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「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

この記事一応いいんじゃね?ボタン(作ってみました!) ちょっとさ、押してくれると、うれしいんです!(笑)

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カート・ラッセル、ゴールディ・ホーンの「OverBoard」!(週末の名画論考)

2010年08月08日 | 名画論考!
おはようございます!

というわけで、さらっと、旅先で、名画論考の記事でも、書いてみようかなあ、

というわけで、実は、先週、一応、映画を観たんです。

まあ、DVDを借りてきて、観たんですけど、

これ、記憶が確かなうちに、というか、感動が鮮明なうちに、記事にしちゃおうかな、

ということで、朝ご飯までの、時間で、一本、記事をあげとくか!

ということですねー。


えー、これ、実は、僕は観たことのない映画でした。

で、まあ、僕は、「由美ちゃん物語」で、超お嬢様と、安サラリーマンの

恋愛をテーマに、当初、書いていく予定だったんですけど、まあ、いろいろ転がって、

いつのまにか、探偵ものに、なっちゃってますけどねー。

まあ、それで、当初の、そういう考えがあったのは、もちろん、

僕が、若い頃、つきあっていた女の子が、ほんとうに、超お嬢様だったから、

という理由があるわけなんですけど、そういう当初の僕の、「由美ちゃん物語」を

読んでくれていた、友人夫婦が、

「これ、なにかの参考になるかもしれないよ」

と言って進めてくれた映画が、あったわけです。

それを、今頃になって、観るわけですからねー。

もう、どんだけ、時間が経ったんだ!と怒られそうですが、まあ、ここで、記事をあげるので、

許してもらいましょう!という経緯があるわけですねー。


えー、この映画、邦題もついてないし、この映画についての記事が、日本語のモノを見つけられなかった、

ということで、日本未公開なんじゃないかなー、と勝手に思っているわけですけど、

「OVERBOARD」(1987年米製作:カート・ラッセル、ゴールディ・ホーン主演)

という映画です。

「OVERBOARD」の意味は、船から振り落とされるとか、落ちるとか、

とにかく、海の上で、船の外側に、出されちゃう、っていう意味なんですね。

まあ、これは、もちろん、映画の筋に関係してくる、わけですが、今のところは、それだけ、覚えていてください。


さて、主演のカート・ラッセルは、

「遊星からの物体X」

以来、僕の好きな俳優さんで、いかにも、ザ・アメリカ人って感じで、

なかなか、ワイルドを絵に書いたような、ひとですけど、その男くささが、いいですね。

かたや、ゴールディ・ホーンさん。

まあ、僕はこのひとの映画は、

「バードオンワイヤー」

っていうコメディ映画を観たくらいで、あんまり、知らなかったですけど、

まあ、正統なアメリカ美人という感じのひとで、

このひとは、コメディエンヌとして、一世を風靡した方らしいですね。

僕らより、上の年代の方に、愛された方なんでしょうね。


えー、この映画、非常に、よかったです。

まあ、観終わって、すっきり気持ちよくなれます。

そして、家族って、いいなあ。子供って、いいなあ。

奥さん、だんなさん、夫婦って、いいなあ、

という気持ちになれる、爽快感たっぷりの映画ですねー。

まあ、ホームコメディの枠に入るのかな?笑いながら、ほろりとして、最後、楽しくなっちゃう映画ですね。


えー、ゴールディさんは、超お嬢様が、年齢を重ねて、まあ、35,6歳くらいになって、旦那も、いて、

超高級クルーザー・・というより、普通の豪華客船みたいな船を、自宅にしている超お金持ち。

もちろん、執事から船を運航するスタッフ、シェフまで、抱えて、世界を旅しているという、超お金持ちなんですねー。

これが、いけ好かない奴で、ちょっとしたことで、ヒステリーを起こす、クソババアなわけです。

しかも、超インテリで、いろいろなことを、知っているもんだから、

ちょっと、風味にかける、キャビアを味見しただけで、執事とか、スタッフは、

もうこてんぱんに言われちゃうわけですよ。もう、自分の命令しか、ありえない、世界で生きているひとなわけですねー。


そのゴールディさんが、大工を雇って、自分のクローゼットを、靴が多すぎて、入らないという理由で、直させる、

というわけで、その豪華客船に、貧乏大工そのままの格好でやってくるのが、カート・ラッセルなわけです。

もう、明らかにおかしいですけど、まあ、その大工にむちゃくちゃわがままを言うゴールディさんと、山猿とか低能とか、言われながらも、

きっちり、クローゼットをつくりあげる、カート・ラッセルなわけです。

で、終りかと、思ったら、ゴールディさんが、

「クローゼットは、杉で作るのが当然でしょ?オーク材なんて、ありえないわ。お金?そんなもの払えないわ」

といちゃもんをつけ、600ドルという請求も却下し、金を払わないばかりか、

カートさんを、海にたたき落とし、大工道具も、一緒に、海に投げ込む、というむちゃくちゃをやるわけです。

まあ、とにかく、理不尽大王なゴールディさんで、見ている誰もが、

「あの女!」

という感じになるわけですねー。


まあ、海にたたき落とされたカートさんは、さらに貧乏になる、ということで、金ももらえず、憤慨しまくりなわけです。当然ですよね。

で、一方、ゴールディさんは、あまりに口うるさいヒステリックぶりで、旦那も辟易しているわけですよ。

それで、ある夜、ゴールディさんが、

「船上に、婚約指輪を置いてきちゃった。もってきて!」

と旦那に命令するわけですが、旦那は

「テレビを観たいから!」

という理由で、拒否!

ぶちぎれたゴールディさんは、怒りながらも、指輪を探しに船上へ・・・とそこで、よろけたゴールディさん、船から投げ出されて、海に落っこちてしまう・・・。

というわけなんです。

彼女は、記憶喪失になり、ゴミ回収船に救助され、近くの病院へ収容され・・・その様子をニュースで、知ったカート・ラッセルは、

「いいことを考えついた!」

というわけで、まあ、復讐を、考えるわけです。

そして、彼女の夫だ、と嘘をついて、記憶喪失の彼女を、うまく言いくるめて、自宅へ連れ帰るわけです。

もちろん、自宅には、カート・ラッセルと結託した5人の悪ガキ供が手ぐすね引いて待っているわけです。

そして、彼女を、家政婦兼奴隷として、こきつかう・・・本人には、奥さんなんだから、当然の義務・・みたいに言い含めて・・・

そんな家族の生活が、始まってみると・・・、

というお話なわけです。


まあ、とにかく、ゴールディさんの、演技が秀逸で、もう、冒頭のいけ好かない女ぶりが、ほんとに、よくできていて、

ほんとに、むかつく女なんですよ。

ここが、思い切り強調されているので、まあ、その後、ちゃんと感情が、動かされるわけです。

まあ、いわゆる、これ、ゴールディさんの成長物語なんですね。

それまで、超お嬢様として、育った女性だったから、なに不自由なく、生きてきたわけです。だから、わがままの、ヒステリー女になっちゃうわけですけど、

それが、一転、五人の悪ガキの子持ちになり、主婦として、経験を積み、さらに、旦那の普段は見せない、ほんとうのやさしさ、なんぞに、

触れていくうちに、女性として、母として、恋人として、成長していくわけです。

これが、なんとも、楽しく描かれているわけですけど、非常に、よかったですね、これ。


この映画を友人が、進めてくれた背景なんですけど、まあ、僕の友人T君が、アメリカにいた時に、この映画を観たらしいんですね。

それで、いたく感動したらしいんですけど、自分のかみさんにしたいと思った女性が、できたら、

この映画を見せて、そのあとに、プロポーズしよう!と決めていたらしいんです。

まあ、家族というものの価値や、夫婦であることの、素晴らしさというものが、どっさり描かれている映画ですからね。

これを観た後は、そういうモノの価値を、わかっているはずだ、その時にこそ、プロポーズすべきだ!

という考えだったらしいんです。

そして、ある女性を見つけた、T君は、十分につきあった後、自分の部屋で、この映画を彼女に見せ、

感動している彼女に、

「君も、彼女のように、家族や旦那に愛されたいだろう?」

と、言うわけです。もちろん、彼女は、

「うん。こんな素晴らしい家族を、もつのが夢だわ」

というわけなんですね。そして、その言葉を聞いたT君は、

「もし、良かったら、僕と一緒に、その夢をつかまないか?愛している。僕のかみさんになってくれ!」

と、やったそうなんですねー。

もちろん、彼女の答えは、多量にあふれる涙と共に

「もちろん、大OK!」

ということで、まあ、ある夫婦の結婚に寄与した作品でもあるんですね。


いやあー、しかし、80年代の映画って、いいなあーって素直に思いますね。

僕は、この80年代的やさしさに溢れた作品というのが、好きで、

なんとなく、この時代の映画を、よく愛していますね。もちろん、今でも、こういう家族愛や、夫婦の愛というのを謳いあげる作品は、

たくさんありますが、なんとなく、素直じゃない気がするんですね。ちょっと毒が入っていたり、

現実は厳しい、みたいな、スパイスが、効きすぎている感じがします。


しかし、この時代の映画というのは、そこらへん、素直な感じが、します。

アメリカが、アメリカンドリームを素直に信じていた時代、それが、80年代という時代だったような気がします。

自分に自信が、あって、でも、傷つきやすい、思春期のアメリカ。だけど、明るい未来を信じている、そんな時代に感じますね。


この映画は、子供を持つことに、疑問がある方にも、観てもらいたい作品です。

最近は、少子化が問題になっていますけど、結局、経済的な心配から、子供の数を減らす対策をみんなが、打っている状況なんですよね。

いつ、雇用が保証されなくなるかわからない。そんな時代ですからね。

それに、大阪の事件のように、子供を、ただの犬や猫の延長にあるモノのように、考えている人間もいる。

まあ、あの事件は、もう、別モノですけどね。バカおんな、ここに極まれり!という感じですけどね。俎上にもあげたくないくらいです。

まあ、そういう人間は別として、子供を持つことに責任を感じるから、少子化が進行しているわけですけど、

「ちょっと待って!やっぱり、子供は、宝なんだよ!」

と言ってくれるのが、本作だと思いますね。

子供の価値、子供を持つことの素晴らしさ、家族というものの、素晴らしさが、この映画には、存分に示されています。

さすがに、ひと組の夫婦の人生を決めた、映画だなあ、と僕は、思いますね。


映画は、心にうるおいをくれます。

そして、感動をくれます。

「観て損した、つまらない映画だった」

なんてのも、まあ、たくさん、ありますが、

良作に、たまに出会うから、観る意味があるわけですよ。


まあ、そんな良作に出会う、一助にでも、なれば、という思いで、書いているわけですけどね。

なにか、が、うまくいかないとき、

本作を見ると、ほんの少しの間だけかもしれないですが、もしかしたら、うまくいくんじゃないかな、

と思えてくるはずです。そしたら、思い切って、その手を、実行しちゃえば、いいです。


次の瞬間、あなたは、新しいしあわせの扉を押しているかもしれません。


そんなことを感じさせてくれる、良作、それが、本作でした!

