アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

新雪のダイトレ(ダイヤモンドトレイル)を金剛山から大和葛城山へ その1 2013年2月19日

2013-02-27 22:06:59 | 冬の山歩き
「明け方の雨が、夜明けに雪となる」という天気予報どおりに、朝から雪が

降り出した。裏山の岩湧山はほとんど毎日歩いているので、少し遠い

金剛山へ行くことにした。

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降り続く雪が積もった 国道309号線 青崩付近で スリップした

車が大破して パトカーが4台出て交通整理する中を トンネル手前で

国道の旧道へ入る。

道路わきの竹や木が折れそうに道路にかぶさる。



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いつも登山客で込み合う水越川公共駐車場も

今日はガラガラ状態だ。



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道路を2~3糞歩いて 太尾東尾根道入り口へ。

午前10時30分だ。



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約1時間で 太尾西尾根道との合流地点だ。



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このあたりから、樹氷が現れる。雪は相変わらず降り続いている。



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六道の辻に出た。今日は石ブテ尾根道やセトからは

誰も来ていないようだ。踏み後が全く無い。



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大日岳山頂到着。歩き出して1時間30分だ。



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降り続いている雪のせいで 山頂から大阪平野は全く見えない。



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転法輪寺への近道を行く。頭上の杉の枝が凍ってきれいだ。



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転法輪寺が見えてきた。



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境内には人が少ない。



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太閤秀吉が作らせたという ひさご池は凍りついている。



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熱心に祈りを奉げる人。



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展望広場は国見城跡地だ。金剛山山頂と書いてあるが

金剛山という山は無く このあたりの山塊の総称だ。



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金剛桜は全体が氷で覆われている。春はまだ遠い。



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この後、うどん屋さんで熱いおでんと暖めてもらったおにぎり

(600円+200円)を食べて休憩。

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葛木神社参道を通り ダイトレへ向かう。



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葛木神社にお参りする。このあたりが金剛山系最高峰で

標高1120mだ。最高地点の1125m葛木岳はこの神社のすぐ裏手で

神域の為入れない。



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眼下に見えるはずの大和葛城山(960m)は吹雪のため見えない。



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神社周辺は数少ない「ブナの原生林」だ。

樹氷が出来てとてもきれいだ。



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相変わらず降り続く雪の中を ダイトレ(ダイヤモンドトレイル)

に向かって 樹氷に見とれながら歩く。



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一の鳥居でダイトレに合流した。



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新雪のダイトレを歩く その2へ続く。

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古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて その5 松江市熊野大社と嵩山布自伎美神社

2013-02-25 21:39:42 | 歴史遺産を訪ね歩く
素戔嗚と彼の息子を祀る神社
松江市 八雲町 熊野大社

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出雲の国 一ノ宮(一番権威ある神社)と言われる 熊野大社へ出かけた。

秦国からの渡来人で 古代出雲王朝で暴れた徐福はその子孫たちが、海部(あまべ)
王朝を打ち立てたり、九州物部家を打ちたて、2度に渡る大和への東征で大和政権を打ち立てて、日本史に大きな影響を与えた。

というより、その後の日本史そのものである。記紀では徐福のことを素戔嗚(すさのお)
と書かれて、京都の八坂神社など 出雲地方以外にたくさん祀られている。

その素戔嗚を祀っている神社である。

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熊野大社大鳥居とそれに続く参道。



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大社前に流れる意宇川に架かる橋を渡る。



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隋神門の注連縄も立派だ。奥に本殿が見える。



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本殿の大注連縄は、参拝者を圧倒する大きさだ。

出雲大社の注連縄といい勝負だ。さすが一宮と自負するだけはある。



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鑽火殿は「火継ぎ式神事」を行う場所だとか。

出雲国造が新任のたびにここを訪れるのがしきたりだそうだ。



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加持祈祷をする、ハンサムな神官。



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熊野大社の言われの説明書き。

やはり祭神は「素戔嗚(スサノオ)」だ。



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3世紀末に秦国から渡来した徐福は、事前に部下の穂日(ホヒ)を

出雲王国に遣わして、徐福の上陸許可を得るという周到な準備を

したという。

その後徐福と穂日および穂日の息子タケヒナドリたちは、謀をして

出雲王国第八代の主王(オオナモチ)の八千矛(記紀では大国主と

書かれた)や副王(少彦)の八重波津身(記紀では言代主と書かれた)

を誘い出して、別々に幽閉し殺したという。(伯耆国風土記による)

