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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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呉音霊にまつわる銅と鉄 No426

2016-01-30 23:23:40 | 神霊界考察
ここでいう呉音霊とは中国江南地方からの技術伝承とかぶっている。
つまり朝鮮由来と信じられているもののなかに
そうでないものがあるのではないかという疑問が自分に生じている。

自分は理系技術者なので歴史学には疎いのだが
かつて読んだ本の中に『日本の朝鮮文化』という本がある。
司馬遼太郎、上田正昭、金 達寿の座談会を書籍にしたものだ。
司馬遼太郎は『坂の上の雲』を読んでいたし
上田正昭についてもいくつかの書籍を読んでいた。
ここに書かれていることは現在の歴史学会のスタンダートとなってきたが
ほぼ古代日本文化の全てが朝鮮で咀嚼されて精錬された文化を
日本が継承したものという立場になっている。

例えば帰化人という言葉があるが
あれは完全に嘘で本当は日本は天日槍命をはじめ
渡来した朝鮮人が作り上げた国家だという。
天というのは朝鮮からもたらされたものという意味で
天皇も天が付くのでその範疇だそうだ。
それで上田正昭 金達寿の御指導で帰化人という言葉は
渡来人と改められた経緯がある。

※帰化とは従い服従することの意。
つまりは他国の国籍に入りその臣民となること、
臣服することとなる。
実際は渡来人に日本人が従ったので帰化ではないことになる。

上田正昭によれば朝鮮からもたらされた石上神宮の七支刀も
献上されたのではなく下賜されたものだという。

この本を読んだのは1982年のことだから30年以上前のことになるが
素直にそういうことを信じていた。
日本文化の父たる百済文化絶賛啓蒙の良書である。

そういえば
国宝第一号の広隆寺の宝冠弥勒菩薩半跏思惟像を
最初に観たのは高校生の時だがこの時のパンフレットには
百済の半跏思惟形式を継承した百済仏となっていた。
それから四半世紀後には新羅仏だということになった。
さらには像の背中部分が楠なので
日本で作られた可能性まで指摘されている。
ところが日本にはそんな技術はないという話を聞かされたこともある。
確定しない歴史の中で歴史学とはプロパガンダのことなんだと思う。

またこの書籍では素戔嗚尊や少彦名神は
朝鮮からの渡来であることは間違いないように書かれている。

しかしながら自分の感応では少彦名神は朝鮮からの渡来神でない。
だとするとたぶん素戔嗚尊も朝鮮からの渡来ではないと考えられる。

九州の春日は気になる地域であるが、
この地にある「須玖タカウタ遺跡」を含む「須玖遺跡群」では、
これまでに青銅製の剣や矛の鋳型など弥生時代の出土品が数多く見つかっていて、
「奴国」の中心部と推定されているそうだ。
それでここに奴国の丘歴史公園が作られた。
この「須玖タカウタ遺跡」で2015年5月末に
国内で最古の青銅鏡の鋳型が発見されたというニュースが出た。
これは国内初出土の「多鈕(たちゅう)鏡」の鋳型で
紀元前200年頃のものである。
これにより権威の象徴だった多鈕鏡はすべて朝鮮半島製とする
今までの定説が覆された。

この鋳型に流し込まれた青銅は香春のものだろうと推察する。
これは呉人が伝えた技術なんだろうと思う。
弥生時代に中国江南から渡ってきた呉人がさらに北上し
朝鮮にも技術を伝えたのではなかろうか。

自分においては歴史学者の洗脳的啓蒙が解けてきたようだ。
呉音霊の威が一刀両断の神力を発揮しそうな気配といえる。
今後日本の歴史学は大きく転換する予感がする。

藤原不比等に始まる百済最上主義の啓蒙は現代にまで続いているようだ。
大学を中心とした歴史学会は皆なびいている。
上田正昭はその中でも重鎮の一人となっているようだ。
韓国から修交勲章崇禮章をいただき
社団法人解放・人権研究所顧問をしたり
「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人になっていたりする。

