吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

仮 郡家神社

2024-01-18 13:13:26 | 神霊界考察
寝ていて『郡家神社』を忘れたのか!という声で起こされた。
正直 何その神社?と思ったのだが
自分のブログTXTを全文検索してみると以下記事が見つかった。
『熊本の天社宮と加賀の郡家神社の関係 No294』2011-08-31

この記事を読みながら今回このブログで記載すべき内容が
過去の経緯とのからみで少しづつ理解出来てきた。

それで能登で自分のブログを検索してみた。
検索順ではない(順不同 脈絡なし添付)ではあるが
重要な点を示していく。

吉田:2007/04/08 17:42 『能登の輪島の重蔵神社』
http://reyline.web.fc2.com/bbs/infoseek01-35.htm
能登の地震で被害を受けられた方にお見舞い申し上げます。
ところで能登の輪島の重蔵神社で
鳥居が倒れるなどの被害が出ました。
ここの祭神は御祭神を調べると、
天之冬衣命・大国主命
[配祀] 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命・天津日子根命
・天之菩卑能命・活津日子根命・熊野久須毘命
・多紀理姫命・市杵嶋姫命・田心姫命
・表筒男命・中筒男命・底筒男命
・建御名方神・豊受大神・事代主命・大山咋神
と現在はなっていますが、もともとは、
重蔵神社・七ツ島・舳倉島の奥津媛神社は、
北九州の宗像三神の辺津宮・中津宮・沖津宮と
同じ形式を保った神社だったと考えれます。
能登といえば古代は道氏の勢力圏であり
下記に宗像も三輪もルーツが同じで
非常に繋がりが深いと考察していますが
この能登にまで影響が及んでいた可能性がありそうです。

吉田:長谷川等伯の故郷の七尾は能登石川=蘇我の姓である。

吉田:印鑰神社の南端は熊本県八代市鏡町にある神社で蘇我石川宿禰を祀る。
北端は道君氏のおひざ元の能登半島七尾市府中町223にある。

禮月:かぐや姫の一族が、俵氏と関係がある?能登の舳倉島、中禅寺湖のムカデがやられた事は
呉音霊の敗北の一因をつくった?

禮月:日本は世界の雛型というオカルト説で、
能登半島がスカンジナビア半島に該当すると書かれていました。
(※吉田補足 これは大本教の教義の中核を為す雛形経綸の事)
能登半島から兵庫県に移り住んできた人達が半魚人さんを復活させてくれるのかもしれません。
能登半島の離島の舳倉島には、田心姫を祭った奥津比女神社があります。
更に舳倉島からは琉宮城へ繋がっているとの言い伝えがあります。
能登には綿積系と宗像系二つの信仰が見えます。

禮月:倉麻呂は善徳の兄弟とされるので、
入鹿を形成する一人が善徳の異母弟という説の説明になります。
恐らく善徳の倉麻呂は、道君の娘と結婚して姻族関係になり、
アシカの革や様々な海産物等の貿易で蘇我家の財力を蓄えて行ったたのでしょう。
つまり北陸は蘇我と道君が支配する地域だったと思います。
日向は石川麻呂の異母弟とされますね。
石川麻呂が宮崎の串間へ行った事により、越(能登地方)と日向(宮崎)が繋がります。
輪島の重蔵神社に残る「大国主の息子はウガヤフキアエズ」の説の
根拠になり得るものが見えてきました。

禮月:輪島のウガヤフキアエズ様は、やたらとスサノオの子孫である事が強調されていた事です。
他の地方では天照大神の子孫である事が強調されているのに、
能登では天照大神と「子」である筈の神武天皇との縁があまり強調されずに、
ダイレクトにスサノオと大国主の直系
(何故かスサノオと大国主も直系になっていました。)である事が強調されています。
能登や輪島ではスサノオに太陽と火山の性質を追わせているのでしょうか?

はいせ:田名向原遺跡の建物跡は、炉跡、柱穴、外周の円礫群などになります。
縄文土器も発見されているのですが、
石川県鳳珠郡能登町字真脇にある真脇遺跡で発見されたものと
よく似たものが見つかっているそうで…。
ここって最近地震が多いとこだよね?
ちなみに田名向原遺跡から真脇遺跡までは555㎞。
寝ずに歩いて99日かかるそうです。なんだかなぁ。