楽しくなりたい、気持ちよくなりたい、そんな方に、是非、オススメです!


ではでは。


##訂正します。今、調べたら、「潮風のいたずら」っていう邦題がついてました。

日本でも公開されたんでしょうね。ちなみに、ゴールディ・ホーンさんとカート・ラッセルさんは、

プライベートでも、パートナーだそうです。いやー、二人のシーンが、実に自然だったし、

そういうことなんだ!と、納得しました。えー、あと、ゴールディさんの映画は、ほとんどコメディ

なんだそうですが、お尻に自信があるとかで、お尻を見せるシーンがお約束なんだそうで、

本作にも、しっかり、ありました(笑)。それが、貴重な伏線になっているんだけど、

確かに、綺麗なお尻でした。あ、そろそろ、出る時間だ!やば!

##訂正終り

メグ・ライアンとビリークリスタルの「恋人たちの予感」(週末の名画論考!)

2010年07月31日 | 名画論考!
おはようございます!

というわけで、週末の名画論考!ということで、

えー、この論考のコンセプトは、まあ、このブログはけっこう若い方にも、

見ていただいているし、女性の方にも、見ていただいているらしくって、

まあ、もちろん、男性の方が、多いんですけど、

まあ、

「あなた、楽しい時間が過ごしたいの?そう。んじゃね、昔、こういう映画があってさ。これを観ると、楽しい時間が過ごせるよ!どう、これ?」

と提案するみたいな感じで、映画を紹介できればなあ、というコンセプト

で、書いてます。だから、まあ、あまりネタばれは、書かずに、紹介文を書いて、

「ああ。なんか、この映画、良さそうだなあ」

と思って頂けるとうれしいわけですけど、

まあ、映画の中身によっては、解説したほうが、より、その映画を楽しめる場合には、

前回みたいに、解説したりもするつもりなんですけどねー。


というわけで、今回の映画は、小粋なロマンティックコメディ、

ロブライナー監督、ノーラエフロン脚本の、

「恋人たちの予感 When Hurry,met Surry.」(1989年・米製作)

を遡上にあげますねー。

えーこれ、主演ビリークリスタル、そして、共演メグ・ライアン!というわけで、

えー、若い方は、知らないかもしれませんが、1990年代、

彼女は、ロマンティックコメディの女王と言われていましたけど、

その先駆けとなった映画ですねー。

というわけで、まだ、この映画が公開当時は、メグ・ライアンの名前は、

あまり大きくなかったんですね。当時のニューヨークのショービズ界でも、

確かこの映画は、ニューヨークで人気のあるサタデーナイトライブの常連コメディアンである、

ビリークリスタルの映画として、紹介されていましたからね。

ボックスオフィスの人気も、最初は、ビリークリスタル人気ではじまったんでしたね。

それが、いつの間にか、ビリーにもひけを取らない人気になったのが、

この映画で、めちゃくちゃ、キュートなサリー役を演じたメグ!ということで、

いやあ、改めてこの映画を見ましたが、男性は、ちょっとやられますよ、これ!

ほんとに、こんな女性がいたら、ほんと、結婚したくなりますね!絶対に!


と、まあ、この映画を見た当時、僕は、まだ、大学生で、しかも、まだ、恋愛経験もそれほど豊富でもない、

もう、アンポンタンの極地でしたからねー。まあ、体型は、浪人中にダイエットしたおかげで、

まあ、なんとか、普通より、ちょっと大きめかな、ぐらいで、とどまっていた時ですから、

まあ、恋愛は、なんとか、OKの頃でしたけど、まあ、この映画に関連して、私生活でも、いろいろありましたねー。


冒頭、シカゴ大学を卒業した、ハリー(ビリークリスタル)は、自分の恋人と熱い抱擁をしているわけです。

そこに、ロングワゴンタイプのポンコツ車で現れるのが、サリー(メグ・ライアン)です。

ハリーとサリーで、ニューヨークまで、交代で運転していく、予定らしいわけです。

ただ、ハリーもサリーも初対面、サリーの親友の彼氏が、ハリーだった、というわけです。

車がついても、キスしたまんまのハリー達に、

「えへん」

という声で、気づかせると、ハリーは、荷物を後部に載せるわけですが、またまた、恋人と熱いキッス・・・。

サリーは、あきれて、クラクションを鳴らす始末。

ってなことをやりながら、ハリーとサリーは、一台の車を交互に運転しながら、ニューヨークを目指すわけです。


まあ、冒頭こんな感じなんですけど、ここで、語られるのは、ハリーの暗さ(ダークサイドとか、言ってたけど)と、

サリーの明るさや、真面目さです(サリーというか、メグの若い演技がかわいいんですよ)。

ハリーは、

「本は、まず、最後のオチから読む。なぜなら、いつ死ぬかわからないから。僕はいつでも、死に備えているんだ」

と主張して、やたら、暗いんですね。

そして、いろいろサリーと話すうちに、彼は、なにかをわかったような顔をするわけです。

サリーは、何か釈然としないので、何をわかったのか、聞くわけですよ。そうすると、

「君は、最高のセックスを知らないんだ!」

という断定的なセリフが帰ってくるわけです。まあ、あの時代、このあたりの表現は、ちょっと

日本的には、真新しいものが、ありましたねー。

それに対して、サリーは、

「そんなことは、ないわ。わたしは、ちゃんと、最高のセックスの経験が、何回もあるのよ!」

と、夕食をとるために入ったレストランの中で、大声で叫んでしまい、皆をドン引きさせちゃうわけです。

まあ、このひと、こういう関係の話には、ついつい、大声をあげたり、するくせがあるんですねー。

それについて、席につきながら、ハリーは、その良かった相手の名前を聞くわけです。

「・・シェルドンよ」

と、サリーが答えると、ハリーは、

「だめだ、その名前じゃ。多分、税理士か、弁護士に多い名前だ。でも、その名前じゃ、相手を満足させる最高のセックスはできない!」

と、断定する始末(このセリフは、ふりですからね。覚えておいてください(笑))。

まあ、こういう粋な会話(粋か?)が、随所に散りばめられているのが、この映画の特徴で、このおもしろくてどこか憎めないハリーと、

几帳面で、レストランのメニューを頼むのに、かなりのこだわりを見せるサリーの13年くらいの物語が、本作なわけですねー。


映画の流れとしては、彼らは18時間の旅を終え、無事、ニューヨークの凱旋門(?)みたいな場所で、別れ、新しい時間が始まります。

5年後、ハリーは、空港で、ジョーという弁護士(やっぱり(笑))と、キスしているサリーに出会います。このとき、ハリーは、ジョーと知り合いだったわけです。

しかし、その後に、乗った飛行機で、サリーの後ろに、ハリーの席がたまたまあった、というところから、席を変わってもらって、

二人の会話が、はじまるわけです。

サリーは結婚していませんが、ハリーが、結婚間近だということを聞くと、サリーは笑いだしてしまいます。

「あなたが?結婚?」

まあ、信じられない感じなんですけど、サリーもジョーとつきあい始めて、1ヶ月ということで、お互い、ラブラブで、人生これから!みたいな

雰囲気なわけです。そして、男性と女性は、友達になれるか、という話になるわけなんですね。


5年前、ニューヨークに向かう車の中で、話された会話なんですけど、ハリーが言うわけです。

「男性と女性は、絶対に友達になれない。なぜなら、魅力のある女性とは、男性は、常に寝たいと思っているからだ」

サリーは、それについてこう言います。

「じゃあ、魅力がない女性なら、友達になれるというわけ?」

ハリーは、こう答えます。

「魅力がなくても、男性は女性と、寝たいものなのさ」

サリーは、いいます。

「じゃあ、私が、寝たくない、と言ったら?」

ハリーは、素直に言います。

「そこで、友達関係は、終わりということさ」

こういう会話が、5年前になされていたわけです。


そして、空港に着いて二人で歩いているときに、この話が、蒸し返されるわけです。ハリーがこう言うんですね。

「お互いに好きな相手が、いる場合は、限定的に友達になることができる。でも、相手が「なぜ私以外の友達をもつの?」と思ったらまずいなあ。そしたら・・・」

という話になって、結局、

「男と女の友達関係は、成立しない」

という結論になるわけですね。


そして、この会話が、この映画全体のテーマになっていくんですねー。


この空港での出会いから、さらに5年後。

サリーは、ジョーと別れたことを、女友達に語るところから、始まります。

31歳のサリーは、結婚したかったようでしたが、結婚して、子供を持つと、お互いの恋愛生活、いわゆるエッチが消えてしまう、

という周りの状況を見て、結婚しない、という選択をしていたんですね。でも、結局、いろいろなことで、お互いの考えが

ずれてしまって、別れてしまったんです。

一方、ハリーも、結婚したヘレンと別れていました。ま、彼女は、税理士(!)と不倫の上、彼を捨てたのです。


ハリーも、サリーも、傷ついていました。

そんな二人が、本屋で、出会うのです。

そこから、本当の二人の物語が、語られるわけです。


まあね、内容については、映画を見てもらうとして、なかなか、小粋で深い映画でしたよ。

まあ、この二人に、それぞれの友達、が絡んできて、ハリーとサリーの間の関係性が語られるわけですが、

ハリーの言葉を借りれば、

「寝ようとは、思わない、魅力的な女性とのはじめての友達関係だ」

という二人の関係になるわけです。

この二人の関係性がいいわけですよ。ちょっと真似したくなるくらい、お似合いのカップルなんだけど、そういう関係でなく、

でも、いいたいことを言い合える関係。

でも、それだけで、済むはずもなく・・・というお話なんですね。


僕は、この映画を見て一発で、ビリークリスタルが好きになって彼のファンになりました。

まあ、サタデーナイトライブのビデオを借りてきたり(当時はレンタルビデオでしたからね)、いろいろ楽しんだ記憶があります。

そして、もちろん、メグ・ライアンのファンにも、なったわけです。もう、キュートというのは、この映画の彼女に与えられる敬称ですよ。

この演技力、たまりません!

