顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

似ているね!同じ仲間は…

2020年05月30日 | 季節の花


ムラサキツユクサ(紫露草) ツユクサ科ムラサキツユクサ属 多年草
ツユクサ類は早朝に咲いて夕方にはしぼみますが、次々と咲くので一日花という実感はあまりありません。
品種改良でムラサキという名が付きながら白や赤紫などの色があり、数年前に庭に咲いた白花を突然変異発見と意気込んだことがありました。

トキワツユクサ (常磐露草) ツユクサ科ムラサキツユクサ属 多年草
南アメリカ原産、日本には昭和初期に観賞用として持ち込まれ、今では完全に野生化しており、要注意外来生物とされてしまいました。

ツユクサ(露草)  ツユクサ科ツユクサ属 一年草
そもそもツユクサは朝露を帯びながら早朝に咲く様子や、朝咲いて昼には萎む朝露のように儚い様子から名付けられたと言われています。一番見かけるこのツユクサも花弁は3枚ありますが、下の一枚は白色で小さく目立ちません。

ユウゲショウ(夕化粧) アカバナ科マツヨイグサ属 多年草
名前は夕方近くに艶っぽい色の花を咲かせることからとされますが、実際には昼間でも開花している花を見かけます。オシロイバナ(白粉花)もユウゲショウと呼ばれるのでアカバナユウゲショウと呼んで区別しています。
明治時代に観賞用として移入され、現在日本全国で野生化しており、道端や空き地でもよく見かけます。

ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草) アカバナ科マツヨイグサ属 多年草
北米原産で観賞用として輸入・栽培されていたものが野生化しています。ツキミソウの仲間でも昼間に開花するので名前が付きました。雌蕊の先端の十字型が目を惹きます。

ヒメツキミソウ(姫月見草) アカバナ科マツヨイグサ属 多年草
昼咲月見草の仲間で北アメリカ原産、園芸種で販売されていますがそのうち野生化するかもしれません。学名「オエノセラ・ペレンニス」、明るい黄色の一日花を朝に咲かせます。特徴の十字柱頭が付いています。

石やさし露草の花ちりばめて  山口青邨
露草も人の心も朝素直  後藤比奈夫
朝(あした)咲き 夕(ゆふへ)は消(け)ぬる 月草(つきくさ)の 消(け)ぬべき恋も 我れはするかも  万葉集(作者不詳)
※万葉集ではツユクサは「月草」として9首登場します。


斎藤監物と静神社(那珂市)…桜田門外の変の志士

2020年05月27日 | 歴史散歩

斎藤監物の墓地は静神社の南側、静溜沼のほとりの小高い林の中にあります。
案内板によると、斎藤監物(1822~1860)名は一徳、号は文里、監物は通称。代々静長官と称した静神社の神官の家に生まれ、成沢村(水戸市)の庄屋加倉井砂山の日新塾に学び、神官としての教育は父元親から受けました。
その後、藤田東湖のもとで学問にはげみ特に書をよくし、師東湖にそっくりの字を書き代書を務めたと伝えられています。剣は神道無念流。

天保14年(1843)に水戸東照宮の神官となり、さらに弘道館内鹿島神社の神官も兼ねました。
天保15年、藩主徳川斉昭公が幕府から隠居謹慎の処罰を受けた際は、周辺の神官たちを率いて雪冤運動に奔走しました。

安政5年(1858)大老井伊直弼は日米修好通商条約に無勅調印、これに抗議した斉昭公や吉田松陰ら多くを処罰、処刑した安政の大獄が起こりました。憤激した水戸藩の脱藩浪士17名と薩摩藩士1名らが安政7年(1860)3月3日桜田門外において井伊大老を襲撃、この時監物は神官同志の三嶋神社(那珂市米崎)の海後磋磯之介、鹿島神社(城里町古内)の鯉渕要人らと襲撃に加わりました。
監物は重傷を負いながら斬奸趣意書を老中脇坂安宅邸に届け、その夕刻には肥後藩細川越中守邸に預けられましたが、傷が悪化し3月8日に死去、享年39歳。
辞世の句「君がためつもるおもいも天つ日に とけてうれしき 今朝の淡雪」