はいせ:呉羽の名の由来 姉倉比賣命
『肯構泉達録』には、姉倉姫は船峅山(富山市舟倉の一帯)を本居とした女神で、
能登石動山の伊須流伎彦と夫婦の間柄であったが、
伊須流伎彦が杣木山(石川県中能登町の能登比咩社のあたりではないかと廣瀬誠氏は推測)の
能登姫と通じたため、姉倉姫は激怒し、この三角関係のもつれから、越中・能登は戦乱となった。
能登姫は海水を巻きおこして潮水を吹きかけ、姉倉姫はありったけの小石を投げつけたため、
船峅の上野には小石が一つもなくなったという。布倉山の布倉姫も姉倉姫に加勢して戦った。
この騒動を聞いて、出雲から大国主神(別名・大己貴命)がやってきて、
戦乱を鎮め、関係者を処罰した。伊須流伎彦と能登姫は海浜にさらして重く罰され、
姉倉姫は呉羽の小竹野に謹慎させられ、機織の仕事で罪を償わされた。
姉倉姫が機を織っていると、窓から蝶が舞い込んで、姫の仕事の手助けをした。
この蝶は蜆ケ森のシジミ貝が変化したものだという。
ちなみに、近くの水田の一隅に塚があり、これが蜆ケ森で、白髭神社がある。
もともと縄文時代の貝塚だという。
 数年後、姉倉姫が許されて故郷の船峅に帰るとき、
無数の蝶が姫を慕って舞いながらついていったと伝わる。
こうした由緒があることから、本居地の船峅にも、
流謫地の小竹(呉羽)にも姉倉姫神社が祀られているのだという。
参考文献/「神通川と呉羽丘陵 ふるさとの風土」(廣瀬誠著・桂書房)

さくら:03/17/2020 「鏡山と鏡神社」を書くときに、画面に地震速報が出ていました。
最近では能登地方も揺れたのですよね。

『石川県「かほく」の浜の海難事故の霊的背景 No293』
『石川県「かほく」の浜の海難事故の昇華 No298』

この記事を読むと【Y.少林さま】が登場するがこの方とメールのやり取りで
『郡家神社』で「石川県「かほく」の浜の海難事故の昇華」
「能登・志賀沖合の地震祈願」をお願いしたことを思い出した。 
これは2011年の事である。


Y.少林:10/03/2011 吉田さま、先日からいろいろありがとうございます。
地元産土神含め安全祈願にいって参りました。
本殿参拝後、神社のご神木前にてお参りした直後、曇の間から太陽が覗き、
ふわっと明るくなり、ご神木を照らしとても神秘的で今までに無い感動に包まれました。
「氣」と言うものは、元気、雰囲気、弱気......いろいろありますが、
天気いわゆる「天の氣」が、私のような一般人からすると、
単純に一番影響しているのかもしれませんね。
改めてメールにて連絡させていただきます。


吉田:09/14/2012 以下うららさまへコメントを残している
もともと私は少彦名神の封印を強化して再鎮魂することを
過去に神霊界の導きで行ってきました。
参考:『少彦名神考察』
http://reyline.web.fc2.com/sukuna/sukuna.htm
『七の封印について 空海の東寺 No260』
http://yoshida123.blog.fc2.com/blog-entry-262.html
ところが熊本霊ラインが荒らされて
修復がままならないままの内に
『石川県「かほく」の浜の海難事故の霊的背景 No293』
などに記載したように少彦名神の封印が解けてしまいました。
かほくに関しましては
上記記事にコメントを下さったY.少林さまにお願いして
代理祈願を数か所で行っていただきました。
Y.少林さまは少彦名神との遭遇があったそうです。
しかしながら封印が解けた場所は複数個所あり
もはや八岐大蛇の息吹が聞こえ始めました。
少彦名神の啓示によりますと
どこかの時点で再鎮魂する必要があるのですが
その一つの場所が八頭郡智頭町の三輪神社であるとのこと
うららさまの指摘で理解しました。
今後日本人は好むと好まざるに限らず
過去の歴史を追体験することになります。
以前はこんなことなかったのですが
口先だけの平和主義の人々に対して嫌悪感が高まっています。
ある霊界からの影響で自分が感応しているのだと感じています。
過去の日本の戦争を上から目線で非難した人たちが
同じ状況に置かれて究極の選択を追体験することになるでしょう。
同様に口先だけの安全主義に対しても嫌悪感が高まっています。
古代の神の復活を天皇が丁重に祭祀して鎮魂し
神霊界の再封印が為されない限り
日本人のこれからの生活と政治に関して
穏便な解決方法は無いでしょう。
たぶん国と領土と国民は諸外国に寄ってたかって犯されます。
しかし日月神事などの預言が実現してもいいのでしょうかね?
私は過去何人もの人々が必死で預言回避してきた事実を知っていますが
今後は難しいのかもしれません。
自分は英霊というものを信じていませんでしたが
(西南戦争での被害者ゆえ)
日本人は過去の明治以降の戦争を好んで起こした訳では無く
やむにやまれないものであったことを訴えています。
今後日本人は譲歩に譲歩を重ねてもまだ足りないと言われた時に
どういう決断をするのでしょう。
八岐大蛇は娘を全て喰らいつくすまで譲歩しませんでした。
日本人は過去自分の子供を人身御供してきた歴史があります。
悲しいけど事実です。
それで穏便に済ませる事が出来るならと思う民族なのです。
しかし再度言いますが
八岐大蛇は娘を全て喰らいつくすまで譲歩しません。
つまり
素盞鳴尊の反撃が必要だという事です。

