流」について書いている。一度目は一九二〇年代、ソヴィエトにおけるフォトモンタージュと、ダダおよびシュルレアリスムによる写真の使用。二度目は一九六〇年代、コンセプチュアル・アートを先駆けとする美術による写真の使用である。二度の「芸術と写真の合流」によって何が生じたのか。

まずクラウスが挙げているのが、歴史的もしくは美的対象としての写真が理論的対象へと変化したこと。それを担ったのが一度目はヴァルター・ベンヤミンであり、二度目としてロラン・バルトやジャン・ボードリヤールたちを挙げている。クラウスが指摘する「写真の理論的対象への変化」とはどのような意味であり、どのような事態を指すのであろうか。

写真というメディウムを理論の対象として俎上に載せること、つまりは回顧的、あるいは反省的な対象として扱うことである。実際、クラウスは論考の冒頭で、「この小論は〈振り返ること〉に関わっている」と述べている。振り返るとは過去を反省的にとらえることだ。もちろんそれは写真の過去を一つの範例として位置づけるのではなく、過去を一つの鏡として、今ある写真のメディウムとしての物質的・技術的諸条件を吟味し、批判的に検討し、それらの諸条件を破棄し、変更するためであるだろう。あるいは過去のなかに埋もれ、潜んでいた、写真の他のあり方―潜在的可能性を探ること。それこそがベンヤミンのいう「救済」であり、クラウスの「メディウムの再発明」ということになるだろう。

それでは理論的対象としての写真と区別される歴史的、美的対象としての写真とはなんだったのだろうか。歴史的とは、おそらく写真の技術的進歩、あるいは写真の社会的使用をめぐる変遷の歴史ととらえることができる。その際に前提となっているのは、写真(装置)を一つの道具としてとらえることである。現実を見るための、肉眼に代わる視覚的補助道具として、あるいは視覚情報の保存装置として、いわば透明な窓として写真をとらえること。ベンヤミン的に言えば、写真を装置に「よる」視覚イメージととらえることである。それに対して、理論的対象としての写真とは、写真に「おける(媒介としての)」視覚イメージととらえることになるだろう*2。他方の美的対象としての写真とは、言うまでもなく写真の登場以前の「芸術(絵画)」の枠内に位置づけること、あるいは美学カテゴリーに回収することにほかならない。

つまり、写真というイメージを外部(画面外)との関係ではなく、写真というメディウムそれ自体を問いに付すこと。写真装置に「よって」写された事物について論及するのではなく、不透明な表面として、写真に「おける」イメージそのものを検証・反省すること。さらに従来の芸術概念の外部で、美学カテゴリーの欄外で、あるいは美的メディウムの諸条件を破棄する力として写真を思考すること。おそらくは、それこそが理論的対象として写真をとらえることの主眼と言える。

こうしたとらえ方は、マクルーハンの有名な言葉、「メディアはメッセージである」と呼応している。つまり、メディアが伝える内容(メッセージ)以前に、メディア自体が一つのメッセージを含んでいるということである。ベンヤミンの言語論における「よる」と「おいて」も同様な意味と解することができる。

理論的対象としての写真の出現は、実は文学においても言えるようだ。例えば、ポール・ド・マンは「理論への抵抗」*3において、一九六〇年代に構造主義や記号論など、文学研究に言語学的なアプローチが導入されたとき、いわゆる文学理論と呼ばれるようなものが出現したと語っている。

「文学理論は、文学へのアプローチが言語外的な、すなわち歴史的、美学的考察にもはやその基礎をおかなくなったときに、あるいはもう少し洗練された言い方をするなら、もはや意味や価値ではなく、それらに先立つ意味と価値の生産と受容の様態が議論の対象になったときに、誕生するのだと言える」

この一文はまさに冒頭に書いたクラウスの言述とほぼ一致している。とするならば、六〇年代における理論的対象としての写真の出現は、写真のみならず等しく他のジャンルにおいても生じたものであり、構造主義や記号論との深い関わりがあることになる。

ではなぜ、六〇年代に再び、写真が理論的対象として浮上してきたのか。クラウスはその一つとして「写真の衰退」を挙げている。クラウスが言う「衰退」は写真の普及とパラレルな関係にある。写真が社会一般に普及し、消費されることによって、写真というメディウムの固有性が失われ、その自立性が脅かされていく。その結果として写真というメディウムそれ自体が考察の対象となるというわけだ。

しかし、そこには大きな罠も待ち構えている。写真はメディウムとしての自立性を目指すことで、美学カテゴリー(カントが定式化してみせた美学*4)に回収されてしまうという危険だ。一度目の「合流」に際してベンヤミンが危機感を抱いたのが、この「写真の美学化」であった。美的メディウムの諸条件を破棄する力を秘めていた写真が再び美学化されてしまう。

六〇年代にはもう一つ、世界の写真化(映像化)という問題も背景にある。つまり、写真はすでにして写真の写真であり、映像の写真であり、記号化された現実の写真であるということだ。たとえば、写真家がファインダーを覗く場合、ドゥルーズの比喩を借りて言えば、そのレンズの表面にはすでにして多くの映像が投影されている。

したがって写真家は現実とダイレクトに接する(透明化・無媒介化する)ためには、あらゆる先行する映像と格闘し、拭い消し去らなければならない。しかし、拭い消し去った現実もまたすでに記号化された世界にほかならない。そこで迫り上がってくるのが反省的次元である。写真家は必然的に先行するイメージの検証を強いられるのだ。こうした事態は当然ながら、写真を観る側にも言えるだろう。写真を観るわれわれは、写真家と現実との関係に没入(経験の同一化)すると同時に、解釈するという反省的次元にも立たざるを得ない。


ところで、一度目の「合流」と二度目の「合流」に違いはないのか。二度目の「合流」は一度目の単なる機械的な反復に過ぎないのか。仮に違いがあるとすれば、その違いはどこにあるのか。ここで焦点をあててみたいのが、写真の美学化という問題である。というのも、六〇年代以降にあっては、芸術、あるいは美術(絵画)を否定する写真それ自体が美学化されてしまったのではないかと思えるからだ。写真と美的生産物との新たな関係。

ここでは、写真の美学化という問題を写真のパラドックスという観点から考察してみたい。まず考えてみたいのが写真におけるリアルとリアリティのパラドックスである。

リアルとリアリティ。とりあえずわれわれはここで、身体にもとづく知覚=肉眼‐自然的な知覚によって把握された“現実”をリアルとし、何らかのメディウムによって媒介された知覚‐“現実らしさ”をリアリティと定義しておく。リアルとリアリティの違いについてはすでに多くの論者によって言及されたことだが、われわれはあえてもう一度、写真におけるリアルとリアリティという限定された領域で考えてみたい。先の定義を敷衍していえば、自然的な視覚―網膜的視覚に中心化された知覚をリアルに、カメラ装置によって媒介された視覚をリアリティと呼ぶことになる。たとえば、このリアルとリアリティの関係を「現実をめぐる現実らしさ」と言い換えてみてもいい。

さて、まず俎上に挙げてみたい作品事例が杉本博司の「ジオラマ」シリーズである。たとえば、そのうちの一枚に目を向けてみよう。

白い氷原に一匹の白熊がおそらくペンギンであろう獲物を睨んでいる。すでに一撃を受けて瀕死の状態のペンギンをいまにも食そうとしているのか、あるいは再び攻撃を与えようと身構えているのか。いずれにしても獲物を襲う白熊の獰猛な一瞬をとらえている。白と黒に抽象化されたモノクロ写真ということもあって、襲う者と獲物、生と死、動きと静止といった狭間の一瞬が鋭利な映像によってとらえられ、きわめて高い迫真性を醸し出している。この透明かつ鋭利な映像は言うまでもなく、カメラ―機械の目によってとらえられたものだ。

しかし、この写真にはどこか不可解なところがある。こうした迫真的な場面を撮る場合は、危険を伴うので、通常、望遠レンズを使って遠くから撮るはずである。とすれば、望遠レンズの効果によって、被写体に焦点があてられるとともに背景はぼけてくる。ところがこの写真は広角レンズを使っているように思えるし、三五ミリカメラのような手持ちのカメラではなく、固定した大型のカメラを使用しているように思える。獲物をあさる獰猛な白熊を前にして、このような撮影をすることはありえない。巧妙につくられた捏造写真?

そう、ご存知のように、このシリーズはそのタイトルにもあるように、ニューヨークにあるアメリカ自然博物館の剥製ジオラマを撮ったものである。杉本博司はなぜこのような写真を制作したのか。その意図はどこにあるのか。もし仮に、この作品が偽物、作り物―フェイクであるジオラマを本物であるかのように見せることを意図したならば、よく見られる動物写真のように、動いているところの一瞬を切り取るように背景をぼやけさせ、いわば「本物のような“偽物写真”」をつくればよい。いわゆるフェイク・ドキュメンタリー的な手法。

ところが、この作品はレンズの効果―カメラの構造を隠すことなくあらわにしている。いわば「偽物のような“本物の写真”」をつくりだそうとしているかのようである。つまり、前者が現実を撮った写真のように見える意味では本物だが、写真としては偽物であり、反対に杉本博司の写真はフェイクを本物のように撮った写真としては偽物だが、写真としては本物という論理になる。オリジナル(現実・本物)→偽物(写真)、偽物→本物(写真)が転倒しているというわけだ。ここで注意しておくべきことは、フェイク・ドキュメンタリー的な手法によるリアリティとは、網膜的視覚の再現を志向していることである。

杉本には同じような意図をもった作品に「肖像写真」シリーズがある。これらの作品は歴史上の有名な人物を撮ったものだが、これらの作品も実は、実際の人物を撮ったものではない。写真が発明される以前の歴史上の人物を撮影することはできない。「肖像写真」シリーズは蝋人形博物館に展示された歴史上の人物を撮影したものである。その一枚に「音楽レッスン」という作品がある。絵画を複写したようにも思えるが、よく見ると奥の鏡に三脚が写写されていて、蝋人形のある現実の空間を撮ったものであることが分かる。

これらの作品の意図は何か。杉本は何をやろうとしているのか。これらの作品についてしばしば言われることは、写真は決して客観的イメージ―現実とイメージの一致(文学や言語学で言うところのクラテュロス主義―プラトンの対話篇『クラテュロス』に由来する言葉で、事物と言葉の一致を言う)ではない。杉本の作品は写真が写真にすぎないことを暴露し(つまり写真というメディウムの物質的・技術的諸条件をあらわにすることで)、写真―客観的イメージという神話を疑問に付しているのだと。つまり、写真というイメージに対する表象批判であると。こうしたとらえ方は決して間違ってはいない。しかし、あまりに一面的にすぎるように思える。実際、杉本本人は「ジオラマ」シリーズについて次のように語っている。

「1974年、ニューヨークに着いたばかりの私は、ニューヨーク見学を始めた。自然史博物館にたどり着いた時、私はひとつの奇妙な発見をした。剥製の動物たちが書割の前に置かれて、いかにも作り物に見える。しかしそれを片目を閉じて見た瞬間、遠近法が消失して急に本物のように見えたのだ。私は、カメラのように世界を眺める方法を発見した。どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ」*5

ここで杉本が語っていることを文字通りに受け取れば、肉眼(両眼)で見ると作り物にしか見えないものも、片目(カメラ)でみれば本物のように見える、と言っているわけだ。とすると、先ほど述べたような表象批判(イメージ批判)としての「ジオラマ」シリーズというとらえ方とは真逆となる。杉本は写真という表象を批判するどころか、積極的に肯定しているのだ。確かに写真は現実とは違う、写真は写真にすぎない。しかし、であるがゆえに、虚像を実像に変えるのだと。もっと簡単に言ってしまえば、写真は作り物のように見えるもの(虚像)を本物のように見えるもの(実像)にするのだと。ここにこそ、写真におけるリアル(虚像)とリアリティ(実像)のパラドックスがある。

杉本の論理に従えば、肉眼―自然的視覚あるいは網膜的視覚は決して事物の実像をとらえることできない。写真こそが事物の実像をとらえることができるのだ、ということである。しかし、偽物(作り物)をあたかも本物のように見せてしまう杉本の写真は、ロラン・バルトが初期の写真論で指摘した、人為的なものの自然化と矛盾しないのか。つまり、偽物(作り物)を本物のように見せてしまう広告写真の神話作用。もちろん、杉本は自分の写真を広告写真と同列に論じるなと怒りをあらわにするだろう。実際、デジタル写真の偽物性を声高々に批判する杉本なのだから。

確かに、構造は類似していても、広告写真一般と杉本の作品を混同してはならない。前者があくまでも人為的なものであることを偽装しているとすれば、杉本は決して隠そうとしているわけではない。むしろ、被写体が人為的なもの―フェイクであることを積極的に表明している。それでは杉本の作品は、写真というイメージがもつメタ・アイロニカルな性格を喚起させようとしているのだろうか。あるいはそのメタ―アイロニカルな性格を利用して、剥製ジオラマや蝋人形がもつ虚実皮膜の妖しい魅力を伝えようとしているのか。

そう解釈することも可能だが、ここでは杉本が言う「実像」という概念にこだわってみたい。そもそも杉本が言う「実像」とは、何をさしているのか。杉本は何をもって「実像」と言うのか。

おそらく、杉本が言う「実像」とは、事物の実在感、言葉を変えていえば物の本質のようなものであろう。つまり、剥製ジオラマや蝋人形は作り物には違いないが、物としての実在感をもっている。写真こそがその実在感を現前させることができるという確信である。この実在感をリアリティと呼んでもいいだろう。杉本に言わせれば、フェイク・ドキュメンタリー的な手法は網膜的視覚を模しているにすぎず、物の実在感を現前させているわけではない。


では、杉本はいかなる根拠をもって、写真は網膜的視覚よりも、確実な実在感を与えるというのだろうか。杉本が実在感(リアリティ)の根拠としているのは、写真があらわにする物質的次元の視覚のように思える。光の痕跡としての物質性こそが事物の此物性、いわば視覚的触覚性をもたらすということである。見る対象としての事物ではなく、触る対象としての事物。こうした写真の特性を最初に言い当てたのはおそらくベンヤミンであろう。その著「写真小史」に次のような一文がある。

「元来カメラには情緒豊かな風景や魂のこもった肖像よりも、普通は工学や医学が相手にする構造上の性質とか細胞組織といったもののほうが縁が深い。しかし写真は同時にこのような素材において、物質の観相学的な諸相を開示する」*6

もちろんここでベンヤミンが焦点をあてていたのは、光の痕跡という化学的な(光の粒子としての)物質性よりも、レンズの力がもたらす物質的次元の開示である*7。

改めて言うまでもなく、モダニズム写真のメインストリームはこの物質的次元がもたらす実在性を追求してきたと言ってもおそらくそう大きく間違ってはいまい*8。いや現在もまだ、写真がもたらす物質性は写真という映像の強い魅力の一つとして生き続けている。

とするならば、杉本の作品はある意味純粋な形で、改めてモダニズム写真の真髄とも言える実在感を再現(再確認、あるいは完成)させようと意図したものなのだろうか。思わずここで「純粋」という言葉を使ってしまったが、これこそが写真の美学化と深く関わることなのだ。

例えば、ベンヤミンが写真の機能の一つとして物質性の開示を指摘した背景にはどのような意図があったのか。明らかにベンヤミンが意図したのは、前述したように、写真登場以前の美的メディウムの諸条件を破棄することに主眼があった。美的メディウムの諸条件を破棄する力としての物質性。ベンヤミンはあくまでも従来の美学を破壊するものとして、写真がもたらす物質性に着目したのだ。ベンヤミンにとって重要だったのは、写真がもたらす物質的な視覚そのものではなく、あくまでも物質的な次元がもたらす批判的機能だったのではないか。つまり、先に引用したド・マンの言葉にならえば、写真によって「意味や価値ではなく、それらに先立つ意味と価値の生産と受容の様態」を問いに付すことだった。

