おふでさき十三号です。
みき様は、幼少の頃、寺子屋へ通った。何を主に学んだかと考えるとき、その時代武士、商人あるいは高山と称する層は儒教が主な教材であった。「儒教」の場合は権力者、男性には有利、『女子と小人は養いがたしと為す』だから庶民、女性を軽視する学問であった。その儒教を批判する立場で語っている道家の『老子』は弱者である庶民、女性に有利な学問であったから、その多くは『老子』に親しみを感じていたようだ。
みき様が教えを語るとき、「道」、「この道」という表現が多い。「道」を説く学問といえば、『老子』がそれなりと言っていい。更に「この道」、「病まず死なず弱りなき」を象徴する「かんろだいづとめ」の目標は、『老子』の中にある『谷得一以盈』と合致する。 ― 「谷」とは、女性器を指し、それは万物を生みだす根源だから、正しく「イザナギ、イザナミの身の内のほん真ん中」そのものと言っていい。
だから、「この道」の思想的な由来を上げるなら、みかぐらうたの各下りで締めくくる『南無…南無…』と称える浄土宗に連ねて『老子』を上げることができる。
一けふまでわなにかしんばいしたなれど あすにちからわをふくハんのみち 十三 1
一 今日までは何か心配したなれど 明日にちからは往還の道
『老子』は「道」を解凍し展開させる教えと言われている。その「道」を形作る天、地、神、谷、万物、侯王の6つを重要なものとして全て「一」と表現している。みき様が『老子』に親しんだであろうということから、『老子』が語るこの「一」を念頭においたとき
おふでさき1711首の中で、唯一この歌にだけ頭に「一」という文字がついていることと関わりがあるのかは脇において、この十三号には「一」を含む、「大一」と言う語、おふでさきに10箇所あるうち4回出てくる。その内の7回は「大一神の立腹」と「大一月日の残念」。重要なという意味の「大一」は、七号70と十三号60、103に限られる。
さらに「一」だけに限ってとり上げれば、「一のこふき」、「一の神」、「一のどふぐ」、「一の宝」という使い方があって、やはり欠かすことのできない重要なという意味が宿っている。
老子39章 ― 昔之得一者、天得一以清、地得一以寧、神得一以靈、谷得一以盈、萬物得一以生、侯王得一以爲天下貞。
天は一を得て清く澄み渡り、地は一を得て安定し、神は一を得て霊妙であり、谷は一を得
て盈(み)ち、万物は一を得て以って生じ、諸国の王は一を得て統治の資格を得た。
全て「一」を得たからそれとして働けると述べる。ここから、「一」とは全宇宙の知恵、万物の根源と解釈できる。この章で一番大切なことは万物、すなわち人間を含む立毛一切にも神、と同格に「一」が宿っているということ。人間は尊厳を持ってしっかり生きねばならないということ。やはり「一」である「侯王」については、目指す対象は転輪王以外にないでしょう。このように全てはその存在と働きを持つということ。
大一わりゆうけつくるをたすけたさ こゑ一ぢよふをしへたいから 十三 60
第一は立毛作るを助けたさ こゑ一条を教えたいから
おふでさき 一号9~12 ― かんろだいづとめが表すように全ての世界は一つにつながっているから、「一」を帯する人間が喜び勇むなら、その波動はそれぞれが「一」の「地と天」に広がり、「一」の自然界全てにも伝わるから、「一」の立毛も勇み立って「一」なる全ての生き物の生命を支える。これが真の「陽気づくめ」の姿です。人間だけが「勇む」陽気暮らしなどというチッポケなことではない。みかぐらうたとおふでさきには「陽気暮らし」は存在しない。
月日にわ大一これをたすけたさ そこでとのよな事もゆうのや 十三 103
月日には大一これを助けたさ そこでどの様な事も言うのや
「立毛つくれば水がほしかろ」、生き物を永遠の生命に導く「立毛」になくてはならないのは水です。人間心の「思考」を澄まして「水と神とは同じこと」そして「世界中一列はみな兄弟や」と心にしっかり修めて「神に凭れる」。その「意識」が人々を解放して、陽気づくめに独りなるのです。
だんだんとどんな話を聞いたとて 世界楽しめ月日働き
月日には何かなわんと言わんでな みな銘々の心次第や
「一 今日までは」の重要なる「一」は「往還道」のこと。「大一」である立毛と水、そこに「一」の人間、「一」の全てが結集された「道」、そこに「往還道」がある。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
