いち・に・山歩!

山・街・旧跡・名所歩きだけでなく、近所の散歩やサイクリング等、「お出掛け記」と管理人の「好き勝手言いたい放題記」です。

チームFUJIYAMA in 富士山 ~2002.8.31~

2011年11月19日 23時42分31秒 | 2006年以前散策記(野山編)

 昔のファイルを引っ張り出して御覧になっていただこうと思います。
然し、2日間に渡る行程の2日目の写真データが「CD-Rの破損」により失われてしまった為、初日のみの写真となります。
 私ももう1度見たいし、その場に居なかった“ゆきさん”に見せたいのは2日目の写真なのですが、其れに残念ながら私の心の中にしか残っていません。
不足分は「富士登山を扱う他のサイト」で補って頂きたいと思います。

 あぁ、消えてしまったデータ、何とかならないかなぁ・・・。

【チームFUJIYAMA創設!】
 チームFUJIYAMAは、空(パラグライダー)、海(スキューバ)の2つの世界を体験した"Mさん”と“ゆうさん"が設立した集団で、「次の目標である地上(日本最高地点)を制する」が目的。
然し、山歩き初心者の2人では心許ないので、“Mさん”は以前の職場の同僚でワンダーフォーゲル部出身の“ヨッシー”を勧誘!
次に“妹”とその知人で四季を通じて山を徘徊している私を引っ張り込んだのでした。

 私の役目と私が目指した事は
①「皆に山に慣れてもらう」
②「体力・持久力・技術・判断力の向上」
③「山歩きを楽しい物と感じられる様になってもらう」
でした。
楽しい事は身につくのも早いし、楽しく感じれば苦労も苦痛ではなくなると言う訳。

 丹沢の大山、表尾根(三ノ塔・烏尾山・塔ノ岳・鍋割山)、西丹沢の本棚・下棚、大山三峰山、高取山・・・。
小仏・高尾山塊では陣馬山、影信山、小仏城山、高尾山、南高尾山稜・・・。
色々な場所に行ったなぁ。
 徐々に体力・技術・注意を必要とする行程を組み入れると共に、様々なタイプの道を経験してもらいました。
でも、「キツイだけ」の山歩きにならない様、花を愛でたり、木の実・果実を拾って食したり、収穫した物でジャムを作って、次の機会に皆で食べた事も。
動物の姿を見ると共に、その痕跡を探しながら歩く何て事も有りました。

 皆仕事が多忙で全員が集う機会が稀で、富士山登頂後お会いしていない方も居られますが、あの時共に歩んだパートナーとして、共に時間を過ごした仲間として、今でも特別な存在になっています。
この場を借りて御礼を述べさせていただきたいと思います。

【チームFUJIYAMA in富士山】
 2002年8月31日~9月1日の2日間で富士山へ行って来ました。
今回は全員参加と言う予定!
メンバーは“Mさん”と“ゆうさん”、“ヨッシ-”、“M妹”、私の計5人。
集合場所は、新宿西口の八十二銀行の前。

【第1章 ヨッシ-行方知れず】
 出発時間が間近となってもヨッシ-が来ない!
携帯も繋がらないし(電車の中(移動中)の為、電源を切っているのかな?)・・・。
バスの出発時間迄はあと少し!
 「どうしたヨッシー?」
出発前からチームFUJIYAMA絶体絶命!!

【第2章 出発の時間が・・・】

 「参加者の方はバスへ案内するので、着いて来て下さい!」

と言う旅行会社の人の声。
とうとう出発の時間となったしまった・・・。

 「携帯が繋がらないから、移動中(電車の中)だと思う。
しょうがないから、家の留守電にメッセージを入れておこう!」

と言う事になり、ヨッシ-の家に掛けると・・・。

 Mさん 「トゥルルルル♪・・・ガチャッ」
 ヨッシー「もしもし?」
 Mさん 「えっ?ヨッシー?〇〇だけれど・・・」
 ヨッシー「えっ?あっ!寝過ごした!!」

と言うヨッシ-の叫び声!
携帯が繋がらないのは、寝る際に電源を切っていたからだそうで・・・。

 写真はバス内の光景(カメラを構える“Mさん”と“ゆうさん”の創設者コンビ)

【第3章 ヨッシ-への判決】 
 当然ヨッシーは、出発時間に間に合わない。

ヨッシー「今回の参加を諦める。でも、勿論ツアー料金は払う」

に対してMさんが下した判決は以下の通り。

≪ヨッシ-≫
 以下の者は“寝坊”に因って、「前年から計画をしていた富士山へのアタック」に多大なる影響(“全員参加”にならない)を与えようとしている。
 唯、住まい(1人暮らし)は新宿と富士山の途中(八王子)に位置し、電車とバスを使用すれば、皆が向かう富士吉田口に行く事も可能である。

 よって、今直ぐ家を出発し、河口湖駅行きの電車に飛び乗る事!!

 その先のアクセス方法とその時間、間に合うかどうかは此方で調べ、その都度報告する!
兎に角、出来るだけの事はしてみなさい!

