毎日を楽しく

新しい発見”ミッケ”

春の芸能祭

2009年05月24日 | フラダンス/フラサロン

  〈みんなで♪ミスター・ホノルル♪ 撮影/長男〉

昨日の「すむのさと」の舞台に続き、今日の日曜日は市民文化会館ホール第16回「春の芸能祭」に出演です。
まるで芸能人並のスケジュールのようです。
私たち6人は勿論新人1年生なので決して上手ではありません。
ですが先生たちが進めて下さる舞台は断らずにすぐに参加してしまいます。

そして本舞台の失敗で私は奈落の底へ落ち込みます。
先輩や仲間の励ましで時間をかけてやっと立ち上がれます。

しかし今日は気が楽です。
先生の生徒さん50名位で「ミスターホノルル」を踊りました。
たくさんの仲間と一緒なので笑顔も出て楽しく踊れました。
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すむのさと誕生祭に出演

2009年05月23日 | フラダンス/フラサロン

  〈初めてのドレス〉

土曜日、高尾病院すむのさと誕生祭に出演することになりました。
私たちフラサロン・モキハナの6名の曲目は「ザ・レターズ・フロム・ハワイ」です。

五月晴れの眩しい太陽が屋外舞台をきらきら照らします。
私たち6名は新調し出来上がったばかりの慣れない長い丈のドレスを着て曲のスタートを緊張して待ちます。

♪海に浮かんだー 白い帆かけ舟ー どこへ行くのかー ゆらゆらーゆらとー♪
覚えたての未熟な踊りに拍手が聞こえて来ました。
温かい拍手をありがとうございます。

舞台は1日中、鳥栖、小郡、久留米、福岡からの出演者が日本舞踊・よさこい・バレエ・キッズダンスなど繰り広げました。
お昼は施設の食堂でカレーライスを御馳走になり、出店の試食をしたり抹茶をいただいたり夕方まで楽しみました。
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YAHOO!DOME

2009年05月20日 | 舞台 コンサート 鑑賞 テレビ 

〈大道芸人ミスターバード〉

Fawks Townで買い物をしてドームに向かっていると人だかりがある。
大道芸人がアニメーションダンスと笑いで道行く人の足を留めていた。
直方出身のミスターバードという大道芸人で、テレビ出演や大会のチャンピヨンに輝いたことがある実力派のようだ。
男子高校生のグループが、目の前のパフォーマンスを食い入るように見ていた。

     
    〈ドームのおとうさん〉          〈ドームで羽ばたく鷹〉

毎年弟が、仕事関係で手に入る野球のチケットを手配してくれる。
今夜のソフトバンクの相手は交流戦で阪神がやってきた。
ドーム周辺はなにやら大阪風で活気がありドスが効いた賑やかさである。

夫婦でマスクをして「今日は新型インフルエンザが怖いのでドームでの飲食は止めよう」の約束は4回裏で私が破った。
たこ焼き、ミッククスサンドなど胸に抱きながらきょろきょろドーム内の飲食店を散歩がてらぐるっと1周した。
梅が枝餅は売り切れで残念。


〈大歓声が響く3塁側阪神応援席〉

7回、恒例のジョット風船の変わりにバンバンと大きな音と一緒にキラキラ光るテープが舞った。
8回、9回と終盤戦に近づくと今まで遠慮していたのか、1塁側の座席からも熱狂的阪神ファンの歓声があっちこっちから上がり、ここは甲子園球場?の雰囲気になった。
噂に聞いていたが広いドーム内に阪神ファンがやたら多く地元の福岡の応援が負けそう。

今日は延長で勝たせてもらいました。


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母の日 ありがとう

2009年05月10日 | 母の日 誕生日 プレゼント

カレンダーに”5月の第2日ようびは母の日”と決まっていてありがとう

長男から毎年遠くから1行のメールが届いていた
今年は言葉を添えてカーネーションとケーキを手渡してもらった

次男から毎年遠くから宅急便で生花が届いていた
結婚してお嫁さんからバックやショールなど楽しい品物を戴く

こんな母を忘れずにありがとう

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糸島

2009年05月06日 | 親戚 友 仲間
      
  〈友の畑 二丈町一貴山〉           〈裏の竹林から収穫した竹の子〉

糸島に行こうと急に思い立った。
一人で電車で友の家に行くのは初めてなので不安だったが、車の運転はまるで自信がないので仕方がない。
JR博多駅から地下鉄空港線に乗換え、筑肥線唐津行き筑前深江駅に無事降りたった。
(いつの間にかに、JRと地下鉄がドッキングしていて新鮮な小旅行になった)