私は歴史や考古学には興味がないのだが
荒ぶる呉音霊の威が一刀両断の神力を
一気に発揮することを恐れている。

そして青銅の来歴が覆されるなら鉄も然りだと思う。


後記.この国内で最古の青銅鏡の鋳型発見の記事は
皆様のコメントの奴国がらみで検索していて発見したものです。
驚きました。
呉音霊と狗奴国の関係は深いものと思いますが
奴国で多鈕鏡を作っていたとなると
当然奴国も呉音霊の影響を受けているものと思われます。


※ 上記記載の上田正昭・京大名誉教授が死去したというニュースが入ってきた。
2016年3月13日午前7時54分、大動脈瘤破裂のため。
場所は京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内3の自宅で死去。88歳。
近年はがん治療中ではあったが死因は癌ではなかったようだ。
この自宅は小幡神社の境内になる。
上田正昭はこの小幡神社の宮司をしていた。
この小幡神社の氏子として出口王仁三郎が知られている。
上田正昭は養子入りしたと聞いているが
出口王仁三郎は本名は上田喜三郎であるから
繋がりが感じられる。
王仁三郎は産土神の小幡神社で初めて啓示を受けているが
導かれて小幡神社の奥宮がある高熊山で修行している。



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11 コメント

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奈良と中国 (りひと)
2016-01-31 06:18:06
無事に秋津遺跡の講座にも行ってきました。時代はクワガタも時代を下るような流れのようです。やはり縄文よりもやはり弥生に方に。そんな中で纒向では興味深い記事を紹介してくれました。弥生時代に日本で自生しないバジルの花粉が発見されたと。当時中国との交流は出来ていたのか?と。また用途が目薬ではないかとのこと。乾燥したバジルを水につけゼリー状になった物を薬用に使ったのでは?と。ある意味漢方に近いですね。自然の物の効能を理解した知識だけでない生活に実践的に取り入れていたかもしれないようです。山岳信仰や河童さんの知識にも繋がりそうですね。時代がもっともっと遡れる場所もいつか出てくるのかも?と期待しています。海を渡る技術は何かしら弥生時代にあったかもしれませんね。柿渋もかなり色々と効能を知って使っていたかも?虫よけだけでなくインフルへの効果も現代で気付き始めたくらいなのに理解していたのかも?

ご報告です。秋津遺跡には溝に板を立てエリア分けしたような数々の穴、関東の道にも両端に溝があったと聞いた。出雲にも垣を巡らす、伊豆には玉垣、沖縄もかな?境界の神の信仰が全国に面影としてありそうに思いました。秋津は神事の場、そこに境界の神の介在はあるのか?山形はそこうるさそうなのでゆっくり出会った出来事で判断していこうと思います。勾玉や菅玉も出てるようですがあまり当時重要視されているような場所からではなさそうでした。柱と囲いを支える溝に注目してゆきます。遺物が出ないほど清浄に保たれた建物、中国にはなかったのかなあ?気になるところです。そうそうもお相撲の屋根って浮いてる?屋根の神も気になりますね。火との関連遺物はまだ一つ、今後に期待です。4031、3044、やはり巫女的な施設かな?
返信する
吉田一氣 (りひと様への返信)
2016-01-31 18:07:43
なるほどバジルですか。
どこから来たバジルなんでしょう。
ところで柿渋は日本オリジナルだと言われていますが
とにかく防虫効果がすごい上に
食べ物の腐敗に対する効果もすごいですね。
柿渋袋に3年入れておいたお米が食べられるのを
自宅で確認しています。
返信する
聞いてくればよかったです。 (りひと)
2016-01-31 21:16:33
発見されたバジルは、新聞等でも中国と記載が見えるのは朝鮮半島ではないとの暗黙の了解のように感じそのまま理解してしまいました。
少し追ってみましたら、イタリアバジルとは多少違うようですよ、花粉が8つに分かれるとかで。8はたまたまでしょうが深読みしますね。
それから見つかったのはインド、東南アジア原産との事なのでやはり海神絡みの気配感じますね。
おまけに確かに耳で聞いたのは目薬にと。ふふふ私の追っている父に関係する目の神にかかわりそうですよ。
最近神社やお寺でも何故か目のお守りが増えてますよ、不思議。閻魔さまなら分かりますけど。そう話しがそれますがこんにゃくって閻魔との関わりしか気づかなかったのですがあわしまさんの針供養でもこんにゃくですね、気になりました。)
片目が見えないとかはタタラ系でしたよね。そして目薬を持ってきた海神がいたら目の神だと思いますよね、そして山に行くのは山岳さんの導きですかね?