と言うものでした!


【第4章 富士吉田口でのセレモニー】
 富士吉田口(5合目)はどんよりとした曇り。
肌寒いし、展望も利かないし、お腹も空いたし・・・。

 当然ながらヨッシ-は未だ到着せず、同じバスに乗っていた方々は皆とっくのとうに出発してしまった。
電波状況が悪く、携帯が繋がったと思ったら途中で切れたり。
繋がっても会話がきちっと成り立たず、何処迄来ているのか分からない状況が続いた。

 何度も掛け直して「富士スバルラインに入っている」事だけは分かったけど、渋滞に捕まっているとの事。
 体操やストレッチをしたり、荷物の詰め替えをしたり・・・。
皆「未だ未だ相当に時間が掛かるのでは?」と感じ、
 「昼食を先に食べようかどうしようか」
と“お腹の虫”と相談し始めた頃にヨッシ-が到着♪
富士吉田口で待ち始めてから到着した2本目のバスだったので、「随分と早い到着」と言うのが我々の感想。
 中央道で渋滞に捕まった私達よりも遥に所要時間も短いし、「電車もバスも空いていて座れた」との事。
 「朝早く集合し、ツアーのバスで来た私達の立場は・・・」
と言う感じだった。

 此処で8月末に誕生日を迎えたヨッシ-に対してMさんからプレゼントの贈呈!
此れにはヨッシ-も「平謝り」・・・じゃなくて、「感激!!」

 Mさんからのプレゼントに喜ぶヨッシ-。
 
  「私も何か用意しておくのだったな」
と思ったが、誕生日の事を知らなかったのだからしょうがないか。
せめて『熱い抱擁』でもしてあげれば良かったかな?
ん?「そんな趣味は無い!」ってか?

【第5章 いざ富士山へ】

 お店が建ち並ぶ富士吉田口から登山道へ向かう道の入口。
地面は土で、楽々車2台が擦れ違える位道幅も広い。
登山者の他に「少し先迄行って戻って来よう」と言う観光客も多数居て、結構な人数が歩いている。

 リュックを背負った中央の3人がフジヤマのメンバー。
左からヨッシー、ゆうさん、M妹。
神社の鳥居や寺の山門が一般社会との境界を示す様に、こう言うゲートって、何か
 「此処から先は・・・」
と言う目印の様で、気持ちが高まってくる。

 「さぁ、怪我には気を付けて、頑張るぞ!」

【第6章 馬も富士山詣で? 馬好きあれこれ】
 この辺りは、人を乗せた馬が多数係員に引っ張られて歩いている。
 
 観光用の運搬専門のお馬さん達が、登山道の入口迄運んでくれる。

 片道¥1000以上したと思ったけど、記憶が曖昧。
 『馬に乗って移動するモンゴルツアー』の経験が有る“ゆうさん”に馬の事を聞こうかと思ったが、“ゆうさん”は既に『回想モード』に突入後。
モンゴルで世話になった馬達に意識が飛んでいた様です。

 因みに、同じく馬好きなMさんは、お気に入りの某競走馬やら、思い出に残るレースや此れから始まるレース等に意識が飛んで行った模様。
此れは此れで違う意味での「馬好き」ですね・・・。

そして“食い意地が張った”私は、馬を見ながら「馬刺し・・・・ジュルッ!」と涎を垂らした・・・何て事は無かったです。

【第7章 北風と太陽と紫外線】

 雲と言うより霧と言った方が良いのかな?
右下から左上に流れる霧の中に吸い込まれる様に次々と登山者が消えて行った。
空には雲、周囲は霧で、展望の利かない登りが続いたが、突如雲が割れた。

 その合い間から“眩しい”と言うより“痛い位強烈な日差し”が射し込んだ。
その変化の速さと、陽射しの美しさに周囲から驚嘆の溜息が。
 「陽光とは、青空とはこんなにも綺麗な物なのか」・・・と。

 暫く見蕩れていたのだけれど、ふと我に帰った女性陣は、慌てて紫外線対策を。
現実に引き戻された様で我々男からすると、
 「ムードぶち壊しだよ・・・」と苦笑い。

 でも、この日差しの有無は気温を大きく左右する様だ。
急に暑く感じ、上着を脱いでリュックにしまう必要に迫られた。
 「太陽って凄いなぁ」
と思って数分が過ぎ、出発の用意を終えた途端、再び雲は雲に・・・。

 自然は偉大なり。
我々は“自然に弄ばれている”ようだ。
童話『北風と太陽』みたいだな。
う~ん、先が思いやられる。

【第8章 小屋について】

 7合目近くになると、流石に雲の上に出る。
地面の照り返しも重って陽射しも強いけど、その明るさが何だか嬉しい。
眼下に雲が有り、其れが陽射しを反射する“雲の照り返し”何て物も感じられる。