杉本の作品をもう一度、振り返ってみたい。写真が現実をありのままに写すものであるならば、偽物は偽物のままに写さなければならない。その場合のありのままの視覚とは、肉眼―自然的視覚と一致することになる。いわゆるクラテュロス主義であり、一般に言われるリアリズム写真である。偽物を本物のように写せば、それは視覚の偽装であり、修飾ということになる。もちろん、杉本の作品はそのいずれも回避している。

杉本の作品は、写真がもたらす物質的次元を現前させることによって、肉眼の偽装的視覚を暴露するとともに、物の実在性を喚起させることができるというわけである。しかし、杉本の作品にあっては、写真がもたらす実在性―物質性を前景化することで、純粋な「物質的視覚」とも呼べるものをもたらそうとしているように思えるのだ。その結果、「物質的な視覚」を新たな意味と価値に置き換えてしまうことになる。これを写真の再・美学化と呼びたいと思う。杉本の作品は図らずもモダニズム写真美学に潜む物質性のパラドックスをあらわにしている。

こうした写真の再・美学化は、写真を再び純粋化・単数化し、理念の秩序に回収してしまい、事物の秩序に沿って展開される認識体制の可能性を閉じてしまうことになる。そして何よりも、この写真の再・美学化こそが写真の批判的機能を衰退させ、イメージの戯れ、あるいは写真の美的耽溺を許す根拠となっているように思えるのだ。
 

*1・「表象08」所収(星野太訳)参照
*2・「言語一般および人間の言語について」(『ベンヤミン・コレクション1』所収浅井健 二郎編訳)
*3・『理論への抵抗』所収(大河内昌他訳)参照
*4・ただし、カントの『判断力批判』における「崇高な視覚」にあっては、美的なものを批判する「物質的な視覚」が潜んでいると、ポール・ド・マンは指摘している。『美学イデオロギー』(上野成利訳)所収「カントにおける現象性と物質性」を参照
*5・森美術館「杉本博司展」カタログ参照
*6・『ベンヤミン・コレクション1』所収(浅井健二郎編訳)
*7・光の粒子としての物質性とレンズが開示する物質性。この混同については論じるに値する。言うまでもなく、レンズが開示する物質性は、アロイス・リーグルの「触視性」の概念と呼応するだろう。例えば、バルトにおける写真の物資性は前者を指す。この問題はデジタル写真における物質性の問題にもつながる。もし仮に、写真の物質性に二つの側面(化学的―光学的)があるとすれば、杉本博司がデジタル写真を偽装呼ばわりするのはこの混同にあると言える。
*8・いささか皮肉を込めていえば、モダニズム写真は写真における新古典主義に墜したように思える。
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写真の近代的アポリアについて

2014年05月27日 | Weblog

最近、写真の批評シーンにおいても“現代写真(Contemporary Photograph)”なる呼称が目立つようになってきた。いまようやく写真批評も“近代写真”に対して“現代写真”を語りはじめようとしているのだろうか。現代音楽、現代文学、現代美術・・・といった呼び名がすでに芸術という大きな枠のなかでひとつのジャンルとして確立しているのに対して、“現代写真”なるものが遅れてやってきたという印象はいなめない。その遅れに理由がないわけではないだろう。とはいえ、前述した各ジャンルにおいても、“近代芸術”に対する“現代芸術”の明確な定義があるわけではないし、その区別時期の確定も曖昧である。たとえば、シェーンベルクやベルクは“近代音楽”に属するのか、“現代音楽”に属するのか。ジョイスやプルーストはいずれに属するのか。 マティスやピカソは? 諸説はあるにしても、19世紀末から20世紀初頭を分岐点とするのか、第二次世界大戦後の1950年代あたりを分岐点とするのか、一般的にはその二つの時期に大きく意見が分かれるようだ。それにしても、〝現代写真”の登場は際立って遅れていると言えないこともない。

こう書くとおそらく次のような反論がなされるだろう。写真においても、1960年代後半頃からContemporary(コンテンポラリー)という言葉が登場しはじめたと。たとえば、1966年アメリカのジョージ・イーストマン・ハウス国際写真美術館で、ネイサン・ライアンズの企画によって開催された写真展「Contemporary Photographers, Toward A Social Landscape(コンテンポラリー・フォトグラファーズ 社会的風景に向かって)」は、写真史をかじった者であれば周知のことである。この展覧会の影響を受けて、日本でも「コンポラ写真」という言葉が当時の写真界をにぎわした。その後、“ニュードキュメンツ”や“ニュードキュメンタリー”“ニューカラー”“ニュートポグラフィクス”といった“ニュー”を冠にした展覧会が次々と開催されていった。この時期、従来の“写真”のあり方に対して、何らかの疑いや異議申し立てが行われたことは確かだろう。先に挙げた「Contemporary Photographers」展でも、第2回では「The Persistence of Vision」(視覚へのこだわり)、第3回では「Vision and Expression」(視覚と表現)と、写真の表現そのものを主題化し、従来の“写真”とは異なる写真のあり方を模索していたことが伺われる。それでもけっきょく、“現代写真”なる呼び名が定着することがなかったのはどうしてなのだろうか。

先ほど、「遅れに理由がないわけではないだろう」と書いたが、音楽や文学、美術には広義の意味で近代以前からの歴史があるのに対して、写真はまさにその近代の真只中に誕生したことがその一因だろうか。歴史の浅さと近さゆえに自らを対象化(距離化)することが困難だったと。

ボードレールを引くまでもなく、近代意識がすでにして“現代(同時代性)”の同意語として(あるいは含むものとして)語り続けられてきたのであれば、写真はつねに“近代=現代”であったし、あり続けようとした。であるがゆえに、そこからが抜け出すことが困難であったということだろうか。いずれにしても、音楽や文学、美術のような様式史が成立する時間がなかったがゆえに、写真は近代と現代を区別する自意識をもつことができなかったと言えるかもしれない。とするならば、“現代写真”なる呼称の登場は、一部の批評家が唱えるように、逆説的に写真(=近代)の終焉を物語っているのかもしれない。写真はその終焉を迎えたがゆえに、歴史としての対象化が可能になり、写真というメディウムを反省する時期がやってきた。その止めを刺したのがおそらく写真のデジタル化であろう。それでもしかし、いまだ写真は巷に流通しているし、いずれにも属さない写真を志向する“アート・フォトグラフィ”と呼ばれるものもこれまで以上に隆盛をきわめている。

実際、“現代写真”なる呼称は、現代美術という文脈上で登場してきたものにすぎないと論じる者もいるだろう。写真はこれまでつねに美術とは異なるもの、区別されるものを追求してきたのであって、“現代写真”はけっきょく美術というジャンルに吸収された結果であり、“現代写真”なるものはむしろ“写真の危機”を物語っている、あるいは写真というイメージを徹底的に商品化するために、現代美術の名を借りてアート・マーケットに寄生しているにすぎない、というわけである。

しかし、こうした写真における反‐美術、非‐美術への志向は、近代美術を根拠づけようとしてきた批評あるいは理論とパラレルな関係にあったことを見逃している。つまるところ、反-美術、非-美術を唱える写真家たちは、近代美術と近代以前の芸術概念を混同し、“美術”という仮想敵をいまだ捏造し、もはや存在しない風車と戦っているにすぎないとも言えるのだ。
もちろんわれわれはここで、“現代写真”なる呼称の是非を論じようとしているわけではないし、写真と美術、あるいは芸術(アート)との分離を再び思考しようとしているのでもない。言うまでもなく、〝現代写真“なる言葉が重要なのではなく、“現代写真”がいかなる位相にあるかを知ることである。


かつて(1960年初頭)、現代美術(とりわけアンフォルメル)について、「現代においてなお、近代芸術のコンテクストの中で語りつづけることができるのかどうか」と問うたのは、宮川淳である(『美術史とその言説』所収「アンフォルメル以後」参照)。と同時に宮川淳は、現代芸術を近代芸術の外に位置づけることには、つねに「負の意識(はたしてこれが芸術か)」がまとわりつくとも語っている。つまりわれわれは現代美術のなかに反‐芸術の身振りばかりを見てしまうということである。しかし、反‐芸術はけっきょく近代のコンテクストのなかで成立するものであり、「表現論の次元」での価値転換を取り逃がしてしまう。というのも、近代とは様式概念であると同時に価値概念としても成立したのだが、われわれはしばしば価値概念の側面を見逃してしまい、様式概念としての近代ばかりを見てしまうというわけである。そこでは「様式の交替」が永久に繰り返されることになるし、批評は変化の様態を、あるいは反‐身振りを指摘し、論じていれば事足りることになる。モード(流行)としてのアートといわけである。

「表現論の次元での価値転換」。けっきょく、〝現代写真“の登場の遅れは、この「価値転換」をつかみきれなかったことにあるのではなかろうか。先に挙げた1960年代後半頃における写真においても、確かに「表現論の次元」での変化をとらえようとはしていた。しかし、視覚そのものを主題化する自己言及的な批評のあり方は、いまだフォーマリズムの枠内から抜け出せずにいたとも言えるだろう。では、現代における写真のさまざまな表現は、これまでの写真に対して、いかなる価値転換を図ろうとしているのだろうか。この論考の目的はその価値転換の背景となる思考の内実を探ろうというものである。

先の論考(「アンフォルメル以後」)のなかで、宮川淳はアンフォルメル(=現代美術)における価値転換を「フォルムからマチエールへの価値転換」ととらえている。この「フォルムからマチエールへの価値転換」とは、絵画を成立させている物質的素材や道具によって、心的な構想(ある観念であったり、自己の内面であったり)を表現することではなく、絵画の物質的素材や道具それ自体を主題化するということである。もちろんわれわれは、“現代写真”なるものにおいても、同じような指摘をしようというわけではない。しかし、写真というイメージを成立させている物質的諸条件自体を対象化し、主題化するという志向は、多くの“現代写真”に見られる傾向の一つでもある。

結論をいそぐのはやめよう。絵画と写真のイメージが成立する物質的諸条件が異なるならば、その価値転換の位相も自ずと異なるものになるだろう。まずはわれわれも宮川淳にならって、「写真は、現代においてなお、近代芸術のコンテクストの中で語りつづけることができるのかどうか」と問わねばならない。とするならば、“近代写真”とはなんであったのか。そもそも“近代写真”とは近代芸術のコンテクストのなかで語ることができるものなのか。つまるところは、近代写真を可能としているわれわれの知覚条件、認識条件とは何であるのかを問うことである。

仮に、“近代写真”が近代芸術のコンテクストに収まるものだとすれば、そこで“近代写真”は何を排除し、抑圧してきたのか。といったもろもろの問いが浮上してくるだろう。こうした問いにはすでに解決したものもあれば、一部の写真批評家や理論家によって考察の対象とされ、論じられているものもある。それでもなお、無駄を承知しながら、一から考察していくことに何がしかの意義がないわけではないだろう。ひょっとすると、新しい問いを見出すことができるとも限らない。

“現代写真”という呼称がContemporary(同時代性)の訳であるにしても、現在、生み出されている“写真作品”のすべてが“現代写真”というわけではないのは言うまでもない。とするならば、あえて“現代写真”と呼ぶからには、それ以前の写真-近代写真から区別される、あるいは区別されるべき何かを前提にしていることになる。しかし、その区別を被写体の変化に求めるべきではないだろう。日常のありふれた事物を撮ったからといって“現代写真”なわけではないし、現在の社会的風景を撮ったから“現代写真”というわけでもない。トルボットを引くまでもなく、写真はその誕生の初期から日常のありふれた物を撮ってきたし、日常の風景に詩的なものを見いだしてきた。そもそも写真が日常的なものへの関心を引き起こしたわけでもない。むしろ日常への関心はバルザックやゾラなどフランスのリアリズム文学に由来するものだろう。社会的風景にしたところで、写真は都市風景も含め、これまでもつねに社会を不断の被写体としてきた。

それでは、現代の社会的風景をとらえるためには、従来の方法では不可能であると自覚したときから“現代写真”なるものが始まるのだろうか。確かにこの考え方には、いくぶんかの正当性があるように思える。しかし、反省の対象を被写体の変化のみにその根拠を求めてしまうと、多くのものを取り逃がしてしまうことになる。何を取り逃がしてしまうのか。その考察もまたこの論考の目的の一つある。たとえば、この問いは、グルスキーの作品は“現代写真”なのか、という問いにもつながるだろう。もちろん仮にわれわれが、グルスキーの作品は“現代写真”ではないと判断したとしても、その作品価値をいささかでもおとしめるものではない。むしろ、退行的な潮流の一つを示すことになるだろう。


では、“現代写真”は近代写真における何からの区別を求めているのだろうか。例えば、清水穣は近代写真について次のように語っている。

「その枠組みとは、あるがままに存在するリアルな世界(自然、真実、裸形、混沌、流動)vs表象の世界(作為、虚偽、装飾、体系、固定)という二元論である。表象世界の彼方であるがままの「リアル」に直に触れるために、写真家は作家意識を捨て、写真というメディアの本性に従い、ある決定的な瞬間に出現する「リアル」にむけてシャッターを切れば、一枚の写真が生まれる。「決定的瞬間」「メディアの純粋性」「一枚の写真」、すなわち一瞬間、一ジャンル、一枚の写真。モダン写真とは写真を、これ以上分割できない(individual)、ひとつの「リアル」の現前へと還元し、その自同性(1=1:それが純粋にそれ自体であること=アイデンティティー)を補足する写真なのである」
(「デジタル写真、この未知の領域」美術手帖2012.08号)

清水穣はリアルな世界と表象世界の二元論のなかで、近代写真は表現としての写真であれ、ドキュメンタリー写真であれ、リアルな世界の現前を求めてきたことを近年の著作のなかで繰り返し指摘している。この「リアルさの現前」とはジャック・ランシエールが批判する「写真の無言のパロール」と相通じるものでもあるだろう。リアルと表象、これはまた自然と文化という大きな二元論でもある。

同じくジェフリー・バッチェンは、その著『写真のアルケオロジー』(前川修・佐藤守弘・岩城覚入訳)のなかで、写真におけるポストモダニズにおいても、この二元論は免れていないと指摘している。近代写真が写真それ自体としての「単数の写真」を追求したのに対して、ポストモダニズム写真は複数の写真を唱える。たとえば、ヴィクター・バーギンやジョン・タッグ、アラン・セクラーら写真のポストモダニズム批評は、写真はその使用されるコンテクストに左右されるのであって、写真それ自体は存在しないと主張する(実際、アラン・セクラーは、写真が社会的意義をもつためには言語やコンテクストに依存しなければならないということを暴露、露出することで、脱‐神話化を志向する写真作品を制作しているが、そこに何らかの意義がないわけでもないが、こうした批評的反復はいささか退屈でもあり、非生産的でもある。それよりも、こうしたコンテクストから外すことによって得られるかもしれないイメージの方がより生産的ではないだろうか)。しかしそれは、写真を自然に対して文化ととらえる姿勢であって、先の二元論の枠組みを逃れるものではないと、バッチェンは写真におけるポストモダニズムを批判している。