10年前、友は都会から田舎へ移り住んだ。
養鶏を始めたその頃にも私たち夫婦は訪ねたことがある。
夫は、荒れた畑に背高く伸びた雑草を草刈り機で払い、少しでも野菜ができるようにと、1日中農作業をしてくれた。
友は真面目にコツコツ働くので、困った時は誰かが手を差し伸べ助けてくれる。
そのころ書いた文章がある。



和子よい
和子とは初めての職場で知り合い、もう40年もたつなり。
糸島での養鶏場は女手一人でさぞ大変なむ。
鶏は元気に走り回り、おいしい卵を生んでいる様子、順調でなりよいやち。
自然との厳しい生活も早3年、よう辛抱して頑張っているなむ。
イノシシや猿とも共存しよって感心しうる。

和子よい、今のわが楽しみは、毎夜寝床で本をよむことなり。
村田喜代子作「蕨野行」を読んでいるなり。
飢餓・貧困の江戸時代、食い口を減らすためワラビの衆は、60になると野に入るなり。
木の実、獣、魚を捕り、飢えをしのぐなり。冬の真白き野をいかに超えつるか。
江戸の棄老は悲しきかな。
われら昭和の時代に生を受け、幸せなりける。

和子よい、お互い齢60に近くなりたる。平成の婆はいかに生くべきか。
身体はなえ、頭もかすんでいくなり。
若き者に甘えることなく、人の役立てば心豊かに暮らせるらん。
共に老いてみようぞ。
近いうち、糸島の魚と沢ガニ飯とビールで語り、笑い合おう。



6年前の真面目くさった投稿用の文章は気取っていてこそばゆい。
この時期より月日が経ち、友は2年前60歳で晴天の霹靂、初めての結婚をした。
やさしい伴侶ができ新婚生活を送っている二人は、テレビドラマのシナリオのようだ。
鶏は3百羽から百羽位に減らしたが、裏の竹林も購入し、ブルーベリーも出荷できるようになった。




「ココココッコケー おいしい卵生みましたよ」と太陽が当たった鶏小屋の中から色艶の良い羽の鶏たちが教えてくれる。
生みたての卵をパックに詰めると私も軽トラの助手席に乗り込み、お得意さまへの配達にくっついて行く。
道の駅や福岡天神の店などから注文もあるが、ほとんどは各家庭への配達が多いようだ。
単価は高いが、安全な発酵餌や野菜を食べさせる正直者の友の養鶏場の卵は人気で、有難いことに配達を待っていて下さる。

鶏の健康維持のため野菜農家へ新鮮なキャベツの外葉を取りに行ったり、日頃の忙しい友の生活が伺えた。
1泊した夕方、竹林の中から掘り出した竹の子、数時間前に生んだ安全なおいしい卵、採れたて有機野菜などのお土産をいっぱい持って帰った。
早速ご近所の方にも、友の愛情の籠った自然食品を味わっていただこうとお裾分けに廻った。
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母さん高熱で入院

2009年05月04日 | お母さん
5月3日連休のバイパスは渋滞もなくスムーズに北九州に着きました。
母は40度の高熱と、体の震えが止まらず救急車で病院に運ばれました。
高熱の原因は検査結果では今のところ異常なしの判明だそうですが、皮膚の疥癬病が再発したので隔離されています。

隔離された母の個室のドアを開けると入口に三着のブルーのビニール製の長い上着が掛っています。
その一つを身にまとい、それからマスク、ゴム手袋と完全装備をして母のベットの側に「おかあさん」と近づきました。

病室で安静にしている無表情な母と目が合うと「あら来てくれたの」と、とたんに顔が明るくなりました。
庭から摘んできた小さな花たちをコップに挿して奥のテーブルに置くと、母といろんな話を始めました。
高熱でダメージを受け、記憶が遠のき「私は何人子供がいたかね~」という質問も飛び出しました。
ゆっくり「長女の八重子ちゃんでしょう?長男の健治でしょう?さてこの人は誰でしょう?」と私自身を指差すと「よし子ちゃんたい」とスラっと名前が出て来ました。