まあ、メグ・ライアンは、この映画と、「めぐりあえたら」のこの二本が、最高だと思いますね。

彼女、トップガンにも出ていて、

「なかなか、綺麗なひとだなあ」

と思っていたんですが、実は、本作での、演技力とその表情の力が、すごいんですよ。

もう、男はイチコロって、感じで、その演技力、表現力の確かさ、確実に伝わってくる感情が、もう、男性のハートをわしづかみです。

当時、僕のまわりにいた女性が、

「こんなかわいい女性に、私もなりたいわ」

と、よく言っていたものです。


僕は、この映画を、ある女性に、

「券を買っちゃったんだけど、一緒にいく予定だった女の子が急遽行けなくなっちゃって・・・。もし、よかったら、いかない?」

という誘いを受けて、観たんです。僕は当時あんぽんたんですから、それを素直に信じていたんですね。

そして、この映画を観た後、彼女が、紹介してくれた、ちょっと高めのイタリアンで、食事をし、ワインを飲み、たくさんしゃべって、

なかなか、いい気持ちで帰ったことを覚えています。

その子は、以前、クリスマス関連のお話を書いた時の主人公になった女性で、某有名国立大学の超頭が良くて超お嬢様で、超美人な女の子でした

(2009年12月22日にあげた記事「クリスマスの思い出」で書いた女性ですね。由美ちゃんじゃ、ないんです)。

なぜ、僕が誘われたのか、当時、僕は、何も考えていないというアンポンタンでしたねー。


これ、どう考えたって彼女がコース考えて設定して、券まで、揃えてたってことですよね。


それで、この映画のチョイス!もう完璧ですよ。

もちろん、僕は、そのイタリアンレストランで、女性と男性が、友達になれるかについて、バンバン話しました。

もう、僕は、当時、酒が入ると、このひと、おもしろいランキング一位でしたからねー。

そういうところを、好まれたんだろうと、思いますねー、今思えば。

でも、僕は、当時は、奥手でしたからねー。だって、このコース設定と、映画の内容を考えれば、

彼女が、何を求めているか、わかるじゃないですか。ねー。

ほんと、アンポンタンでしたねー。


僕は、その後も、彼女から、いろいろなメッセージを受けるのですが、自分に自信がなかったこともあり、スルーしていくんですね。

彼女の気持ちも考えずに、多分、僕は一杯一杯だったんだと、思います。

「世界が違いすぎる・・・」

そんなことを、考えていたことを覚えていますね。


この映画のラスト、感動的なシーンが、あります。

そのシーンを見ながら、彼女は、こう言われたかったんだろうなあ、と思いましたねー。

そして、彼女も、メグ・ライアンのように、言いたかったんだろうと、思いました。

そういえば、僕は、今、気が付きましたが、当時のぼくは、完全に、このビリークリスタルのタイプでしたからね!

まあ、今でも、中身は、ビリーな感じですけどね。

そうか、それで、彼女は、この映画に、僕を誘ったんだ!


と、今頃、気づくアンポンタンです。ほんと、しょーもねーなー(笑)。


この映画、ほんと、いいですよ。

彼女だったり、これから、彼女にしたいひとと、一緒に。

そしてもちろん、彼氏や、これから、彼氏にしたいひとと、一緒での、ご視聴をオススメします。

男性と、女性の恋愛の深さも、楽しく、感じることが、できます。

そして、なにより、

「男性と女性は、友人になれるか」

というテーマで、二人で、話すことができる。

「確かに、男性は、魅力的な女性を見ると、本能的になるし・・・」

なんて、きわどい話も、まあ、できたり、いろいろ話すきっかけになるしね。

ほら、そこから、

「わたしのこと、どう考えているの?」

的な方向へ、持って行ってもいいしね。

うーん、20年前、彼女は、僕と同じ様に考えたんだろうなあ(笑)、と今、気づきました(笑)。

ほんと、あんぽんたんだ、俺(笑)。


そして、メグ・ライアンの本当の魅力を感じられる、素晴らしい映画です。

週末のひとときにでも、ちょっとこころを楽しくしたいと、思った時、この映画を、見てみることをオススメします。

そして、最後のシーンを、楽しみに見てくれると、うれしいですね。


しかし、映画というのは、いいですね。

当時の自分だけでなく、誘ってくれた彼女の真意まで、わかっちまいました。

あの子は、今、しあわせに、しているだろうか。

と、彼女のその美しい面影を思い出しながら、

今日は、この辺にしておきましょう。


ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。




ジェフ・ブリッジスの「恋のゆくえ ファビラスベイカーボーイズ」!(週末の名画論考!)

2010年07月24日 | 名画論考!
おはようございます!

いやあ、週末ですねー!

やっぱり、楽しい気分になりますね。

特にこの時期、夏休みと重なりますから、まあ、気分はいいですね!

まあ、せいぜい、熱中症にならないように、気をつけながら、

思い切りアウトドアを楽しんじゃいますかね!


さて、週末の名画論考ということで、今回は、何にしようかなあ、と、考えていたんですが、

先週の日曜日、「アイアンマン」をイレギュラーで、論考しましたが、

そこで、びっくりしたのは、はげに白いヒゲぼうぼうというオバディアというおっさん役が、

なんと、ジェフ・ブリッジスだったことですねー。

って、まあ、あの記事を読んでアイアンマンを観た方がいるはどうかは、わかりませんが、

そしたら、もう、今回の映画は、ジェフ・ブリッジスのひねた二枚目役が、非常に深い

「恋のゆくえ ファビラスベイカーボーイズ」

を見るしかないでしょう!って感じで、えー、一応、僕も持っているビデオを、ライブラリから探してきました。

いやー、なつかしいですね。これ、僕が大学時代ですかね。あのー、普通に映画で上映しているときに、

観まして、非常にこころに残った映画だったんで、あとで、ビデオ買ったという、まあ、貧乏大学生の

時代ですから、それだけ、シンパシーを感じた、ということなんですね。

じゃ、まあ、この映画を論考してみよう!ということで、冷たいレモンティーなど、ぐびびと飲みながら、論考開始しちゃいましょう!


売れないピアノデュオ、ジャックとフランクのファビラスベイカーボーイズ。場末のホテルのラウンジで、ピアノを弾くドサ回り生活。

しかも、客の入りが悪いということで、10年以上の長いつきあいの決してよろしくないホテルからも、降ろされちゃう始末なんですねー。

ジェフ・ブリッジス演じるジャックは、37歳独身で、二枚目。冒頭、誰とも知らない女と寝た後、そこから、仕事の場所へ

何時間もかけて、歩いていくという、かなり、やりたい放題の生き方。部屋には、老犬が待ち、寂しがり屋の女の子の

相手もしている、なんか、人生だめだめな感じ。

対して、兄のフランクは、家庭を持ち、家のローンや車のローンを返しながら、ファビラスベイカーボーイズのマネージャーとしても

がんばる、典型的な良きパパ。こんな二人のデュオだけに、華もなく、フランクのつまらないジョークがMCという、

かなりやばい状態。しかし、演奏は、誰にも負けず、品がある。

「今のご時世、誰が品なんて、わかるんだ?」

と、降ろされたホテルのマネージャーから、言われ、さすがのフランクも、何か新しいことを・・・と考えていたわけです。

というわけで、

「ボーカルを新たに入れよう!」

と、オーディションを開く二人。来た女性は、37人。しかし、全て、これ音痴!なんですねー。

そして、オーディションが、全て終わり、失意のうちに、片付けようかとしていた時に現れたのが、我らが、スージーダイヤモンドさんです。

フランクは、

「ショービジネスは時間厳守が、基本だ!」

と、オーディション受験を断りますが、

「これが、ショービジネス?」

というスージーさんの挑発に、あっさり乗り、オーディションへ。

これが、こころの琴線に触れるくらい、歌に味があるんですねー。まあ、それまで、ひどい歌を何人も聞かされた効果もあるんしょうけど、

スージーを演じるミッシェル・ファイファーの歌声がなんとも、いいんですよー!