いずれにせよ、清水穣も、バッチェンも、“現代写真”(二人とも“現代写真”と名指しているわけではないが)が区別すべきものとして、近代写真の二元論的枠組みを標的にしていることは明らかだろう。この二人に限らず、現在の写真史家や写真批評家の多くは、近代写真に対する批判的継承という課題を共有している。しかし、この近代的二元論の枠組みから逃れることはたやすいことではない。そもそもモダニティという概念自体が、この二元論の矛盾を引き受ける形で生まれてきたものであるとすれば、モダニズムを批判することがすぐさまこの二元論に吸収されてしまうからだ。

最近、邦訳が出た『盲目と洞察』(宮崎裕輔・木内久美子訳)所収の「文学史と文学のモダニティ」のなかでポール・ド・マンは、ニーチェやボードレールのテクストを引きながら、この矛盾について論じている。例えば、ニーチェは「生に対する歴史の利害について」(『反時代的考察』所収)のなかで、歴史に対しての根本的な異議申し立てを行った。そこでニーチェは、過去に対する「忘却の力」を前面に押し出すことで、歴史に対して今を生きる「生」を対立させてみせた。ニーチェの「生」の概念は、ボードレールの「現在の表象(representation du present)」「現在の記憶(memoire du present)」とも共鳴するものである。

しかし、ニーチェも「生」という概念が孕む矛盾に無自覚だったわけではない。ニーチェは「ところが忘却を必要とするこの同じ生が、ときには忘却を阻止しうるのでなければならない」(『盲目と洞察』からの孫引き)と語っている。ド・マンも指摘するように、「どんな現在も絶え間なく過ぎ去りゆく経験として必然的に体験されざるをえず、過去がどんな現在とも未来とも切り離せない以上、そうした経験によって過去は不可逆で忘れられないものになるのだ」(同上)。そして「モダニティは起源としての現在の瞬間の力に信頼を託すが、過去と断絶するなかで同時に現在からも断絶してしまったことを発見する」(同上)ことになる。現在が過去によって構成されていると考えれば当然の論理的帰結である。

モダニティという概念が孕む矛盾は、写真についてもまた言えることではないか。「生」を自然に、「歴史」を文化に置き換えてみればいい。ニーチェの「生」の概念は、清水穣が言う「決定的瞬間に出現するリアル」と呼応するものだろう。ボードレールの「現在の表象」「現在の記憶」もまたしかりである。ド・マンはこうした姿勢を「芸術の外に出ようとするモダニティの誘惑、直接性を求めるモダニティの郷愁」と呼んでいる。まさにこの「芸術(表象)の外」「直接性」こそ、近代写真が希求したことではなかったか。

モダニティ概念が近代芸術の根底に流れているとすれば、近代写真と近代芸術はパラレルな関係にあったと言えるだろう。清水穣も指摘するように、近代写真の父と称されるスティーグリッツの写真と、ブラックやピカソの絵画には否定し難いほどの類縁性がある。反‐絵画、反‐美術を主張してきた写真こそが、表現論の観点から言えばむしろ近代におけるピクトリアル(絵画的)な写真という皮肉な結果になる。


ところで、清水穣は現代の写真(あるいはデジタル写真)の課題は、この近代的二元論の枠組みを変化させることにあり、二元論が排除・抑圧してきたものに可能性を見出すことであると語っている。そしてその可能性は初期写真が有していたものであり、必然的に初期写真への回帰が問題となるとも指摘している。それでは、近代写真が排除・抑圧し、初期写真が有していたとされる可能性とは何だろうか。

前述した『写真のアルケオロジー』のなかでバッチェンは、ニエプスやダゲール、トルボットら初期写真家たちが、18、19世紀の比喩形象である「自然」「風景」「カメラ・オブスキュラ」「時間」「見る主体」を参照にしながら、写真に対していかに曖昧な態度をとっていたかを語っている。

「ニエプスは、自身のプロセスの適切な名称を〈フィソート〉(自然それ自身)にすべきか(オートフュ-ス)(自然による複写)にすべきか、つまり自然それともその再現=表象のどちらにすべきかを決めあぐねていた」

「ダゲールが主張するには、きわめて逆説的なことに、ダゲレオタイプは一方で自然を描写するのだが、他方ではそれは自然が自然を描写することを可能にするものだった」

「トルボットは同様の言葉遣いで、ある意味で描写のプロセスであると同時に描写のプロセスではない「芸術=技術」について語る。さらに彼は、こうした形容には満足できず、写真を時間が空間になり空間が時間になるような、定着性と移ろいやすさを同一の再現=表象において捉えようとする試みであると記述する」
(いずれも『写真のアルケオロジー』)。

つまり、バッチェンによれば、初期写真家たちの言説は、自然と文化という二元論を顕在化しているということである。この二元論は自然と精神の有機的統合を目指し、感覚的なものの優位性を唱えたロマン主義を背景にしていることは言うまでもない。実際、バッチェンは写真の発明者たちがワーズワスやコールリッジから多大な影響を受けていることを指摘している。

そしてバッチェンは、フーコーを参照にしながら、写真の誕生について次にように述べる。

「おそらく写真は、古典主義的エピステーメと近代的エピステーメが互いに折り重なり合い、折り込まれる時期にだけ構想することができたのだろう。別の言い方をすれば、写真が生まれる際の陣痛は、前近代的な知の配置の消滅と近代固有の知の配置の創出の両者を巻き込む運動と一致した時期にあった」(同上)。つまり、写真は「自然哲学と啓蒙主義的世界観の突然の崩壊」を標しづけられているのだ。その結果として、「自然と文化」「現実と表象」「オリジナルと模倣」「指示物とイメージ」「現前と不在」といった一連の分割が生じたというわけである。

とするならば、近代写真はこの矛盾(二元論)を引き受け、体現してきたとも言えるだろう。写真史における「記録と表現」の対立もまたそのバリエーションの一つである。しかし実は、この対立はそれほど明確なものではない。写真の「記録性」を唱える者は、写真の「表現性」を前提にしているし、「表現性」を唱える者は「記録性」を前提にしている。

たとえば、ロラン・バルトはその初期の写真論「映像の修辞学」(蓮實重彦・杉本紀子訳)において、写真の意味作用(メッセージ)を三つのレベル-言語的メッセージ、コード化されたイコン的メッセージ、コード化されないイコン的メッセージに分類したことはあまりに有名である。最後の「コードなきメッセージ」を「外示的メッセージ」あるいは「字義的メッセージ」と言い換え、そのレベルで写真は「シニフィアンとシニフィエの関係は《変形》ではなく《記録》である」と語っている。そしてバルトもまた、「文化的コードと自然の無=コードの対立」こそが写真特有の性格であると指摘している。

しかし、バルトが写真から取り出して見せた「コードなきメッセージ」「字義的メッセージ」という概念はきわめて曖昧なものである。バルトは「字義的メッセージの性格は実体的ではあり得ず、単に相関的なものである」と言いつつも、「字義的メッセージ」を読みの単位の語のようなものに還元し、実体化してしまっている。「共示的メッセージの体系を《自然化する》のは外示的メッセージの連辞であるのは極めて明らかである」と。しかもバルトは写真から「字義的メッセージ」を取り出す際に、「(構図決定、縮小、二次元化といった)ある場面処理を含んでいる」とか、デッサンに比較し「写真の方は、主題や構図、アングルを選べはしても」とか、つねにエクスキューズすることを余儀なくされている。

つまり「字義的メッセージ」は構図やライティング、レンズの効果、アングル、被写体との距離など、いわば写真を見る者にとっての感覚的現象を前提にしているということである。バルトはこうした感覚的現象と「字義的メッセージ」(連辞による文法的意味)を意図的か無意図的か混同してしまい、この「字義的メッセージのレベル」を自然的対象と同じ秩序に属しているものとみなしているのだ。われわれ写真を見る者にとって、バルトが言う「字義的メッセージのレベル」が構図やライティング、レンズの効果、アングル、被写体との距離などによって与えられていることは明らかであろう。

ジャック・ランシエールもまた、その著『イメージの運命』(堀潤之訳)のなかで、「イメージに隠された暗号のメッセージを読み解いていた記号学者と、言葉なきイメージのプンクトゥムの理論家は、ある同じ原則を拠り所にしています-つまり、イメージの無言性と、イメージが語っている言葉が、可逆的であり、等価値であるという原則です」と指摘し、バルトを批判している。もちろんここで、バルト批判を試みようというわけではない。晩年の『明るい部屋』をランシエールのように批判できるのかどうか、いささかの留保が必要であろう。


ここでバルトをとり挙げたのは、「自然と文化」という近代的二元論の枠組みを変化させ、その二元論が排除・抑圧してきたものに可能性を見出すことがいかに困難かを示す一例にすぎない。近代写真が記録であれ、表現であれ、この二元論における一方の極を根拠として純粋性を追求したとすれば、“現代写真”の多くもこの二元論をまぬがれていない。いやむしろ、近代写真を「記録性」あるいは自然として位置づけ、“現代写真”は他方の極の「表現性」あるいは文化へと無反省的に回帰していると言えるだろう。実際、デジタル化以降の写真の多くは、ニュー・ピクトリアリズムとしての絵画主義や自然との合一を図ったロマン主義への回帰を肯定的なものとして謳歌しているように思える。

では、近代的二元論が排除・抑圧してきたものとはいったい何なのか。最初に思い浮かぶ答えの一つは、近代が孕んでいる矛盾、分裂、アポリアそのものを排除・抑圧しているのではないか、あたかもこの二元論は近代という時期に生じたある別の歴史的出来事の矛盾、分裂、アポリアを隠蔽・回避・解消するために想定された(といっても誰かが意図的に想定したということではない。むしろ構造的な意図ともいうべきものによって想定されたということである)のではないかということである。

たとえば仮に、近代に生じたその別の矛盾、分裂、アポリアを「道具と商品」「使用価値と交換価値」(この物の分裂、物と人間の疎隔についてはジョルジョ・アガンベンが『スタンツェ』のなかで詳細に論じている)ととらえ、「自然と文化」という二元論に重ねてみたら、どんな光景が見えてくるだろうか。まず言えることは、「自然と文化」という二元論の下では、「道具と商品」という分裂は見えてこないということである。道具も、商品も文化の側に属する物だとすれば、「自然と文化」という二元論の下では、いずれもが文化の項に吸収され、その分裂が隠蔽されてしまうことになるだろう。

たとえば、ハイデッガーの『芸術作品の根源』(関口浩訳)においても、道具と商品の分裂が考察の対象とはなっていない。ハイデッガーはこの著のなかで、芸術作品を道具と物(自然的対象物)との中間に位置づけ、道具の道具性を開示することが芸術作品の機能の一つととらえている。もちろん、道具の道具性を覆っているのが商品性と解釈することは可能だが、それでも商品が分析の俎上にのぼることはない。

ハイデッガーによる芸術作品の分析は、近代写真における二つの形態に呼応しているように思える。純粋な写真と非‐芸術的な写真である(ジャック・ランシエール『イメージの運命』参照)。前者は自己充足的な感性的形態のなかに芸術の理念を求め、後者は写真に日常性を取り込むことで芸術性を排除していく。ハイデッガーに従えば、一方が限りなく物(自然的対象物)に近づくことで直示的イメージを求めたとすれば、他方は道具の道具性を暴く、剥き出しのイメージを求めたと言えるだろう。この二つの形態(イメージ)とも、「自然(物)と文化(道具)」という二元論によって機能していることは明らかである。

しかし、ここに「道具と商品」というもう一つの分裂を重ねるとどうなるか。先に引用した『盲目と洞察』所収の「アメリカのニュークリティシズムにおける形式と意図」のなかで、ド・マンは面白い指摘をしている。われわれが石を知覚する場合、その感覚的現象(知覚)と意味(認識)は完全に等しいと言える。しかし、椅子のような対象の意味作用は、「座る」という対象の使用目的への参照を含んでいなければ理解することができない。つまり、石(物)と椅子(道具)との差異は、自然的対象と志向的対象の違いである。この相違は美学的観点から言えば、カントが言う自然美と芸術美の違いに相当するものかもしれない。

いずれにしても、道具の構造はすべての構成要素にわたって、その使用目的のためにあるという事実によってあらかじめ規定されているということである。ド・マンによれば、文学批評におけるフォーマリズム批評は、この自然的対象と志向的対象の違いを見ることができず、文学言語を自然的対象と同じ秩序に属するものとみなしてしまったと指摘している。これは純粋な写真を求めたモダニズム(フォーマリズム)写真にも同じように言えないか。写真という映像を自然物のようにみなしてしまったということである。

他方で、構造的な志向性は、主体の行為という観点からさらなる差異(分割)が可能となる。やや長いがその下りを引いてみる。

「漁師がウサギに狙いを定めるとき、彼の志向=意図はそれを食べること、あるいは売ることであるとわれわれは想定してよい。この場合、狙いを定める行為[狩猟]は、当の行為の外にある別の志向[食べること、売ること]に従属している。だが、彼が人為的な標的[クレーパイプ]に狙いを定めるとき、彼の行為には、当の行為そのもののために狙いを定めるという以外の志向=意図は一切ない。この行為は、完全に閉じた自律的な構造を構成している。その行為はみずからに跳ね返り、みずからの意図の射程内に収まり続ける。これが、道具(ウサギに狙いを定める銃)と玩具(クレーパイプに狙いを定める銃)のように異なる志向的対象を区別する本来の仕方である。美的な実体は玩具と同じクラスに属する。
(『盲目と洞察』)

ド・マンは「カントやシラーはホイジンガ以前にこのことをよくわかっていた」と続けているが、マルクスもまたしかりと付け加えていいだろう。この差異は道具と商品を分かつものでもある。非‐芸術性を求めたもう一つの近代写真は、この道具と商品の志向的構造の違いを見抜くことができず、文化が持つ志向性を一括りとして扱い、芸術(文化)性を排除することに汲々したということである。

したがって、近代写真は純粋な写真であれ、非-芸術的な写真であれ、19世紀の思想を形成した文化と自然とのアナロジーという大いなるメタファーから逃れることができなかったと言えるだろう。

「自然と文化」という近代的二元論を克服するためには、一方の項を他方の項に吸収するのでもなく、いわんや二つの項を総合するのでもなく、むしろその二元論に潜む、あるいは排除・抑圧してきた別の緊張関係を探りだすことが重要ではないだろうか。そのとき、たとえば、ジェフ・ウォールやトーマス・ルフ、デ・マンドといった現代写真家の意図あるいは価値を正当に理解し、把握することが可能になるだろう。それはとりもなおさず近代写真と分かつ“現代写真”なるものの価値転換を浮上させるにちがいない。
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イメージの病(やまい)-臨床と症例 17

2013年12月14日 | Weblog
われわれは「具体」から何を学ぶのか。
『「具体」-ニッポンの前衛18年の軌跡』展(国立新美術館)

戦後日本美術の代表的な前衛グループとして知られてきた「具体(具体美術協会)」。本展はその「具体」の18年に及ぶ活動の軌跡を振り返る、東京では初めての展覧会だそうである。確かに言われてみれば、活動の一時期のみに焦点をあてた展覧会はあったが、活動全体を紹介するものはなかったかもしれない。その意味では貴重な展覧会である。と同時に、「具体」を再考する良い機会になるだろう。

さて、本展は6つのセクション(章)から構成されているが、大きくは3つの活動時期に区分されるだろう。「具体」の結成(1954年)からアンフォルメルの提唱者ミシェル・タピエとの出会い(1957年)までの初期。タピエとの出会いにより、アンフォルメル絵画へと収斂されていく中期(1957年~1965年)。そして、1965年から1972年の解散までの後期。まずは今回の「具体」展の特徴のようなものを、思いつくままに列挙してみたい。