 宿泊する7合目と8合目の間に有る山小屋(鳥居荘)の前から見た山中湖。
雲はドンドン流れて行き、その形も変わって眼下の景色は変化を止めない。
何時迄見ていても飽きないし、この光景から目を離す事が出来なかった。
 
 夕暮れ時、我々の前に富士山の陰が現れた。
此れは太陽が富士山の陰を麓の地面に作る「影富士」と呼ばれる物。
富士山に登っていないと分からない物だ。
でも、シャッターチャンスは僅かな時間。
あっと言う間に太陽はこの美しい光景を作り出す場所から動いてしまい、我々にはどうする事も出来ない。

 山小屋前からの夕暮れ。
眼下の街に徐々に灯りが灯っていく。

 「その1つ1つに人達の暮らし(命の営み)が有る・・・」

何てチョッと物思いに耽りたくなります。

 後に鳥居が見えるが、階段を登り切った所にこの鳥居は有る。
フレームに鳥居を入れ、その向こうの空を一緒に撮った記憶は有るのだけど、写真が見付からない!
どの様に見えたのか気になるのだけど・・・。

 宿泊した小屋は“鳥居荘”。
因みに、“ゆうさん”は、夕暮れの撮影に必死で、此処に居ない。

 夕飯は他の山小屋と同じくカレーライス。
食後に頼んだ“豆から挽いてくれるコーヒー”と“ホットミルク”が美味しかったです。

【第9章 その後】

 此れは、山頂で売っているピンズで、お金を払えば登頂した日の刻印もしてくれます。
登頂メンバー5人が手に持ち、其れを撮影したものです。
どの手が1番美しいかな?
私かな?

 小屋を出発するのは深夜0:00前後。
小屋の位置によって「何時頃に出発するのが良い」と言うのは異なるが、「山頂で御来光を」と言う場合は、何れも深夜の出立になる。
登山道を何百人と言う人が数珠繋ぎになってゾロゾロ、ダラダラと進んで行きます。
 「長期連休の高速道路での大渋滞」と言う感じで、止まる事もしばしば。
山頂での御来光と言うのは必ずしも見られる訳ではなく、中腹で夜明けを迎えてしまう事も覚悟しなければならず、我々も山頂迄あと少しという所で夜明けとなって、道を少し外れた場所で御来光見物をした。

 山頂の入口付近には浅間神社と飲食が出来る茶屋等が有り、その外れに火口へと続く道が有って、TVで何度も見た深くて大きな火口に向かう事が出来ます。

 火口を一周する「お鉢巡り」をすると最も標高が高い「剣が峰」に行けるのですが、
 「最高地点にこだわらず、自分達のペースで余裕を持って下山しよう」
と言う事になり(我々らしいが、今思うと行ってみたかったと言う気も)、下山する事に。

 風の無かった1日目と異なり、2日目は風が強く、舞い上がる土埃に苦しめられる行程でした。
風の事を考えると、ゴーグルとマスクが有ると良い山だと思う。
逆にゴーグルも眼鏡もマスクも無いので、土埃が目に入る、口に、鼻に入る数時間は、目が痛い、喉が痛い、口に中もジャリジャリする我慢の時間だった。

 登山時期は7月末~8月末。
ただし、お盆過ぎには次々と営業を終える山小屋が出て、8月最終週には一部の小屋だけが営業している状態になるので、予定を立てる時点でどの小屋が営業しているのか、空きが有るのかを調べておく必要が有る。
そして2日目の行程を楽にする為には、初日の宿泊場所(小屋)が山頂に近い小屋の方が良い。

 高山病は、同じ人でもなる時とそうでない時が有る「予測が出来ない症状」なので、
 「前回大丈夫だったから今回も」とは言えない。
山は逃げないし、高山病は重大な事故に繋がりかねない症状なので、体調に異変が生じた場合は、決して無理をしない事。

《関連情報》



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TB (ペーパーマン)
2011-11-17 13:53:26
2006-04-24 18:40:55
私もいつか富士山に登ろうと思っているのですが、未だ実現できていません。ブログを読ませて頂いて、また思いを強くしました。今年こそ!
様々な物を見聞して感じとって下さい! (よし)
2011-11-17 13:59:28
2006-04-25 23:43:19
 ペーパーマンさん、初めまして。
そして書き込み&TB有難うございます。
「富士山は環境問題で世界遺産に登録されない」
と言われていますね。
実際に足を運ぶと
 「素晴らしい部分」と
 「様々な問題点」
に触れられます。
観光地化している事や人のモラル、旅行会社の問題点・・・等々、
 「考えさせられる事」
の他に
 「不愉快な出来事」
に遭遇する事も有ります。

 でも、あの
「此れ以上無い位の青い空」
「今迄見た事の無い位の広い空」
「夕暮れと朝焼け」
「何百人と言う人達と共に迎える御来光の瞬間」
・・・等々、他では味わえない物を見る事、体験する事も出来ます。
 天候・気温・体調の変化に注意すれば、道自体は危険性は極めて低いので、時間がお有りでしたら是非1度。

コメントを投稿