フランクもびっくり、そして、ジャックも、うなづくわけです。

そして、スージー&ファビラスベイカーボーイズの快進撃が、始まるわけです。


なんて、導入部なんですけどね。そこから、物語がはじまり、紆余曲折をへて、最後に向かうという、映画なんですけど、

これね、まあ、今の自分になって、改めて観てみたら、非常に、今の年齢になったからこそ、わかることが、多かったですね。

僕はまあ、これ、二十代に入ったかなー、くらいの時に観たんだと思うんですけど、あきらかに、感想が、違います。

視点が、変わっているわけです。最初、観たときは、ファビラスベイカーボーイズを守りたい、フランクの視線で見ていたようですね。

まだ、子供の頃の教育が抜けず、

「正しいことをすることが、正しいのです。ひとが、いけない、と言ったことは、してはいけません」

的な、善良な市民目線というか、パパ目線というか、フランク目線なんです。

しかし、今回見たら、人生やりたいように、生きたいジャック目線でもあり、せつな的に生きながら、それでも、自分の人生を懸命に考えている

スージー目線で、多く見てしまいましたね。まあ、シャルロットとか、由美ちゃんとか、佳乃さんとか、書いてきたおかげですけどね。


まあ、この映画は、ファビラスベイカーボーイズの栄枯盛衰を描いている形態は、とっているんですけど、実は、大人の男と女の人生を切り取った映画

なんですね。もちろん、ジャックとスージーの、ほんのつかの間の恋、その栄枯盛衰を描いていて、ジャックの人間性や、スージーの人間性が、

思う存分描かれているわけです。

もうね、

「ああ、そういうことを言っちゃうわけ・・・」

とか、

「そこは、こう言って欲しいんでしょ?でも、そう言っちゃったんだよね、思わず・・・」

とか、うなづくところが、多いんだな、また、これが。


えー、スージーの入ったベイカーボーイズは、そのスージーのボーカルのすばらしさから、一躍収入が多くなっていくわけです。

仕事場も、場末のホテルなんかじゃなく、一流ホテルのラウンジに変わり、どんどん、環境が変わっていくわけです。

そして、年末のカウントダウンに向け、何日間もの仕事が入ったのは、大きな大きなリゾートホテル。

そこに、辿りつくまでに、ジャックは、スージーを誘ったりするんですね。でも、スージーは、

「わたしのこと、忘れられなくなっちゃった?気持ち悪いからやめてよね」

と、一応の防衛線をはるわけです。でも、そのあたりから、お互いを意識しはじめちゃうわけです。

そして、リゾートホテルでの仕事も順調に進むわけです。

「毎日、こうして、お会いしていると、僕らは、家族みたいです」

なんて、フランクのMCも絶好調で、コンサートを終わらした後、バルコニーでシャンパンを飲む、三人は、うれしそうなわけです。

フランクは、いい感じで、酔っ払い、ジャックが、曲を一回聞いただけで、弾けるという能力があることを暴露するわけです。

フランクは、同じピアノを目指しながら、弟との、その能力の違いを、複雑な気持ちで、見ていたんですね。

それでも、やさしい家庭人の彼を、やさしい目で見るスージー。

そのフランクに、子供が、事故ったという連絡が入り、ほうほうのていで、帰っていくフランク。

あとに残された二人。もう、邪魔な存在が、なくなったもんだから、お互いが、お互いを意識しまくって・・・。


もうね、このあたり、見ていて楽しいんですよ。フランクの明るさの背後にある複雑なコンプレックスや、

三人の快進撃の様子。そして、なんと言ってもミッシェルファイファー扮するスージーの歌のうまさ、感情のつたわる味のある歌声がなんともいいんです。

単純に気分がよくなる。そして、なんといっても、彼女の味のある美貌と、美しいボディラインを誇るドレス姿。

もうね、自分が若い頃に感じた、ミッシェルの良さとは、また、違う感じの良さが、数十倍の感じで、感じられますね。

ちょっと気の強い感じとか、蓮っ葉な、感じとか、が、もう、いいんですよねー。ほんと、演技力抜群ですよ。


そして、スージーは、このリゾートホテルの仕事中に、どんどん、ジャックの才能に惹かれていくんですね。

彼女は、コンパニオンの仕事で、相当、苦労してきていて、自分を偽る日々だったことを告白するわけです。

いろいろな人間に誘われた。そして、何人とも、寝てきた。でも、惹かれた人間としか、寝てこなかった、と、プライドを持っていることを話すわけです。

そして、ジャックに惹かれた・・・。


スージーっていうのは、ちょっと蓮っ葉な感じなんだけど、人生を真面目に生きて、一生懸命チャンスをつかもうとしている人間として、

描かれているんですね。そういう意味ではものすごく人生に真面目に向き合っているわけですよ。その中に、恋愛もある。

だから、彼女は、自分で、自分の人生を選択しているわけです。決して、自分を偽っているわけでは、なかったんですね。


それに対して、ジャックは、その日だけ、楽しめればよい、という恋愛をしてきたんですね。

冒頭、一緒に寝ていた女性が、ジャックに聞くわけです。

「また、会える?」

って。そうすると、ジャックは、にべもなく、

「いや、もう、会えない」

というわけですね。そういう恋愛を彼はしてきたんです。


その二人が、カウントダウンの夜、とうとう寝てしまうわけです。


朝、起きると、ジャックは静かに服を着ながら、部屋を出ようとしているところなんです。

それを見たスージーは、服を着るのが、速いという意味で、

「あなたは、消防士になれるわ」

なんて、言うわけです。ジャックは、

「君を起こしたくなかったんだ」

と、やさしいところを見せるんですけど、スージーは、誤解しちゃうわけです。

「昨日のことは、忘れましょ。なかったことにして」

なんて、言ってしまうわけです。決して本意ではないんですよ。

それを聞いて、ジャックも傷つくわけです。でも、スージーのことを考えて、何も言い返さない。

それが、今度は、スージーを傷つけちゃうわけです。

そして、二人ともひとりになってから、

「俺はバカだ・・・」「わたしって、バカ・・・」

ということになるわけです。相手にやさしくなろうとして、誤解を与えてしまう。よくあることですね。


リゾートホテルの仕事も終わり、また、ホテル周りの日々が始まります。

あの日以来、二人の間は、なんとなく、ギクシャクしたり、日々のうっぷんをフランクにぶつけたりしているわけです。


そんな、ある日、スージーは、ある決意をもって、ジャックの部屋を尋ねるわけです。彼はそこにいずに、近くのジャズクラブにいる、という。

スージーは、その店で、いつもは見せたことのないような恍惚とした表情で、ピアノを弾くジャックを見てしまうんですね。

ほんとうの自分を取り戻している、負け犬のジャックを。


その夜、ジャックの部屋を尋ねたスージーは、ジャックと一夜を共にします。そして、朝、話をするわけです。

「わたし、ペットフードのCMのボーカルを専属歌手として、やらないかって、スカウトされているの。どう思う?」

と。彼女は、明らかに、

「やめろよ。俺達のところにいろよ」

と、言われたいんですよね。それで、あまり真意を明かさないジャックからの愛の言葉が、聞きたかったんですよ。

もう、その気持ちが、表情とかによく出ているんですよ。ほんと、ミッシェルの演技力のすばらしさ、確かさは、ほんとすごいなあ、と思いましたねー。

でも、ジャックは、そういうことがわからないんです。というより、彼は、スージーに、裏切られた感が強い。

それと同時に、同じ業界にいるから、彼女の成功を、素直に、喜びたい、気持ちがあるんですね。

「俺のことなんて、忘れて、その道を走れ」

と言いたい、そういう気持ちがある。だから、スージーが、ジャックが気持ちを言い易いように、

「フランクは、3月まで、予定いれちゃっているし、考えなおしてもいいし」

って、言っているのに、

「俺達のことなんて、もう、関係ないだろ」

と、言っちゃうわけです。彼女のしあわせを、考えながら、それでも、裏切りに、頑なに、なっちゃうジャックなんですね。

それを聞いて、ショックを受けるスージーなんです。でも、そんなの、表情にも出せずに、帰っていくスージーなんですね。


そして、今日が最後のステージという夜。

彼女は、

「ダサいし、誰もこんな曲聞かないわ」

と歌うことに反対していた

「フィーリング」

という曲を歌うわけです。

この曲、次のような歌詞なんですね。

「涙のしずくよ。わたしの頬をつたって落ちる。どうしたら忘れられるの。燃える恋のフィーリング」

「きっと死ぬまで忘れられないわ。いっそあなたに、出会わなければ。去ってしまった愛しいあなた」

それを感情込めて、せつせつと歌いあげるわけなんです。ここもね、感情がこもっていて、ほんとにいいんだなあ。


これが、彼女のジャックに対する今の感情なんですよね。


そして、そのコンサートの終わったあと、ジャックとスージーに、決定的な亀裂が、入るわけです。

ジャックは、

「お前はこの業界では、まだ、おむつをはいたベイビーだ」

と言い、スージーは、

「あなたは、負け犬だわ。ほんとうの自分を捨てている負け犬だわ」

と、まあ、実は、これよりひどいことも言うあうわけですけど、お互いがお互いをののしりあい、別れてしまうわけです。

お互い、ほんとうは、求めているのに、お互いのことを考えすぎて、そして、最後に別れが悲しいからののしりあってしまう。

別れるのが、悲しいから、相手を傷つけてしまう。

それが、自分を傷つける結果になるわけですね。


スージーを失ったベイカーボーイズは、最初より、もっとひどい状況に陥ります。

客もいないホテルのラウンジともいえない、ひどい場所ばかり。最後には、地方の高校の体育館の再建のためだけの番組のしかも、深夜の3時という時間帯ににアテンドされ、

満足な演奏もさせられません。怒ったジャックは、全ての不満をフランクに叩きつけ、解散を告げ、自分の部屋に帰っていきます。

朝方、部屋に帰ると、いつもの近所の寂しがり屋の女の子が、いて、なにかと世話を焼きたがるのですが、これにも怒声を浴びせてしまうジャック。

そうです。もう、限界に来ていたんですね。


彼は、フランクの家にやってきます。そして、正式に解散することを告げ、その理由を話します。

「毎日、毎日、プラザや、なんやら、いいホテルのステージに登るのなんて、もういやになったんだ。毎日、同じ曲を同じように弾く生活が、耐えられないんだ」

彼は、ジャズクラブに、自分の居場所を見つけてしまったんですね。そこで、弾くことが自分にとって、もっとも能力をだせる場所だと、

わかってしまったんですよ。だから、彼は、もう他のことを続けられなかったんですね。

これね。若い頃、観たときは、単なるジャックのわがままだろうと、思っていたんですよ。いい年して、その場限りのメイクラブして、仕事のパートナーと寝て、

自分を守るために、大事な女を、引き止めもせず、最後は、仕事すら、わがままで、やめて、アニキにも、迷惑をかける・・・。

でも、それは、外から見えるストーリーであって、実は描きたいのは、違うんだということが、今になってわかるようになりました。


ひと、とは、ほんとうの自分を偽っては、生きていられなくなるものなんだ、ということなんです。


自分が最も、社会的役割を果たせるモノを知ってしまったら、もう、そこを行くしか、ないんですよね。

それはね。僕は実感として、わかりますね。誰が、周りで、なんと言おうと、自分がしたい、と思ったことは、そして、それが、社会的役割を果たすということが、

わかっていたら、もう、そこを突っ走るしかないんですよ。人間というのは。

そういう意味では、チャンスをみつけたら、そっちにシビアに突っ走っていくスージーも同じなんです。二人は、同じ人種だったんですね。


そして、ジャックは、そのジャズクラブの、ステージを改めて任せられるんです。

実は、これ、さらりとしたシーンだったんですが、ジャックの物語として観た場合、ハッピーエンドなんですね。


そして、ジャックは最後に、スージーに会いにいくわけです。スージーも厳しい世の中、

「少し出世したわ。ドックフードから、グリーンピースと、キャロットになったもの」

と、ださいCMソングを歌うわけです。かつて、フィーリングは、ださい歌と言って、ごねた人間とは、思えない、人生を、まじめに生きているスージーが、

そこに語られるんですね。

そして、なんということもなく、二人は別れていくんですが、最後の最後、ジャックが、スージーにこう尋ねるんです。

「僕らは、また、会えるかな?」

それに対し、スージーは、微妙なほほえみを返すだけ。でも、それに対して、ジャックが、

「大丈夫。きっと、また、会えるよ」

と、返すんですね。これが、最後のセリフになるわけです。


渋い、ジャズ調のテーマ曲が、流れて、雰囲気的には、ジャックだめじゃんみたいな、感じで、終わるわけですけど、今回気づいたんですが、

それは、若い見方だったんですね。


ジャックは、その場限りのメイクラブしか、できない人間だった。冒頭、そのシーンでしたね。

「会える?」

と女性に聞かれて、

「会えない」

と、断定していたジャック。

それが、最後に、ジャズクラブに職を得たジャックは、自ら、スージーに対して

「また、会えるかな?」

と、質問をし、彼女が、表情だけで、答えると、

「大丈夫さ、また、会える!」

と、責任ある恋愛を、約束するんです。


そう、最後に、ジャックの成長が、描かれて終わる、ハッピーエンドだったんですよねー。


これ、やっと、今回、気が付きました。

ほんとに、いろいろ、考えさせる映画でした。

音楽が、いーんですよ。サントラも買っちゃったくらいですからね。

音楽監督&映画の中での演奏は、もう、グラミーを何回もとってるディブ・グルージンですからね。渋くてかっこいーわけです。彼のアルバム、何枚も、持っているなあ。

そして、ミッシェルの歌声、容姿、もう全てが最高の映画でしたね。

もちろん、このアルバム、映画部門のグラミーベスト・アルバム賞をとってます!

そして、ミッシェルは、ゴールデングローブ主演女優賞をこの映画で、獲得しているんですよ!


人生とは、まじめに生きているだけでは、しあわせは得られない。

自分の求めるモノを見つけ、自分が、そこに従事できるように、がんばること。

それこそが、本当のしあわせを自分に与えてくれる。こういう深いしあわせ感が描かれた良作、それが、この映画だったと思います。

ほんとうに、深い、深い、映画だったように、思いますね。ぜひ、視聴をオススメします。


うわー、気がついたら、たくさん書いたねー。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう。


ではでは。


日本的要素に隠される無限の可能性!(「スターウォーズ」!:金曜日の自由論考!)

2010年07月23日 | 名画論考!
おはようございます!

