遊去のブログ

ギター&朗読の活動紹介でしたが、現在休止中。今は徒然草化しています。

柿、熟す

2016-12-16 09:12:12 | 畑の話
 柿の木に巨大な実がなりました。蜂屋柿です。この家に引っ越してから植えたものですが、去年、初めて実がなりました。たった2つですが、実に存在感のある実でした。
 蜂屋柿は渋柿なので干し柿にして食べますが、大きくて肉厚です。その干し柿の堂々たる姿は知っていましたが、元の柿の実がどんなものかは考えたことがありませんでした。
 子供の頃、庭に大きな柿の木がありました。秋になるとたくさん実が成り、下から見ると青空に打ち上げられたオレンジ色の花火のようでした。その木も私が小学生のときに切られてしまい、思い出だけが心の中に残りました。『いつか柿の木のある家に住みたい』と思いながら何十年かが過ぎ、終の住処を探し始めると柿の木のある家に目が行く自分に気付きました。が、結局、柿の木のない家に住むことになったのでホームセンターで、禅寺丸、富有柿、蜂屋柿の苗木を3本買ってきて植えました。
 桃栗三年柿八年…というから実が成るのはずっと先のことだろうと思っていましたが、接ぎ木をしてあるためか、植えて3年目の去年には白い花が咲き、実が成りました。といっても蜂屋柿は2つだけです。しかしその成長には目を見張るものがありました。緑色の実がぐんぐん大きくなるのですが、私の持つ柿のイメージを超えても成長が止まりません。すぐ隣の富有柿も初めて7個ほど実を付けましたが、こちらは普通のサイズです。こちらと比べると蜂屋柿は異状に見えました。そして梨くらいの大きさになり、色付き始めました。人間の背丈くらいの木に大きな実が2つ。やはり異様です。実が2個しかならなかったからこんなに大きくなったのだろうと思いました。
 渋柿なので干し柿にするか、熟すまで待つかになりますが、せっかくなので一つは干し柿、もう一つは熟させることにしました。干し柿の方は軒先に紐で吊るすと「てるてる坊主」のようになりました。結果は、どのタイミングで食べるかが分からずうまく行きませんでした。熟した方は「明日だな」と思った翌日、みごとに鳥にやられてしまいました。そのつつき方からみるとヒヨドリでしょう。くちばしでつつかれた周りを避けて味をみると実にみごとな味でした。

 渋柿が食べられることを私が知ったのは15年くらい前のことです。それまでは、渋柿と言えば子供の頃の恨みしかありませんでした。ただ秋の青空を背景にたわわに実る柿の木のある景色は好きでした。まさに郷愁を誘う風物です。そんな渋柿の木が、前に住んでいた家の窓の横に生えてきたのです。私が種を捨てたのでしょう。その木はすくすく育ち、ついに屋根の高さを越えました。そして秋にはたくさんの実を付け季節を演出するようになりました。ところが渋柿ですからそのままでは食べられません。そこで干し柿にしてみたのですがかちかちになってしまい、おいしくないのです。干し柿には干し柿用の品種があるのかなと思いました。仕方がないのでずっと見て楽しむだけにしていたのですが、あるとき熟した柿を鳥が食べにくることに気付きました。鳥が来るのなら食べられるのではないかと思い、鳥のつついたものを少し食べてみました。そのときの驚きは半端ではありませんでした。その甘さたるや、甘柿の熟したものと比べても格段で、しかも上品です。それ以来、木の高いところは鳥、低いところは私というように食べ分けてきましたが、この暮らしも引っ越しによって終わることになりました。

 今年、柿の木は一回り大きくなりました。ちょうど小学生から中学生になった感じです。そして蜂屋柿は30個ほど実を付けました。そしてその実は去年と同じく巨大でした。こんなにたくさん成っても、この実の巨大さでは木がもたないのではないかと思いました。それとも途中で実を落としてしまうのだろうか。いくつかの実は落ちたものの、最終的には30個くらいが残ったので半分は干し柿にし、残りは木で熟させて食べることにしました。
 富有柿の方は、こちらはこちらですごいことになりました。実の数は無数です。とても数えられません。どこにこれほどの体力があるのだろうかと思いました。こちらは甘柿なのでどんどん食べていきますが、食べても食べても減りません。味は熟す直前がいいのですが、一気に熟されても困るので早めから食べ始めています。その実の甘さは日毎に増していきます。しかし、熟す前のかたい実をかじるときの食感に柿らしさを味わうところもあるのでどの辺りで取るかが微妙です。
 禅寺丸はあまりよくありません。蜂屋と富有は敷地に植えたのですが、禅寺丸だけはすぐ横の畑の方に植えました。そのせいかどうかは分かりませんがこちらは背も低く実も少ししか成りませんでした。しかもその殆どは途中で落ちてしまいました。かろうじて残った1個も、他の枝に引っ掛かるような形になっていたためで落ちるに落ちられなかったのです。そしてそのまま熟しましたが味はよくありませんでした。しかし禅寺丸は甘柿の最初の種ということなので心を惹かれます。
 さて、蜂屋柿の巨大さをどう伝えるかということになるとやはり重量がいいでしょう。量ってみました。300~500gありました。最大のものは520gです。大きさはリンゴより大きいくらいで、いかにも横綱という風格があります。比較のために富有柿の方も量ってみました。こちらは115~180gでした。しかし全重量では富有柿の方が勝っています。しかもその種が立派です。『柿の種』の細長い形とはまるで違い、丸いボタンのような形をしています。それなのに『柿の種』を食べているとそれが実際の柿の種の形に思えてくるから不思議です。
 今回その謎が解けました。熟した蜂屋柿を食べていると種が出て来ました。それがスリムな『柿の種』のような形をしているのです。この取り合わせのアンバランスは何だろうと思いました。大きな体の横綱が小さなフォークでショートケーキを食べているような場面を連想してしまいます。おそらく『柿の種』をデザインした人は蜂屋柿の干し柿を食べていたのです。そのとき出てきた種の形が『柿の種』になったのではないか。あるいは蜂屋柿の産地で育った人かもしれません。というのは熟した実は産地でしか食べられないし、産地ならその一帯は蜂屋柿だらけだろうし、そうなると熟柿にせよ、干し柿にせよ、そこから出てくる種は細長い形のものになるからです。つまり、その地域の人にとってはそれが柿の種の形になるわけです。
 今、柿の木には実が一つずつ付いています。大きな蜂屋柿と普通サイズの富有柿です。柿の木はすっかり葉を落として、12月の寒空に色付いた実が一つ。木守りです。全部取ってしまいたい気持ちを抑えて残しました。ここに日本人の自然に対する向かい方をみることができるように思いました。来年もよく実ってくれますように!
コメント
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