こんなのできた!

単調な生活に新発見を!  
日々の小さな出来事の写真日記

2008/12/25 『虞美人草』 ――― 愛することを知らない麗人、藤尾

2008-12-25 20:07:24 | Weblog


曇りの朝。
日課のラジオ体操、年内最終のプラスチックゴミ出し。
新聞一面は


          新s あらたにす(朝日・日経・読売) くらべる一面
日経 「日米欧、デフレ懸念強まる 予想インフレ率・長期金利が急低下」
金融危機が実体経済に波及し、需要が急速に落ち込むとの見方が背景にある。


【アロエ】 一輪開花した。


一日晴れたり、雨になったりで洗濯物の出し入れを2回ほどした。


曇りの日は赤い花が似合う。

夕刻、風が強くなり寒くなってきた。


厚めのコートを着て散歩に出る。


「ガ~公とシロ」 この寒いのにと思うが元気だ。
早めに歩くと汗が出てきた。汗で体が冷えないよう、コートや手袋を脱いだ
りして、体温調節をす
る。


「ガソリン価格」 当地で初の100円を切った。もっと安くなるはず
80円台になるまで
は、ガソリン・灯油とも必要な分だけ購入しようと思う。

■ 『虞美人草』


          漱石全集 第二十四巻 『日記 及 断片 上』 岩波書店
漱石は明治40年3月28日~4月10日まで京都へ遊びに行ったことを『日記』
に書いている。(p.187)
この旅
は『虞美人草』の中に「叡山登りの様子」「嵐山のお花見の光景」「天
竜寺の境内の印象」「保津
川下りの描写」「夜行列車の場面」などとして出
てくる。
まず、『日記』を読み、


          漱石全集 第五巻  岩波書店 
『虞美人草』を読み終える。


          漱石全集 第五巻  岩波書店 
冒頭の「叡山登りの様子」。漱石は【宗近君】と【甲野さん】の会話を気楽に
書いている。
読み進むと漱石の意思に反するが華やかで近代的な性格、愛されること
をのみ要求して愛するこ
とを知らない麗人、藤尾に目がいく。

以下は小宮豊隆の解説より抜粋。
漱石初の長編小説で1907/06/23~1907/10/29に朝日新聞連載された。

漱石はこれまで短編小説ばかりを書いていた。『猫』は長く続いたが、しか
しその構成は前もって
考え通されたものではなく、あとで集まった材料を、
前に書かれた『猫』と矛盾しないようにまと
めて、一月~二月置きに書き続
けられたものに過ぎない。従ってこれまでの漱石の作品は、そのど
れ一つ
を取って見ても、一つに十日以上を費やしたという作品は、一つもなかった。

『虞美人草』に取りかかる前に、今度の小説は『薤露行』の文体でと希望し
たのが小宮豊隆であっ
た。これが最後まで漱石を苦しめた。『薤露行』は詩
である。『虞美人草』は127回も続く長編小
説である。従って『虞美人草』を
『薤露行』の文体で貫き通すことは、到底不可能なことである。
鈴木三重吉宛の手紙には「本日虞美人草休業。癇癪が起こると妻君と下
女の頭を正宗の名刀でスパ
リと斬ってやりたい・・・」。高浜虚子宛の手紙に
は「虞美人草はいやになった。早く女を殺して
仕舞いたい」とある。

漱石の生前から演劇化したいと希望する者が相当あった。しかし漱石は決
して許可しなかった。そ
の後『虞美人草』は幾度も映画化されたり演劇化さ
れたりしている。しかしほとんど【藤尾】を主
人公として、もしくは一種の英
雄として取り扱うだけで【甲野さん】だの【宗近さん】だのの、真
面目論、第
一義論、悲劇論などは描かれていない。結局これは、漱石の意思を二重に
踏みにじる結
果にしかなっていない。

主な登場人物
p.5 【宗近君】  宗近一
p.41 【糸公】    宗近糸子、宗近一の妹
p.119【阿父】   宗近一の父

p.5 【甲野さん】 甲野欽吾
p.18 【藤尾】    甲野藤尾、甲野欽吾の妹
p.26 【謎の女】  甲野藤尾の母

p.19 【小野さん】  小野清三
p.56 【浅井】       小野清三の友人

p.41 【小夜子】   井上小夜子
p.48 【孤堂先生】 井上孤堂、井上小夜子の父

■ きょうのタマちゃん




   一時  一時