7月のこの時期って、なんとなく、楽しい感じがしますね。

子供の頃、夏休みの始まるのを待っていたこの時期の

わくわく感が、いまだに、あるのかもしれません。

まあ、だからって、今のように、

「毎年、夏休みは、家族で旅行!」

とか、そういう子供中心の家でもなかったので、

楽しみは、自分で見つける必要があった、夏休みでしたが、

充分楽しかった記憶がありますね。

そんな、自分で見つけたワクワク感が、今に続いているのかもしれませんねー。


さて、今日は、自由論考の金曜日!ということで、何を論考するかなあ、

と考えていたんですけどねー。政治の話は、もう話しちゃったし、今、

問題になっているあたりも、まあ、あらかた遡上にあげちゃったので、

んじゃ、というか、今月はNHK-hiで、「スターウォーズ」月間だったりするわけで、

先日、ちょっとエピソードⅤを、まあ、晩酌しながら、珍しく見ていた、

ということがあったんですけど、そこでなんとなーく考えついたりしたこともあったんで、

SF映画の中でも、ある意味、金字塔を打ち立てた、「スターウォーズ」シリーズ!

これを遡上にあげてみましょうかね!


さて、最近は、家の中にいても、熱中症の可能性が、あるらしいんで、

冷たいVittelをぐびびと飲んで、ゆるゆると論考を、始めていきましょう!


まあ、「スターウォーズ」と言っても、今の若い世代は、エピソードⅠⅡⅢのほうが、

メインみたいな、感じなんでしょうけど、僕らの世代になると、やはり、

エピソードⅣの「A NEW HOPE」が、最初に世界に現れたときの衝撃というのは、

ちょっとすごかったですね。僕は小学生だったんですけど、

ああいうエンターテイメントが、そもそも、それまで、なかったような気がするんですね。

僕の中では、SF映画というと、「2001年宇宙の旅」とか、こう純粋に、科学と哲学と文学の融合的な

文化だったような気がするんですよね。「禁断の惑星」とかも、そういう哲学的なテーマを内包するような形でしたし、

そういうSFというジャンルには、なにか、高尚な匂いが、あったんですけど、

この「スター・ウォーズ」は、SFというより、「宇宙活劇!」と言った方がいいジャンルですし、

それまで、なかった、ジャンルが新たにできた!みたいなイメージでしたね。


ちょうどこのエピソードⅣが公開される前に、日本では、「宇宙戦艦ヤマト」という、SFの匂いを濃厚に残しながら、

日本的な方式で、エンターテイメントを、追求した作品が、

「大人も楽しめる初のアニメ」

的に盛り上がったんですね。僕はまず、このヤマトのファンになり、相当入れ込んだものですが、まあ、

「商売というものは、作品をスポイルするものだ」

ということは、このヤマトで、勉強したような気がしますね。

「大人のこすっからさ」

とか、

「うそをつく、おとな」

とか、ねー。

まあ、若い世代は、知らないと思うので、解説しますが、この「宇宙戦艦ヤマト」、まず、日本テレビのアニメとして、西崎というプロデューサーの元、

原案が練られて、その映像化や、作品世界をつくる上での協力者として入ったのが、松本零士氏だったんですね。

だから、実際、松本零士原作では、ないんですが、このアニメ作品を元に、氏は、漫画として、冒険王という少年誌に連載していくうちに、

アニメ版宇宙戦艦ヤマトの人気が、盛り上がり、結局、版権争いが、この西崎プロデューサーと、松本零士氏の間で、起こり、

西崎氏の勝訴となったという経緯が、あるんですね。

まあ、そういう大人達の利権をめぐる戦いも、気分を害するものでしたが、だいたい、「宇宙戦艦ヤマト」が盛り上がったおかげで、

次作「さらば宇宙戦艦ヤマト」が、作成され、ここで、終わるはずだったんですよね。もう、スタッフとか、言明していたわけです。

「もうこれが、最後!」

と。僕はまだ、小学生でしたから、この「さらば宇宙戦艦ヤマト」が、ものすごく好きになってね。

未だに、こう「さらば宇宙戦艦ヤマト」と、書くだけで、ちょっと胸がドキドキするような感覚ですからね。当時は、どれだけすごかったことか。

しかし、スタッフが、

「これが最後だから、もう、登場人物、みんな殺しちゃうの!」

と、していたにもかかわらず、次回作が、作られちゃうんですね。まあ、

「それ、言ってたことと違うじゃん。最後だっていうから、おこづかい、つっこんで、映画観に行ったのに!」

という気分に、なるわけですよ。でも、大人は子供相手だからと言って、子供だましをガンガンしかけてくるわけです。

ガンガン、次回作が、作られちゃう。

それに対して、僕らとしても

「せっかく、ここまで、見たんだから・・・」

という感じで、次々と作られる次回作を、ついつい見ちゃうんですね。

しかし、ストーリーとしての、質はどんどん下がるばかり。

もう、最後は、エロ要素(子供向け映画でありながら、主人公とヒロインのエッチシーンという、なんとも、なやつ)

まで、くっつけて、客をつのる始末でしたから、もー、一少年としては、覚めた目で、一連の騒動を見ていた記憶があります。

まあ、もっともその一連の話は、ずーっと後の話になるわけですけどね。


というより、僕は、「宇宙戦艦ヤマト」「さらば宇宙戦艦ヤマト」がありーの、「スター・ウォーズ」がありーの、

そして、「機動戦士ガンダム」が、登場!と、たった数年のうちに、怒涛の映像革命、SF革命が、進んだあたり、驚異の数年間に感じましたね。

この先、どうなってしまうんだろう。また、例年のように、すごい作品が登場するのだろうか!・・・と、期待しましたが、現実はそうならずに済みましたけどね。

その頃の、ドキドキ感って、今でも、覚えていますね。これは、体験してみないと、わからない感情だと思いますけどね。

ま、その次の革命は、「エヴァンゲリオン」まで、待つことになったわけですが・・・まあ、それは、別のところで、話しましょうかね。


まあ、ガンダムも、

「もう、次作は、やらん!」

と言明していた、トミノ氏でしたが、7年後にゼータガンダムが、作られてからは、怒涛の如く・・・。

まあ、僕は、ファーストガンダムの流れである、ゼータ、ダブルゼータ、逆シャアくらいしか見てませんけどね。

もっとも、ダブルゼータは、あまりにも、路線変更が、激しかったおかげで、ダブルゼータが合体して、ポーズをとった瞬間に

スイッチを消しました。まあ、のちのちになって、チェックしたはずですけど、ほとんど覚えていません。

まあ、その頃から、自分なりの哲学があって、「物語」のあり方、というものに対して、がんこだったんですね。


まあ、今、この時代は、日本のアニメや漫画が、世界のエンターテイメントに影響を大きく与えている時代ですが、

まあ、「ファースト・スターウォーズ」のあの時代は、そんなこと、ありえない、世界を日本が、模倣している時代だという認識があったんですね。

ハリウッド映画が、世界で、一番進んでいると、そういう認識だったんですよ。


あの「ファースト・ガンダム」のシャアのヘルメット、あれは、完全に、「スター・ウォーズ」のダースベイダーの影響ですし、

ガンダムのビームサーベルは、ジェダイのライトセイバーの影響ですからね。

そこらへんは、まあ、当時から、わかっていました。

「まあ、そこらへんは、仕方ないかな」

と。まあ、卑屈な気持ちが、あったわけですよ。


ですが、ですが、いろいろわかってくるうちに、

「おやー!」

ということになってくるわけですね。


まあ、まず、最初は、ハリウッド映画「荒野の7人」問題ですね。まあ、ウエスタンの傑作と言われたこの映画ですが、

どう見たって、黒澤監督の「七人のさむらい」のウエスタンへの焼き直しなんですよね。これはまあ、後々になって、それを認める監督発言が出ましたが、

まあ、日本映画って、そういう意味では、けっこう昔から、パクられていたんですね。あと、手塚作品なんかも、けっこうパクられていたみたいですね。

「ライオンキング」なんて、どう見たって、レオでしょ、あれ。

まあ、それで、「スター・ウォーズ」ですが、これは、パクリというより、黒澤映画の強い影響を受けていると、言うべきでしょうね。

あのシャア・アズナブルのヘルメットに影響を与えた、ダースベイダーのヘルメットは、黒澤映画によく登場した、日本の武将の兜の意匠から、来ていたんですね。

つまり、アメリカ人が、見ても、あの戦国武将の兜って、カッコよく感じられるんですよね。

近年、ニューヨークなんかで、日本の文化展など、よくやっていて、兜とか、鎧なんかが、飛ぶように売れていたりするんです。

まあ、日本文化が、西洋では、ヌーベルジャパネスク(これは、フランス語か)として、受け入れられた素地は、もう、浮世絵あたりから、

その表現という意味では、ありますからね。やはり、美の表現というのは、世界共通だったりするんですね。


さて、その「スター・ウォーズ」ですが、まあ、スカイウォーカー物語でも、あるんですけど、

ジェダイという組織の一員としての、物語なんですよね。

このジェダイという組織、なにか、バチカン配下の十字軍の騎士や、薔薇十字団だったり、いろいろな騎士団の組織を思わせるんですが、

ちょっと思ったのは、「七人の侍」の七人が、話し合いで、今後のことを決めていく描写に、非常に、似た匂いを感じるんですね。

つまり、元ネタとしての「七人の侍」という匂いが、濃密にするんですねー。


まあ、「ジェダイ」」という言葉も、「時代」からとったという話ですし、なにより、エピソードⅢで、最後、オビワンが、惑星タトゥイーンに逃げるために、

皆と、別れるときには、わざと、長々としたお辞儀のシーンを意図的に挿入したり(お辞儀は東洋の文化です)、

まあ、R2-D2とC3POのあり方は、黒澤の「隠し砦の三悪人」そのままだしね。

まあ、「七人の侍」を始めとした、黒澤作品の影響を濃密に受けているということが、ありありとわかるんですね。


それで、先日、エピソードⅤを見ていたんですけど、まあ、ルークが、ヨーダに会うシーンを主に観始めたんですけど、

このヨーダの表情や目を見ていて、思い出したのが、「七人の侍」の、老練なまとめ役、志村喬氏の表情!

「ヨーダって、島田勘兵衛をモデルにしてんじゃん!」

と、突然思ったわけですね。

あの、世界を達観しているような、静かな表情。それで、いて、しっかりと人を見ている目。

キャラとしても、皆をまとめ、その経験から、老練な結論をだすあたり、どう見たって、志村喬氏が、演じた島田勘兵衛ですよねー!


