陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

病まず死なず弱らんの  証拠出そ

2017-07-11 19:54:04 |  エッセイ
 おふでさき十二号です。

 80で「このそうじ澄きやかしたる事ならば、そのまま直ぐに守り拵え」と歌っている「守り拵え」、その話しの内容を歌っているのが、95「疱瘡せん世に確か請け合う」、96「いつも豊作教えたいから」です。それぞれの意味は
 「疱瘡せんよに」 ― 迷信、因習などの古いルールに縛られ、それに従うことで幼児の生命を絶つことがない「疱瘡せんよに」なるために、「ほうそう許し」を出して、人々を「思考」、因習から解放させること。
 「いつも豊作教えたい」 ― 「いつも」です。立毛、作物にとっては程よい雨と日照りが必要で、どちらも多すぎても少なすぎても不作となることは必定。だから、この歌は現実の形の世界の話しではない ― 物を多く持つことで豊かさを味わうのではない。「こゑのさづけ」で、「さんざい心」に目覚めて、調和に生きる自分がその調和の波動に共振して「勇みの手」を振る勇む姿、そういう自分の生き方に喜びと豊かさを感じる。その心を「いつも豊作」と表現している。ここに永遠の「大和は豊年や」、「取りめが定まりた」の世界が展開する。

 「ほうそう許し」という因習からの解放と「こゑのさづけ」で生き方の根を「物」から「心」、人間思案の「思考」から神の「意識」へ転換することが原資となって「病まず死なず弱わらん」という「証拠守り」が自身の身に備わってくる。
  月日よりやますしなすによわらんの はやくしよこふだそとをもへど 十二 105
   月日より病まず死なず弱わらんの 早く証拠出そと思えど
 「病まず死なず弱わらん」は、おふでさき十二号のここまでに、三、四、六、十、十一号で表現されている。そしてその表現を解説するようにその前後には「証拠守り」、「天の与え」という言葉を連ねているが、それとともに「心澄ます」、「神に凭れる」、「おつとめする」などの言葉を添付して、それを「病まず死なず弱わらん」の「さづけ」を授けるための心構えとしている。

 そのことを、この十二号では、
  いかほどにむつかしよふにをもたとて 月日ひきうけあんちないぞや 十二 71
   如何ほどに難しように思たとて 月日引き受け案じないぞや
 「口は人間、心月日や」 ― 人は誰でも創造者として、自分の人生を自由に生きることができる。その自由を生みだすために一人一人の体内の奥深くには、月日の「意識」が宿仕込んであるから、そのことを「いか程に難しく様に思もたとて」、銘々がそのまま受け入れるなら、それを月日が汲んで、皆をしっかり「引き受ける」から、もう何も「案じないぞや! 」と優しく親心で諭している。
 現状を、そのままに受け入れることで、この世宇宙、神とつながって、自分の人生を神の子、創造者として悠々と生きていけるのです。

  このはなしとこの事やとをもうかな 高いところでみなあらわすで 十二 75
   この話何処の事やと思うかな 高い所でみな表すで
 それを「恨みあるなら」、受け入れることはできない。あくまでも自分の力でやって見せるなどと「高いところ」振って突き進んでも、人間一人の力など知れたものだから、いずれ行き詰まることは明白。自分の価値に目覚めることもなく、無意識に生涯を過ごすことになってしまう。だから、神の「意識」を備えた人間としての価値に目覚めるように、「月日がみな返す-69」 ― この旬にそのような「高いところ」へ焦点を定めて、何としても分からせて、神の子としての存在感、尊厳を気づかせよう! 
 そこに、「高いところ」という物に執着する「思考」も萎んで(102~104)、「病まず死なず弱わらん」という「証拠守り」、「この道」の心髄も届くようになろう。


     人生の主役で在る限り 現状からは逃れられない
     主役という小さな枠を 捨て去る時
     創造主たるあなたが 覚醒する
                       k-zerostyle


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講
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