とりあえず過去ブログのまとめはここまでとする。

今からの考察は    記載途中
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8 コメント

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能登地震 (通りすがり)
2024-01-19 14:20:59
この度の地震について、内灘街で液状化による被害が大きかったですが、内灘街にある「かほくの浜」に注目したことから、こちらの記事に参りました。
事後承諾で恐縮ながら、自分のブログにかほくの浜事故の記事をリンク貼らせていただきました。
有益な記事をありがとうございます。
吉田一氣 (通りすがり様への返信)
2024-01-19 16:23:35
コメントありがとうございます。
内灘街は震度5程度であると聞いていますが
揺れよりも液状化による被害はかなり深刻だと感じています。
揺れや津波だけでなく液状化もあれだけ大きな被害を出すのかと驚きました。
数年前のリタイア後に石川県能登に赴いて少彦名神の再封印をしたいと
願ったのですが、
家族の強い反対にあい残念ながら願いはかないませんでした。
誰の周りにでも災害は起こるものです。
常に祈りと備えは必要ですね。
これからもご支援宜しくお願いいたします。
八岐大蛇への反撃 (さくら)
2024-01-19 18:17:46
夢で聞こえた「郡家神社」
いつなのですか?
石川能登地震の後ですか?
八岐大蛇を何と仮定しますか?
争いの元となる人に巣食う怨念ですか?
私と吉田様の世界観は違いますので、
詳細を打ち合わせしないとわかりません。

私は能登の少彦名神の依代タブの木、折口信男の神婚のことと「鹿島立」を調べていました。
実は私の家の玄関口に最近木が生えてきたのです。
今日は植木屋さんと打ち合わせでしたので、
勝手に生えてきた木の種類を聞いたのでした。
思った通り「クスノキ」であり、「タブの木」も同じ仲間だと言うのです。
紹介写真のタブの木を見て、玄関に生えた木と一緒だと思っていたからです。
八岐大蛇への反撃 (さくら)
2024-01-19 19:53:06
今現在呪いを受けている可能性を感じていますので
かなり敏感になっています。合掌。
私の思う鬼神と化した八岐大蛇霊と吉田様の思う八岐大蛇霊とは違う可能性があります。
立場が違えばその人の見える風景も違います。

私は鹿島神宮(志賀島)を頼って研究しています。石川県で導かれた小島は「鹿島の森」でした。
何処かにコメントした覚えがあります
https://www.tabimati.net/spot/detail_170.html
鹿島神宮にも郡家の跡地があります。
鹿島神宮境内附郡家跡
https://city.kashima.ibaraki.jp/site/bunkazai/50132.html
神領地の南側に位置する役所処ですね。
祭祀する人(お役人)、天地人の「人」の担うところが郡家なのでしょうか。

それと、豊玉姫が祀られる「菅生石部神社」にも行きました。
https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/matsuri/matsuri_015.html
大蛇とされているようです。
雷神と牛を感じた場所です。雷神を祀る一族の祖神だと思うのですが、雷神といば「伊弉冉女神」は雷神を産んでいますね。

