陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

これは  にほんの一のこふきや

2017-07-07 15:55:56 |  エッセイ
おふでさき十二号です。

  このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや 十二 101
   このたすけ一寸の事やと思うなよ これは日本の一のこふきや
 「このたすけ」 ― 95「疱瘡せん世に確か請け合う」、96「いつも豊作教えたい」
 そして、それは「日本の一のこふきや」と歌っていることで、「この道」にとっては欠かすことの出来ない重要な教理であることは伝わってくる。
 おふでさきには、この「一のこふき」と言っている「一の」という語は、他に「一の残念」、「一の神」、「一のこふき」、「一のどふぐ」、「一の宝」という使い方がある。そこで「一」の語をもう少し掘り下げ、理解を深くして「一のこふき」と歌う月日の心に近づいてみたい。

 「一」について、「道」を説き明かす『老子』、その39章が整った詩にして伝えている。
 『全ての始まりである「一」を得たもの』という見出しがあって、
  天得一以清 天は一を得て清く澄み渡り、
  地得一以寧 地は一を得て以て寧く、
  神得一以靈 神は一を得て以て霊妙に、
  谷得一以盈 谷は一を得て以て盈(み)ち、
  万萬物得一以生 万物は一を得て以て生じ、
  侯王得一以爲天下貞 候王は一を得て以て天下の貞であった。
 天、地、神、谷、万物、侯王は、全て「一」を得たからそれとして働ける。六者は重要なものの代表のこと。「一」とは「道」にほかならない。
 ここで述べている6者におふでさきの中の同じ意味の語を重ねてみると、
 「天」「地」 ― 「この世の地と天とは実の親」十54
 「神」 ― 「この世の創まりだしは月日なり」八15
 「谷得一以盈]の「谷」とは、女性器を指し、万物を生みだす根源をあらわす ― 「この元はイザナギとイザナミ、身の内よりのほん真ん中や」十七6 ― 「これハにほんの一の宝
 「万萬物得一以生」は、全ての生命と立毛を含めた全ての物 ― おつとめで万萬物がつながり合って調和する姿を演じるつとめ人衆 ― 「イザナギとイザナミとが一の神」六52、「月ヨミとクニサズチとクモヨミとカシコ-ネとが一のどうぐや」十二143、「ヲフトノベとゆうのハな、立毛の一のどうぐや」144 ― 「一の神」、「一のどうぐ」

 そして、6番目の侯王得一以爲天下貞については102~104で、
  これさいかはやくしいかりみせたなら とのよな高いところなるとも 十二 102
   これさいか早くしっかり見せたなら どの様な高いところなるとも
 「高いところ」 ― 侯王得一以爲天下貞 ― 天地万物、存在のすべては、唯一の根源者としての「道」をふまえてこそ、それぞれに安定してその働きを遂げることができる。それに倣って世の支配者たちもまた、「道」を体得してそれを踏みはずさない政治を行なってこそ、その地位を保ってゆける、と諭している。

 老子のこの章では「神」という存在が登場しています。その中で神でさえも「一つなる存在」が宿るか否かで左右されると言っていることを、やはりこの号の「口は月日が皆借りて」と翻訳することでピッタリと治まる。人間の存在があってその人間が認識することで神の存在があると歌って、人間も神と同じ「一をもつ」尊い存在と言っている。
 だから、人間は何かと比較したり、頼んだり、苦悩したり、自分を卑下する必要はない。人間が氣づくべき最も大切なことは、自分の内に内在する「一つの存在」、月日から借りている「月日の心」が宿っていることです。これを人間は、自分の外部に探し始めるが、その「月日の心」に気づけば、それが人生の大きなゴール。何処にも行く必要がないし、偉い先生に会う必要もない。「一」を得ているから、そのものでそれとして働けばいいということ。

 「疱瘡せん世」、「いつも豊作」という陽気づくめを伝える「このたすけ」こそ、「日本の一のこふき」 ― そこには「この道」に凭れて生きていくという人生、その人生の「一の」肥、生命が息づいているのです。


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講



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