斎藤監物が安政4年(1857)5月9日の水戸藩校弘道館本開館式の鹿島神社遷宮式で奏上した祝詞、末裔の方から弘道館に寄託されました。撰文は小川修理、祭主は家老山野辺義芸の名が記されています。

斎藤監物はまた、桜田門外の変の現場実行指揮者だった関鉄之助らとともに大宮郷校の教授も務めました。

静神社は、東国の三守護神として鹿島神宮、香取神宮とともに崇拝され、豊臣家、徳川家からも社領としての朱印が付され、鹿島神宮に続き常陸二宮として古くから信仰されてきました。


本殿には国の重要文化財に指定されている社宝の銅印が納められています。水戸藩2代藩主徳川光圀公が社殿を修造する時に、本殿脇の大きな桧の根本から「静神宮印」と彫られた銅印が見つかったことを大層喜び、黒塗りの箱に納めて社宝として神社に蔵したとされています。
拝殿幕の神紋は桜です。

天保12(1841)年の火災で、徳川光圀公が造営した社殿は焼失し、現在の壮厳なたたずまいの本殿・拝殿は、水戸藩9代藩主斉昭公が再建したものです。

その天保12年(1841)の火災で枯れたご神木、千度杉は目通り6.5m、樹齢約千年、この杉の周囲を千度廻ると願い事がかなうといわれてきました。中切りして建屋の中に祀られています。

斉昭公が軍事演習の追鳥狩のために成沢村の加倉井家の大欅で作った陣太鼓3個のうちの一つで、直径146㎝、長さ61㎝、水戸藩の絵師萩谷僊喬(僊のニンベンなし)が「八方睨み龍」を描いた鼓面は残念ながら裂けていました。
他の二つは水戸八幡宮と常盤神社に奉納されています。

なお襲撃に加わった他の二人の神官、鯉渕要人、海後磋磯之介については、拙ブログ「桜田門外の変(3月3日)…参加の神官3名」で紹介させていただきました。



アヤメ科の4姉妹

2020年05月24日 | 季節の花

区別がよくわからなかったアヤメ科の主な4種を比べてみましたが、一般的には目くじら立てて区別せずに、ひっくるめて「アヤメ」でいいんじゃないかとも思いました。

アヤメ(菖蒲、文目、綾目)の漢字は「菖蒲」とも書くのでまずここで混乱してしまいます。最初は菖蒲という名で括られていたのが、咲いた花に(葉の説も)文目(あやめ)模様があることから、アヤメというようになっても漢字名はそのままにしてしまったようです。他の3種に比べて生育環境が違い、草原のような乾燥した土地を好みます。
花弁の真ん中の網目のような模様が特徴で、背丈は姉妹の中で一番低く30~50㎝くらいです。

品種改良が進みいろんな色の花があるのがハナショウブ(花菖蒲)で、花弁の真ん中に黄色い斑紋があります。
現在、あやめまつりとして水辺や畑地などに植えられているのは、ほとんどがこのハナショウブですが、名前はアヤメと呼称する習慣が現在では一般的になっています。

カキツバタ(杜若・燕子花)は水辺を好み、花弁の真ん中に白色のスジがありますが、有名な尾形光琳の「燕子花図屏風」にはこの白いスジはあまりはっきりと描かれていません。

キショウブ(黄菖蒲)も水辺を好み、花弁の真ん中に赤茶色の模様が入っています。

なお菖蒲湯に使うショウブ(菖蒲)は全くの別種でショウブ科(サトイモ科とも)、花も黄色いガマの穂のような形をしています。幼いころ香りのいい葉と穂で遊んだ記憶が残っています。

俳句では夏の季語、アヤメとショウブを同じ名で詠む句も多く、分けるためにアヤメは花あやめ、ショウブはあやめ草として詠んでいる句もあります。名句ならば、どちらでもいいのかもしれませんが…。