で今の気付きの本題ですが、なんと弥勒菩薩は好きではないのですがなんと水瓶はアイテムのようなんですね。おまけに片足の組み方が神農さんと同じですよね。この前閻魔様のところにも同じ足の形の仏像があってあれこの組み方って神農?思いました。おまけに今思うと水瓶持っていたような?水瓶には穴はなく花もなかったです。今度同じ仏像だったか?確認してきます。十一面と書いてあったように思います。頭に乗っけていたので納得したのですが。

とういうことで足の組み方、弥勒さんは呉音の関連にあるように思います。そしてそれがあるのが広隆寺、牛祭りもありますし、10/12が牛祭りなら13が何か意味ありそうな気がします。虚空蔵もあるかな?地蔵堂はありそうですね。弥勒さんはあまり好きではないですが布袋さんは同じように考えて良いのならやっぱりと思います。テレビでも聖徳太子はいなかった?とやってましたがモデルが必ずいるはずです。そしてその方は呉音に接点持ってるのは確かに思います。行くとこ行くところに聖徳太子です、モデルがいなくて架空なら祀る必要ないはず、二歳とか三歳とか子供の像が多いのも子供でやってきたのかもしれませんね。和、憲法、仏教、お寺、福祉事業と日本に大事な何かをもたらしたのは聖徳太子となってますからね。太陽の子でもあるかもしれませんね。弟の来目さんがやっぱり気になります。7190、3223
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奴国の事でこんなにも・・・ (禮月)
2016-02-05 09:37:51
気管支肺炎になり掛かってダウンしていました。
未だ咳はかなり酷いですが、熱は何とか下がったので、夢の話を再開します。奴国と呉音霊の考察も随分と進んでいるみたいで・・・
私も現在の朝鮮半島を形成している人々や文化の起源と、百済や新羅の文化圏を中心に活動していた人々のそれは、異種のものであると考えています。後漢書東夷伝や魏誌倭人伝の翻訳版を読んでも、倭人文化は中国大陸南方からダイレクトに沖縄や九州に伝わった事が解りますから。

話は変わりますが、私が熱を出して解熱剤や強目の抗生物質を服用していた時の白昼夢で、再び伯母の声が聞こえました。彼女によれば、
「豊玉姫は子供を三人産んでいるの。王子、姫、王子の順で、上の王子の名前がウガヤで下の王子の名前がフキアエズ。田心姫の子供の数も三人になっているでしよ?綿積神はスサノオに海神の地位を奪われたの。それとあなたが使えていた神様の名前は大○○○(ここから先は聞き取れず、目が覚めてしまいました。)」

伯母さ~ん。今度は私の体調が万全の時に出て来てくださ~い。(涙)

4303
呉音神、若宮、永遠、若宮
3084
若宮、永遠、櫛稲田姫、呉音神
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禮月様~! (りひと)
2016-02-06 14:01:33
くれぐれもお大事に。
睡眠と休養が一番大事です。
気管支喘息とは?喘息って能力ある方の本当に辛い宿命みたいに思っています。
呼吸ですから命と直結ですから。
ただ薬はどんどん進化しています。まずはストレスなく気管支喘息を治すこと。慢性になる大人は厄介ですので。
ただ、守りのおばさんとのパイプは健在ですね。それを保険として安心して休養してくださいね。

世の中では日本でも台湾でもある意味神が動き出しておりますから今はゆっくりすべきな時期、身体を一番に過ごしてくださいね。6875
おばさんの言葉かなり私にはピンときましたが今は触れないでおきますね、まず治してくださいね。
返信する
りひとも凄い夢を (禮月)
2016-02-06 14:51:11
りひと様も凄まじい内容の夢を見られたのですね。私の夢より内容が意味深長です。