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徐福の息子五十猛は香語山と名前を替え、海部(アマベ)家となり、

母違いの次男 穂穂出見(ホホデミ)は九州物部家となり、その子孫が

東征して大和入りして大和王朝を打ち立てた。約150年の間をおいた

前後2回の物部の大和への移動を記紀では神武東征の神話

に作り変えられた。

徐福の忠実な部下だった穂日の子孫は、出雲の臣を名乗り

藤原不比等に取り入って、702年出雲臣果安は晴れて出雲国造となる。

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考えてみれば、穂日の子孫が 後々までも彼らの親分を

祀ってある熊野大社に 事あるごとに挨拶に訪れるのは

極めて当たり前のことなのだ。

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※資料は斎木雲州著作 「出雲と大和のあけぼの」

               「古事記の編集室」

               いずれも大元出版     

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とていうことで、熊野大社の帰りにお隣の「ほっとランドやくも」の

温泉に入ってから 帰った。

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松江市 嵩山山頂 布自伎美神社(ふじきみじんじゃ)

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松江で生活している時に、時間があればいつも嵩山に登る。

標高330mで30分ほどで登れて、散歩にちょうどいい。

山で知り合いの方もできた。

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松江市内から嵩山を見ると、涅槃佛に見えるそうだ。また旧制松江高校

の学生たちは、娘さんが寝ている姿に見えて メッチェン山と呼んだそうだ。



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嵩山山頂から雪に覆われた大山と米子市街。



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同じく山頂から大根島を望む。



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山頂から夕日に輝く松江市街。



いずれも2013年2月14日。

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嵩山山頂 布自伎美神社(ふじきみじんじゃ)



2012年1月28日

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ところがこの祭神が気になって調べてみたら 

都留支日子命(つるぎひこのみこと)となっていて、この方は

なんと、素戔嗚の息子だというから驚きだ。

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石見の五十猛海岸に上陸した徐福(素戔嗚)は 倭名を火明(ほあかり)

と名乗り、出雲王家からお嫁さんをもらう。第7代オオナモチ(主王)

天之冬衣と宗像三姉妹の一人田心姫との間に生まれた高照姫だ。

ホアカリと高照姫の間に生まれた息子が五十猛で後に丹波の国に

移住して 香語山(かごやま のちに香具山と書かれた)と名を替えた

息子である。

ちなみに香語山の息子がアメノムラクモで、大和葛城に移住して

初代大和大王になった人だ。

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つまり今まで何年間も 散歩していた嵩山山頂に徐福の息子

五十猛(いそたけ)が祀られていたなんて、驚きであった。

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「古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて」トップはここから戻れます。