確か、初期のイメージボードでは、オビワンは、三船敏郎というアイデアがあったみたいですし、このあたり、「七人の侍」の世界を、

移植している感すら、感じられますね。

つまり、この事実は、何を意味しているか、ということになるわけです。影響を受けた、受けない、パクった、パクっていない、

という問題ではなく、その事実が意味するもの、それは、今現在、起こっている、日本的多様性の価値観の、世界的評価という現象が、

すでに、この時代から、展開を始めていた、ということを示しているんですね。


もちろん、「スター・ウォーズ」シリーズは、帝国側か、同盟軍側か、という「二律背反ストーリー」の最たるモノなんですけど、

それだけじゃない、表現がありますね。例えば、オビワンケノービは、ルークのために、ルークに最後の精神修行をさせるために、

死を選びます。ジャージャービンクスの仲間達は、自らの土地を守るために、ドロイド軍団に果敢な攻撃をしかけます。

もっとも、あの戦いは、どう見たって、黒澤映画「乱」の戦シーンをオマージュしたものですけどね。

つまり、二律背反ストーリーの中に、隠れながら、日本的美意識が、そこかしこに、現れはじめたのが、この「スター・ウォーズ」シリーズ

と見ていいと、言えるわけですよ。


今の世界的、日本文化の流行の兆しだったのが、この「スター・ウォーズ」だったんですね。

つまり、黒澤映画が、それ以前に、世界的に評価を受けていたことが、今の日本文化の流行の下地となり、さらに、遡れば、浮世絵や、

さらに、源氏物語にいきつくわけですよ。


源氏物語の絵巻は、世界中の愛好家好事家、美術館に愛され、散逸している作品も多いんですよね。

戦後のどさくさに紛れて国宝級のモノが、多く海外に流出したみたいで、

でも、あれ美しいんですよね。それに、おもしろいことに、源氏物語の絵巻って、戦国時代に、

多数作られたりしているんですね。大名が、自国の文化レベルをあげる一助として、

当時の高名な美術家に、先を争って作らせている。戦国時代だからこそ、そういう競い合いが生まれたんですね。

おもしろいストーリーだと思います。でも、おもしろいのは、戦国版と言われるそういう源氏物語絵巻って、

武士が、強調されたりしているわけです。まあ、もちろん、平安時代の武士表現ですけど、

武士が、登場するシーンが増えていたり、流鏑馬をやる武士が挿入されていたり、

やっぱり、自分アゲが、なされているんですよ。いつの時代も変わりませんね。

ま、僕は、そういう絵巻を見ているのが、大好きですけどね。美しいものは、やはりいい。


まあ、そんな源氏物語は、仏教の世界観が、背景になっていますから、これも多様化ストーリーなんですよ。

つまり、世界は、二律背反ストーリーを信仰しながら、多様化ストーリーの素晴らしさにも、気づいているんですね。


話を「スター・ウォーズ」に戻しましょう。このシリーズは、スカイウォーカー父子の物語なんですけど、

ダークサイドに落ちた父に対して、その父に、ジェダイに戻れ、と説得したのが、ルークなんですよね。

エピソードⅠⅡⅢは、どうして、父が、ダークサイドに落ちたのかを語るストーリーであり、

エピソードⅣⅤⅥは、あらたな希望としてのルークの話と、それに対する父のストーリーなんですね。

そして、最後、エピソードⅥで、父は、ルークの説得を受け入れ、シスである帝国皇帝を殺し、ダークサイドを抜け出る。

そして、彼は、死をもって、ジェダイに復帰するんですね。

だから、エピソードⅥの題名は、「ジェダイの帰還」であり、スター・ウォーズシリーズの主人公のひとりが、このアナキンであったことが、

語られるわけです。いやー、僕は、当初、この「ジェダイの帰還」、という題名が、どうもピンとこなかったわけですけど、

エピソードⅠⅡⅢを見て、

「あー、アナキンが、ジェダイデビューして、ダークサイドに堕ちて、そして、ジェダイとして戻ってきたから、こういう題名なのかー!」

と、やっと納得しました。Ⅲを観終わった時に、この「ジェダイの帰還」というエピソードⅥのタイトルの

意味が、わかったことを、感激と共に、文章として書いたことを覚えています。ま、友人へのメールでしたけど(笑)。

この時代、ジェダイって、本来的には、アナキンだけなんですね。ルークは、ほとんど修行の時間がとれなかったですからね。


この「父と、男の子」の話ってのは、世界の神話に最も多くある話なんですよね。

日本でも、ヤマトタケルノミコトが父に嫌われ、日本各地の戦場に駆り出されたあげく、父を恨みながら、死んだりしている。

父との和解が、あるか、どうか、これが焦点になるストーリーなんですよ。

これは、やはり、古代、権力の移譲が、大変難しいという側面から、いろいろな言い訳がつくられた、その名残だと思います。

権力の移譲については、古代では、やはり、戦争のきっかけになったり、暗殺が行われたりなど、血生臭いできごとが、多かったでしょうからね。

戦国時代の日本もそういうストーリーが、多発していますね。武田信玄を始めとして、父と子のあり方というのは、それこそ、人々の関心の中心だったりするわけです。

だから、父を乗り越えるストーリーだったり、父を嫌うストーリーだったりも、多かったんですよ。

そういう中、最も尊ばれたのが、父と子の和解ストーリーなわけなんですね。


世界の神話や、民族伝承などを読みまくったジョージ・ルーカスは、その事実を知ったのでしょうね。

つまり、世界が受け入れ、最も尊ぶのが、父と男の子の和解のストーリーだという事実を、知ってしまった。

だから、サーガとして、このスター・ウォーズというストーリーを編んだ。

そういう意味では、ルーカスは、世界を最初から、相手にしていた。

「世界で、最も、売れる、ストーリーとは、何か?」

そういう観点から、論考に入り、導きだした答えが、

「父と子の和解のストーリー」

だったんです。そういえば、風のうわさで、村上さんの「1Q84」にも、そんな表現があるとか。さすが、マーケティング小説だな。

さて、そういう論考者としての一面のあるルーカスだからこそ、スター・ウォーズ・ストーリーによる、世界的成功を収めたのだ、と見ることができます。

最近、論考者の論考をやっていなかったから、久しぶりだけど、彼もまた、論考者なんですよ。

彼は、スターウォーズについては、自分で金を出すから、版権その他を全て彼の会社で、管理するよう、配給映画会社と、あらかじめ、約束していました。

だから、配給映画会社の意向に関係なく、映画を作ることができ、数々の成功を挙げてきたんですね。

つまり、最初から、このスターウォーズ・ストーリーが、世界的に大成功することが、わかっていたんですよ。

人生の契機とは、それを論考できた、瞬間に始まる。

論考者の素晴らしさを久しぶりに、論考できた、話題になりましたね。スターウォーズ。


ルーカスは、黒澤に見る、日本のストーリーに、無限の可能性を見たのでしょう。

そして、それをうまく、取り込んだ。

日本には、世界で、成功できる要素が、今でも、ザクザクとお宝のように、眠っているんです。

僕らは、それを使って、世界に出ればいい。そうすれば、世界が、我々の素晴らしさに気づいてくれる。

そんな、日本の可能性を、最後に、指摘して、今日の結論としましょうかね。

久しぶりに、最初は、結論のわからない、ころころ転がった論考になりましたね。

うん、なかなか、楽しかったです。


さて、今日も長々と書いてしまいました。

ここまで、読んでいただいたみなさ、ありがとうございました。

また、次回、週末の名画論考で、お会いしましょう!


ではでは。


アイアンマン!(週末の映画論考!:日本人的美学からの論考)

2010年07月18日 | 名画論考!
おはようございます!

いやー、週末三連休!いいですねー。

もう、昨日は、すっかり、自転車トレーニングもして、ユニクロにも顔をだして、

お姉ちゃんと楽しく話してきました。いやー、そこらへん、変わらないねー(笑)。

日差しも夏だしね。日にもすっかり焼けまくってますが、なかなか、気持ちがいいです。

今日も、楽しい予定が、ばっちりで、いやあ、いいですね。やっぱり、休みは。


さて、今日はイレギュラーなんですが、日曜日くらい休もうかなあ、と思っていたんですが、

まあ、映画見ちゃったんでねー。

まあ、これ、家族で、楽しめる映画です。まあ、エッチのシーンが一瞬ありますが、

まあ、笑える感じに、演出されているんでね。まあ、大丈夫、という感じです。

えー、映画の題名、いきましょうか!

「アイアンマン!」

です。いやー、アメコミなんか、つまんねー、とか二律背反ストーリーは、つまんねー、

とか、言いながら、僕は、バッドマンが、好きですからねー。いやあ、言っていることと、

やっていることが、違うわけですけど、まあ、今がよければすべてよし!というわけで、

ちょっと借りてみました。これ、2008年の映画なんですね。

こういうパワードスーツ系は、ちょっとロボコップ的な匂いが、しますね。

まあ、あれは、日本のシャリバンとか、ロボット刑事K(古!)のパクリですからね。

まあ、それでいて、日本批判の映画でしたけど、なんだそれって感じで、もう記憶から消去しました!