みき様は、幼少の頃、寺子屋へ通った。何を主に学んだかと考えるとき、その時代武士、商人あるいは高山と称する層は儒教が主な教材であった。「儒教」の場合は権力者、男性には有利、『女子と小人は養いがたしと為す』だから庶民、女性を軽視する学問であった。その儒教を批判する立場で語っている道家の『老子』は弱者である庶民、女性に有利な学問であったから、その多くは『老子』に親しみを感じていたようだ。
みき様が教えを語るとき、「道」、「この道」という表現が多い。「道」を説く学問といえば、『老子』がそれなりと言っていい。更に「この道」、「病まず死なず弱りなき」を象徴する「かんろだいづとめ」の目標は、『老子』の中にある『谷得一以盈』と合致する。 ― 「谷」とは、女性器を指し、それは万物を生みだす根源だから、正しく「イザナギ、イザナミの身の内のほん真ん中」そのものと言っていい。
だから、「この道」の思想的な由来を上げるなら、みかぐらうたの各下りで締めくくる『南無…南無…』と称える浄土宗に連ねて『老子』を上げることができる。
一けふまでわなにかしんばいしたなれど あすにちからわをふくハんのみち 十三 1
一 今日までは何か心配したなれど 明日にちからは往還の道
『老子』は「道」を解凍し展開させる教えと言われている。その「道」を形作る天、地、神、谷、万物、侯王の6つを重要なものとして全て「一」と表現している。みき様が『老子』に親しんだであろうということから、『老子』が語るこの「一」を念頭においたとき
おふでさき1711首の中で、唯一この歌にだけ頭に「一」という文字がついていることと関わりがあるのかは脇において、この十三号には「一」を含む、「大一」と言う語、おふでさきに10箇所あるうち4回出てくる。その内の7回は「大一神の立腹」と「大一月日の残念」。重要なという意味の「大一」は、七号70と十三号60、103に限られる。
さらに「一」だけに限ってとり上げれば、「一のこふき」、「一の神」、「一のどふぐ」、「一の宝」という使い方があって、やはり欠かすことのできない重要なという意味が宿っている。
老子39章 ― 昔之得一者、天得一以清、地得一以寧、神得一以靈、谷得一以盈、萬物得一以生、侯王得一以爲天下貞。
天は一を得て清く澄み渡り、地は一を得て安定し、神は一を得て霊妙であり、谷は一を得
て盈(み)ち、万物は一を得て以って生じ、諸国の王は一を得て統治の資格を得た。
全て「一」を得たからそれとして働けると述べる。ここから、「一」とは全宇宙の知恵、万物の根源と解釈できる。この章で一番大切なことは万物、すなわち人間を含む立毛一切にも神、と同格に「一」が宿っているということ。人間は尊厳を持ってしっかり生きねばならないということ。やはり「一」である「侯王」については、目指す対象は転輪王以外にないでしょう。このように全てはその存在と働きを持つということ。
大一わりゆうけつくるをたすけたさ こゑ一ぢよふをしへたいから 十三 60
第一は立毛作るを助けたさ こゑ一条を教えたいから
おふでさき 一号9~12 ― かんろだいづとめが表すように全ての世界は一つにつながっているから、「一」を帯する人間が喜び勇むなら、その波動はそれぞれが「一」の「地と天」に広がり、「一」の自然界全てにも伝わるから、「一」の立毛も勇み立って「一」なる全ての生き物の生命を支える。これが真の「陽気づくめ」の姿です。人間だけが「勇む」陽気暮らしなどというチッポケなことではない。みかぐらうたとおふでさきには「陽気暮らし」は存在しない。
月日にわ大一これをたすけたさ そこでとのよな事もゆうのや 十三 103
月日には大一これを助けたさ そこでどの様な事も言うのや
「立毛つくれば水がほしかろ」、生き物を永遠の生命に導く「立毛」になくてはならないのは水です。人間心の「思考」を澄まして「水と神とは同じこと」そして「世界中一列はみな兄弟や」と心にしっかり修めて「神に凭れる」。その「意識」が人々を解放して、陽気づくめに独りなるのです。
だんだんとどんな話を聞いたとて 世界楽しめ月日働き
月日には何かなわんと言わんでな みな銘々の心次第や
「一 今日までは」の重要なる「一」は「往還道」のこと。「大一」である立毛と水、そこに「一」の人間、「一」の全てが結集された「道」、そこに「往還道」がある。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講