http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/kodaiizumo/

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真冬に逆戻りの岩湧の森 2013年2月20日

2013-02-23 22:54:04 | 岩湧の森の四季の風景

つい先日、岩湧の森で蕗の薹を見かけたと 常連のNさんに聞いて 探しに

出かけたのだが、春の息吹を感じたとたん、今度は真冬に逆戻りしたような

積雪の岩湧である。

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180

岩湧の森、第二駐車場。停まっているバイクは私のバイクだ。

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24

「いにしえの道」を歩く。このあたりはまだ雪は少ない。

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37

橋を渡り、「行者の道」へ入る。

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48

橋の上の雪には 狸かアライグマの足跡が。

この森でもアライグマが多くなり、よく眼にする。農作物を荒らすので

河内長野市では、アライグマを1匹捕まえると懸賞金3千円が出る。

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502

行者の道の雪は次第に多くなる。頭上の高木が無くなるせいだ。

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67

私が歩く前は誰も歩いていないようだ。新雪を踏み締める。

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799

木に積もった雪もきれいで、見ながら歩くのも楽しい。

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805

岩湧の道展望台に着いた。岩湧の道も誰も歩いていない。

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908

雪が降り続いているので、展望台から街は見えない。

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103

今度は岩湧の道でダイトレ(ダイヤモンドトレイル)へ向かう。

雪を踏み締める音がキュッキュッと鳴る。

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114

途中「岩湧の道」と「見晴らしの道」が合流するあたりで

「見晴らしの道」から先行者が歩いてきてダイトレ方向へ

歩いて登ったようだ。

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12123

樹氷も現れてとてもきれいだ。

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12218

植林帯の若木も雪に埋もれている。

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135

ダイトレ直下だ。

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14128

ダイトレに出た。紀見峠方面からも沢山の足跡が付いている。

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14230

いつもは眺めのよい場所も今日は雪雲で何も見えない。

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1533

ダイトレには沢山の足跡がある。山頂へ向かう。

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1638

ダイトレの樹氷も大きくてきれいだ。

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1840

途中からダイトレと別れて左の杣道へ入る。千石谷へ降りる道だ。

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1945

今度は千石谷林道へ出た。

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2042

今日は先行者はいないようだ。足跡の上に雪が被っている。

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2148

大きく曲がって折れそうな松の木が沢山在った。

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239

山頂直下に来た。雪は止んで少し青空が覗く。

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2455

山頂に着いた。よく見るとこの人は 一昨年に九州山旅で

知り合った和泉市のKさんだ。久しぶりの再開に話が弾む。

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2553

再び雪が降り出して金剛山も見えない。

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2758

白い山で一番高い山は「猿子城山」だ。関空は雪で見えない。

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2864

吹き付ける風と雪で非常に寒い。

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2966

ダイトレを戻り、岩湧東峰へ。そこで左へ分岐して

今度は「急坂の道」を降りる。

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3075

「急坂の道」を降りていたら森の向こうが少し明るくなったようだ。

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3176

雪が止んだのかもしれない。明るくなった。

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3378

編笠山(640m)もきれいに見える。また青空が少し覗いている。

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3481

山を降りると広場で雪景色の写真を撮る人が。Sさんだ。

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35186

岩湧寺多宝塔の屋根から、雪がずり落ちる直前だ。

しばらく見ていたがなかなか落ちなかった。

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35291

千手の滝へ回ってみた。滝は勢いよく流れて凍ってはいない。

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3692

四季彩館に寄り、ストーブで温まってから駐車場へ向かう。

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3794

キャンプ場は春までお休みだ。キャンプ場の下が駐車場だ。

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ホームへはここから戻れます。

http://www17.ocn.ne.jp/~hase-you/

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古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて その4 大和葛城南部へ移住した西出雲王家の人々

2013-02-23 22:39:08 | 歴史遺産を訪ね歩く
葛城南部の神社 1.高鴨神社

 アジスキタカヒコの建てた神社

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参道の入り口


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鳥居を潜るときれいな「宮池」がある。




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池の上に舞台も復旧された。


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大きな御神木


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石段を登ると拝殿の奥に本殿が見える。





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祭神の説明





アジスキタカヒコ  もちろんこの社を建てた本人でオオクニヌシの息子

            母親は九州豊王国宗像三姉妹の多岐津姫 

コトシロヌシ     オオクニヌシが主王の時の副王で通称恵比寿さん

             この人も徐福一味に殺された。

シタテル姫     オオクニヌシとヤガミ姫(因幡の白兎神話に出てくる)

            の間に生まれた姫でアジスキタカヒコの母違いの妹

天の雅彦アメノワカヒコ  下照姫の旦那さん

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葛城南部の神社  2.御歳神社

         この社もアジスキタカヒコたち 西出雲王家

         神門臣家(かんどのおみけ)の人たちで建てられた。

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境内には明日行われる「湯たて神事」のために

青竹で竈が作られていた。



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ひっそりとした境内。



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拝殿から本殿を望む。



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本殿周りは明日の湯立て神事のためにきれいに整備されていた。



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祭神の説明には、「歳神」とともに「高照姫」が祀ってある。

高照姫は出雲王国第七代大名持「天の冬衣」と宇佐の宗像三姉妹の

田心姫との間に生まれた言代主の妹で、徐福に嫁いだ姫である。



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境内の末社には、言代主やこの神社を建てたアジスキタカヒコ、彼の

母違いの妹姫「シタテル姫」のだんなさんの天のワカ彦、それに

ワカヒルメムチが祀られている。ワカヒルメムチは宇佐の豊王国の

トヨタマヒメ(卑弥呼)の娘豊姫(台与)で、桜井市の桧原神社で月神を

祀っていたのだが、なぜここに祀られているのだろう。

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境内の参集殿に張ってあった 「湯立て神事」の写真。

一日違いで 明日2月11日に行われるという。残念。



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葛城南部の神社  3.高天彦神社

         西出雲王家と敵対していた渡来系の神社

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杉の木の並ぶ参道を行く



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この手水鉢の左を行く道が、金剛登山口(高天道)だ。

今日も沢山の車が停まっている。



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ひっそりとした境内。



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祭神の説明書きによると、アメノオシホにチヂヒメが嫁ぎ

ニニギノミコトが天から降臨したと書いてある。



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徐福の父親は徐猛といい、記紀では押穂根(オシホネ)とかかれて、母親は