ただ、このアイアンマンは、古くからあるアメコミらしいですね。

これね。素直におもしろかったですね。僕は。

あのー、もちろん、こー、パワードスーツ同士の戦いなんて、もう、男の子のハートぐさりぐさりくるでしょう。

まあ、ファーストガンダムファンとすれば、これは、きちゃいますよ。

でもね、何がおもしろかったか、っていうと、この主人公のトニースタークくんが、まあ、性格が、僕と一緒なんですね。

もう、

「おまえは、俺か!」

っていうぐらい、同じ性格していたんで、次の行動が、わかりやすいし、最後のおちも、予想がつくんで、

まあ、楽しかったです。

「もう、こうなるのが、当たり前なんだから、なーに、焦ってんだよ!」

っていう感じで、冷静沈着だったり、

「おめえ、やるんだったら、徹底的にやって、経験しておくのが、筋だろうがよ!」

っていう感じとかね。基本、僕は選択と集中ですからね。

「やったことないんだったら、ぜひ、やるべきだろ!」

とか、もうね、そーゆう性格なんで、このトニーくんと全く一緒だったんで、おもしろかったですね。

まあ、トニーくん、女癖は、悪いみたいですけど、まあ、そこが違うくらいかな。まあ、確かに女の子と仲良くなるのは、得意ですけど、

癖は、悪く無いからね(笑)。

というわけで、このアイアンマン、楽しかったですね。子供なんて、大喜び!それでいて、大人も楽しめる、なかなかの映画でした。

えー、まあ、このトニーくん。父が武器開発のプロで、大きな会社を設立するわけです。原爆開発にも手を貸したとか、なんとか。

そして、このトニーくん、子供の頃から、メカオタク。エンジンとか5歳で、作っちゃうとかありえない感じなんですけど、まー、スーパーなエンジニアにして、

天才発明家とか、呼ばれている。そのトニーくん、20歳で、その父親の会社の社長に就任、がんがん、武器をつくって、ガンガン売りまくるわけです。

そして、会社もがんがん大きくして、世界最高の武器開発会社になっちゃうわけです。まあ、もちろん、そういうあり方に批判的な記者なんかも、

いたりして、批判なんかされたりするわけですけど、もちろん、トニーくんは、そんなの、眼中になしなんですね。

そんな批判的な記者を落として、一緒に寝ちゃったりするわけです。まあ、約束なんかも、守らない。自分中心の性格だったりするわけです。

まあ、欲望に素直で、無責任なんですね、当初は。

そして、自社の兵器の、プレゼンのために、アフガンに出張したところ、プレゼンの帰路、ゲリラの襲撃に会い・・・という内容で、そこから、波乱万丈な

ストーリーが綴られるわけです。

まあ、内容は、映画を観てもらうとして、やっぱりこのトニー役の、ロバードダウニーJrがいいんですよね。この人も、私生活波乱万丈という

もう、僕そっくり。もう、なんていうか、落ち着き方とか、こう、物の考え方が、おんなじで、それを演技する感じが、

よーくわかっているっていうか、おもしろかったですね。このひとが、演じたからこそ出た、味というのが、あります。

しかし、ロバードダウニーJrも、いい感じで、年をとったね。若い頃の、美少年系な感じも知っているから、ちょっとおもしろい感じですけど。

それと、このトニーくんを助ける、父親の代から仕える盟友オバディア役が、なんとジェフ・ブリッジスなんですね。

だって、髪の毛もかなり短くして、白髪の髭面だし、もう全然わかりませんでした。

これ、最初見ているとき、全然、気がつかなくって、最後の出演リストを見て、愕然としたんですが、ジェフも年取ったね。

まあ、名優ですからね。このひとは。オバディア役を重厚に演じてましたけど、やー、驚きました。

っていうか、僕は、「恋のゆくえ ファビラスベイカーボーイズ」(1989年)という映画が好きで、まあ、20年前の映画ですけど、

ジェフの女癖の悪いピアニスト役が、好きでね。まあ、ひねた二枚目をうまーく演じていましたから、

「あー、こーゆー、かっこよくって影のある大人になりたいなー」

と思ってたんですけどね。ぜーんぜん違っていてびっくりしました。まあ、でも、名優ここにあり、って感じでしたけどね。

「タッカー」とかもね。かっこよかったっすよねー。まあでも、今、60歳なんで、まあ、そんなもんか、って感じですけど、

このオバディア役は、完全に印象を変えた役柄でした。ちょっとビジュアルもかなり変更して、望んでいて、

彼の役者魂を感じましたね。

えー、このトニー、まあ、あるできごとが、きっかけで、パワードスーツをつくるわけです。それで、あるミッションを遂行するわけですけど、

この初期型のパワードスーツは、そのミッション中に、トニーの体から、はずれて、置き去りになる、ということで、のちにその初期型のパワードスーツが、

何者かに、回収され、別のパワードスーツの開発に使われてしまうという運命になっているわけです。トニーは、そのミッション遂行後、

武器というものの恐ろしさや、それが、使われることで、アフガンの人々が不幸になるのを目にし、平和な世界というものの実現に、目覚めるわけです。

そして、新たな感慨の元、パワードスーツのマークⅡを個人で開発するんですねー。そして、新たな敵と戦うことになるわけです。

まあ、それまで、グラビア女性との浮名を流したり、いろいろ女癖も悪くさらに責任感がない、という本能のままやりたい放題やってきたトニーなんですけど、

精神的に成長していくわけなんですよ。そこらへんも、おもしろかったですね。まあ、その金持ちぶりや、豪遊ぶりも楽しかったですけど、

精神的に成長していく過程もおもしろかった。まあ、成長を描くために、最初にだめだめにしておくのは、こういう成長物語のお約束なんですけどね。


このアイアンマンは、まあ、空をとべるわけです。なんてたって、音速を超えますし、ちょっとアメリカから、アフガンまで、いけちゃう能力を持っていたりするわけです。

それで、ミサイルぶっぱなしたり、チャフとばしたり、もう、なんでもありみたいな、パワードスーツなんですよ。いわゆる超兵器なわけですね。もうね、見ているだけで、

楽しいんですよ。もう、男の子だったら、わくわくドキドキもんですよー。それをさも当然みたいに活躍するトニーが、また、おもしろいわけですけど。

これ、あったら、着てみたいなあ、って、普通に思いましたね。


あのー、僕は大学時代、実は、ロボットの研究していたんですよ。まあ、ファーストガンダムに出てくるモスクハン博士にあこがれて、そういう道を大学で、

目指したんですね。マスターも含めて、結局、6年、大学には、いたわけですけど、研究している間に、いろいろな思いがありましたね。

まあ、そういう方向での、就職も可能だったんですけど(というか、普通は、そういう方向で、就職するもんですが)、

まあ、いろいろ思うところがあって、別な道を選択しました。だから、なんかー、こうロボット系のモノが出てくると、うれしくなっちゃうんですよね。

パワードスーツは、僕の大学時代には、アクチュエータの進化が、まだまだ、でしたから、まあ、夢話みたいなところが、ありましたが、近年、

日本では、老人の作業補佐とか、介護の観点から、けっこう研究されているんですね。ちょっとおもしろかったのは、米軍が、そういう技術を

軍事的な観点から、応用できないか、ということで、日本のそういう研究を、見学していたりするんですね。まあ、このアイアンマンに見るアメリカ人の思想が、

垣間見える事実ですよね。

まあ、だから、戦争シーンの中に、こういうパワードスーツが入っていくと、どうなるか、というのを映像化したのが、このアイアンマンということになりますねー。

そういうアクション戦争モノとしても、かなりおもしろくできあ上がっていました。

アイアンマンVSF24だったかな?まあ、アメリカの最新鋭戦闘機VSアイアンマンというシーンも、もちろん、出てくるわけです。

もうね。カッコよかったですよ。


ただ、やっぱり、全編、このトニーという主役の性格のおもしろさが、フューチャーされているわけです。

平和というものに対する想いだったり、お姉ちゃんに対する想いだったり、人生の生き方や、生きていくために、やるべきことを、どう考えるか。

そのあたり、結構、考え方が、自分と似ていて、めちゃくちゃ、おもしろかったですね。

「やっぱ、そうなるよな」

と、いちいち、同意しながら、見ていましたから。なんだか、自分に似た考えを持つ、友人を見つけた感じで、そういうおもしろさが、僕には、

ありましたね。


この映画のテーマは、やはり、戦争と平和、ということになると思います。武器とは、武器は、平和に寄与するのか。

そういうあり方は、あるのか。そんなあたりが、テーマになっていて、それをダイナミックにおもしろく描いたのが、このアイアンマンだと思います。

そして、市民のヒーロー待望熱にも、ちゃんと寄与している。こういうヒーローがいたら、おもしろいですよね。

あの性格のトニーですから。ひとつだけ、このトニーにも、うまくできないことがあって、それが、ヒロインとの恋愛なんですね。

腐るほど、女を抱いてきたのに、なぜか、必要とする女性は、うまく落とせない。

なんて、あたりも、ちょっと笑いを誘う、おもしろいトニーでした。いやあ、確か続編が公開されたはずだから、そっちもDVDが出たら、

観ちゃいましょうかね。


夜、家族同士で、まあ、お酒なんか、飲みながら、なーんも考えずに、楽しむには、うってつけです。

ガンダム好き、シャリバン好き、スパイダーマン好き、アメコミの世界好きには、たまらんでしょう。

主人公の活躍に一喜一憂し、ハラハラドキドキして、最後には、気持よく、勝ちを得る。

そんな時間の演出には、この映画は最適だと思いますよ。


うーん、しかし、ひさしぶりに、

「おまえは、俺か!」

というセリフを思い出しました。トニーのキャラクターが、良かったですねー。

そして、美しく変貌するヒロインもなかなか、まじめそうで、なかなか、良かったです。

ちょっとした、楽しい時間を、くれる、映画。それが、このアイアンマン、という映画でしょうか。


なんだか、手放しのほめようになっちゃったけど、まあ、たまには、いいですかね。

今日は、そんな結論で、楽しくいきましょう。なにしろ、3連休の中日ですからね。


今日も長く書いてしまいました。

ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、月曜日の歌詞論考で、お会いしましょう!


ではでは。



ヒュー・グラント他の「ラブ・アクチュアリー!」(週末の名画論考!:日本人的美学からの論考)

2010年07月17日 | 名画論考!
おはようございます!

えー、今日、明日あたりで、つゆあけ!とか天気予報では、

言われていますが、さて、どうなんでしょうね!

そうしてくれると、うれしいですが、

まあ、とにかく、今日から、3連休、思いっきり、楽しんじゃいましょうかね!

夏の連休、気分よく、楽しみましょう!


というわけで、えー、週末の名画論考!行きましょうか!

まあ、映画についての文章っていうのは、まあ、いろんなところにあふれているんで、

まあ、自分なりの書き方、というのが、できるまで、どんな感じになるかわかりませんが、

まあ、とにかく、自分なりに、

「これよかったよなあ」

という映画を再度見てみて、どこが、よかったのか、まあ、気軽に論考する!というコンセプトで、

まず、始めてみましょう。始めれば、ころころ、いい方向へ、転がっていくもんですからね!

まあ、そのためには、最新のモノもチェックしていく必要もできるんで、自然、映画にも詳しくなるかなあ、

っていう感じですね。まあ、若い頃は映画はチェックしまくったもんですけど、案外、最近は遠ざかっちゃった感じですね。

という辺りのテコ入れにも、いいかなあ、って感じで、まあ、やってみますか!という感じです。


さて、んで、この間、レンタル屋に言ったら、「ローマの休日」がねえでやんの!

まあ、これも、なにかのお導きかなあ、ということで、以前、見たことがあって、

いい雰囲気だったなあ、という印象の強い、

「ラブ・アクチュアリー」2004年作品(英米合作)

これ、行ってみましょうか!棚の真ん中にあったんでねー、ちょうど、持ってげ!みたいに目に入ったんで、

これを記念すべき、第一作品にしましょう!

もう、6年前の作品なんですねー。これ、前回見たときは、何気なくレンタルで借りたんですね。なーんの前情報もなく

多分、週末の気分転換に見たんだろうと思いますけど、思いのほか、良くって、友人達に、推薦しまくったことを覚えています。


映画は、19人の群像劇というか、友人達や、同じ会社の同僚、イギリスの首相なんか、複雑に絡み合っているんだけど、

要は、お友達、知り合い達のクリスマスイブに向かって進行する、ロマンチックコメディという奴で、いろんな愛の形が、描かれているんですね。

それが、ある人間に対しては、丁寧に、ある人間には、おもしろ要素で、ある人間については、人生の哀しさやつらさ、そして、

いろいろなことを乗り越えて、愛はやがて、クリスマスに輝く。


と、書いていて気づいたんですけど、これ、僕の、「クリスマスのかけら」のコンセプトとそっくり同じじゃないですか!

