吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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法隆寺聖霊院の聖徳太子像 No202

2011-01-15 02:41:29 | 日記
法隆寺の聖霊院に木造聖徳太子坐像がある。
国宝になっているが平安時代末期の作だそうだ。
聖徳太子は574年に生誕して622年に病に倒れ崩御している。
従って没後400年も経った後の作なので
どれだけ真実を表現しているかというと
聖徳太子伝承に尾ひれがついてしまった時代なので
直接的に聖徳太子を知る手がかりとはならないであろう。
しかし聖徳太子信仰の中核をなす像であることは間違いない。

法隆寺は木造建築世界最古の国宝だが、
これがどれだけすごいことかは
このブログの読者であればすでに理解していただけると思う。
火災については601年に建立されてからの70年後の
670年には早くも最初の建造物は火災にあっている。(たかだか70年)
神仏の加護により釈迦三尊像等は
すでに現在の金堂に移された後だったようで無事だったというが、
木造建築物は京都を参考にしても1000年の間には
ほとんど火災で焼失するものと思ってさしつかえないだろう。
法隆寺は応仁の乱や世界大戦等の惨事を超えて残っているのだが
奇跡的としかいいようがない。
聖徳太子が都から離れた斑鳩に建造したのは
今の世に残すためだったのかもしれないと想像してしまう。
よく思うのだが、京都や奈良が空襲に曝されなかったのは
世界的遺産があるからだったというが、
これも運が良かったのでありあたりまえのことではないのだ。
大本営の移動先を長野県埴科郡松代町でなく
京都奈良にしたら安全と考える軍人がいてもおかしくないし、
日本の精神性を崩壊させるために
アメリカが京都奈良に原爆を落とそうと考えたとしてもおかしくない話である。

話が飛んでしまったが、この木造聖徳太子坐像の体内に
胎内仏が見つかっている。金銅救世観音像だそうだ。
亀の上に象が載っていてその上に救世観音が立っているそうだ。
蓬莱(ほうらい)山を模していると考えられている。
蓬莱山とは古代中国の神話で東の海上にある仙人が住むといわれている山である。
確かに蓬莱山でもおかしくは無いが
筆者としてはそこに妙見信仰があるように思える。

聖霊院でのお会式というお祀りでは秘仏の徳太子摂政像の厨子が開扉され、
太子像の宝前に大山立と呼ばれる古式の飾り物や餅、大豆、果物などが供えられる。
大山立は僧侶や近隣の信者が約1カ月かけて作っている。
餅を木型でかたどり極楽鳥を割り竹に刺して飾り
仏教の理想世界「須弥山」に見立てられている。

胎内仏が立つのがなぜ蓬莱山と推察されたのかは知らないが
添付写真の亀の上のごちゃごちゃした木の根の様なものが象に見える気もする。
しかしこの亀が妙見の亀蛇に繋がるとすると
聖徳太子と妙見信仰が(没後400年なので微かではある)が結びつく。

蘇我と妙見信仰も確固たる結びつきの証拠を持たないが
No143、157や蘇我氏考察等で示したように個人的には確信している。
同様に聖徳太子と妙見信仰も確固たる証拠はまだないが
匂いを感じている。
神霊界からの感応も強くあるので個人的には確信している。
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