おふでさき十一号です。
68で「にほんにこうきみな拵える」と言って
そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで 十一 70
そのうちに中山家氏という屋敷 人間創じめ道具見えるで
このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり 十一 71
この道具イザナギとイザナミと クニサズチと月ヨミとなり
「こふき」についてはおふでさき五号で、みき様の教えを聞き「この道」をともに歩んで行こうという人々の道標となる「こふき」をつくり上げることが急がれる。そのために85で「この世の元始まり創まりの根を掘らそ」と歌ってこの号をおさめている。明治7年5月執筆のこの五号は、8の歌で「親子でも夫婦の中も兄弟も、みな銘々に心違うで」と、中山家の当時のありさまを赤裸々に語っている。これはその前の歌「神も仏もある」 ― 「神」は秀司さんの天皇家の先祖の神を祀る信仰。「仏」はみき様が説く「仏」教の転輪王を母体とする信仰のこと。同じ屋敷内で親子、兄弟の心をこのように違った方向に向けるのではなく、みなで「神に凭れる心」を定めて歩む姿を見せて、それを「この道」の末代の「こふき」にしてくれるように、と歌っているのです。
それから一年後(明治8年6月)に、執筆したのがこの十一号です。
ここまでの歌から、中山家の人々の心は依然として、みき様の「真実に思う心」に対して「銘々の思案」があって一つ方向に治まっていない(5)― 秀司さんは「神」を祀り続けて、拝み祈祷を固持する。小寒さんは、惣治郎さんの拝み祈祷(三45)と我が身思案の仕事を強要される。そして、ともに本来の自分を完全に見失って、周りの人に操られて勇めない、その結果として病に伏すという状況がある。そういう姿勢に向けて、「月日よりそれを見澄まし天下り」 ― みき様に神が天下り、「神の社」と定まったことは、みき様に家族があって、その家族ともども月日が説き聞かす「道」の教えどおりに歩む。その歩む道が世界中の人々、世界中の家族が目指す道案内となって、陽気づくめが世界中にいきわたる。そういうひながたを演じてもらいたいという神の思惑に同意したということ。
その(立教の)元一日を呼び起こすように「何か万づを仕込む模樣を」と言って次の歌で、「月日の思うように、真実を言う」と語り始めて、中山家の家族とみき様(月日)の向ける「意識」が一つとなる。さらに秀司さんの周りのまつゑさんと取り巻き。小寒さんを手放さない惣治郎さんとその家族ら全ての人々の「意識」が一つとなって、新たに踏み出すことのできる鋭い「案」、「道」を提案するのです。
そして秀司、小寒さんにその「道」を選択するか、と迫る場面が展開されるのです。
どの様な事を言うにもみな月日 側なる者は真似をしてみよ
いか程の剛敵たるも発明でも 月日の心これは敵わん
選択する人が やがて追い込まれていくのは
無限の可能性と 分離していくから……
あるがまま受容する人が やがて満たされていくのは
無限の可能性と 融合していくから……
選ぶも選択 選ばないも選択……
… …
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中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
68で「にほんにこうきみな拵える」と言って
そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで 十一 70
そのうちに中山家氏という屋敷 人間創じめ道具見えるで
このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり 十一 71
この道具イザナギとイザナミと クニサズチと月ヨミとなり
「こふき」についてはおふでさき五号で、みき様の教えを聞き「この道」をともに歩んで行こうという人々の道標となる「こふき」をつくり上げることが急がれる。そのために85で「この世の元始まり創まりの根を掘らそ」と歌ってこの号をおさめている。明治7年5月執筆のこの五号は、8の歌で「親子でも夫婦の中も兄弟も、みな銘々に心違うで」と、中山家の当時のありさまを赤裸々に語っている。これはその前の歌「神も仏もある」 ― 「神」は秀司さんの天皇家の先祖の神を祀る信仰。「仏」はみき様が説く「仏」教の転輪王を母体とする信仰のこと。同じ屋敷内で親子、兄弟の心をこのように違った方向に向けるのではなく、みなで「神に凭れる心」を定めて歩む姿を見せて、それを「この道」の末代の「こふき」にしてくれるように、と歌っているのです。
それから一年後(明治8年6月)に、執筆したのがこの十一号です。
ここまでの歌から、中山家の人々の心は依然として、みき様の「真実に思う心」に対して「銘々の思案」があって一つ方向に治まっていない(5)― 秀司さんは「神」を祀り続けて、拝み祈祷を固持する。小寒さんは、惣治郎さんの拝み祈祷(三45)と我が身思案の仕事を強要される。そして、ともに本来の自分を完全に見失って、周りの人に操られて勇めない、その結果として病に伏すという状況がある。そういう姿勢に向けて、「月日よりそれを見澄まし天下り」 ― みき様に神が天下り、「神の社」と定まったことは、みき様に家族があって、その家族ともども月日が説き聞かす「道」の教えどおりに歩む。その歩む道が世界中の人々、世界中の家族が目指す道案内となって、陽気づくめが世界中にいきわたる。そういうひながたを演じてもらいたいという神の思惑に同意したということ。
その(立教の)元一日を呼び起こすように「何か万づを仕込む模樣を」と言って次の歌で、「月日の思うように、真実を言う」と語り始めて、中山家の家族とみき様(月日)の向ける「意識」が一つとなる。さらに秀司さんの周りのまつゑさんと取り巻き。小寒さんを手放さない惣治郎さんとその家族ら全ての人々の「意識」が一つとなって、新たに踏み出すことのできる鋭い「案」、「道」を提案するのです。
そして秀司、小寒さんにその「道」を選択するか、と迫る場面が展開されるのです。
どの様な事を言うにもみな月日 側なる者は真似をしてみよ
いか程の剛敵たるも発明でも 月日の心これは敵わん
選択する人が やがて追い込まれていくのは
無限の可能性と 分離していくから……
あるがまま受容する人が やがて満たされていくのは
無限の可能性と 融合していくから……
選ぶも選択 選ばないも選択……
… …
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中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講