千千姫(チヂヒメ)と書かれている。徐福は一回目の上陸は出雲王国の石見国

五十猛海岸で、倭名を火明(ホアカリ)と名乗ったが、二回目の来日の時は

九州筑後川河口に上陸し、ニギハヤヒとかニニギネと名乗った。

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つまりこの神社は徐福の両親を祀っていると思われる。

つまり西出雲王家の人たちが移り住んだこの地に、後世に徐福長男五十猛の子孫

海部家の「天の村雲」一族の人たちが立てた神社らしいのが分かる。

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天上界を暴れまわった素戔嗚(徐福)は天上界高天原を追放され(出雲王国内で徐福が
秦国から連れてきた海童達が暴れまわった事を記紀にはこう記された)
出雲の鳥上山(船通山)に降りてきたと記紀には書いてあり、この地が「高天原」
だとする説明は意味が分からない。

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古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて その3 大和葛城中部へ移住した東出雲王家の人々

2013-02-21 13:51:47 | 歴史遺産を訪ね歩く
葛城中部 その1.鴨都波神社(かもつはじんじゃ)

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葛城地方の中部 名柄付近には東出雲王家向家の人々が移住してきた。

徐福たちに殺された 第八代副王 八重波津身(言代主)の息子

奇日方(くしひかた)を中心とする 東出雲王家の向家の王族達だ。

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鴨都波神社の参道。近鉄御所駅に近い。



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鴨都波神社境内。入れ替わりでお祈りする人が絶えない。



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鴨都波神社拝殿。この奥に本殿がある。



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神社の説明書き。



八重言代主とあるのは、八重波津身(やえはつみ)のことで所謂言代主

(ことしろぬし)つまり恵比寿さんだ。息子の奇日方(くしひかた)がこの地に

移住してきて父親を祀った。

もうひとり下照姫とあるのは、言代主が副王の時の主王(オオナモチと呼ばれた)
八千矛(俗に言う大国主で大黒さんとも呼ばれる)の娘さんだ。

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境内にはこのほか「猿田彦」も祀られていた。

猿田彦は古代出雲で信仰が厚かった神で 元はインドの

ガネーシャと言われる。サルタとは南インドのドラビダ語で

「鼻が長い」という意味だとか。



この地の西に「猿女」という地名があるが、代々の女性が「猿田彦」を

祀る家系が猿女家といわれ、それが地名になったという。

※ちなみに 猿女には「葛城経塚二十八宿第二十三番猿女経塚」がある。

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葛城中部 その2.一言主神社

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この神社も言代主の家族が建てたといわれる。

長い参道の奥に石段があり、神社はその上だ。



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本殿とその額





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神社の説明文。もちろん祭神は一言主つまり言代主。
第八代の古代出雲王朝少彦(副王)は八重波津身だが
記紀製作時に「言代主コトシロヌシ」と名前が変えられたという。
その後一言主(いちごんさん)とも呼ばれるようになったが、
俗に言う恵比寿さんだ。恵比寿さんの住んでいた屋敷が
島根県松江市の美保神社になっていて、全国のえびす神社の
総本社だ。



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境内にある 有名なお乳が出るという「乳銀杏」は現在治療中だ。
寄る年波で、老化が進み、かなり重症らしい。



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葛城地方その3 葛木山山頂 葛木神社
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現在の金剛山や大和葛城山と呼ばれる山塊は昔は「葛木の嶺」と
呼ばれていた。ちなみに 金剛山という山は無く、大日岳、葛木岳、涌出岳
を総称して金剛山と呼ばれている。葛木神社はその山頂にある。
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葛木神社の参道 (2013年2月19日撮影)



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参道を登ると神社がある。


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神社の拝殿



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その奥に本殿がある。
そのつくりはもちろん出雲大社と同じ妻入りの「大社造」だ。


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拝殿から本殿を望む。


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神社の説明文。祭神はもちろん「一言主」で「一言恵比寿」とも呼ばれている。



この神社も コトシロヌシ(言代主ー恵比寿さん)の息子
クシヒカタ(奇日方)を中心とする 東出雲王朝 向家の人々が建てたのだろう。
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古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて その2 大和葛城北部へ移住した渡来系海部家 

