「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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「御成敗式目」が制定された時こそが、日本の重要な分岐点だった!「北条泰時さん」!

2014年06月09日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「先人考察編」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「うん。そうだな・・・今日は昭和時代の無頼派作家「坂口安吾」をとりあげてみようか」

と、タケルは話し始めます・・・。


さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「まあ、先週の火曜日にも取り上げたけど「貞永式目」つまり「御成敗式目」を作ったのが、この鎌倉幕府中興の祖とも言われる、この「北条泰時」さんなんだね」

と、タケルは言葉にする。

「ここで大事なエピになるのが、それまで、日本が遣唐使を通じて中国の文化を取り入れて作り上げた、当時の刑法である「律」、行政法である「令」」

「が実は散逸して、残っていない・・・という事実なんだね。「源氏物語」はいろいろな写本があって、いろいろなバージョンの写本が残っているのに」

「最も大事な刑法や行政法が残っていない、というこの事実・・・それが何を物語るか、という事なんだね」

と、タケル。

「「源氏物語」は、当時の日本人にとって大事、というか、面白かったから残ったけど、「律」や「令」は、日本文化の実態に合っていなかったから散逸した」

「・・・と言うことですか?タケルさん」

と、レイカ。

「まあ、そういうことだね。それについて、この「北条泰時」さんの肉声が残っているから、それを書き出してみよう」

と、タケル。


「多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として」

「作ったのがこの式目である。京都辺りでは『ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか』と笑う人があるかも知れないし」

「またその規準としてはすでに立派な「律令」があるではないかと反問されるかもしれない」

「しかし、田舎では「律令」の法に通じている者など万人に一人もいないのが実情である。こんな状態なのに「律令」の規定を適用して処罰したりするのは」

「まるで獣を罠にかけるようなものだ。この『式目』は漢字も知らぬこうした地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし」

「子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、土民が安心して暮らせるように、というごく平凡な『道理』に基づいたものなのだ」