母には目の前にいる人は誰なのか理解できても、想像することが苦手になりました。
昨日も母思いの弟、60歳の健ちゃんは病室にきて母と会って話していたのに・・がっかりです。
看護師さんが母のベットから離れた所に私を呼び「昨晩、『健治、健治はどこにいるの?健治を呼んでー』と大きな声で探し、ベットから降りようとしていたのでゆっくり休めるように薬を飲ませました」と小声で知らせて下さいました。

病院の夜なのに自宅とまちがえたのでしょうが、自宅にいても夜半は時々大きな声で泊っているいる私たち3人姉弟の名前を呼ぶことがあります。
夜の暗闇は母を不安にさせます。

今夜は実家に帰り、父の仏壇の前でいつもより早い時間にひとり就寝しました。
翌日病院に行くと「よし子ちゃんが言っていたように、退院したら歩けるように手と足をベットの中で動かしていたよ」と力の入った声が返ってきました。
いつものがんばりモードの母に戻っているような気がしました。

姉夫婦が、祝日の高速代金1,000円を利用して夜には病院に着くので、母はますます回復に向かうでしょう。
6月26日の91歳の誕生日は家に帰ってお祝いしょうね。
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陶器のおひなさま

2009年05月01日 | 陶芸教室
今日の金曜日、久しぶりに陶芸教室に向かいました。
(4月中は何かと忙しく、この趣味の時間はお休みしていました。)
今年の1月から取り掛かっていたお雛様の焼成が出来上がり、電気窯の近くの陶芸棚に並んだお雛様が目に飛び込んで来ました。
かわいい・・思っていた以上にかわいい・・先生有難うございました。


茶色の粘土 玉作り 黄伊羅保の釉薬          青萩の釉薬



白い粘土 タタラ作り 下絵の具(赤・青・黄・緑)  上薬は透明釉


三角型の玉作り


1月、最初の2対は茶色の土で作りました。
鄙びた趣のある雛が出来上がるのかなと想像しました。
雛を作ったことのある先輩が「色がね・・・」と少し渋い顔をされました。

2月、玉つくりの雛の身体の幅が5cmにもなり、「ひび割れの原因になる」と先生が底を掻きベラで削って下さいました。
ひび割れ防止の作業を丁寧にして下さっている先生に「白い顔色のおひなさまを作りたいのですが」とお尋ねしました。
「茶色の土より粘土質は粗くなるが、白い粘土を使いましょう」と次の週に白い粘土(色は灰色)を持って来て下さいました。
揉むとなるほど土がザックリしているような気がします。
白い土を使ってタタラ作りの身体に冠を被せたり扇を持たせたり3対作りました。
 
素焼の出来上がり状態では、茶色の粘土も白い粘土も色はそう変わらないような気がしました。
(なのでこの段階まで、本当に白く出来上がるのか疑っていました)
先生が「白い粘土には下絵の具を塗ると綺麗な色が出ますよ」と、奥にある道具の棚から真新しいビニール袋に入った粉末の絵の具を持って来て下さいました。

初めて下絵の具を見ました。
粉末の絵具は水で溶いて、赤・青・緑色は着物に、黒は冠に、扇は黄色にと筆で塗っていきました。
絵の技術が未熟な上、釉薬を掛ける時間が1時間半位なので呼吸する時間を忘れるほど夢中で下絵を塗りました。
それから一息ゆっくり深呼吸をして、上薬の釉薬掛けに進みました。

透明釉と書いているバケツの中へ1個づつズボンズボンと付けていきました。
最後の作業は、ひな人形の底には揮発剤は掛けてないので底に付いた釉薬を丁寧に布で拭き取りました。
どうにか時間内に10個仕上げる事が出来ました。
(反省:長くお休みするのはやめましょう)

今日、再会したおひなさまの顔はまっ白でした。
白い粘土に、透明の釉薬を掛けると、白い陶器になります(疑ってごめんなさい)
白い粘土に、下絵の具を塗ると、想像以上に綺麗な色がでます。
(釉薬の下に描く彩画に用いる絵の具に入っている成分の働きに感動します)
私の手に付いていた青い絵具が、おひなさまの顔に青くくっつき、失敗の汚れが鮮明に解るほど、透明で白く仕上がっていました。

茶色の粘土のおひなさま、白い粘土のおひなさまそれぞれ趣が異なります。
身長10㎝位の小さな陶器の雛人形ですが、かわいくて見飽きることなく何回も眺めています。
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