まず一つは、記録写真が少ないことである。「具体」と言えば、われわれすぐさま村上三郎が紙を破る写真や白髪一雄が泥に塗れる写真、嶋本昭三が絵の具の入った瓶を投げる写真を思い浮かべる。「具体」の代名詞ともなった、いわゆる「アクション」や「ハプニング」である。今回の初期活動の展示では、村上三郎が紙を破る作品『入口』(再制作)や映像は展示されているが、その他はない。これは本展カタログの中で、「たとえば白髪一雄の《泥にいどむ》や村上三郎の《通過》のように、行為する瞬間の記録写真だけがひとり歩きし、マスコミに制作過程を公開した際に撮影されたものであるという説明がないままに、あたかも観衆を集めて行なわれたかのごとく誤解され、行為それ自体が作品であるという認識やパフォーマンス・アートの先駆という評価が生まれるなど、作品の形態や記録写真だけで構築された“行き過ぎた評価”も存在する」(平井章一「具体-近代精神の理想郷」本展カタログ所収)と書かれている通り、どうも意図的なようだ。実際、「具体」の初期活動を紹介したセクション(第1章「プロローグ」、第2章「未知の美の創造」)では、当時、野外展示された作品や平面作品が数多く展示されている。屋外の展示空間を擬似的に体験させるためなのか、芦屋公園の写真を印刷したスクリーンを垂らしていたが、これはどうもいただけない。

二つ目は、「具体」の指導者であった吉原治良に個別のセクション(第3章「ミスターグタイ=吉原治良」)が設けられ、吉原の戦前の作品や芸術観が紹介されていることだ。吉原の戦前の仕事に焦点をあてることで、「具体」の活動を戦前からの思想的流れに位置づけようとしているのかもしれない。同じカタログの中で、平井昇一は、吉原が唱えた「精神の自由」を白樺派に代表されるような大正教養主義に由来するものと論じている。

三つ目は、おそらくは今回の「具体」展の目玉にもなっている、活動後期の作品を数多く展示していることだろう。この時期は、素材の物質性を強調するアンフォルメル絵画を離れ、当時台頭しつつあった新しい抽象表現を積極的に求めた時期である。実際、アンフォルメル風のいわゆる「熱い抽象」から、無機質でシスティマックな抽象表現やステンレス、プラスチック、モーターなど、工業素材を使った抽象表現へと変化している。確かにこれまで、この時期の「具体」の作品を見る機会は少なかったし、あまり論じられてこなかった気がする。

こうしていくつか、本展の特徴のようなものを挙げていくと、今回の「具体」展の狙いのようなものが見えてくる。これまでの「具体」への評価が主に初期・中期に焦点があてられ、その独自性や革新性、先駆性が論じられ、いわば「断絶(=前衛)」ばかりが強調されてきたのに対して、歴史的な連続性(近代美術史)、あるいは社会的・世界的な同時生といった視座から、「具体」をとらえなおそうという試みのように思える。こうした視点は理解できないわけではないし、その必要性も認めるが、それでもどこか違和感も覚えざるを得ない。

例えば、先にも記したように、本展は「具体」の指導者であった吉原治良に個別のセクションを設けることで、吉原が戦前から培ってきた近代精神の流れの中で「具体」をとらえようとしている。その結果、「精神の自由」という空疎な言葉と結びつき、「吉原にとって、既成の概念を打破し、独創的、革新的な表現を開拓することは、精神を解き放ち生命を完全燃焼させること、今日風の言葉で言い換えるならば「自己実現」と同義であった。そして、その自己実現で得られた感動が、色や形、物質によって直接的かつ具体的に提示されたものこそ、「具体」における作品なのであった」と論じられる。そして、「今回の展覧会で「具体」の作品の数々を、その時々の作家の精神を具体化したものとして捉え直してみるならば、それらが戦後日本の復興から高度成長期に至る時代を鏡のように映し出していることがわかる」と言い、挙句には「戦後復興期のニッポンを背負った美術グループであった。そしていま、私たちニッポン人が、その運動体の精神的な遺産から汲み取るべきものは少なくないはずだ」(以上、引用はいずれも同上)と結論付けられている。おいおい、マジかよ、「頑張れ、ニッポン!」かよ、と茶々を入れたくなる。蛇足ながら、本展のカタログを読んでいちばん驚いたことがある。それは歴史的な文脈の中で「具体」をとらえ直すことが、「具体」の批評的限界として再考することではなく、むしろ時代精神の反映として肯定的にとらえられていることである。本展のキュレーターたちにとってもはや芸術は、時代の精神の批評的限界を証すもの-反時代的なものではなく、時代の精神を典型的・肯定的に指し示すものなのだ。

芸術=精神の自由の発露、芸術=自己実現。ロマン主義の系譜に連なる近代精神。こうしたとらえ方は明らかに、宮川淳(『アンフォルメル以後』)やイヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・クラウスが批判した(『アンフォルム』)ジャン・ポーラン的アンフォルメル観そのものである。いわく「無垢で完全な自己表現」(宮川淳)への希求。ご存知のように、宮川淳は1963年に書かれたアンフォルメル論『アンフォルメル以後』の中で、「アンフォルメルが・・・無垢で、完全な表現を求める、いわば「絵画のテロル」としてのみ規定されたとき、そこにはらまれていた現代の真の可能性もまた流産してしまった」と書き、アンフォルメルをフォルムからマチエールへの移行ととらえ、表現概念そのものの価値転換と論じた。平井章一(おそらく、本展の中心的なキュレーターであろう)のようなとらえ方をしては、われわれは「具体」から何も学ぶことはできないし、その可能性を引き出すこともできない。ただただ、「精神の自由」といった「抒情的恍惚」(イヴ=アラン・ボワ)に浸るだけではないか。

今回の展示で最も関心を惹きつけられたのは、やはり第4章に展示されていたアンフォルメル的な作品群である。質的にも、作品の完成度的にも、最も充実しているように思える。もちろん、それだけが関心を惹きつけられた理由ではない。「具体」の可能性の中心は、平面作品にあるとともに、やはり素材との関わり-物質性にあるのではないかと、改めて思わせたことだ。例えば、初期作品のアクションやジェスト、身振り、身体性といった問題群も、前述した宮川淳が『アンフォルメル以後』で次のように語っているように、マチエール(素材)とのディアレクティクな格闘から解き明かすことができるだろう。「つねにジェストがマチエールの潜在的可能性を明証化し、一方、マチエールがジェストを現実化する」。

とするならば、芸術における物質性の問題が再度、浮上するだろう。絵画であれ、彫刻であれ、あるいは文字や音であれ、物質的な素材を使って観念的な対象(イリュージョン)を現前させるのではなく、物質の感覚そのものを現前させることにどのような意味があるのかと。もちろん、この問題は文学ならば、マラルメの「骰子一擲」(1897年)に、絵画ならばマネにまで遡るだろう。あるいはモーリス・ブランショが説くような、何かを再現する(現実であれ、空想であれ、観念であれ)イメージではなく、不透明な厚みのある物質としてのイメージ=「遺骸的類似」と関わるものかもしれない。

ところで最後に、「具体」について考えるたびに思ってきたことを一つ。それは「具体」という名称についてである。もちろん、その由来は雑誌『具体』創刊号に記されている。いわく「われわれはわれわれの精神が自由であるという証しを具体的に提示したいと念願しています」。吉原治良はこの「具体」という言葉をどこから思いついたのか。1940年代後半に登場したピエール・シェフェールのミュージック・コンクレートや50年代のコンクリート・ポエトリーとの関連はないのか。これら「コンクレート(具体)」という言葉に、何らかの共通性はないのか。宮川淳はすでに『アンフォルメル以後』の中で、マチエールという観点からアンフォルメルとシェフェールのミュージック・コンクレートとの比較を行っている。歴史的文脈や同時代性をうたうならば、本展でもこの辺りへの言及があってもよかったのではないか。

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2013年12月12日 | Weblog

〝ベンヤミンのアジェ“をやり直す
トーマス・デマンド展(東京都現代美術)

奇妙な静かさをたたえた、無人の空間。人間的な痕跡が消し去られた、人間以前/以後の光景。直前までいた人間を消去してしまったような空間でもあれば、永遠に登場しない人間を待っている無時間的な空間のようでもある。デマンドが提示してみせる“場(空間)”の感覚は、どこかアジェの写真を思わせる。というよりも、アジェの世界をさらに徹底化する試みと言えようか。そこにこそ、写真の今日的問題、あるいは歴史的問題が潜んでいるかもしれない。結論を急ぐのはやめよう。とりあえずは、アジェを介入させることで、デマンドの意図の一端に迫ってみたいと思う。

周知のように、アジェの写真に“アウラの崩壊”の先駆性を見出したのはベンヤミンである-「対象をアウラから解放したことは、最近の写真家流派による、もっとも疑う余地のない功績だが、その口火を切ったのはアジェである」(『図説 写真小史』 久保哲司編訳 ちくま学芸文庫)。今更、ベンヤミンの“アウラ”について説明する必要はないだろうが、ベンヤミンの“アウラ”は事物の権威や重みを総括したものであり、写真以前の芸術がその価値の根拠としてきたものである。ベンヤミンは人気のないパリの街を撮ったアジェの写真に、「現実からアウラを掻い出す」機能を見出した。ベンヤミンにとっての“アウラの崩壊”は、従来の芸術的価値の崩壊を意味するとともに、近代的知覚の変容を示すものであった。ベンヤミンにとってその典型的な実例がアジェの写真だったわけである。

ベンヤミンはそこからどのような意義を見出そうとしたのだろうか。少なくとも一つ言えることは、何らかの媒介によって形作られる人間の知覚を相対化し、あるいはその条件を変える可能性があることを示唆していることだろう。同じ『写真小史』のなかで、ベンヤミンはアジェやザンダーの写真的効果を「こうした映像が与えるショックは、見る人の連想メカニズムを停止させる」と語っているが、このショックや停止こそが知覚の条件を変える契機となるということである。

もちろん言うまでもないことだが、ベンヤミンは自然が推移するように、写真の登場以後、われわれの知覚の条件も変容していくだろうと言っているわけではない。むしろ写真が秘めた力-知覚の条件を変える力が従来の芸術観によって歪められ、削がれてしまっていることを批判しているのだ。それが〝アウラの捏造“としてのレンガー・パッチュ等の写真への批判でもあった。おそらくここまでは、少しばかり写真論をかじっている者ならば、周知のことであろう。むしろ問題はその後、ベンヤミンが見出そうとした写真における弁証法的な力を実体化してしまったことにあるだろう。例えば、意味の覆いを剥ぎ取られ、むき出しになった街や顔。そこから裸形のモノや人間、ありのままの現実が出現すると。この考えは、写真を無言のパロールとみなしたバルトまで続いていくだろう。

おそらくデマンドは、ここから出発している。ベンヤミンがアジェに見出した写真の機能を徹底化してみようと、あるいはもう一度、やり直してみようと。改めて、デマンドの写真作品を見てみよう。冒頭に記したように、デマンドの写真を見る者は誰でもまず、デマンドが作り出す独特の〝場“の感覚を感じるだろう。この非人間化された空間は、アジェの写真に酷似しているが、アジェの写真が持っていたような現実の細部やモノの質感など、いわばノイズのようなものが一切ない。デマンドの写真ではモノが持つ表面のディテールが洗い流されているように思える。あらゆるノイズが洗浄された、無菌室のような空間。といっても、メタリックな質感というよりも、柔らかさのようなものさえ感じる。極めて抽象化された空間であると同時に、奇妙なリアリティを感じる光景。このいずれにもたどり着かない、宙吊りにされたような感覚こそが、アジェの写真との違いでもあり、アジェの非人間化された環境(場)をさらに徹底化したようにも思えるのだ。アウラの徹底的な清掃。

アジェの写真との相違、あるいは徹底化、その違いがどこから来るのか、もちろんデマンドはそのプロセスを隠しはいない。周知のように、デマンドの写真は紙によってほぼ実物大に作られた模型を撮影したものである。しかもその多くは、デマンドが見た、あるいは立ち会った現場を紙模型で再現したものではなく、雑誌や新聞、インターネットなどで流布した事件の現場のイメージを再現したものである。つまり一度画像化された現実を再現したものである。そして再び、紙模型で再現したイメージを写真にするという、二重の操作を行っている。なぜ、デマンドはこんな手の込んだ操作をするのか。そこにどのような意図があるのか。

まずわれわれはデマンドの写真が、一度画像化された現実=イメージを元にして作られていることに着目しなければならない。一度画像化された現実を紙模型によって再イメージ化すること。ここから現実と虚構の曖昧さといった観点から映像批判やメディア批判を見るのはたやすいが、そうとらえるとデマンドの意図を曲解することになるだろう。デマンドの意図は本来的な意味での批評-限界をあらわにすることで、その限界を超えることにあるのであって、批判(否定)することにはない。

デマンドの写真がインデックス機能として指し示しているのは、現実の場ではなく、あくまでも紙模型としての現実である。われわれの“アジェの徹底化”という仮説に従うならば、デマンドは写真によって「現実からアウラを掻い出す」のではなく、紙模型によって画像化された現実=イメージからアウラを掻い出し、再度写真にすることによってさらにアウラを掻い出しているということになるだろう。二重の操作によるアウラの掻い出し。ここには一般に流布している写真が“アウラを捏造”している、あるいは写真の機能を歪めているという、ベンヤミン的な問題意識もあるかもしれない。

しかし、この一連の操作から読み取るべきことは、デマンドが写真によって生の現実を指し示すことを巧妙に回避させていることである。それはつまるところ、「意味の覆いを剥ぎ取られ、むき出しになった街や顔。そこから裸形のモノや人間、ありのままの現実が出現する」というモダニズム写真の夢を回避することでもあるだろう。デマンドの意図には、アウラを掻い出すことによって、モダニズムが夢見たような純粋視覚や絶対知覚、知覚の根源の希求といったものはない。むしろ、知覚の条件を変えることによって、見えてくるもの、あるいは知覚可能になるものを問題にしているように思える。

デマンドの写真が現前化させようとしているのは、モノやモノの状態ではない。場所の知覚そのものを現前化させようとしているように思える。といっても、前述したように、純粋知覚とか、裸の知覚といったものではない。むしろ潜在的な知覚と呼べるようなものではなかろうか。

例えば、「浴室」と題された写真。この写真は、解説によれば、「1989年10月11日、スイスにあるホテルの一室で、ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の元知事ウーヴェ・バーシェルが浴室で亡くなっているところが発見された。事件の4日間前から行方不明となっていた彼を発見したのは報道記者で、その記者は警察に通報する前に室内に違法に立入り、出版社にその場面を収めた写真を送った。『Stern』誌の表紙に掲載されたその写真は、激しい議論を生んだ」とあり、その写真を参照にして紙模型が作られ、撮影されたものである。もちろん、この写真に死体は存在しないし、参照にした写真が有していたであろう、現場の生々しさも臨場感もない。それでも、この写真から受ける奇妙な“場”の感覚はなんだろうか。この奇妙な“場”の感覚は、写真の再現描写的機能に由来するものでもなければ、物語や説明的文脈から導きだされたものでもない。そしてもちろん、この奇妙な“場”の感覚から、何らかの物語や説明が生じることもない。むしろ、奇妙な“場”の感覚だけが残ると言ってもいいだろう。