2013-02-18 22:23:59 | 歴史遺産を訪ね歩く

葛城北部には渡来系の海部(あまべ)家の人たちが、丹波の国から 遅れて移住してきた。 しかしその移住者の数の多さから 葛城地方の中心的存在になり、 先住の出雲族と政治共同体をつくり、天の村雲(海部家あまべけ)が 大和の初代大王となり 大和の海部王朝が始まる。

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葛木坐火雷神社(かつらぎにいます ひといかずちじんじゃ) 通称笛吹神社

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鳥居の前になにやらたくさんの人が集まっている。



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奈良大学通信学部の学生さん達だとか。 今日は野外勉強会であちこち回ってきたらしい。



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石段を登ると社がある。



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この建物は拝殿だ。



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この奥に本殿がある。



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神社の説明文は大正二年にかかれていて、読みづらい。



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この神社を作ったのは丹波の国から移住してきた徐福の子孫 海部家の「天の村雲」で大和の初代大王になった人だ。 祭神に書かれている「天の香語山」とは「天の村雲」の父で 徐福の息子 五十猛(いそたけ)のことだ。のちに香語山は 香具山と書かれるようになる。 また「火と雷のミコト」とは、タタラ(製鉄)の神のことだ。

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次は葛城中部 鴨都波神社

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古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1

2013-02-18 09:59:49 | 歴史遺産を訪ね歩く
島根県松江市で育った私は、子供の頃から出雲神話を聞かされて育ってきた。

周りには沢山の古代出雲王朝に関する遺構があり、最近では出雲大社横に

「古代出雲王朝博物館」も出来て沢山の遺物が陳列、説明してある。

私の他のブログでも「古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて」で写真を

整理してアップしている。

現在の自宅大阪府河内長野市の近くの、金剛葛城紀泉の峰峰をつなぐ

ハイキングコース「ダイヤモンドトレイル」のすぐ東側、大和葛城地方

にも古代出雲王朝ゆかりの神社が沢山あるので それらを訪ね歩いた。

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紀元前5世紀に 初代の王「菅の八つ耳」(すがのやつみみ)で始まる、

日本最古の出雲王朝は 主王(大名持オオナモチ)と副王(少彦スクナヒコ)

という二人の王で構成され、越の国から丹波、周防、四国まで領土とする

大帝国で繁栄していた。

ところが 紀元前3世紀末に大事件が起きる。徐福の来日である。

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秦の始皇帝の命で、東方に不老不死の薬を探しに出かけ出雲の五十猛海岸

に上陸したのである。事前に部下の穂日(ホヒ)を8代目オオナモチの八千矛

に遣わして上陸の許可を得るという周到な準備がなされた。

大勢の秦国人の技術者を連れてやってきた徐福は、出雲地方でかなり

暴れたらしい。

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手を焼いたオオナモチ八千矛は徐福を出雲王国領の丹波国に住む許可

を与えたという。日本名を火明ホアカリと名乗った徐福は東出雲王家向家

の高照姫を嫁にしたが、出雲王家を乗っ取る下心があったのか、徐福、ホヒ

たちに依り、オオナモチ八千矛は死に追いやられた。続いて少彦(副王)

の八重波津身(ヤエハツミ)も死に追いやられた。

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徐福は記紀では素戔嗚スサノオと書かれた。

またオオナモチ八千矛は大国主オオクニヌシと書かれ、少彦の

八重波津身は 言代主コトシロヌシと書かれた(のちに一言主ヒトコトヌシ

ともいわれた)。大国主が俗に言う 大黒様で言代主が俗に言う

恵比寿さんである。そして大黒様は出雲大社に祀られた。

また 言代主を祀る全国恵比寿神社の総本社美保神社(松江市美保関町)

では、今でもその大事件を題材にした 「青芝垣神事」や「もろた舟神事」

が継承されている。

※このブログでも「もろた舟神事」を紹介しています。

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コトシロヌシの息子の鳥鳴海トリナルミが第9代のオオナモチに立ち