「なるほど・・・「律」と「令」が散逸するのも、無理はありませんね。要は「律」と「令」は自分の知識をひけらかす「知識者」の「俺偉い病」の人間の」

「自分を誇る為の単なる「知識」に過ぎなかった・・・だから、一般の人間には不要と思われて・・・それで散逸したんですね」

と、レイカ。

「その話を聞いて思うのは・・・昔、団塊の世代が学生運動をやっている頃、彼らは「ハイデッカー」や「ニーチェ」や「サルトル」を読んだ事を」

「周囲にひけらかしていた・・・それを読んでいない人間を、あるいは主義の無い人間を「ノンポリ」と読んで馬鹿にした」

「要は、彼らは「知識者」の「俺偉い病」にかかっていたんだ・・・だが、今、「ハイデッカー」を読んだ事に価値があるか?「サルトル」を読んだだけで価値があるか?」

「僕は「ニーチェ」の知恵を活用しているけど、そんなの日常に活用出来なければ、何の意味も無いんだよ・・・活用出来てなんぼなんだ・・・」

と、僕。

「つまり、「律」と「令」も日本人の活用出来ない単なる「知識者」の「俺偉い病」が誇る「文字の塊」に過ぎなかったんだ。活用出来ない「文字の塊」など」

「散逸するのが当たり前だ・・・そして、団塊の世代の「知識者」の「俺偉い病」の成れの果てを見ろ・・・彼らは家庭で行き場を失い」

「家族から「蛇蝎ヘイト」され・・・出生率を最低にし、日本をダメにした・・・女性から徹底して嫌われているから、ふしあわせスパイラルになっているのさ」

と、僕。

「「知識者」の「俺偉い病」はいつの時代も、女性に「蛇蝎ヘイト」されるんですね」

と、レイカ。

「そういうことだ。意味の無い「文字の塊」が読めても・・・活用出来なければ、そこに意味は生じないんだね。それが「律」と「令」の本質だったんだ」

と、僕。

「だからこそ、北条泰時が立ち上がった・・・庶民が活用出来る「式目」を制定してこそ、政治家だ・・・彼はやはりちゃんと国民を見ている政治家だったんだね」

と、僕。

「こうやって見てくると、織田信長さんもそうでしたけど、国民の為を思って、行動する政治家こそ、「知恵者」だし、日本人として「偉人」になれるんですね」

と、レイカ。

「そういうことだ・・・そして、大事なのは、この「御成敗式目」がどこまでも、日本人の生み出した生活の基本原理「道理」に基づいた法だと言うことだ」

「つまり「道理」こそ、日本文化そのものと言ってもいいんだね。「道理」に合う・・・それこそが、日本で納得する基本になる言葉だからね」

と、タケル。

「・・・ということは「律」と「令」は換骨奪胎が出来ない、日本の実態に合わない中国文化だった・・・だから散逸した」

「だからこそ、日本の実態に合う・・・「道理」から作られた「御成敗式目」が北条泰時によって作られた・・・つまり、この時、中国文化の縛りから離れて」

「日本独自の国家になったのが、この後の日本と・・・そう言えるんですね?タケルさん」

と、レイカ。

「そういうことになる。平安時代・・・公家が政治を取っていたけど、要は公家というのは、中国で言うところの宦官みたいなものなんだ」

「つまり、その本質は「知識者」の「俺偉い病」だ。だから、いろいろ上手くいかなかった・・・」

と、タケル。

「しかし、鎌倉時代・・・特にこの「御成敗式目」が出来上がってからは、日本文化そのものである「道理」ベースで政治が行われたから」

「要は日本人の生み出した「経験知」による「知恵」による政治になったから・・・日本が独自な発展をしていくことになったんだね」

「そして、レイカちゃんの言う通り、中国文化の縛りから離れて、日本独自な国家になっていったということだ。その大事な分岐点になるのが」

「この御成敗式目の制定・・・ということになるだろうね」

と、タケル。

「そういう意味だと・・・北条泰時さんが日本に与えた影響は計り知れませんね」

と、レイカ。

「そういうことになるね。なにしろ、明治憲法が出来上がるまでは、この「御成敗式目」が最初に子供たちに教えられる「知恵」だったんだからね」

「それだけ日本人に繰り返し教えられた「知恵」・・・それだけ実践的な使える「知恵」を生み出したのが、この北条泰時さん・・・ということになるんだからね」

と、タケル。

「そういう意味で考えると・・・この「御成敗式目」って、キリスト教信者の聖書、イスラム教信者のコーラン同様な、日本人の聖典という位置になりますか?」

と、レイカ。

「素晴らしい指摘だ・・・そういうことになるね」

と、タケル。

「・・・ということは、日本人の価値観や倫理観って・・・つまり「道理」は鎌倉時代から変わっていないってことですか?」

と、レイカ。

「そういうことになるね・・・じゃあ、ちょっと実際の条文を読んでみよう」

と、タケル。


「女子に相続した後の所領を返還させる場合のことについて」

「男女の違いはあっても親の恩は同じである。これまで女子(娘)には返還の義務はなかったが、今後は相続したあとであっても所領を取り返すことが出来る」

「これは、後の争いを恐れて女子に相続することをためらったり、女子が親に対して不道徳な行いをすることをおさえるためである」

「このことが保障されていることによって、相続した女子が親に孝行をし、親は安心して女子を養育(よういく)し、土地を与えることができる」


「この条文は普通に理解出来ます。というか、女性も男性と平等に扱われているし、そこがちょっとびっくりしました」

「この頃は男尊女卑が普通なのかと思っていましたから」

と、レイカ。


「忠実を装い財産を与えられた家来が、主人死亡の後に態度を変えた場合について」

「主人を敬いよく働いたために財産やその譲り状を与えられた家来が、主人死亡の後にその恩を忘れて財産を奪おうなどと子供等と争った場合」

「その財産を取りあげて主人の子供等に全てを与えることとする」


「うん。確かに今の常識に照らしあわせて見ても、ごく当然な話だよね・・・やはり、そういう意味でも、日本人の道理は鎌倉時代に」

「すでに確立されていたと見ていいだろうね」

と、タケル。

「なるほど・・・すごく勉強になりました。現代の日本人も鎌倉時代の武士達も同じ価値観で生きていたんですね」

「急に同じ日本人として、親しみが湧きました」

と、レイカ。

「北条泰時という人は裁判の時は「道理、道理」と繰り返したそうだし、道理に適った話を聞くと「道理に適う話程、面白いモノは無い」と感動して」

「涙を流したらしい・・・それだけ、道理に合わないケースにも出会ってきたんだろうね」

と、タケル。

「だからこそ、道理に適う話に感動したんですね。北条泰時さんは・・・」

と、レイカ。

「織田信長さんも日本を良い国にしようと努力した人だったけれども・・・この北条泰時さんも又同じように日本をいい国にしようと」

「がんばった人だったんだね・・・」

と、タケル。

「はい。素敵な先人の日本人・・・日本の「知恵者」だと思います・・・尊敬出来ます、普通に」

と、レイカは笑顔で言った。

「それが結論になるね・・・」

と、タケルも言った。


「さて、結論も出たようだし、んじゃ、レイカちゃん、今日も飲みに行こうか」

と、タケルは言葉にする。

「はい、どこまでもお供します」

と、レイカは言うと、赤縁のメガネを取り、髪を解いた。


(おしまい)


なるほど・・・北条泰時さんって、実は日本にすごい影響を与えた人だったんですね。

というか、日本人の価値観・・・というか「道理」が鎌倉時代と全然変わっていないことにちょっと驚きました。

でも、それだけ、日本人は早くから経験知を取り入れ・・・運用してきた民族だということがわかって、

素敵な国に生まれてよかったなと・・・そう強く思えました。


いい国だ・・・日本。


ではでは。

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