おふでさき十二号です。
175で「この話し月日の仕事これを見よ、心次第に何をするやら」 ― 我が子人間に人はみな「口は人間、心月日や」とありのままに伝えた。それに気づき、神の子として生まれ変わるなら、受け入れた子供のその真実に神が働いて、効があらわれこと(182)を伝えて、次の176から、この号のまとめに入る。
181で「この話し月日の心ばかりやで、人間心あると思うな」、と「この道」は「月日の心あるばかり」と念押しして、
この事をみな一れつハしんちつに をもてたのめばどんな事でも 十二 182
この事をみな一列は真実に 思て頼めばどんな事でも
この最後の182の歌は、「月日体内入り込む」話し(157~163、170~175)の間に挿入した「高山」に問いかけた歌(167~169)へ解答を与える形となっている。
にちへに高山にてわだんへと どんな事をばたのみたつねる 十二 168
日々に高山にてはだんだんと どんな事をば頼み尋ねる
これさいかみゑきたならばどのよふな 事もあふなきさらにないぞや 十二 169
これさいか見えきたならばどの様な 事も危なき更にないぞや
小寒さん亡きあとの十二号からは、歌の対象は秀司さん(とまつゑさん)が主となって話しが進められていく。そのことはこの号の次の語彙などから見えてくる ― 「いかほど我が身はびかりて、ままにしたとて月日退く」、「それよりも身の内悩みさらに無し」、「側なるは仕事ばかりを思ている」、「まだじっくりとしたるなれども」、「高いところでみなあらわす」、「嘘と追従これきらい」、「身の内よりに確か試しを」、「年限は39年も以前にて」など。
だから168の「高山」は、秀司さん(夫妻ととりまき)のことと分かる。その者が「どんな事をば頼みたずねる」 ― したい、やり遂げたい事。さらに手に入れたい、と欲しい物が山ほどあるようだから、その全てが叶う方法、心構え、「これさいか見えきたなら」をとくと聞かせるから、耳を傾けてよく聞きなさい。
「人間心」は、物への執着が強いから、求めるものは大きく、多く、強くと際限ないが、それだけに敵も多いから、獲得するにも制限されてしまい、いつでも不満という状況にある。
「真実に思て頼めば」 ― おつとめで「心が澄まされ」て、「月日が体内に籠もりいる」と実感できれば「芯の心」があらわれて、物への執着がなくなる。求めるものは、必要なものだけに限定されるから、敵はなくなる。たとえ目の前に気に食わないと思われる人が現れても、「今日まで」の自分の心の内を反映したもので、相手は「明日から」を目指す自らのケジメをつけてくれる相棒だと感謝できるようになる。そこには一切の敵は存在しない―「危なきさらにないぞや」―「思て頼めばどんな事でも」と成ってくるのです。
十二号は、「心を澄ます」とその胸の内に「月日が入り込」んで「芯の心」があらわれる。そこに「頼めばどんな事でも」という「効」が授かる、と歌って「守り拵え」の神髓をも伝授する。
思考で 欲しい人生ではなく
意識が用意している人生を 受容する時
人生は 思いも寄らぬ変容を体験する
k-zerostyle
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
175で「この話し月日の仕事これを見よ、心次第に何をするやら」 ― 我が子人間に人はみな「口は人間、心月日や」とありのままに伝えた。それに気づき、神の子として生まれ変わるなら、受け入れた子供のその真実に神が働いて、効があらわれこと(182)を伝えて、次の176から、この号のまとめに入る。
181で「この話し月日の心ばかりやで、人間心あると思うな」、と「この道」は「月日の心あるばかり」と念押しして、
この事をみな一れつハしんちつに をもてたのめばどんな事でも 十二 182
この事をみな一列は真実に 思て頼めばどんな事でも
この最後の182の歌は、「月日体内入り込む」話し(157~163、170~175)の間に挿入した「高山」に問いかけた歌(167~169)へ解答を与える形となっている。
にちへに高山にてわだんへと どんな事をばたのみたつねる 十二 168
日々に高山にてはだんだんと どんな事をば頼み尋ねる
これさいかみゑきたならばどのよふな 事もあふなきさらにないぞや 十二 169
これさいか見えきたならばどの様な 事も危なき更にないぞや
小寒さん亡きあとの十二号からは、歌の対象は秀司さん(とまつゑさん)が主となって話しが進められていく。そのことはこの号の次の語彙などから見えてくる ― 「いかほど我が身はびかりて、ままにしたとて月日退く」、「それよりも身の内悩みさらに無し」、「側なるは仕事ばかりを思ている」、「まだじっくりとしたるなれども」、「高いところでみなあらわす」、「嘘と追従これきらい」、「身の内よりに確か試しを」、「年限は39年も以前にて」など。
だから168の「高山」は、秀司さん(夫妻ととりまき)のことと分かる。その者が「どんな事をば頼みたずねる」 ― したい、やり遂げたい事。さらに手に入れたい、と欲しい物が山ほどあるようだから、その全てが叶う方法、心構え、「これさいか見えきたなら」をとくと聞かせるから、耳を傾けてよく聞きなさい。
「人間心」は、物への執着が強いから、求めるものは大きく、多く、強くと際限ないが、それだけに敵も多いから、獲得するにも制限されてしまい、いつでも不満という状況にある。
「真実に思て頼めば」 ― おつとめで「心が澄まされ」て、「月日が体内に籠もりいる」と実感できれば「芯の心」があらわれて、物への執着がなくなる。求めるものは、必要なものだけに限定されるから、敵はなくなる。たとえ目の前に気に食わないと思われる人が現れても、「今日まで」の自分の心の内を反映したもので、相手は「明日から」を目指す自らのケジメをつけてくれる相棒だと感謝できるようになる。そこには一切の敵は存在しない―「危なきさらにないぞや」―「思て頼めばどんな事でも」と成ってくるのです。
十二号は、「心を澄ます」とその胸の内に「月日が入り込」んで「芯の心」があらわれる。そこに「頼めばどんな事でも」という「効」が授かる、と歌って「守り拵え」の神髓をも伝授する。
思考で 欲しい人生ではなく
意識が用意している人生を 受容する時
人生は 思いも寄らぬ変容を体験する
k-zerostyle
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講