遊去のブログ

ギター&朗読の活動紹介でしたが、現在休止中。今は徒然草化しています。

里芋の季節

2017-11-20 06:59:52 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 里芋というと「芋煮」、芋煮といえば「親睦会」を連想します。ジャガイモもサツマイモも収穫の喜びや歳時記的な楽しみはあっても「親睦」のイメージはありません。これには、ジャガイモやサツマイモが比較的新しい時代に導入された栽培種で、馴染みが薄いということもあるでしょう。そこに行くと里芋は縄文時代には日本に入ってきているようです。そして何と言っても「鍋」との結びつきが親睦に一役買っています。一つ鍋のものをつついて食べるということです。また、健康には里芋のネバネバがいいようですが、ジャガイモにもサツマイモにもそれはありません。
 この里芋に、うちの畑は占領されかけています。元は私が植えたものですが、里芋は掘り上げたとき畑に小さな芋が残ってしまうとそれらは5月頃に小さなかわいい芽を出します。また、里芋は掘り上げるとだんだん味が落ちるので食べる分だけ掘り上げます。そうすれば春までおいしく食べられます。上の茎は冬に枯れてしまうので、そうなると里芋がどこにあるのか分からなくなり、多くがそのままになってしまいます。その結果、数年後には畑は里芋だらけになってしまうのです。
 この里芋は以前の小さな畑から持ってきたものなので20年ほどになりますが、調理するのが手間なのでそれほど頻繁には食べませんでした。どちらかというと<郷愁>を味わっていたようなところがあります。やはり何と言っても「芋煮」の持つ語感はノスタルジー全開です。そこで作ってみるのですが、なぜかそれほどの味わいを出すことができません。それで、皮を剥くまでの準備がめんどうなこともあり、食べることも少なくなった結果、畑の里芋は増えていきました。
 何とかしなければと思い、里芋を食べる工夫をしました。皮を剥く作業は圧力鍋で蒸すことによって手で直接剥けるようになりました。里芋を洗うときも台所用の手袋ではなく作業用の厚い手袋を使うことで解決しました。そうして圧力鍋一杯分ずつ調理していたら次第に食欲がなくなってきてしまいました。味は悪くないのですが見るのも嫌な気分です。それでも食べなければ畑は里芋に占領されてしまいます。これは一種の戦いだと思っても気が進みません。拒絶反応ではないか、拒絶反応ならきっと訳があるはずです。あまり無理に食べない方がいいかもしれないと思いました。
 一年経っても里芋に対する気分は脳の深いところに残っているようでした。それで今度は料理を工夫することにしました。里芋をだし汁で煮るだけでは芸がありません。今年になってから、あることがきっかけで毎日一食カレーを食べるようになりました。夏の間はジャガイモを使いますが冬場になるとジャガイモはなくなります。それで代わりに里芋を使ってみました。うまいかどうかは微妙なところですが、たくさん入れ過ぎなければ食材としては使えそうです。「煮っ転がし」は煮汁がなくなるまで加熱すると思っていたのですがそれでは芋がどろどろになってしまい、うまくいきません。調べてみると、最初は「水を入れずに」、醤油と砂糖で煮るということを知り、目から鱗が落ちました。水を入れずに醤油を加熱したら焦げ付いてとんでもないことになるだろうと思っていたのです。「60にして耳順う」とはよく言ったもので、この歳になって他人の話をよく聞くようになりました。まだまだ工夫の余地がありそうです。
 里芋を食べ始めて気付いたのですが、子供の時、里芋はそれほど食べていなかったのではないかと思いました。里芋がおいしかったという記憶はあるのですが、それは食べる頻度が低かったからかもしれません。「芋煮」も人が集まったときにするもので毎日食べる料理ではありません。煮しめも正月三が日です。こう考えてみると里芋の食べ方には伝承的な要素が背景に垣間見られそうな気がしてきました。
 実は、このところ、縄文時代の人々は里芋をどうやって食べていたのだろうかと考えています。稲作が伝わる以前は里芋が主食の一つだったのではないかと思います。里芋は生では食べられないから皮が付いたまま葉にくるんで火に放り込み、蒸し焼きにしたかのではないかと想像しています。最初の栽培植物と言われる里芋は、縄文、あるいはそれ以前の時代の人々の常食だとするときっとそれなりの食べ方があったのではないかと思うのです。
 古代の人の暮らしに心が惹かれる理由はわかりませんが、私が作る<話>は少しずつ時代を遡っていくことに気付きました。そして今、縄文時代に踏み込んでいます。数年前からそこでピタッと止まってしまいました。その時代の人々の交わす会話の話題がわからないのです。気質もわかりません。当然、言葉もわかりません。しかも縄文時代は一万年も続いているのです。そのどこに入り込むかによっても状況は変わってくるでしょう。その突破口として「里芋」を考えています。使いたい音は既に頭にあります。できるかどうかはまだわかりませんが、気持ちとしてはネアンデルタール人まで行きたいのです。こうなるともう病気だなと思いますが、その半ばで人生が終わるなら、それもなかなかいいなと思います。
コメント
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