今回の展示の目玉ともなった「パシフィック・サン」は、同じく解説によれば「2008年7月30日、オーストラリアのクルーズ船「パシフィック・サン」号が太平洋沖で嵐に襲われ、42名の乗客・乗員が負傷した。船内にあるバーの後部に配置された監視カメラが、お大きく揺れる室内の様子を記録していたが、その映像は事件の2年後に動画共有サイト「YouTube」で公開され反響を呼び、多くの人の知るところとなった。本作品はその映像をもとに作られた。7つの波を受ける様子を、精確に配置を変えながら撮影した約100秒間のストップ・モーション・アニメーションである」とある。

この映像は現在でも簡単にインターネットで検索でき、見ることができる。元の映像には当然ながら、椅子に座る乗客やカウンター内にいるバーテンダーの姿も写っている。デマンドの作品では、あらゆる人間は消去され、椅子やモノが移動する様だけが再現されている。モノの移動する様だけを反復している“場”は異様でもあり、不気味ささえ感じる。しかし、この異様さや不気味さは、嵐という出来事に由来するものでもなければ、乗客の恐怖から生じるものでもない。デマンドの写真を見るわれわれの、感覚の作用そのもの由来する異様さや不気味さと言えないだろうか。

デマンドの作品は明らかに、芸術が持っている抽象作用の力に改めて焦点をあてている。しかし、その抽象の方法は、これまでとはまったく異なっているように思える。確かに、これまで抽象絵画を筆頭に、モダニズム美術は芸術のもつ抽象作用の力を最大限に引き出そうとしてきたし、一定の成果も挙げてきた。モダニズム写真もしかりである。それでもなお、その抽象性は十分ではなかったと言わざるを得ない。デマンドの作品は、モダニズム美術における抽象性の不十分さを、あるいは異なった抽象化の道を示唆しているように思える。
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イメージの病(やまい)-臨床と症例 15

2013年12月10日 | Weblog
在ることの特異点-物、事、時間
「大辻清司フォトアーカイブ-写真家と同時代芸術の軌跡 1940-1980」展
(武蔵野美術大学 美術館)

現在、武蔵野美術大学美術館で開催中の「大辻清司フォトアーカイブ」展はとても興味深い展覧会である。今回の展示は大辻清司の作品展でもなければ、回顧展のようなものでもない。むしろ、その展覧会タイトルが示すように、大辻清司が時代との関わり-とりわけ同時代の芸術との関わり-のなかで、写真をどうとらえ、思考してきたかを浮き彫りにする。こうした時代のコンテクスチュアルな状況を前景化することで、大辻清司という写真家の個別的資料-作品という軸に中心化された視点-という枠を越えて、写真に関するより開かれた思考を促す展覧会と言えるだろう。企画・監修者である大日方欣一氏もまたそれを意図しているように思える。

もちろんここで、大辻清司における写真への思考も、同時代芸術も、すべては時代に条件づけられたものであり、いわばある時代における“芸術のエピステーメー”のようなものが浮き彫りにされると言いたいわけではない。むしろ逆であって、一般的で支配的な芸術観、大辻清司が共感を寄せた同時代芸術、そして大辻清司の写真への思考、これらの差異を浮き彫りにすることが重要であるだろう。とりわけ、同時代芸術と大辻清司の写真への思考との違いをとらえることこそ、写真を考える上での大きな糧となるのではなかろうか。実際、今後、このアーカイブを通して多様な研究、考察がなされていくに違いない。

今回の展示を一通り見ていくと、一つのキーワードが浮上してくる。それは“物”というキーワードである。展覧会カタログのなかで大日方氏も語るように、大辻清司の写真的営為の出発点に「モノとの対峙」(「大辻清司フォトアーカイブ」展カタログを参照)があったことは確かであろう。大辻清司が関心を寄せ、その記録を撮った同時代芸術の多くも、“物”をどうとらえるかを主要なモチーフにしていたように思える。「モノとの対峙」や“物”をどうとらえるかがどのような意味を持っているのか。何故、大辻清司は“物”へ多大な関心と興味を抱いたのか。あるいは写真を介して“物”と対峙することにどのような意味を見いだしたのか。

残念ながら、同時代芸術と大辻清司が“物”をどうとらえたか、その違いを論じるには、筆者の能力を超えている。ここでは、何故、大辻清司は写真的営為の出発点に、「モノとの対峙」を置いたのか。写真を介した“物への思考”。その軌跡の一端を素描してみたいと思う。

今回の展示で最も興味を惹くのが最初に展示されている「少年期のアルバム」である。中学生時代に作り始めたらしこのアルバムには、旅行先や日常のスナップから、家族の肖像、機械類の接写、皆既日食の連続写真まで、さまざまな被写体が撮られている。どこかリヒターの『アトラス』を思わせる、“見ることのアーカイブ”。大日方氏も指摘するように、「そこには後年の大辻作品へつながっていく要素が、あたかも予告編のように盛り込まれて」(同上カタログ参照)いる。とりわけ、機械や道具、模型など、“物”を撮ったものが興味を惹く。少年時代から“物”を撮ることに関心を寄せていたことがよく分かる。カメラに興味を持った少年が日常のさまざまな光景を撮ることにそれほど驚きはしないが、“物”を撮ることにこれほど固執する姿勢には、大辻清司ならではの特異性を覚えざるを得ない。

これはあくまでも憶測にすぎないが、大辻少年は現実の対象が写真に写し撮られることで、あるいはカメラの効果によって異なる相貌(類似していながらも違うという感覚)を見せることに魅せられたのではないか。その違いを典型的に示してくれたのが“物”を被写体にしたときではなかったか。日常的な光景はその日常的な文脈から分離・区別するのが難しいのに対して、“物”であれば日常的な文脈から容易に分離・区別され、その相貌の違いを目立たせることができる。自分が見るもの、見たものから分離・区別される何ものか(後年、大辻清司はこの何ものかを“気配”という言葉で名指すことになるだろう)。大辻少年は写真、あるいはイメージが持つ分離・区別するという機能に興味を惹かれたのではなかろうか。

その後、大辻清司は写真雑誌『フォトタイムス』や瀧口修造の前衛写真論に触発され、写真への傾斜を深めていく。戦争期の中断を経て、自ら「本気なって何事かを表現しようとした最初の写真」-「いたましき物体」が「美術文化協会」の応募展(1949年)に入選し、前衛写真家としての仲間入りを果たすことになる。「いたましき物体」を皮切りに、1950年代を通して、「オブジェ」「美術家の肖像」シリーズ、「新宿・夜」の連作、「陳列窓」「無言歌」など、まさに「モノとの対峙」を主要なテーマとした作品が制作されていく。日本の写真史では、この時代の作品が大辻清司の代表作とされ、シュルレアリズムやアブストラクトに影響を受けた前衛写真家と位置づけられている。しかし、その後の大辻清司の写真活動を見れば、そうした枠に収まらない写真家であることは明らかだし、本展もまた従来の位置付けからの解放を目論んでいるだろう。

大辻清司の写真家としての出発が、シュルレアリズムやアブストラクトの影響を受けたものであることは確かである。瀧口修造や斎藤義重、安部展也らとの出会いも大きく影響しているだろう。実際、この時代の大辻清司の“物”に向けるまなざしは、シュルレアリズムやアブストラクトに触発されたものである。1950年代は土門拳による「リアリズム写真運動」が始まっていた時代である。何故、大辻清司はシュルレアリズムやアブストラクトに共感したのか。そこから、“物”に対してどのようなまなざしを向けたのか。

われわれが物を見たり、認識したりする場合、例えば、一つの道具を道具として把握する場合、われわれはその道具の使われ方-有用性という文脈に基づいて、その物をある道具として同定するだろう。道具以外の単なる物であっても、石や木といった一般化されたカテゴリーに基づいて把握するだろう。こうした物の見方は、人間という社会化されたフィルターを媒介したものである。そもそもシュルレアリズムが目論んだことは、見せかけの現実-つまり意識に媒介された現実を超えて、直接的な現実を現前させようとしたことだ。今日でもしばしば“シュール”という言葉が現実を空想的・幻想的に歪めることとして使われるが、シュルレアリズムはまさにその反対のことを目論んだと言えるだろう。直接的な現実を現前させるために、夢などの機能を活用したために、誤解されてしまったということであろう。大辻清司がシュルレアリズムに共感したのは、物をその日常的な文脈から外すことで、物の直接的な現前を求めたことにあったのではないか。

例えば、シュルレアリズムがスローガンの一つとして掲げた、ロートレアモンという19世紀の詩人の言葉-「手術台の上でのこうもり傘とミシンの出会い」はあまりにも有名だが、異質な物同士がまったく無関係な場で出会うことによるショック(衝撃)は何を意味するのだろうか。われわれが異質な物の組み合わせに驚き、不思議さを感じるのは、それらの物を把握する共通の基盤-文脈を持つことができないからである。そもそも“異質な物”という、その“異質さ”とは互いの物が背景としている文脈の違いのことであろう。われわれが物を把握する際に、その文脈を外されたとき、物はどのような相貌を見せるのか。シュルレアリズムならばそれを“直接的な現実”と呼び、瀧口修造ならば“実在性”と呼び、ハイデカーならば“むきだしの有用性”と呼ぶだろう。

では、アブストラクトとはどうなのだろうか。アブストラクトもまた見せかけの現実(物)から造形的要素を抽出し、際立てさせることで、物の実在性を現前させようとしたと言えるだろう。「いたましき物体」を始めとして、50年代を通じて、大辻清司が“物”に向けたまなざしは、見せかけの現実、あるいは見せかけの見え方を排して、いかにして“物”を物そのものとして見せるかにあったと言える。そして、写真こそがその可能性を最も有したものと考えていたのではなかろうか。なぜならば、かのバークリー主教に倣って言えば、物の在ることの把握は見ることでもあるからである。

しかし、われわれが物を把握する場合の文脈は、実は一つではない。文脈それ自体が多様なものである。おそらく、その後の大辻清司における写真的営為の一つの側面は、さまざまな文脈のなかで“物の実在性”を求めることにあったのではなかろうか。もちろん、50年代の作品においても、その一端を垣間見ることができる。異質な物同士の組み合わせ-無機的な物と有機的なもの、硬質なものと柔らかいもの等々、物が置かれる場との異質な組み合わせ、あるいは「陳列窓」シリーズのような物が置かれる場そのものの無効化、アブストラクトなアプローチ(造形的要素の抽出と構成)、さらには人物をオブジェのように配置することでの風景の異化(「無言歌」シリーズ)等々、さまざまな試みを行っている。しかし、この時代はやはり、“物”を軸として、他の物との関係、物が置かれる場が考察されているように思える。場をとらえようとする「新宿・夜」でさえも、そこで焦点化されているのは、日常的な文脈から外れた未知の物体のようなものである。しかし、その後の大辻清司は、同時代の芸術家のドキュメント写真やスナップ写真、環境や建築、さらには晩年の作品となる「大辻清司実験室」の最後を飾る「家」シリーズなど、物を中心にその実在性(在ること)を考察することのみならず、事(場の生起)や時間を中心にしたとらえ方に移行していったように思える。

今回の展示で「少年期のアルバム」に次いで、興味を惹かれたのは、同時代の芸術家たちの活動やイベント、作品行為をとらえたものである。とりわけ、1969年に開催された「クロス・トーク/インターメディア」のドキュメント写真は、三つのモニターによる展示効果もあって、大辻清司がスナップショットによって何をとらえようとしていたかが理解できるような気がするのだ。カタログのなかでも、大日方氏が「継起的なシークエンスとしての行為の過程を掴んでいくまなざしの展開」と書いていたが、この継起的なシークエンスのなかで何を掴もうとしたかである。例えば、「クロス・トーク/インターメディア」のドキュメント写真を見ると、大辻清司が被写体との距離を微妙に探っているのがよく分かる。彼は何を探っていたのだろうか。われわれはとりあえず、それをドゥルーズの用語を借りて“特異点”と呼びたいと思う。継起的なシークエンスのなかの“特異点”。

ドゥルーズがいう“特異点”は、いわゆる“特権的瞬間”とは異なるものである(『シネマ1』参照)。“特権的瞬間”が予め前提とする全体を表示するための特徴的な部分-例えば、ある出来事の“特権的瞬間”が選択される場合、予め想定された出来事の全体像に基づいて、その全体像を把握させるための瞬間(部分)が選ばれるだろう。“特異点”とはむしろ、こうした予め想定された出来事の全体像を脅かすものである。非常に乱暴に言えば、予め想定された出来事の全体像とは異なる、別の出来事の全体を形成するかもしれない契機となる瞬間のことである。大辻清司がとらえた「クロス・トーク/インターメディア」の継起的なシークエンスは、「クロス・トーク/インターメディア」というイベント(出来事)を特徴づける、あるいは説明する“特権的瞬間”をとらえようというよりも、このイベントから何か別なものが形成されるかもしれない“特異点”を探っているように思えるのだ。こうしたアプローチは、予め想定された全体-つまりは文脈を外し、継起的なシークエンスから純粋な出来事の瞬間を浮き彫りにしようとすることではないだろうか。おそらく大辻清司は、時間という文脈のなかで出来事の実在性をとらえようとしている。

こうした大辻清司のアプローチには、写真家として出発するに際して、当時、土門拳のリアリズム写真運動が登場するなかで、何故、シュルレアリズムやアブストラクトの影響を受けた(あるいは瀧口修造が唱えた)前衛写真に共感したか、その理由の一端が透けて見える気がする。例えば、当時、瀧口修造も、大辻清司も、シュルレアリズムとストレート写真に違いがないこと、その効果は同じであると語っている。とするならば、土門拳の唱えた「絶対非演出の絶対スナップ」というリアリズム写真といかなる違いを見いだしたのか。おそらく、瀧口修造や大辻清司が土門拳との違いを見いだしたのは、前述した“特権的瞬間”と“特異点”の違いではなかったろうか。

土門拳のリアリズム写真も、「絶対非演出の絶対スナップ」と唱えながらも、光やレンズの効果、視点、構図を考慮しないわけではない。しかし、リアリズム写真の眼目は、出来事の特権的瞬間を切り取る(選択)ことで、その出来事の本質を伝えること(あるいは像として組織化すること)である。しかし、大辻清司が写真を介して見ることに求めたのは、文脈を外された純粋な瞬間-“特異点”ではなかったろうか。そこにどのような意義があるかと言えば、一つは予め想定された全体(文脈)からの視点を相対化するだろう。そして、ドゥルーズが語るように、カメラがとらえた任意の瞬間から“特異点”を産出することで、持続する全体、開かれた全体への接続が可能となるだろう。

ここではあまり触れることはできなかったが、晩年の傑作とも言うべき「大辻清司実験室」は、“物”の実在性、場で生起する事、時間の特異点など、大辻清司が写真を介して何をやろうとしたかを集大成する試みであった。とりわけ、「大辻清司実験室」連載の最後を飾った「間もなく壊される家」「そして家がなくなった」-代々木上原の古い木造の自宅が取り壊され、すべて更地になるまでのシークエンスを綴ったもの-は、時間という文脈のなかで“物”や光景、風景など、存在そのものをとらえようとしたものだろう。“物”、“事”、そして“時間”という文脈-大辻清司の写真的行為は、こうした在ることのさまざまな文脈を外すことで、見ることの純粋性を探ろうとしたのではなかったろうか。
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イメージの病(やまい)-臨床と症例 14

2013年12月10日 | Weblog
もう一つの純粋視覚(?)を求めて
第31回土門拳受賞作品展 高梨豊展「IN’」(銀座ニコンサロン)

