おふでさき四号です。
104~106の歌は、「上は、見えたる事を言う」、それに対して「神は、見えん事を言う」、と歌っている。それは具体的にはどういうことか。
人は誰でも、否が応でも見えるところの物質世界の環境の中での存在です。しかし、実は神の子である一人一人はその物質世界の目で見えるより、はるかに大きな存在のはず。本当は人はみな神の「意識」を宿した生命の延長でもあるということを言っている。
これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで 四 107
これから世界中の胸の内 上下ともに分けてみせるで
それでは、私たちは本当は何者なのか。どうすれば、この物質世界に生れた目的を知ることができるかを理解するためには、見えるところと見えないところの両方が存在していることを感じ、それらの相互関係を理解することが重要になる。
物質世界にいれば、あらゆる環境にめぐまれている人、一人ぼっちの人。堅実な職業についている人、まともな職業にありつけない人。金持ちと貧乏などこの世にはいろいろとある。けれども、本当の自分を知って本当の自分を生きることを知ることの重みを考えれば、それを学びたいという人の身分、立場の上下などの区別を問うことはあり得ない。この真理を全ての人に分け(分からせ)てみせよう、と言っているのです。
これをみよせかいもうちもへたてない むねのうちよりそふぢするぞや 四 108
これを見よ世界も内も隔てない 胸の内より掃除するぞや
それを聞き分けるためには、ただ耳を貸せばいいという訳にはいかない。物質世界で駆使している我身思案の「思考」のエゴのままでは、目に見えない世界のことなど知る由もない。そのために「胸の内」を掃除する必要があるのです。
一切の人間思案の「思考」がなくなれば、神の子である自分の体内奥深くに宿るこの世の根源的な存在、大自然をも左右するという、その神の「意識」を感じることができる。それが実感できれば、もう誰か、何かと比較したり、そのため悩んだり、苦悩したり自分を卑下する必要はがなくなる(109、110)。
人間が氣づくべき最も大切なことは自分自身に内在するこの神の「意識」です。これを人間は誰もが自分の外部に探し求めるのです。しかし、それがいつまでたってつかめないから、外に安心を求めて長い苦労の人生の旅をすることになる。
だから、おつとめを教えたのです。そして、(91~103) それを一日も早く、一人でも多くの人に分からせるためにおつとめを世界中に広めるように急き込んでいる。そのおつとめをすることで「唐の地」が「日本の地」となり、多くの人が必死で外に求めていた安らぎを、自分の中に見出して、「病まず死なず弱りなき」という永遠の安らぎを得ることができるのです。
これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや 四 118
これ聞いてみな一列は思案せよ 何か万づは心次第や
112~115― 今までは、恵まれない環境にある人々を中心として教えを説いてきているが、この見えない世界を知ることの計り知れない価値を思えば、「世界も内も隔てない」、上だ下だの身分はどうだっていい、誰でもこの「今」を自分の体内に宿る神の「意識」とつながることで、本当の自分を知らねばならない。
もう、何処にも行く必要もない。すごい霊験を求める、偉い先生を探す必要など全くなくなるのです。
自分の価値に目覚めて、自分に授かった神の「意識」を生かしきるとき、「神の自由を知る」ことができるのです。これに勝るものがあるでしょうか。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
104~106の歌は、「上は、見えたる事を言う」、それに対して「神は、見えん事を言う」、と歌っている。それは具体的にはどういうことか。
人は誰でも、否が応でも見えるところの物質世界の環境の中での存在です。しかし、実は神の子である一人一人はその物質世界の目で見えるより、はるかに大きな存在のはず。本当は人はみな神の「意識」を宿した生命の延長でもあるということを言っている。
これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで 四 107
これから世界中の胸の内 上下ともに分けてみせるで
それでは、私たちは本当は何者なのか。どうすれば、この物質世界に生れた目的を知ることができるかを理解するためには、見えるところと見えないところの両方が存在していることを感じ、それらの相互関係を理解することが重要になる。
物質世界にいれば、あらゆる環境にめぐまれている人、一人ぼっちの人。堅実な職業についている人、まともな職業にありつけない人。金持ちと貧乏などこの世にはいろいろとある。けれども、本当の自分を知って本当の自分を生きることを知ることの重みを考えれば、それを学びたいという人の身分、立場の上下などの区別を問うことはあり得ない。この真理を全ての人に分け(分からせ)てみせよう、と言っているのです。
これをみよせかいもうちもへたてない むねのうちよりそふぢするぞや 四 108
これを見よ世界も内も隔てない 胸の内より掃除するぞや
それを聞き分けるためには、ただ耳を貸せばいいという訳にはいかない。物質世界で駆使している我身思案の「思考」のエゴのままでは、目に見えない世界のことなど知る由もない。そのために「胸の内」を掃除する必要があるのです。
一切の人間思案の「思考」がなくなれば、神の子である自分の体内奥深くに宿るこの世の根源的な存在、大自然をも左右するという、その神の「意識」を感じることができる。それが実感できれば、もう誰か、何かと比較したり、そのため悩んだり、苦悩したり自分を卑下する必要はがなくなる(109、110)。
人間が氣づくべき最も大切なことは自分自身に内在するこの神の「意識」です。これを人間は誰もが自分の外部に探し求めるのです。しかし、それがいつまでたってつかめないから、外に安心を求めて長い苦労の人生の旅をすることになる。
だから、おつとめを教えたのです。そして、(91~103) それを一日も早く、一人でも多くの人に分からせるためにおつとめを世界中に広めるように急き込んでいる。そのおつとめをすることで「唐の地」が「日本の地」となり、多くの人が必死で外に求めていた安らぎを、自分の中に見出して、「病まず死なず弱りなき」という永遠の安らぎを得ることができるのです。
これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや 四 118
これ聞いてみな一列は思案せよ 何か万づは心次第や
112~115― 今までは、恵まれない環境にある人々を中心として教えを説いてきているが、この見えない世界を知ることの計り知れない価値を思えば、「世界も内も隔てない」、上だ下だの身分はどうだっていい、誰でもこの「今」を自分の体内に宿る神の「意識」とつながることで、本当の自分を知らねばならない。
もう、何処にも行く必要もない。すごい霊験を求める、偉い先生を探す必要など全くなくなるのです。
自分の価値に目覚めて、自分に授かった神の「意識」を生かしきるとき、「神の自由を知る」ことができるのです。これに勝るものがあるでしょうか。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講