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神戸山口組再分裂はどうしてなの???

 

どうしてなのか???

吉野永人

 六代目山口組から改革を謳(うた)って分裂した神戸山口組。改革の内容から神戸山口側に理があると思われていた。

しかし今年4月、全く予想外の形で、若頭代行の織田禎誠

(おだよしのり・在日3世本名・金 禎誠)

は井上邦雄組長の片腕だった筈、山健組の副組長だった男だ。それがなぜ神戸山口組を離脱したのか全くわからなかった。以下にわかっていることを記してみる。

織田絆誠略歴

1966年10月23日生まれの50歳

24歳―徳島刑務所で井上邦雄と出逢う。

35歳―山健の下部組織4代目健龍会会長井上邦雄の盃を受ける。

39歳―井上邦雄が4代目山健組組長に就任時、山健組最高幹部となる

49歳―2015年、井上邦雄が六代目山口組を絶縁となり、神戸山口組創設組長就任を受けて若頭補佐に就く。9月若頭代行へ昇格。

50歳―2017年4月神戸山口組を四代目山健組傘下の自身の派閥を含む約60団体を引き連れて離脱。『任侠山口組』を結成した。

このことが、井上組長の怒りを買い、今回9月12日の襲撃事件に結びついているようだ。

ところで、本年5月20日号の週刊現代に以下の記事が載っていたので、皆さんに書き起しでご紹介する。どうしてか???がよくわかる。

 

『任侠山口組』トップが私だけに語ったこと

溝口 敦

 未来の展望が苦しい業界に在り、既得権益維持に汲々とする旧世代の支配から改革に一命を賭す新世代が立ち上がる。これは闇社会の勢力争いに留まらない日本社会の縮図と言えるかも知れない。

 大きな船は沈んでいく

まさしく寝耳に水の分裂であり、決起だった。

神戸山口組(井上邦雄組長)は六代目山口組(司 忍組長)の『弘道会方式』を批判して分裂した組織だが、4月30日、その神戸山口組がさらに分裂、若手を中心にして『任侠団体山口組』(約60団体)が新しく結成された。

 しかもその代表には、神戸山口組の『秘密兵器』『核弾頭』などと評されてもいた織田絆誠若頭代行(50歳・山健組副組長)が座った。

 それまで井上組長が最も信頼する腹心が織田代表であり、織田代表もまた、井上組長に心服と伝わっていたから、筆者自身も一報に接して、信じられない気持ちだった。 続く

 

 

 

 

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