今年の土門拳賞を受賞した高梨豊展「IN’」を観てきた。高梨豊は伝説の写真誌『プロヴォーク』における3人の写真家-中平卓馬、森山大道、そして高梨豊-の一人であり、すでに高い評価を受けている写真家である。高梨豊はその初期作品から一貫して「都市」をテーマにした写真家であるとともに、その方法論にきわめて意識的な写真家としても知られている。高梨豊の方法論の核とも言うべきものは、肉眼(身体を伴った)とカメラアイ(機械の眼)の乖離、狭間、衝突、葛藤、絡み合い、離接関係、相互関係・・・のなかで写真というイメージをどう組織化するか、という問題であったように思える。すでに高梨豊は『カメラ毎日』(1966年)に掲載された初期作品「東京人」の撮影後記で次のように語っていた。

  「そういえば、このシリーズをはじめると同時に、ボクは相反する二つの
   生きものをからだの中に住みつかせていたようです。一人は、目に見え
   ないものばかりを射落とそうとねらう「イメージの狩人」。もう一人は、
   目に見えるものだけしか信用出来ない「スクラップの拾い屋」です」
   (「「拾い屋」と「狩人」の葛藤 <東京人>の一年間」 
    『カメラ毎日』1966年1月号)

「拾い屋」と「狩人」のそれぞれ極北を目指したのが、中平卓馬であり、森山大道と言えないこともない。もちろん、こうした図式的なとらえ方自体に問題があるかもしれないが・・・。しかし二人のどちらにも属さない、中間、狭間で写真を思考してきたのが高菜豊ではなかったか(個々の写真家の作家論は数多く存在するが、3人の写真家を比較検討した論考はあまりないような気がする。単にこちらが無知なだけかもしれないが)。今回のレビューでは、高梨豊の独特のポジション-方法論の一端を摘出し、考えてみたいと思う。もちろんこのレビューは、高梨豊の作家論を目指すわけでも、その方法論の全体を論じるわけでもない。その紙幅も、時間も、能力もない。いずれ高梨豊論」を書いてみたいと思うが、このレビューがその発端にもなればと願うばかりである。

さて今回の銀座ニコンサロンでは、すでに発表されたことのあるシリーズ「WIND SCAPE」「silver passin’」に加え、未発表の作品「LAST SEEIN」が展示されていた。今回、「WIND SCAPE」「silver passin’」 「LAST SEEIN」が順に展示されることで、鑑賞者にとって3作品の方法論がより明快に浮かび上がってきたように思える。

最初に展示されている「WIND SCAPE」は、2001年から2002年にかけ写真家が<青春18きっぷ>を使って(当時、70歳近い写真家がこの切符を使って列車の旅をするという、何とも言えないユーモア。実際、この切符に年齢制限はないらしい)、全国を旅した列車の車窓からの「風・景」を撮影したものである。「silver passin’」では2008年から2011年にかけて、今度は高齢者用パス<シルバーパス>を使って乗車した線バスの車窓を通した東京の街が撮影されている。「LAST SEEIN」は写真家が75歳になった2010年にやはり東京の街を写したものだ。この三つのシリーズに共通しているものはなんだろうか。それは撮影の条件にかける“負荷(悪条件)”とも呼べるようなものではないだろうか。

まずは「WIND SCAPE」から見てみよう。それなりのスピードで走る列車から外の風景をとらえるためには、その撮影条件にかなりの負荷がかかるとともに、高いテクニックも必要とされるだろう。しかも高梨豊の写真は、単に車窓を流れる風景をとらえているわけではない。実際、高梨豊の車窓からとらえた風景には、よくある“車窓からの風景”といった詩情感とは一切無縁な、見るべきものを撮る(とらえる)という強固な凝(ピントの精度)を感る。しかも列車は一定のルートを走るもので、視界も、構図も、パースペクティブ、視点さえも限定されてくる。こうした悪条件(さまざまな制約)を自らに課すことで、高梨豊は日本の風景から何を切り取ろうとしているのだろうか。

列車と違い都市バスでは、移動のスピードや車窓の制約(窓のサイズや広さ等々)は異なるとはいえ、「silver passin’」にもまた、「WIND SCAPE」と同様の“負荷”をみることができるだろう。それでは「LAST SEEIN」はどうなのだろうか。列車にも、バスにも乗っているわけではない。75歳になる写真家の歩行からとらえられた東京の街である。「LAST SEEIN」というタイトルからも、写真家が自らの老いを意識していることは明らかであろう。つまり“老い”という負荷。もちろん言うまでもないが、高梨豊は自らの“老い”を感傷的にとらえ、特権化しているわけではない。むしろ自らの“老い”を上記二つのシリーズと同じように、一つの“負荷”ととらえ、方法論的に活用しているのである。この冷徹なというか、感傷に溺れることのない、厳密性を求める姿勢には頭が下がるばかりである。その姿勢はどこかセザンヌを思わせる。

もちろん、ここでわれわれが考察の対象としなければならないのは、「なぜ、あえて負荷をかけたのか」という、高梨豊の方法論そのものである。映像技術の進歩により、その解像度がますます高まる中で、画一化された映像体験を強いられる流れに対してブレーキをかけるといった抵抗(「とまれ!」といった)もあるかもしれない(そういえば、「LAST SEEIN」の最後の写真は、「とまれ」と書かれた進入防止用の石柱が写されていた)。しかし、高梨豊が選択した“負荷”には、近代的な視覚体制を考える上で、きわめて示唆的な問題が含まれているように思える。

例えば、「WIND SCAPE」を俎上に挙げて、もう一度、この問題を考えてみたい。まず車窓という制約。車窓=窓を通して見る、あるいはとらえられた風景は、写真装置を介して得られた写真というイメージそのものを顕在化していると言えるだろう。われわれはしばしば、写真(と言うイメージ)をレンズという窓がない(=透明な窓)として写真をとらえることで現実とイメージを同一化し、さらには撮影者のまなざし(=知覚経験)と同一化していく。撮影者が見たものを反復する鑑賞者。言うまでもなく、透明な窓を通して得られるイメージは、ルネサンスに始まる古典主義的な光学システム(視覚体制)によるものである。高梨豊はまず、この大前提を引き受ける。

しかし、写真は単にカメラオブスキュラを典型とする古典主義的な視覚体制を受け継いだものでも、その系譜につらなるものでもない。ジョナサン・クレーリーがその著『観察者の系譜』で指摘するように、むしろ写真の登場(発明)は古典主義的な視覚体制との断絶(危機・崩壊)と密接な関係を持っている。カメラオブスキュラの視覚体制が暗い部屋の中で見る人間の身体を抹消することで得られるイメージを幾何学的な光学システムによって組織化されたものであるとすれば、写真はむしろ暗い部屋(カメラオブスキュラ)から外に出た-つまりは生理学的身体に基づいた視覚体制を背景にしている。幾何学的な光学システムから生理学的身体に基づく視覚体制へ。この近代への移行は、ベルグソンやフッサールの哲学から、19世紀の心理学やフロイトまで、一貫して問題化されてきたものである(例えば、この問題を明確に整理しているフーコーの「心理学の歴史」フーコー・コレクション1所収を参照のこと)。

この見ることの身体性の問題は、とりわけ70年代前後から、最良の写真家や批評家によって取り上げられてきたものである。例えば、写真の断片性や非中心化された知覚、あるいは写真の身体化。ここに見られる考え方は、身体による無媒介な視覚(=意識を逃れた野生のまなざし)によって、裸の事物、非人間的な光景を獲得することにあったと思われる。例えば、当時、最良の写真家によって撮られた「東京」は、その断片性や非中心化された知覚、あるいは身体による流動的な視覚を根拠にして、全体化(「東京」という記号)されない細部をとらえることで、いわば都市の“ほころび”“よどみ” “闇”“古層”…といったものを浮上させることにあったと思われる。つまり凡庸な写真家たち、あるいは広告写真家たちが「記号化された東京」を追認、再認する形で写真の断片性を利用したとすれば、最良の写真家たちは全体化されない断片、あるいはその全体を脅かす断片に眼を注いだと言えるだろう。しかし、彼らがとらえる“見る身体”はすでにして、ある統一化された身体であり、その身体の絶対性を疑うことがなかったように思える。

しかし、高梨豊は古典主義的な視覚体制に対して、生理的身体に基づいた視覚を対峙させることで、その後者に無媒介な視覚(=意識を逃れた野生のまなざし)を求めることはなかった。むしろ、高梨豊はこうした身体に根拠をおいた視覚に疑いを抱いた、きわめて稀な写真家の一人であったように思える。なぜなら、こうした身体に根拠をおいた散漫な視覚こそが20世紀の視覚文化を支えているものではないかという疑いである。むしろ、高梨豊が取り組んだのは、不安定な知覚の時代において、“見ることの不変性と確実性をいかに確立することができるか”という、ある意味ではもう一つの純粋な視覚を確立することではなかったか。であるがゆえに、高梨豊は写真が前提とする古典主義的な光学システムに対して、生理学的な身体による視覚を対峙させるのはなく、前者の大前提を引き受けるとともに、生理学的な身体に基づく視覚に対しても抗ってみせるのである。

繰り返しになるが、写真家は車窓(=透明な窓)の制約を引き受ける。さらに移動(動いている)という制約がかかる。この移動(動く)には二重の意味が隠されている。写真装置を持つ身体(カメラオブスキュラの外にある身体)、この移動する身体(ベンヤミンが言う“フラヌール=ぶらぶら歩き”)こそが、先ほどの体による流動的な視覚を根拠づけてきたものだ。「WIND SCAPE」では、この身体の移動が列車の移動に条件づけられることによって、身体が括弧に入れられる。この移動の二重性の設定に、高梨豊の前述した“身体性”への疑いをみてとることができるだろう。

“車窓”と“移動”という二つの制約のなかで写真家は、見るべき風景をとらえ、それをいかに正確に撮るかを考える。この時の身体のあり様、あるいは感覚器官のあり様とはどのようなものであろうか。おそらく外の風景に注意を向け、凝視することを強いられるだろう。ひたすら見ること、外の風景への没入。この見ることの没入は、他の感覚器官を遮断し、視覚を分離・孤立させることにもなるだろう。ここで立ち上がる視覚は、古典主義的な視覚体制による身体を排除された抽象的視覚に似ていないこともない。しかし、この二つの抽象的視覚は似て非なるものである。前者が生理学的身体から抽象化されたものであるとすれば、後者は理念的なものから抽象化されたものである。この生理学的身体から分離・区別され、抽象化された視覚は何を物語っているのだろうか。まず一つ言えることは、高梨豊は身体を一つの統一されたものとしてみていない。いやむしろ、身体を一つの統一化されたものととらえることは、われわれが世界をとらえる際の、通常の感覚-運動的図式に従うということである。ここで問われていることは、固定され不動となった眼(注意、没入によって得られた視覚)は、世界の見せかけの自然らしさを無効にし、逆に身体に基づいた流動的な視覚こそが、すでに構築された世界(=見せかけの自然らしさ)の特性をもっているということである。

例えば、われわれは疲れた時や熱を出した時などに、一つの感覚が研ぎ澄まされることがある。麻薬等によるトランス状態にも似たような知覚分裂がある。高梨豊の方法論には、これらの知覚経験と同様なものを見いだせるだろう。列車と都市バスという条件の違いはあれ、「silver passin’」にも同様の方法論が貫かれていないだろうか。さらに、「LAST SEEIN」もまた、衰えた身体(老人の身体)が通常の身体的視覚の感覚-運の図式を逃れることで、新たな視覚を立ち上げようとしているように思える。もちろん、この純粋な視覚は、身体を否定し、身体から分離した純粋な視覚ではない。むしろ、感覚的な世界に対しての新たな認識的、身体的な関係から浮上する純粋な視覚ではないだろうか。

それでは、そのような方法で生まれたイメージとはどのようなものなのか。あるいはそうして切り取られた「日本の風景」や「東京」とはどのようなものなのか。それを確かめるためには、言うまでもなく、再度、注意深く、念入りに、一枚一枚の写真に眼を向けなければならないだろう。

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 13

2013年12月07日 | Weblog

オリジナル・コピー・シミュラークル
百瀬文展「なぞる人々」(新宿眼科画廊)

一枚の写真を前にしたわれわれは何を見ているのか。一つの視覚的イメージ(像)か、それとも現実の事象(事物やその状態)か。もちろんわれわれがまず目の前にしているのは、現実の事象の空間・時間から切り離され、縮小され、紙やモニター上に静止化・平面化された一つの画像-イメージである。しかし、写真を見るわれわれはすぐさまそのイメージを現実の事象に還元してしまう。これこそが透明なメディウムとしての写真の機能であり、ロラン・バルトが言う「被写体とイメージの密着」である。写真は一つのイメージであると同時に、現実から切り離された一つの事象でもあるわけだ。ここに写真を語ることの困難さがある。われわれが写真について語る場合、われわれはいったい事象について語っているのか、それともイメージ―写真そのものについて語っているのか。

映画の場合はどうか。映画においてもまた、目の前で展開されるイメージの運動を、それが演じられた運動だろうと、生の現実の運動(ドキュメンタリー映画)だろうと、現実的な運動に還元することになる。その現実的運動とは、ある状況が提示され、登場人物がそれを知覚し、どう消化し、その状況にどう行動するか-知覚・変様(情動・触発)・行動という感覚運動的図式、いわゆるドゥルーズがいう行動イメージである。行動イメージの連なり(状況→行動→状況→行動・・・)が一つのストーリー(語り)を形づくることになるだろう。したがってわれわれは、映画というイメージを見るといよりも、感覚運動的図式に還元された(あらかじめ観念化・言語化された)ストーリーを読むことになる。

イメージと事象。写真や映画といったテクノ画像は、このイメージと事象が交差したところに成立している。この二重性こそが、記録と表現を始めとして、現実(ノンフィクション)と虚構(フィクション)、客観的イメージと主観的イメージ、自然と人為・・・といったさまざまなアポリアを生じさせることになる。

新宿眼科画廊で開かれていた百瀬文のヴィデオ作品「なぞる人々」は、「なぞる」(なぞる・なぞられる)という言葉をキーワードに、映像が有するさまざまな二重構造(むしろ反転構造と言ったほうが正しいかもしれない)を露呈させてみせる、とても興味深い展示であった。時にユーモラスに、時に生々しく、露骨なまでにあらわにされた映像の反転構造は、ヴィデオ作品を観るわれわれにいかなる知覚体験を強いるのだろうか。

「なぞる人々」は、「Calling & Cooking」「Mirrors」「Take2」「Lonely romancer」の4つの作品から構成されている。もちろん一つひとつを独立した作品として観ることも可能だが、やはり4つの作品を全体としてとらえた方がより生産的な気がする(その理由は後述する)が、まずは一つひとつの作品をなぞってみよう。

さて、ギャラリーに入って最初に出会う作品が「Calling & Cooking」である。この作品は、一人の女性が料理をしながら、遠方にいる元の恋人と電話をする状況を撮ったものである。この女性が電話の会話中に「AYA」と呼ばれることから作者本人であると推測できる-つまりセルフ・ドキュメンタリー(その意味では自分をなぞった映像なのか)-が、ここではとりあえず、フィクションなのか、ノンフィクションなのかにこだわる必要はないだろう。

