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History, Strategy, Ideology, and Nations

情報史研究への情熱

2010年10月17日 | INTELLIGENCE

 京都大学の中西輝政教授は、
 おそらく学者として、日本で最も早くインテリジェンスの重要性を指摘した人物である。
 いや、正確に言えば、その重要性は誰もが何となく分かっていたのだが、
 それを正しく学問分野として位置づけようと試みたのは、中西氏だけだったと言うべきであろう。
 これまでにも、折に触れてインテリジェンスの問題に言及されてきたが、
 今回、全編にわたって、この問題を取り上げた著書を上梓されたので、紹介しておきたい。 

 中西輝政
 『情報亡国の危機 インテリジェンス・リテラシーのすすめ』
 東洋経済新報社、2010年

 本書は、あくまでも一般向けに書かれたものであるため、
 内容としても、学術的な議論よりも、分かりやすい事例を引きながら、
 インテリジェンスの理解を深めてもらうことに力点を置いている。
 つまり、すでに定式化された概念や構図を詳しく論うのではなく、
 実際に起きた事件の分析や考察を通じて、
 インテリジェンスの感覚をつかむことが主眼となっている。
 副題に「リテラシー」という言葉が入っているのは、
 そういう意図が込められているからであろう。

 それにしても、1970年代、英国で胎動し始めた情報史研究との出会いによって受けた衝撃は、
 中西氏にとって、いかに大きかったかと思うことがある。
 公然とインテリジェンスを研究することが難しい日本の学問的環境において、
 その衝撃を約30年前と変わらずに保ち続けることは、
 まさしく辛酸を嘗めるように苦しい日々であったに違いない。
 また、そうした現状に耐えきれず、止むなく研究対象を他のテーマに変更すれば、
 いつしかそのテーマに安住し、満足してしまうものである。
 中西氏も、日本での研究環境を悲観して、
 一時、世界秩序論や文明論といったテーマに関心を移さざるを得なかったのだが、
 今も鮮やかに情報史研究への情熱を抱き続けていられるのは、
 情報史研究との出会いが他のテーマとは比べ物にならないくらい大きな衝撃だったからであろう。
 
 2000年以降、極東情勢の不安定化によって、
 インテリジェンスへの関心も大いに強まってきたことは確かだが、
 その一方で、いまだに学問的偏見が強く残っていることも事実である。
 実際、自分の学問領域では到底、適用されない史料水準を要求して、
 情報史研究の試みを潰そうとする研究者も存在しており、
 その関心とは裏腹に、所詮はまだ、興味本位のレベルを超えていない状況にあると言わざるを得ない。
 本書では、そうした現状への克服を目指して、
 情報史研究の学問的背景や方向性、欧米諸国での研究状況などにも多く言及しており、
 中西氏が抱き続けた積年の情熱がここにも強く反映されている。

 従来、情報史研究は、国際政治史における「ミッシング・ディメンション」と呼ばれてきた。
 しかし近年、多くの史料公開を受けて、この分野は大きく発展しており、
 いまや海外では、国際政治史における「エッセンシャル・ディメンション」になりつつある。
 もはやインテリジェンスに無知、かつ無理解であることは、
 学問的にも恥ずかしいということを知るべき時代が到来したのである。
 本書を一読することで、是非ともその空気に触れてほしいと思う。