つまり、僕の意識のどこかで、この映画の要素が、残っていたんでしょうね。そして、それが、好きな要素だったから、

それらを集めて新たに発想して、「クリスマスのかけら」につながったんでしょうね。いやー、新たな発見ですね。

という意味では、「クリスマスのかけら」の原点たる、作品ということになるんでしょうね。


えー、この中で、2004年当時の僕が、最もシンパシーを抱いた、恋物語について、まず、語りましょうかね。

主人公は、マークという画家さんです。

このマークの親友ピーターが冒頭結婚式をあげるわけです。どうもこの二人は親友同士で、ものすごく仲が良さそう、というわけで、

結婚式のビックリ演出も、歌い手から、ホーンセクションから、エレキギターまでが、結婚式会場のそこここから、現れるという

手の込んだモノ。それだけ、マークのこの結婚式への思い入れが大きいことがわかります。

そして、ピーターの二次会の風景を、寂しそうな表情で、見つめるマークに、近くにいたこれも、寂しそうな女性が、

「あなたゲイ?」

と質問するくらい、ピータは、落ち込んだ表情なわけです。その女性と意気投合するのは、次々とかけられるのが、カップルのしあわせぶりを盛り上げるラブラブ!

な曲ばかりだから!それを

「聞きたくない」

というわけで、寂しい男と女性の二人は、ダメ出ししまくりながら、パーティを過ごすという情景が描かれています。それだけ、マークは、寂しがっているんですね。

まあ、このとき、僕は、

「そういや、イギリスって、エルトン・ジョンとか、フレディ・マーキュリーのイメージから、ゲイが多いのかな」

って思ってましたね。そう、マークは、ほんとは、ゲイなのに、その気持ちを隠しているのかな?って感じでした。


ピーターの結婚相手は超美人なジュリエットということで、これ、キーラ・ナイトレイなんですね。そりゃ、美人のはずだよね。このジュリエットさん、

まあ、夫の親友であるマーク君と、うまくやれてないことを、ちょっと気に病んでいるんですね。まあ、まじめな奥さんです。

それで、マークとピータの電話の途中、自分の結婚式のビデオが、正式版がうまく撮れていなかったことを理由に、マークが撮っていたビデオを見せてほしい、と頼むわけです。

もちろん、この時、ピーターも、マークが、ジュリエットに冷たいことに勘付いていて、

「やさしくしてやれよ」

なんて、言っているわけです。でも、マークは、なんだかんだ言って冷たく、というか、

「ビデオは撮ったけど、ひどかった」

とか、

「探したけど、見つからなかった」

とか、逃げまくるわけです。拒否しまくり。まあ、それを聞いたジュリエットさん、今度は、直接マークくんのところに、やってきちゃうんですね。

そして、誠実に、

「あなたから、嫌われているのは、知っている。でも、仲良くしたいの。うまくやっていきたいのよ。悪いところあったら直すから」

的な感じで、なんとか、関係修復を申し出るんですね。まあ、人生を怖がらずに真面目に生きている女性って、感じですよね。それでいて、超美人というわけで、

まあ、いやはや、なんとも。

まあ、その言葉には、承服するマークくんなわけですけど、

「だから、と言って、ビデオが見つかるわけではないよ」

なんて、言って、またまた、逃げるわけです。なんて、やっていると、彼女が、そのビデオを見つけちゃうわけですよ。もう、ここらへん、お約束ですけどね。

それでも、マークは、逃げるわけです。

「いや、そのビデオの上からドラマとか、重ね撮りしちゃったような気がする」

とか、最後まで、抵抗するわけですね。


そして、そのビデオを見るジュリエット。頭を抱えるマークくん。


彼女が、綺麗に映っているんです。とても、綺麗に。うれしがるジュリエット。しかし、途中でジュリエットは、あることに気づくんです。

「わたし、しか、映って、いない」

美しい彼女が、余す所無く、ほんとうに、きれいに映っている。

それは、彼の、彼女に、対する、想い、だったんですね。

彼女の美しさをずっと見ていたい、彼の視線そのもの、だったんです。

そう。彼は、彼女が、好きだったから、それを気づかれたくなかったから、ビデオの提出を拒んでいたんです。だから、マークくんは、彼女に冷たくしていたんですね。


途中で、そのことに、気づいた彼女。その彼女に、

「ランチの約束があるんだ・・・。観終わったら、帰ってくれてかまわないから・・・」

と、言って、部屋を出るマーク。そのマークが、街を歩いていて、

「いや、帰ろう。いや、だめだ。このまま、行こうか、でも、帰ろうか、いや、帰れない、でも・・・」

と、逡巡するところに、ぐぐっと気持ちを引き込まれるんですねー。

その気持ちが、よくわかる!って、魂がささやくわけですよー!


いやあ、これ、良かったですね。好きだから、冷たくしなきゃいけない。

「自己防衛ってやつかな・・・」

と、マークもジュリエットに言っちゃうんですけどね。こういうの、よくわかりましたね。


というのも、この当時より、かなり前の話になりますが、僕は、若い頃、ある美しい女性と出会い、そのフリーだった彼女が、僕の友人と仲良くなっていき、結婚する、

というストーリーを身近で体験したことが、あったんですね。まあ、結局、離婚しちゃってるけどさ(笑)。

まあ、当時、僕は、マークほど、その女性を好きになりはしなかったですけど、多分、それも自己防衛だっと思いますね。まあ、ある年齢になれば、悪い意味で、

自己防衛本能というのは、作動してしまいますからね。だから、このマークのストーリーが、痛いほど、わかった状況だったわけです。そういう経験があったからね。

あとねー。僕は、ひとの奥さんをやっている方に、安易に、

「わたし、○○さんに先に出会っていたら、絶対、○○さんと、結婚してた!」

とか、よく言われたりしてたんですね。その頃。もうね、蛇の生殺し的な残酷な仕打ちでしたけどね。そんな僕を好きだという人間に、不倫なぞ、させられるわけないですからね。

まあ、しれっと、知らんふり、してましたけど、そうしていると、今度は、みんなで飲んでる時に、皆の前で、そういうことを宣言したりするわけですよ。

もう、ね。ああいう、なんちゅーの、恋愛の形って、珍しいよね。まあ、そういうひとって、洞察力の高い美人さんだったりするわけでさ。

みんなが、みんな、美人と認めて仕事もできると、認めるひと、だったりするからねー、僕としては正直その後、やりにくくなるわけですよ。

ま、やっかみとかさ。ほら、やっぱり人間だからさ、そこらへん、あるわけでさ。

ま、でも、特に、そのときの周りの人間は、気持ちのいいひとばかりでしたから、特に何もなかったですけどね。

もう、ま、今では、いい思い出ですけどねー。そういう愛の形が、3、4回ありましたね。

あのね。そういうことを皆の前で宣言されると、皆ドン引きですよ。それで、その場所で、しゃべることが、許されるのは、僕だけって、ことになるわけで。

「人生、うまくいかないよねー(汗)」

とか、あたりさわりのないことを話して、その場をやり過ごすんですが、もう、何回も似たようなシチュエーションに会うと、最後は慣れました(笑)。

まあ、そんな普通でない、恋愛の形を、経験してきた僕としては、このマークストーリーが、痛いほど、気持ちにぐっと来たんですね。


今日は、皆がこころ踊らせるクリスマスイブ!

って、書いちゃうわけですけど、えー、マークくんは、イブの夜に、ピーターとジュリエットの家のピンポンを鳴らします。

もちろん、出てくるのは、ジュリエット、ということで、彼は聖歌隊の歌を、ラジカセ(!)で流しながら、

大きな紙に書いたメッセージを、一枚、一枚めくりながら、見せていくわけです。

「今日は、クリスマスだから、僕の本音を、言おう。今日くらい、軽く流してよ」

そして、

「君は僕にとって、パーフェクトなんだ!こころから、愛している、ジュリエット!」

これを見たジュリエットは、感激しちゃうわけですねー。

そして、にこやかな表情で、マークは、ラジカセと紙を持って帰っていくわけです。

「これで、充分だ」

と、つぶやきながら。すると、後ろから人影が・・・。

そうです。ジュリエットです。そして、ジュリエットは、マークの唇にキスをすると、何も言わず帰っていくんです。

マークは、つぶやきます。

「報われた」


これね。この男の一言。思いのこもった。ひと言が、重いというか、その想いがほんとうに、伝わる、そういうストーリーでしたねー。

男の恋の多くは、報われないものです。僕も、あの友人と恋に落ちていく女性を見ながら、そういう想いを持ったんだと思います。

「なぜ、僕は愛されず、彼は、愛されるのだろう」

若い頃は、そういうことにずんどこ悩むわけですよ。

「そりゃ、あいつの方がかっこいいもんな。しょうがないよ」

とか、

「ちっ酒だ酒だ。あーあ、なんで、俺、いつもひとりのクリスマスイブなんだろ。やってらんねー」

とかね。それで、また、太って、さらにモテなくなる、なんて悪循環やってましたよ、若い頃は。


でもね。人生、そういう悩みの日々が、人を強くするんです。

そして、どうにかなるもんです。

これを読んでいる若い世代!大丈夫だから、今は、ずんどこ、男の修行中だと思って、明日をねらえ!

って、また、いつのまにか、モテ道場的な話に!(笑)


もちろん、このストーリーは、いく本もある、川の流れのうちでも、ミドルサイズのストーリーで、そういう幾重にも流れるストーリーが編み上げられて

最後のクライマックスへつながっていくんですが、とにかく、かなり悲しい深い話も、ちょっとコメディタッチで、明るい話も、

ヒュー・グラント演じる若きイケメン首相の恋愛も、これでもか、という感じで、同時進行していて、それが、すべて、強調しあって、

最後に、

「イブっていいなあ。恋愛って、いいなあ。大切なひとって、いいなあ」

という感じにしてくれる、素晴らしい映画でしたね。


そして、この映画に共通するのは、登場人物をほんとに愛している人間が、このストーリーをつくりあげてるってことです。

役者さんも、作家も、監督も、プロデューサーも、この映画に関係したすべての人間が、この作品を愛し、人間を愛し、クリスマスを愛している。

そんなことが、わかるしあわせいっぱいな映画でしたね。


今回は、僕が一番共感して、かっこいいなあ、と思ったストーリーについて重点をおいて書きましたが、みなさんが、共感するストーリーによって、

逆にあなたの人生もわかってくる、そんな良作だと思いますね。


そうだな。できれば、クリスマスイブの5週間前あたり、この映画を見ることをオススメします。

あなたは、今年のイブにどんなストーリーに出会うことになるのか。

そんなことを考えながら、この映画を見ると、より、楽しいしあわせな、クリスマスを迎えられるんじゃ、ないですかねー!

というわけで、自分探しのできるしあわせ一杯の映画だった、というのが、今日の結論でしょうか。


今日も長々と書いてしまいました。

ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、月曜日の歌詞論考で、お会いしましょう!


ではでは。