何台かの固定カメラで、料理中と電話中の姿がとらえられるとともに、玉ねぎを刻むアップや台所周りが映され、さりげなくこの女性の現在の状況が暗示されている(例えば、二本の歯ブラシなど、新しい恋人がいることを示唆している)。この作品は、われわれが日常生活でしばしば経験する、テレ・テクノロジー(電話など)による“身体”と“意識”の分裂を再現したものである。われわれが映像の中で見ている現実的運動の空間では、玉ねぎを刻むという身体行為が行われている。しかし、“意識”は電話を媒介とした別な空間に引き裂かれようとしている。玉ねぎを刻む行為がぎこちなくなり、制御し切れなくなる様によって、“身体”と“意識”の分裂のプロセスが可視化されている。“身体”と“意識”の空間的な分裂-台所の“ここ”と電話の“あそこ”-は、現在という時間の分裂でもある。なぜならば、“ここ”という空間における“身体”と“意識”における“いま”の一致が現在という感覚を生み出すとすれば、この“身体”と“意識”の分裂は現在という時間の分裂を含んでいることになるからだ。実際、お互いの近況がさりげなくかわされる中で、この女性の“意識”は過去(元恋人との思い出や別れの原因等々)へと導かれていく。その証拠となるのが、突然に挿入される、目元とそこから流れる涙の、他の映像とは異なる生々しい二つのカットである。おそらくこの作品の鍵となるのがこの二つのカットであろう。つまり、涙の原因となったのは、いま料理中に刻んでいる玉ねぎが原因なのか、それとも過去の思い出がもたらしたものなのか。映像の鑑賞者はそのいずれの判断も下すことができない。とするならば、女性の涙はどのような空間で起こっている出来事なのか。われわれもまだここでは、この疑問を宙吊りの状態にしておこう。

同じ部屋にさりげなく展示された小品が「Mirrors」である。カメラモニターに映されたインコが鏡に投影されている。しかしカメラレンズの先にインコはいない。インデックス(オリジナル)なき映像の反復。カメラモニターのインコは鏡に投影されたインコなのか。鏡のインコがカメラモニターに映されたインコなのか。オリジナル(現実)のインコはどこにいるのか。どちらのインコがどちらのインコをなぞっているのか。ここでもまたわれわれはその判断を宙吊りにされる。ここであらわにされている構造は、ジャック・ラカンが説くミラーステージの構造そのものである。あるいは、同じことだがロザリンド・クラウスがヴィデオについて論じたナルシシズム的構造。

三つ目の作品「Take2」は、一人の役者が牢獄に入った囚人の絶望を演じるのだが、その絶望がうまく演じられず、監督の声(オフヴォイス)から何度も駄目だしをだされるという映像である。登場人物である役者は何度も自らの演技をなぞっていくことになるというわけである。この映像を観るわれわれは通常、囚人の絶望を演じるメイキング映像ととらえるが-とりわけオフヴォイスの監督の声によって映像の内と外が区別されることで-、しかし、囚人の絶望を演じられない役者の絶望を、さらに演じた映像ととらえることも可能だろう。演じることを演じるという反復。ここでもまたわれわれは演じられる対象を特定することができない。

四つ目の作品「Lonely romancer」は、映像の内と外、映像とその対象の反転をさらに明快にあらわにしたものである。この作品では大小二台のモニターが設置され、一方(小)にはカラオケをする女性が、他方(大)ではカラオケの映像が流されている。カラオケ映像とともに表示された歌詞をなぞりながら、カラオケをする女性が歌う。ところがカラオケ映像に登場する女性が仕事途中に着替えをし、カラオケに入っていく。そこで大小モニターの映像が逆転する。カラオケをする女性はカラオケ映像の登場人物というわけである。そして、そのカラオケ映像の登場人物をなぞりながらカラオケを歌う女性。この女性のいる空間はどこか。映像の内か外か。

こうした入れ子構造は決して珍しいものではないし、映像固有のものでもない。例えば、J・L・ボルヘスはそのエッセー「『ドン・キホーテ』の部分的魔術」(『続審問』所収 中村健二訳)の中で、いくつかその例を挙げている。『ドン・キホーテ』の続編の登場人物たちは、『ドン・キホーテ』の正編を読んでいる。シェークスピアの『ハムレット』の中では、『ハムレット』に似た悲劇(舞台)が演じられ、ハムレットがその舞台を観る。シェへラザードが皇帝に語り聞かせる『千夜一夜物語』では、その皇帝の物語が挿入され、皇帝は自らの物語を聞く。百瀬文の面白さは、こうした入れ子構造をカラオケという日常メディアの中に見出したことだろう。

「Mirrors」「Take2」「Lonely romancer」の三作品はいずれも、映像とその対象(現実、オリジナル、インデックス等々)、指示するものと指示されるもの、あるいは“なぞるもの”と“なぞられるもの”を反映、反復、反転させることによって、その関係性を識別不可能にしている。その結果、これらの作品を鑑賞するわれわれは、判断を保留され、宙吊り状態に置かれることになる。この宙吊り状態は鑑賞者にとってどのような意義があるのだろうか。前述したエッセーの中で、ボルヘスは次のように語っている。

  「地図が地図の中にあり、千一夜が『千夜一夜物語』の中にあることが、
   何故われわれを不安にするのか。ドン・キホーテが『ドン・キホーテ』
   の読者であり、ハムレットが『ハムレット』の観客であることが、何故
   われわれを不安にするのか。わたしはその理由を発見したように思う。
   物語の作中人物たちが読者や観客になることができるのなら、彼らの観
   客であり読者であるわれわれが虚構の存在であることもあり得ないこと
   ではないからである-これらの作品の逆流構造はこのことを示唆している」
   (同上)。

ここでボルヘスが語っている不安とはなんだろうか。われわれの言葉で言い直せば、宙吊り状態に置かれることでもたらされることでもある。冒頭でテクノ画像がもつ「イメージと現実の事象」という二重性について指摘したが、実は、われわれはその対象(現実の事象)と映像(イメージ)をオリジナルとコピー(擬似現実)として区別することで、あるいは現実に準じたコピーと受け取ることで、その二重性を解消し、そこで生じる不安を回避しているのではなかろうか。とすれば百瀬文の「なぞる人々」は、その構造を露骨にあらわにすることによって、オリジナルとコピーの関係を転倒させ、われわれの不安を顕在化させようとしていると言えるだろう。オリジナルなきシミュラークル(偽物)の世界。

ここで再び、最初の作品「Calling & Cooking」に戻ってみたいと思う。先にわれわれは「女性の涙はどのような空間で起こっている出来事なのか」と書いた。玉ねぎが涙の原因なのか。思い出がその原因なのか。言葉を変えて言えば、涙の原因は生理的反応なのか-身体的(行動)イメージ、心的反応なのか-感情的イメージ、われわれはどちらにも判断できないということである。どちらにも還元できない、いわばドゥルーズが言うところの変様イメージとも呼ぶべきものである。ドゥルーズはその著『シネマ2‐時間イメージ』(宇野邦一他訳)の中で、デ・シーカーの映画『ウンベルトD』のあるシーンを例に挙げて次のように語っている。少し長いが引用する。

  「朝、若い女中が台所に入ってきて、一連の機械的な、うんざりする動作を
   続ける。少しばかりの洗い物、水をまいて蟻を追い払い、コーヒーを挽き、
   のばした足の先でドアをしめる。彼女は妊娠した自分の腹に眼をむける。
   あたかも世界のあらゆる悲惨がそこから生まれるかのように。こうして一
   つの月並みな、あるいは日常的状況の中で、無意味なだけにいっそう単純
   な感覚運動的図式にしたがう一連の動作が続くうちに、突然出現するのは
   一つの純粋な光学的状況であって、若い女中はこれに答えることも反応す
   ることもできない。腹、そして目、これは出会いなのだ・・・・・・。」

ここでドゥルーズが言う「突然出現する純粋な光学的状況」とは、感覚運動的図式に従うことのない、あるいは還元できない潜勢的な映像のことである。「Calling & Cooking」の中の「女性の涙」はまさに、ドゥルーズが言う「光学的状況」と言えないだろうか。不特定な空間、あるいは純粋で空虚な空間に生起する出来事。「感覚運動的諸状況にとってかわる純粋な光学的音声的状況」(ちなみにドゥルーズは、イタリアのネオ・リアリズム映画を“運動イメージ”から“時間イメージ”への移行を示すメルクマールとしている)。ここから一つだけ理解することができるとすれば、宙吊り状態、あるいは不安がわれわれを感覚運動的図式の習慣化された反復から逃れ、潜勢的な変様イメージを現前させているということである。「lonely romancer」の中でも、「やっとめぐりあえた」「あなたを待っていた」と歌われるではないか。カラオケを歌う人はカラオケの映像の中で本当(他者として私)の人物に会えたのかもしれない。シミュラークルの力。

ところで、われわれをこうしたメタレベルの視点に立たせることを容易にしたのは、ヴィデオという再帰的メディアの機能かもしれない。反映と反省の反復。

最後に、再びボルヘスの次の言葉を引用して、今月のレビューを終えたいと思う。

  「セルバンテスのテクストとメナールのテクストは文字どおり同一であるが、
   しかし後者のほうが、ほとんど無限に豊かである」
   (「『ドン・キホーテ』の作者、ピエール・メナール」『伝奇集』所収 鼓直訳)

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 12

2013年12月07日 | Weblog
考現学としてのアート
リクリット・ティラヴァニ「無題 2001/2012」(ギャラリーSIDE2)

リアム・ギリックとともにリレーショナル・アートの代表的なアーティストとして知られるリクリット・ティラヴァニの個展が開かれている。今回の作品「無題 2011/2012」は、2001年の横浜トリエンナーレに出展したものを再展示したものである。北九州から横浜まで釣りの旅をした際の車-サンバー・スバル(リクリット号)を改装したものと、その旅に携帯したもの、使用したものが展示されている。車の荷台には、その際に撮られたものであろうビデオによる映像を写すモニターが置かれていた。さらに、ギャラリーの壁には、魚拓ならぬ“タイヤ拓”が飾られていた。初日(2月10日)のオープニング時には、鑑賞者に「くらや」梅干と焼き魚が供されたらしい。展示会場でタイ風焼きそばやカレーを振る舞うパフォーマンスで注目を集めた、あるいはそうした参加型のアートをコンセプトにしているティラヴァニの作品であれば、オープニング時のパフォーマンスも含めたレビューをすべきなのだろうが、残念ながらそのパフォーマンスを見ていないので、あくまでも展示作品そのものについて論じてみたいと思う。いやむしろ、リレーショナル・アートという観点から離れて作品を見たほうが、彼の作品を理解する手がかりが多い気がしないでもない。

さて、前述したように、今回の作品は、北九州から横浜まで釣りの旅をした際の車-サンバー・スバル(リクリット号)を改装したものと、その旅に携帯したもの、使用したもの、タイヤの跡が展示されている。ギャラリー自体がガレージを思わせるスペースなので、そこに展示されたもろもろの道具類を見ると、たまたま友人のガレージを訪れて、これから旅に出るための準備、あるいは旅から帰った後の整理を眺めているように思える。「さあ、これから旅の計画を、あるいは旅の話を聞こうか」といった具合である。2001年の横浜トリエンナーレを見ていないので何とも言えないが、おそらく横浜トリエンナーレのアート会場然としたスペースと、今回の展示スペースとでは、その印象が異なるかもしれない。しかしそれでも、われわれは友人のガレージを訪れたわけではない。ギャラリーというアート空間を前提にして、これらの展示物を見ていることは間違いない。ティラヴァニ自身もまた、それを前提にしていることは疑うべくもないだろう。とするならば、ティラヴァニは自分が旅をした際に携帯した、使用した物を展示することで、何を意図しているのだろうか。それ以上に、それらの展示物を鑑賞するわれわれにいかなる効果-芸術的経験(?)をもたらそうとしているのだろうか。個人的な経験のドキュメンタリー(記録資料)を展示することで、既成のアート空間を揺さぶろうとしているのだろうか。いわゆる反・芸術的な身振り-公的・制度的なものへの、個人的なものがもつ文化的他者性の介入。そうした側面がないとも言えないが、今更、公的-私的という対立が有効とも思えないし、そうとらえることが生産的とも思えない。

ティラヴァニは美術館やギャラリーといったアート空間を脅かさそうとしているわけではないだろう。現代美術を見慣れていない鑑賞者にはそう見えることもあるかもしれないが・・・。ティラヴァニは美術館やギャラリーといったアート空間を前提にしているし、むしろそうしたアート空間を利用しているのではなかろうか。われわれが目にしている、鑑賞している場-空間は、たまたま訪れた友人のガレージではない。ギャラリーというアート空間である-それがどのような空間かは分からないままであるにしろ、明らかに友人のガレージとは異なる空間としてとらえられているということである。とするならば、ティラヴァニによって展示されたものはすでにして日常的な生活空間から、ティラヴァニの個人的な経験から引き離されている。ティラヴァニの展示物は、アート空間に日常的なもの、個人的なものをアート空間に導入したのでも、引き入れたのでもない。むしろギャラリーというアート空間が日常的なもの、個人的なものからの分離の機能を果たしている。分離・区別としてのアート空間。

ここでわれわれはアドルノの有名なエッセー「ヴァレリー プルースト 美術館」(『プリズメン』所収・ちくま学芸文庫・渡辺祐邦/三原弟平訳)を思い起こしても無駄ではないだろう。このアドルノのエッセーは、ヴァレリーとプルーストの美術館に対する見方を対比的に論じたものである。アドルノによれば、ヴァレリーは美術館を否定的に、プルーストは肯定的にとらえていることになる。このエッセーで主題化されている“美術館” (アドルノの論考はベンヤミンによる礼拝空間から展示空間への移行も踏まえている)をアート空間と読み直してみたい。ヴァレリーは美術館に展示される“芸術作品”を「直接的な生の連関から」引き離されたものとして、美術館を“芸術作品”の墓所ととらえる。美術館(ムゼーウム)と霊廟(マウゾレーム)。「絵画と彫刻は置き去りにされた子供たちなのだ」。「建築が彼らの母なのだが、その母は死んでしまった」。つまりもともとあった場所(建築空間)と時間(歴史的時間)から引き離されてしまった過去の“芸術作品”はその生を喪失してしまったというわけである。他方のプルーストは、美術館を「それらの作品が機能していた生あるものの秩序を喪失することによって、はじめてその真の自発性というものが解き放たれることになる」ととらえる。つまり過去の“芸術作品”をそのコンテクストから引き離すことで、純粋に“芸術”を鑑賞することができるということである。われわれが知っている一般的な文学史的イメージから言えば、「芸術のための芸術」を追求したヴァレリーこそがプルースト的立場に立つと思えるし、反対に記憶の、あるいは生の作家としてのプルーストこそがヴァレリーの立場に立つと思えるのだが・・・。

もちろん、ヴァレリーにとって、美術館が否定的な場としてあるのは、過去の“芸術作品”を「物象化と無関心が脅かしている」からだ。つまり、美術館が純粋に“芸術作品”を鑑賞する場ではなく、いわゆる消費の場になってしまっていることを嘆いているのである。“芸術作品”は優れた知性の持ち主にしか理解されないというわけだ。エリート主義者、共和主義者としてヴァレリー(笑)。他方のプルーストは、アドルノも指摘するように、アマチュアとしてプルーストはヴァレリー的なエリート主義から免れているように思える。われわれがここで問題にしたいのは、エリート主義者ヴァレリーとアマチュアとしてのプルーストの対比ではない。ヴァレリーも、プルーストも、美術館=アート空間を場所や歴史(時代)から引き離された場ととらえていることである。場所や歴史から引き離された空間-ホワイトキューブ、それこそが近代的なアート空間にほかならない。ロザリンド・クラウスが「展開された場における彫刻」(『オリ企て(モミュメントとしての彫刻)から切り離された領域」である。言うまでもなく、こうした(モダニズム的)アート空間は、その純粋さを標榜するがゆえに特権(エリート)化していく。と同時に資本主義的消費社会にあっては、その特権化はヴァレリーが言う「物象化」と裏表の関係を形成していくことになる。芸術至上主義者のヴァレリーが美術館を否定せざるを得ない矛盾はここにある。モダニズム的特権化がさらなる芸術の物象化を促進するというわけだ。であるがゆえに、反芸術的身振りとして、アート空間に日常的な既製品や自然の何でもないものが導入されることになる。

