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松下幸之助の教えを忘れた政治屋たち・その二

             松下幸之助の教えを忘れた政治屋たち。
                    その二

                  松下政経塾の悪評・・・

                   彼らに落選を


「松下政経塾の悪評は、松下さんに申し訳ない。でも私は自分なりに受け継いだ理念はたがえずやっている」元沖縄北方担当相の高市早苗は振り返る。

5期生の高市は塾生時代、選挙時には千葉県船橋市の野田佳彦の実家近くの空き家に数ヶ月間住み込み、彼の街頭演説の場所取り、ポスター貼り、戸別訪問にと朝から晩まで働いた。

「同じ釜の飯を食べた仲間」である野田の首相就任は嬉しかったが、野田政権は『政治は国家経営だ』という松下さんの教えと方向が違う感じがして寂しい」と語る。

「リーダーにとって一番大事なのは、まず理念を出すことだが、野田さんにはそこが見えない」

政治塾出身者は松下が最も重視した「人間観」「国家観」を身につけておらず、ポストを追いかけて汲汲としている。・・・江口にはそう見えている。

「彼らに落選を勧めたい。一から出直して初めて松下の言う人間性が分かるだろう」

石造りのアーチ門をくぐりぬけた先に、高さ30メートル強の鐘楼がそびえ立つ。神奈川県茅ヶ崎市の郊外、2万平方メートルの広大な敷地内には、民主主義発祥の地であるギリシャの建築様式を取り込んだ建物が点在し、独特の学舎の雰囲気を醸し出す。

松下幸之助が70億円の私財を投じて創設した松下政経塾だ。政経塾が昭和55年に開塾してすでに30年以上が経つ。

その間多くの人材を送り出してきたが、松下が85歳の時に開塾しただけに、世代によって幸之助体験には、濃淡がある。

幸之助が重視した『運』と『愛嬌』

初期のころ、入塾試験には松下自身が立ち会った。

「無言でじーっと私を睨んでいるので恐ろしかったが、後で、顔に愛嬌があるか、運は強そうかを見ていただけだ」と知った(5期生の高市早苗)。

幸之助は『運』と『愛嬌』を重視したのである。

                      ★★

2期生の山田 宏は「元気で頻繁に話を聞けたのは最初の3年くらい。5年目になると年に1~2回程度となり、声もだいぶ弱られていた」と語る。

「8期生の前原誠司らは、塾主(幸之助)の『うん、うん』という声ぐらいしか聞いていない。その分、もっと必死に幸之助研究をすべきだったのに」と残念がる。

もっとも前原誠司という人間性に欠陥をもった政治屋の性格と運気によるものであり、この点松下は野田の無能力、前原の悪徳な人間性を見抜けなかったということである。

最晩年、松下は「政経塾は失敗した」と言いつつ旅立って逝ったというが、もっと以前に塾を創生すべきだったという意味なら松下のその心情は理解できる。

又今の野田佳彦や、前原誠司、玄葉光一郎などの幼稚な出来の悪い、「国家国民に平気でうそをつく政治屋」を見ていると、「とんでもない馬鹿ども」を世に送りだして失敗したということなら、その意味での松下幸之助の心情もまた理解できることではある。

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