トカラ列島、東京町田市、桜島、そして台湾南部と一連の出来事は同じ神様をトーテムに持つ一族の足跡に関係していそうです。

これもトンでも説の域を出ないのですが、神奈川県大和市周辺にも「ヤマタイ国」は存在しており、伊豆半島に狗奴国があったという説をオカルト関連の掲示板で見てしまいました。
地球の内部に正三角垂の立体を入れるとそれぞれ頂点が、エジプトのギザ、ペルーのマチュピチュそして昨年5/30の夜8時に起きた大きな地震の震源地の付近である伊豆諸島の島に当たるのだとか。
3658
返信する
吉田一氣 (りひと様への返信)
2016-02-06 16:14:25
残念ながら大和市のHPによると
大和市の由来は以下のように記載されていました。

大和市の鶴見村では、
地勢や民情、政治主義のちがいなどから、
下鶴間対深見、上・下草柳の間の対立が深まり、
分村問題が発生します。
明治24(1891)年、県の調停もあり、
村名を四(下鶴間、深見、上・下草柳)と関係のない
「大和村」(大きく和する)に改称しました。

返信する
吉田さまへ (りひと)
2016-02-06 17:26:20
そうなんです、大きく和するっての地に作った言葉のようですね。
でも和って聖徳太子で有名ですがもっと前にと呉音のブレーンがいた可能性を考えています。架空ではなくモデルがいたはずと。

そんな私のとんでもない説ですが、ここに情報に乏しい私はいよいよ図書館に行かないといけないようですね。近々行ってみます。というかまた私の周りで何か起こってくれないかと願うド素人がいます。

一つ怖いのが県境なんですよね、今と当時は違う事。また大和市は神奈川県で東大和は東京で埼玉とも近い。また町田もその上だし、虚空蔵菩薩がある読売ランドもあの辺り、府中も近いし多磨霊園なんて地名もありますから。今回は斎場とのきっかけもあり斎場の場所というのは古代から現代までそう変える事はできないはずです。

秋津遺跡でも柱のある中では遺物が出ないらしいのです。そして土器片等は同じ所にどんどんと時代を経て積み重ねているようなのも、生と死、清浄と廃棄の区別は大事にされていたはずですから。

昨日調べていて面白かったのが大和市の南が川が二つあるんですがそこに神社やお寺がいっぱい。二つの川ということは陸地は当時なく古代は水路としては十分だったのかもと。

調べても出ない可能性も十分ありますよね、神社も火災等で記録なくなってますので源氏の時代前が知りたいんですが。
ただ遺跡でみればかなりの時代から人がいた可能性は十分あります。
私も考古学はすごーく縁がないけどやりたい事でしたが、結局考古学しか頼る所はないんだと実感です。

江戸の本にシュリーマンが日本に来ていた2日間に浅草寺に行っているとありました。私も2/8は浅草寺に決定してます。
観音さまに考古学で発見をお願いしてみます。2502 とんでも論なので関東担当ゆっくりみていきますね。両夫婦がはさんでいる呉音?巫女フゲキから崩さないと辿り付けないのでしょうか?
返信する
操縦されてる? (りひと)
2016-02-06 17:40:42
禮月さまへ

参りますね~。目の方に操縦されてそうですね。あいつ操縦されてるとして扱ってくださいね、危ない時はスルーしてくださいよ。大切な身体なので。

個人的には狗奴国が伊豆ってのはピンときますね。来宮さんと縁があるのですが実家の神棚には楠かな?パンフを立てかけてます。父に関係してますから。
そして伊豆には元4の方々と6の方々が混在しているはずです。今はすっかり大国主の6(亀の6ではない)ばかりですが。そう、修善寺で日枝さんにも出会いましたよ。日枝さんは4と6を結ぶ存在かもしれませんね。敵も多いよう注意なんですね。
とにかくひどくならないで完治させてくださいね。5304
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吉田一氣 (りひと様への返信)
2016-02-06 23:34:37
なんだかワクワクするような発見がありそうですね。
きっと見つけられると思います。
呉音のブレーンの事は今は分かりませんが
呉音霊の祭祀をしていた呉系一族は縄文弥生を経て
現代まで痕跡をまだ幾つも残しています。
私ももう少し痕跡を探して報告したいと思います。
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