しかしわれわれは、分離・区別する(場所や時代から切り離す)というアート空間の機能をもう一度、再考する必要があるのではなかろうか。確かに、過去の“芸術作品(=絵画や彫刻)”をその場所や時代から切り離し鑑賞することは、 “芸術”という理念的なものを抽出することになるだろう。しかし、今現在ある日常品や既製品、個人的経験の資料がアート空間に持ち込まれ、すなわち分離・区別されたとしたらどのような効果がもたらされるのだろうか。

もう一度、ティラヴァニによる今回の展示を見てみよう。ティラヴァニが展示した旅の記録(資料)は、ギャラリー=アート空間に展示されることで、その旅の場所や時間から切り離されている。実際、われわれはこれらの展示物からティラヴァニの旅を再現することは不可能である。われわれがここで見るのは、ティラヴァニが旅に携帯した、あるいは使用したとされる物にすぎない。とするならば、われわれは権利上、場所や時代から離れて、これらの物を見ていることになる。博物館や民族博物館で、過去の生活道具や物を見ているようなものである。例えば、今から1000年後、ある一人の外国人が20001年に日本を旅した際に携帯した道具類の記録(資料)を見るというわけである。実際、ティラヴァニは最初の作品「無題1989( )」でも「・・・料理に関する最初の作品。観客が食べるためではなく、博物館的に展示した」と言っているし、「パッタイ」(1990)でも「・・・観客が何かを実際に食べる最初の参加型作品・・・ただし、文化的産物としての人類学的、博物学的展示はここでもかなり配慮した」と語っている。とするならば、ティラヴァニの意図は、われわれの身の回りにある日常品-ティラヴァニの場合、食や住まいに関する物が多いのが特徴だ-をアート空間に展示することで、その日常的な空間から分離・区別し、つまりはその有用性を引き離すことで、日常品そのものと対峙させようとしているのではなかろうか。その効果とはどのようなものでろうか。われわれはここでハイデガーがゴッホの「農婦靴の絵」について語ったことを思い出す(『芸術作品の根源』平凡社 関口浩訳)。ここでハイデガーは、農婦の靴が絵に描かれることにより、その有用性から離脱することで、逆に農婦の靴の有用性(道具の道具的存在)がむきだしにされることを語っている。アレーテイア(真理の開示)としての芸術作品。ここまで大げさに言う必要はないにしても、日常品を日常的な文脈(コンテクスト)から切り離すことで、日常的な文脈では対象化できなかったものを対象化できるということである(これは言うまでもなく、デュシャンが試みたことでもあり、写真の機能の一つでもある)。

こうしたアート空間の持つ分離・区別の機能に着目するならば、参加型と言われるティラヴァニの、展示会場で観客に料理を振る舞うというパフォーマンスの意味合いも違った風にとらえることはできないか。ティラヴァニが展示会場で料理をし、それを観客が食するというのは、一種のフィールドワークの再現であると同時に、われわれの日常的な生の営みとしての料理や食事から切り離された行為なのではなかろうか。

一般的に博物館や民族博物館が過去の時代の生活道具や物を展示するとすれば、あるいは空間的に隔たった(たとえば、未開民族のそれ)生活道具や物を展示するとすれば(実は、その場合も、空間的な隔たりを時間的な隔たりに還元しているのだが-遅れた文明として)、ティラヴァニの博物学的展示は、現在の生活道具であり、物である。われわれ日本人は、こうした学問的領域の存在を知らないわけではない。ご存知の考現学である。考現学は今和次郎によって提唱された学問であり、考古学に対比して造語されたものである。考古学が過去の物を対象とするのに対して、考現学は今現在ある物や風俗を学問の対象とすることで、現在の社会を解き明かそうとするものである。ティラヴァニの作品はまさに、この考現学としてアートのように思える。

仮に、ティラヴァニの作品が考現学としてのアートととらえることが可能だとすれば、その評価のポイントは単なる異文化体験にとどまるものなのか(つまり、文化的他者性の提示)、文化(あるいは“芸術)に対してのオルタナティブな見方をもたらしてくれるのか、あるいはわれわれが今経験しつつある文化の諸条件をあらわにしてくれているのか、ようするにクレア・ビショップが「敵対と関係性の美学」(『表象05』所収 星野太訳)で論じたように、「ミクロトピア」を作り上げる場なのか、それとも一つの「不調和、不和」をもたらす場なのかが問われることになるだろう。

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 11

2013年12月07日 | Weblog
写真の固有性という名の呪縛
日本の新進作家展vol.10「写真の飛躍」(東京都写真美術館)
大森克己写真展「すべては初めて起こる」(ポーラ ミュージアム アネックス)

写真のデジタル化以降、写真の原点-アナログ写真の手法への回帰が目立っている。いわゆるピンホールカメラやフォトグラムといった手法を使った写真のことである。東京都写真美術館で開かれていた日本の新進作家展vol.10「写真の飛躍」も、そんな傾向をもった展示会の一つであった。今回の新進作家展では、60年代後半生まれの添野和幸や北野謙を筆頭に、70年代前半生まれの佐野陽一、春木麻衣子、そして80年代生まれの西野壮平の5人が紹介されていた。本来なら、個々の作家の作品について言及すべきだろうが、この新進作家展の狙いというか、写真の原点への回帰という問題について考えてみたい。その意味では、この展示のキュレーションそのものを問題の俎上に乗せることになるかもしれない。

本論に入る前に、この展覧会カタログの解説(「写真の飛躍-視覚の古層から」丹羽晴美)に、非常な違和感を覚えたことを書いておきたい。その冒頭に、「2011年3月11日以後、写真の意味が変質した」というようなことが枕言葉のように書かれている。しかし、誰が見ても明らかのように、ここで展示されている作家たちの作品と東日本大震災とは、いかなる関係もない。実際、彼らは東日本震災以前から同じような作品を制作している。「2011年3月11日」を引き合いに出すことで、あたかも何らかのアクチュアリティを得ることができるかもしれないという姿勢には、断固意義を差し挟みたい。仮に、東日本大震災以後、写真(あるいは作品)を見る“見方”が変化したと言いたいならば、鑑賞者の“まなざし”の変容と彼らの展示作品との関係に言及すべきだろう。ただ安易に東日本大震災と結びつけて作品を語ろうとする姿勢は、断固慎まなければならない。

さて、今回の新進作家展では、5人の作家たちが紹介されている。それぞれに共通しているのは、フォトグラム、コラージュ、ピンホールカメラ、多重露光、露出(オーバー/アンダー)といった、写真の技法を用いた作品であるということだ。これらの作品は、個々の作家たちの意図は置くとして、この展示を企画したキュレーターは明らかに、アナログ写真の技法をデジタルイメージに対置している。そこには、デジタル革命によって真のイメージ(?)が脅かされている、それに対抗するためにはアナログ写真がもつ特性(化学的感光過程)を対抗させなければならないというわけである。その根拠としているのが、「写真が日常の中で無意識に過ごしてしまう些細なものや言葉にできない感触、つかもうとしても指の間からこぼれ落ちてしまうような感覚を顕在化できるからだ。実はそういった砂粒のような現実に私たちの日常や記憶、認識といったものは支えられ、生成されている。そのことに気づかせてくれるメディア、それが写真なのである」ということらしい。それが何故、写真の原点に結びつくのか、分からない。この、いわば微細な知覚を顕在化してくれるのは、別にアナログ写真に限らないし、おそらくデジタル写真にも可能であるだろうし、いや言葉にさえ可能だろう。そうでないならば、“文学”とはいったい何であろう(笑)。いずれにしても、「日常の中で無意識に過ごしてしまう些細なものや言葉にできない感触、つかもうとしても指の間からこぼれ落ちてしまうような感覚を顕在化」してくれるのは、写真の専売特許ではないし、写真がその特権性を有しているわけでもない。むしろ、ジャック・ランシェールが正しく指摘するように、写真に先立ってバルザックやゾラ、フローベルらの写実主義文学こそが微細な知覚を描写しようとしたのではなかったか(ジャック・ランシェール「イメージの運命」を参照のこと)。

確かに、写真は肉眼では見えないものを見えるようにした。そしてそこに、モダニズム写真は裸の事物を、言葉を逃れる純粋な視覚を、表象を中断する知覚を見出した。もちろん、それだけではない。写真は空間的、時間的隔たりをも可視化し、現前化した。ベンヤミンの視覚的無意識、バルトのプンクトゥム・・・・・・。そしておそらく、ベンヤミンも、バルトも、その特権性を写真という技術的特性に還元したと言えるだろう。

ベンヤミンも、バルトも、そして展覧会カタログを書いた丹羽晴美氏も、写真という技術は見えないものを見えるように、あるいは意識を逃れるものを現前化したということであろう。そしておそらく、丹羽晴美氏はベンヤミンやバルトを踏まえた上で、写真の原点=化学的感光過程こそが、裸の事物を、純粋な視覚を具現化すると主張したいのであろう。確かに、西野壮平を除いて、添野和幸も、北野兼も、佐野陽一も、春木麻衣子も、化学的感光過程を主要なモチーフとしている。

(肉眼では)見えないものを見えるようにすること、あるいは言葉(意識)ではとらえられないものを可視化すること、そしてそれが得られるとすれば、メディウムの特性、固有性、つまりメディウムの純粋性に準拠する限りにおいてである。それこそがモダニズム写真、モダニズム絵画が求めたものであろう。しかし、モダニズム写真が求めた(とりあえず、モダニズム絵画については保留するが)裸の事物とは、あくまでも写真以前の視覚(絵画的視覚)に対する視覚、つまり相対的なものに過ぎないことはいまや明らかであろう。写真もまた一つの画像であり、裸の事物といったユートピアを実現するものではない。とするならば、写真の原点を求めることは、裸の事物といった、見えなかったものを実体化し、写真の客観性という神話を再び呼び戻すことにならないか。写真は、実は見えないものを見えるようにしたのではなくて、もし仮に写真にその固有な力を見出すとすれば、むしろ見えるものと見えないものの関係を撹乱したことではないだろうか。

今回の新進作家展vol.10「写真の飛躍」の意図は、写真の原点(=化学的感光過程)に、裸の事物といった真なるイメージ(イメージの他性)を求めているとしか思えない。しかし、北野兼や西野壮平の作品はむしろ、写真の原点という根拠にこそ、疑いを見出し、裏切ろうとしてはいないか。例えば、数十枚の肖像写真を多重露光して一人の人物の肖像写真にしている北野謙の作品は、反・ポートレート写真ではなかろうか。ポートレート写真はその機械の眼によって、絵画では得られない人物の特徴を抉り出す。しかし、北野謙の作品が提示しているのは、そのまったく逆の事態ではなかろうか。写真はある人物の個性を抉り出すどころか、反対にその個性を曖昧化し、凡庸化し、一般化してしまうことを語っているのではないか。

西野壮平の作品もまた、写真という断片的イメージが現実を全体化してしまうということに抗おうとしているのではないか。西野の作品は、自ら撮影した世界の都市の何千枚もの写真をコラージュし、古地図のようなマップに仕上げたものである。手作業によって一枚一枚コラージュされることによって、ヒエロニムス・ボスやブリューゲルの絵画を思わせるグロテスクな都市の相貌が浮かび上がらせている。写真のコラージュという手法を使っているが、西野の作品だけが唯一、化学的感光過程とは外れたところで、写真を問題にしている気がする。いわば、写真を絵の具のように使った切り絵のようなものと言えるかもしれない。しかし、その絵の具とも言える写真は、自らが都市を回り、実際に撮影したものであり、身体的な記憶が刻まれたものである。西野のグロテスクな都市マップは、西野の身体的な介入による都市のデフォルメであり、写真の断片性が都市という表象の全体性を脅かしていると言えないか。

結論めいたことを書くつもりはないが、果たしていま、写真の原点(=化学的感光過程)にイメージの他性、あるいは真のイメージを求めることに意味があるのだろうか。というよりも、化学的感光過程を根拠にしたイメージに、イメージの他性(それをリアリティとい言葉に置き換えてもいいが・・・)というものがあるのだろうか。疑わざるを得ない。

「写真の原点への回帰」を回避することで、見えないものを見えるようにしようと試みているのが、大森克己写真展「すべては初めて起こる」ではなかろうか。その意味では、大森の試みにアクチュアリティを感じるし、その真摯さを評価したい気がする。

今回の大森克己の作品は、東日本大震災の被害を受けた福島を撮ったものである。大森克己は被災地の桜を撮ろうと思い立ち、被災地・福島に出向いたようである。ここで写されているのは、桜の咲いた住宅地であったり、山間であったり、きわめて平凡な桜のある風景が写しだされている。それに混じって、津波の爪跡を写した写真も紛れ込んでいる。しかし、これらの写真にはまるで心霊写真のようにピンク色をした光が写し込まれている。言うまでもなく、ピンク色の光の写し込みは、偶然的なものではなく、大森克己が意図して写り込ませたものである。とするならば、このピンク色の光こそが、今回の作品のキーとなろう。

ところで、大森克己は写真集『チェリーブロッサム』で、桜をモチーフにした作品を発表している。ここでもまた、山や森、住宅街・・・の、桜のある風景がとらえられている。この写真集では、目に見える桜に対して、桜が与える目に見えない微妙な知覚を可視化しようとしていたように思える。その意味では、先の丹羽晴美氏が語る「日常の中で無意識に過ごしてしまう些細なものや言葉にできない感触、つかもうとしても指の間からこぼれ落ちてしまうような感覚を顕在化」したものと言えるかもしれない。

しかし、今回の作品は、見えないものを見えるようにすることが本当にできるのか、という問題意識を前面に出しているように思える。言葉を変えて言えば、写真によって目に見えないものを見えるようにすることができるのか、ということである。おそらく、大森克己が真摯に向き合おうとしたのが、東日本大震災がもたらした、想像を絶する光景、そのあり様、あるいは被災者が受けた被害、さらには放射能という目に見えないものを可視化し、現前させることができるかということである。おそらく、大森克己は『チェリーブロッサム』では可能だったもの(微細なものの可視化等々)が、東日本大震災の悲劇の前では、不可能であると感じたのではなかろうか。写真による過剰な物質的現前がむしろ、今回の出来事の特異性を裏切ってしまう。あるいは写真的な現前が出来事の実存の重みを排除してしまう。テレビで流された続けた津波の映像がまさにそのことを証明している。

表象不可能性。おそらく(またおそらく、で申し訳ない)、大森克己はこの表象不可能性に対峙したのであろう。表象不可能なものに対峙した時、できることは「表象不可能である」と証言するしかない。それこそがピンク色の光-偽の桜色であり、カメラという装置の痕跡(影)を残すことではなかったか。今回の「すべては初めて起こる」は、写真表現の限界を提示しようとしているのではなかろうか。しかしわれわれは、「表象不可能性」や「写真の限界」ととらえることに異議を唱えたいと思う。むしろ、モダニズム写真が追求してきた、見えるものを見えるようにするという写真の固有性こそを問題にすべきではないだろうか。われわれは、大森克己の「すべては初めて起こる」をきわめて真摯な姿勢として高く評価しつつも、写真の限界と言うよりも、大森の写真に対する考え方の限界ととらえたい。それこそが、大森克己の試みに真摯に応えることになるのではないだろうか。

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