アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて 出雲族の移住した葛城地方を尋ねて その2 大穴持神社、御歳神社、高鴨神社  2017年6月6日

2017-07-03 12:17:27 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
59.出雲族の移住した葛城地方を尋ねて その2 大穴持神社、御歳神社、高鴨神社  2017年6月6日
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葛城地方へ移住した出雲族と渡来系の人々の住み分け図です。
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五十猛海岸に上陸した徐福とその部下穂日(今の出雲大社宮司の祖先)や海童達に幽閉殺害された 
古代出雲王家第八代 主王(役職名は大名持ち、記紀では大国主と書き換えられた)、副王(役職名少彦、
記紀では事代主と書き換えられた)から続く家族関係図です。

八千矛王(記紀では大国主)と宗像三姉妹の真ん中の多岐津姫との皇子、味鋤高彦は西出雲王家の人々を引き連れて
葛城南部へ移住し、高鴨家を名乗り 「高鴨神社」、「御歳神社」を建て 父親の八千矛(大国主)を祀ります。

東出雲王家の向家では 皇子の鳥鳴海が 出雲王国第九代大名持ちに就任します。そして事代主の后の沼川姫は 
皇子の建御名方をつれて実家の越の国に帰ります。そして建御名方は 出雲族や越の人々を引き連れて
諏訪地方に移住し 開拓に努めて成功します。諏訪大社の上社二箇所、下社二箇所ある四箇所の建物
すべてが建御名方と母親の沼川姫が主祭神 です。

一方活玉依り姫は皇子の奇日方を連れて 実家の摂津の国三島に帰りますが、娘の美保須須美比売は美保関宮殿
に残り 父親の八重波津身を祭り、美保神社となります。記紀で八重波津身は事代主と書かれ 後に恵比寿さん
とされるので 美保神社は 全国の恵比寿神社の総本社となります。

また奇日方たちは 摂津の人々や出雲族を引き連れて葛城中部へ移住し 鴨津波神社や一言主神社を建て父親の
事代主を祀ります。

徐福の息子「五十猛」は 大勢の海童たちや技術者をつれて 出雲から丹波へ移住します。
丹波では 五十猛は「香語山」と名乗ります。

しかし出雲族が葛城地方へ移住して 開拓しているのを見て 香語山たちも遅れて葛城北部へ移住してきます。
しかし彼らは先住の出雲族を圧倒する人数でしたから、出雲族も彼らの勢いを認め、奇日方の妹の踏鞴五十鈴比売
(たたらいすずひめ)が香語山の息子天の村雲に嫁ぎ、出雲族も天の村雲を王と認めたので ここに
初代大和大王「天の村雲」が誕生します。

天の村雲の宮殿は 「笛吹きの地」と呼ばれます。海童達は ふるさとをしのび 陶塤(とうけん、土笛の一種)を
吹いていたからですが もうこの頃には陶塤ではなく竹笛をふいていたといわれます。またそのあたりは
高尾張邑でしたから 彼らは「尾張家」、「海部家」を名乗ります。尾張家は後の笛吹きの連と同属です。

天の村雲は 笛吹の地に「葛城坐火雷神社」を建てて父親の香語山を祀りました。また後に大和平野の
香具山にも香語山が祀られました。

火雷(ほのイカヅチ)とは踏鞴(たたら)、つまり金属精錬の神様で、
穴師(金属精錬技術者)たちに信仰されたと言いますが 後に 雷神にもなりました。

また初代大和大王に 出雲王家本家からお祝いとして送られた剣が 「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)
で 後に記紀により「草薙の剣」と名前を変えられました。現在では 尾張族(海部族)が建てた
熱田神宮の奥に保管されているという事ですが、出雲王家古老の話では「出雲型銅剣」だという事です。

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続いて大穴持ち神社

大穴持ち神社は 大名持ちを祀る神社です。つまり大黒さんこと大国主を役職名でよぶ珍しい神社で 以前も奈良県吉野町にも
訪ねました。
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御所市南部古瀬の集落を進みます。このあたりはもともと巨勢(こせ)と表記されていたところで 出雲王家の血を引く
武内宿禰の五人の息子の一人「巨勢の臣小柄」に始まる 巨勢氏の地盤だったところです。

散歩中のマダムに神社を聞くと「ガードレールの切れ目に小さな標識があるけど見つけにくいからゆっくり進んでね」
といわれました。
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教えられたとおりに ガーとレールの切れ目にありました。この狭い道をバイクで降りて 左下に見えている
農作業中の方に聞くと 「バイクでは 行けないよ。歩くしか行けない」と言われたので
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ここにバイクを止めて歩き始めました。
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ここから山道が始まります。
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急勾配の山道で しかも表面が砂で覆われています。トレッキングシューズをはいてきましたが滑りながら
急登します。スニーカーではとても無理な道です。
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ずるずる滑りながらようやく神社に到着です。
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朱塗りの鳥居を潜ります。
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早速大名持ちを祀る本殿に御参りします。
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本殿横に末社が並んでいたので見ていくと、「高照姫」、「八重事代主」、「味鋤高彦」などおなじみの出雲王家の
王族が祀られていました。
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下りは一段と恐怖です。急斜面に砂がまいたような道なので ずるずる滑りながら降ります。
沢山あちこちの山歩きをしてきましたが、今まで出一番手強い道です。バイクなんてとんでもない道です。
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次は 高鴨神社
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立派な鳥居です。
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神社前に掲げられている由緒書きです。
この神社は 西出雲王家神門臣家から分家した味鋤高彦とその子孫達が立てたので 主祭神 は当然味鋤高彦と
下照姫およびその旦那の天稚彦(建葉槌)で 八重事代主も 祀られています。味鋤速雄と言うのが分かりませんが
この神社の古文書によると 味鋤高彦の息子が味鋤速雄だと書かれているらしいということです。

しかし味鋤高彦の子供は 塩冶彦、田儀津彦、大屋姫の三人ですけどなあ。まあ別のお后の子供かもしれません。
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鳥居を潜ると直ぐに大きな池があり 舞舞台があります。
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広く清潔な境内には 去年の今頃は「日本桜草」の展示会が開かれていました。
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参道を進むと石段があります。
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石段を登ると拝殿です。
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拝殿の奥に本殿がありますが 大社造りではなく、春日造りのように見えます。
まあ千年以上の時の流れで いろいろとあったのでしょう。
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次は最後に 御歳神社です。
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御歳神社境内を進むと石段があります。周りは滴るような新緑の世界です。
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石段の先に大きな拝殿があります。
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拝殿の奥に本殿が見えていますが 近くで見ることは出来ません。
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本殿の千木は出雲式の縦削ぎで、妻入りの建物のようです。
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由緒書きを読むと少し不思議です。
御歳とは歳神様で 出雲地方では今でもお正月は歳神様が連れてくるといわれています。
そして主祭神 はてっきり奇日方の父上の八重波津身(事代主)と思いきや、伯母さんの高照姫です。
なぜか分かりません。
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神社入口に しゃれた建物があり 「宮司ママのお店」と書いてあり カフェ「みとしの森」の看板があります。
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拝殿においてあったパンフを見ると いろいろとイベントが 盛りだくさんのようです。以前来た時にはお店はなかったのに。
タイミングがあえば一度来てみたいものです。そして出雲王族末裔の方と お話をしてみたいものです。
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「古代出雲王朝ゆかりの稚を訪ねて」トップページはこちらです。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html
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