火雷神(ほのいかづちのかみ)とも。
伊邪那美命は火の神・迦具土神を産んだ時、女陰を焼いてしまい、それが原因で亡くなってしまう。
死後に赴いた黄泉の国でそこにあった食物をとってしまったことで黄泉の住人と化した伊邪那美命の五体に発生したのが八柱の雷神・八種雷神(やくさのいかづちのかみ)である。
アラハバキ女神と天女とはちまき石 (はいせ)
2024-02-03 20:20:59
アラハバキ神社の最西地は静岡県浜松市だそうです。巨石が祀られているようです。大井川流域で遮光土偶もどきも見つかっているからあると言えばあるかも。次回の帰省で調査してきます。
常世神の話とかヤマトタケルの草薙剣の話とかちょいちょい歴史に出てくる静岡。それで美保の天女について調べ直していました。新たに、はちまき石という石の周囲を白や黒の筋が、はちまきをしているように一周している石に纏わる話があることを知ります。ネット情報では脊振山にもあるそうで…。そして、私も持っているのです。縄文の調査で博物館に行くとお土産に石をいただくことがあります。黒曜石、瑪瑙などに紛れて博物館の職員さんに大プッシュされていただいた石がはちまき石でした。当時は意味がわかりませんでしたが、美保の松原にも行って来ましょうかね?子供の頃、船で行ったきりなので…。脊振山にもと聞いたら行くしかない。

能登では、輪島には行ったことはありませんが、気多大社にはご参拝しています。確か雪の日でその日最後の参拝者が私でした。森が飲まれそうに神々しく畏怖した記憶があります。森の入り口ギリギリのお宮で長く祈っていたような…。真脇遺跡のことコメントしてましたね。イルカと共に生きた縄文の人々がいた遺跡。是非訪ねてみたい。石川県、富山県は遠い…。同じ遠さならどうしても東北に足が向いてしまいます。
今日は節分。鬼もゐぬも騒ぎ出す。

3156→3210(サイコロから反転のひふみ)
吉田一氣 (はいせ様への返信)
2024-02-17 01:34:43
ずっとハチマキについて考えていました。
戦場で兜の下に着ける(巻く)ハチマキは
生命をかける時に我が想いをのせるものですが、
注連縄と鉢巻と禊には深い関連があるという気がします。
でも頭に浮かぶのは何故か茨冠なのです。
これは「受難の象徴」「戒め」を意味していますが
ハチマキ石は忍耐の力を授けてくれるような気がします。
御神霊が正義は我に有りと伝えてきています。
あっという間に (はいせ)
2024-02-25 16:58:57
吉田様

ご返信ありがとうございます。
あっという間に時間が過ぎていきますね。
気候変動に身体がついていきません。仕事も多忙で、休みはすっかりお布団の虜です。予定通りにご参拝など進みませんが、月末にスケジュール帳を見返すとどうしてもしたいご参拝やお伺い祈願はできていて、まあいいかとなってしまいます。

ハチマキ、奥が深いです。美保の松原のハチマキ石は現在、天然記念物で持ち出しは禁止されています。
日本3大松原は美保の松原、氣比の松原、虹の松原です。全部訪れています。氣比の松原は呉音神調査で福井に行ったときに、虹の松原は一の宮参りの壱岐、対馬の帰りに寄っています。
どこも茨冠と関係がありそうな匂いがしますが、松と言えば鍛冶なイメージですね。まあ、鍛冶の松は赤松が一般的ですが。物部が茨冠と結び付くのかな…。今、以前ブログでもご紹介された富家の伝承を勉強していますが、自分の感応がなければ、納得できるので混乱します…。
ゐぬ国が関東にあったクナド国で出雲のサイ神を祀っていてというのも、クナド大神の象徴は火焔型土器という感応に従うとちょっと違う気もするし…。悩ましい…。個人的にはクナド大神を祭祀していた縄文の人々が九州に行って呉系姫氏と一緒にゐぬ国を作った感じがしています。

先日、飯山白山から座間の護王姫神社、勝坂遺跡を巡ってくるっとヒトツツミのイメージで国防祈願をしてきました。翌日から東京はずっと天候不順で…。
大和三山の耳成山も気になっていたのですが、3月に訪問できそうです。畝傍山、天香具山、耳成山の順番で巡って不思議でしたが、この順番が大事みたいですね。

5月に九州慰霊の旅はどうなるのかな?計画が立て難いです。
吉田一氣 (はいせ様への返信)
2024-02-26 00:45:51
体調にはお気をつけください。
そのスポットを巡る国防祈願はとても素晴らしいと思います。
ところで以前清水市には友人が住んでいて遊びに行ったこともあるので
三保の松原には行ったことが有るかもしれませんが
残念なことに全く思い出せません。
羽衣の松って見たのかな?
静岡で食べた一本焼きの鰻が豪快に皿からはみ出て
お盆の上にまで垂れていたという記憶だけあります。
ところで昨日は高知に行っていたのですが
桂浜にも黒石に白線のはちまき石がたくさん流れ着いていました。
河川で見られるきれいな丸石が多くて
ネットで検索してみたらいろんな色の石があり
総称して五色石と呼んでいて結構有名みたいです。
はちまき石を勝手にもらってきました。

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