旅かなし紫あやめ野に咲けば  富安風声
ほり上てあやめ葺けり草の庵  炭太祇
むらさきも濃し白も濃し花菖蒲  京極杜藻
湿原に水の道つく燕子花  上田五千石
あやめ草足に結ばん草鞋の緒      芭蕉

かやぶき屋根の蕎麦店「やきやしんたく」

2020年05月21日 | 食べログ

常陸大宮市上檜沢の「やきやしんたく」は、こんなところに!と驚くような山間の店です。
かやぶきの屋根をのせた門をくぐると、築120年を超えるという古民家の圧倒的な存在感、土間を上がると広々とした6部屋にそれぞれ大きな囲炉裏が置かれ、自在鉤が下がっているところもありました。

ここで育った店主がサラリーマン生活を経て約20年前に始まったという店内は、今でも炭を燃やすので柱や梁は黒ずみ、かやぶきの風情を充分に出していました。

昼のランチ営業は週4日だけ、ざるそば野菜天ぷら付き1000円を注文しました。打ちたて茹でたてのためでしょうか、少し時間はかかりましたが、コシの強い田舎風の蕎麦は美味しく、自宅敷地で採れるというタラの芽やこごみなどの山菜の入った天ぷらも、からっと揚がり量が多く充分に満足しました。

なお、夜の営業日は新鮮な山の幸、海の幸や肉類を炉端焼きで提供する店になるようです。
お店は予約が主体ということでしかも訪れたのは緊急事態宣言前…、外出自粛が収まってからのお出かけにも営業確認した方が無難です。

偕楽園1か月ぶりに開園…

2020年05月18日 | 水戸の観光

緊急事態宣言を受けて約1か月間閉鎖していた偕楽園が5月12日から開園しました。新緑の一番きれいな五月というのに、まだ自粛は続いているせいか人の姿はまばらです。
はやく元通りの世になって、この広い公園を多くの人に満喫してもらいたいものです。

好文亭の3階楽寿楼にも人影は見えません。水戸城の出城、物見やぐら的な役目をしたといわれる好文亭、藩主来園時のみ使われたという眺望抜群の八畳間があります。  

園内全体で陰陽の世界を体感できる偕楽園の陰の部分は、主に大杉林と竹林で構成されています。孟宗竹の筍もすっかり伸びてしまいました。

梅林の根元ではタンポポの饗宴です。ここのタンポポはほとんどがセイヨウタンポポ(西洋蒲公英)です。
なお、梅林の除草は、雑草を生やして年7回仮払い機の刈り取りで草が枯れると、土中の草の根も枯れて細かい穴ができそれが通気、透水に役立ち有用微生物の棲み処になるため、根こそぎ抜き取らない「草生栽培法」が採られています。

タンポポに混じって小型の黄色い花は、オオキバナカタバミ(大黄花片喰)です。繁殖力が強く子孫繁栄につながることから長曾我部家、宇喜多家、酒井家など武将の家紋によく使われました。

ちなみに、偕楽園で見られるカタバミ(片喰)4種を撮ってみました。雑草ですが、各々その存在感をアピールしていました。


園内の藤棚は、満開を見てもらうことなく花の終わりを迎えていました。

梅の実も大きくなってきました。例年、あと1か月後には梅の収穫と市民の方々への頒布が行われますが、今年はどうなるでしょうか。

吐玉泉付近の湧水の豊富な一帯にはキショウブ(黄菖蒲)が咲いています。  

園内の見晴らし広場から見える千波湖は、面積0.332 km²、周囲3km、当時は面積がいまの4倍近くあり水戸城の重要な水堀の役目をしていました。

千波湖から望む偕楽園、左奥に好文亭と大杉の森、右奥に常盤神社の森が見えます。

この偕楽園一帯は偕楽園公園として300haの広さ、都市公園では世界第二の面積を誇ります。
水戸はその名の通り水の都で、千波湖に流れ込む桜川、沢渡川などが鮮やかな緑に映えています。