「後期出雲王朝」がスタートするが、秦国人達との共存を嫌った出雲族は

次々に出雲の地を去る。

コトシロヌシの奥方沼川姫ヌナカワヒメは息子の建御名方タテミナカタ

を連れて故郷の越の国へ帰る。その後タテミナカタは諏訪に移り信濃の

開発に功績があり、諏訪大社に祀られて 諏訪地方の守り神になった。

※しかし記紀では出雲王朝を無かった事にし、神話の世界に閉じ込めた。

しかもタテミナカタも 弱くて負けた者として書くために、国譲りの舞台から

逃げ出して諏訪に閉じ込められた  と書かれた。

歴史の勝者は 勿論渡来系の徐福の子孫達 ひいても物部族とそれに取り入って
勢力を伸ばした藤原不比等とその末裔藤原家である。

 ※諏訪大社の写真は別のページで後日ご紹介します。

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古代出雲王朝系図

※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より

 これを見ると徐福一味の子孫 海部家や物部家も、繰り返し出雲王家の
 女性との結婚を繰り返し、出雲王家神門の臣家や向家の血を濃くしてきたのが分かる。




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大和葛城地方の移住地図

葛城北部 渡来系徐福の子孫 丹波国から来た海部家

       「天の村雲」が初代大和大王となる。

       葛木坐火雷神社(かつらぎにいますひのいかずちじんじゃ)

       通称笛吹神社

葛城中部 東出雲王家の向家(むかいけ)

       言代主の息子 奇日方(くしひかた)

       鴨都波神社、一言主神社 

葛城南部 西出雲王家の神門臣家(かんどおみけ)

       大国主の息子アジスキタカヒコ

       鴨都波神社、葛木御歳神社 





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弥生時代の出雲では 神はカモと発音されたらしい。

それゆえ、葛城地方に移住した出雲王家の人たちは

神家(かもけ)と呼ばれて、のちに鴨の字が当てられるようになった。

高鴨神社は上鴨神社、鴨都波神社は下鴨神社

御歳神社は中鴨神社ともいう。

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次は 葛城北部 丹波の国からの渡来系海部家の神社

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真冬の大峰奥駈道 山上ヶ岳

2013-02-14 21:09:20 | 冬の山歩き
世界文化遺産「大峰奥駈道」が好きでよく歩く。全長183キロの道はすべて歩きとおした。
しかし山上ヶ岳付近は 人が多くて、マイペースでゆっくり静かに歩けない。そこで山上ヶ岳付近はいつも真冬に歩くことが多い。

白銀の世界を一人でマイペースで歩くことが出来て、冬の山上ヶ岳はいい。
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この記録は二年前の三月初めに世界遺産大峰奥駈道の山上ヶ岳へ登った時の記録です。

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役の行者(えんのぎょうじゃ)のご母堂、白専女(しらとうめ)を祀る母公堂
(ははこどう)に駐車させていただいた。堂守の方に駐車料金500円をお支払い
するといつもコーヒーを入れていただける。

今日はお堂は 閉まっていた。
道路はアイスバーンで、ここから先は工事中で通行止めなのここから歩く。





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凍りついた林道を、アイゼン付けて約30分歩くと、清浄大橋

に着いた。ちょうど山上ヶ岳から朝日が上るところだった。



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凍りついた清浄大橋を渡ると女人結界門があり、
女性は今でも ここまでしか入れない。


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暫く歩き、標高1300m付近の「お助け水」に来ると、水は雪の中。

何がどこにあるのかまったくわからない。



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植林帯を過ぎてようやく奥駆の峰が見えてきた。



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それからも歩き続けて やっと奥駆に出た。



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洞辻茶屋は雪に埋まっている。



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洞辻茶屋の向こうのお不動さんは朝日を浴びて、輝いている。



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少し休憩して水分補給し、再び奥駆道を歩く。ここから先が長い。



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だらに助茶屋も雪に埋まっている。出口は雪で埋まりそうで、背を低くして

なんとか通り抜けた。



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ところどころ雪が多すぎて、足跡もなくルートが不明な場所もある。

表面の雪は硬いので歩きやすいが、時々腰の辺りまでめり込む場所もある。

雪の表面では内部はまったく判断できないので緊張して進む。



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やがて見えてきた宿坊群は雪の中だった。



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荒行で有名な「西の覗き」の直下に到達した。

左の崖の上から、谷底を覗き込み荒行をするのだ。



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ようやく「西の覗き」に到着した。



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この日は天気がよく、空気も澄みきっていて「西の覗き」からは遠く

金剛葛城の峰々とその続きの岩湧の峰もよく見えた。



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宿坊群は開山の五月までお休みだが、その屋根の向こうには

私がよく歩く「台高山脈」の尾根が見えている。



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ようやく山頂の大峰山寺の山門に到着した。



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雪に埋もれた建物もある。


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大峰山寺本堂は五月末の「戸開け式」まで閉ざされたままだ。



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境内のこの坂を上り山頂へ向かう。



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山頂からはこの日、遠くがよく見えた。

海の向こうに島があり、その島に白く光る山がそびえていた。

四国は阿波の剣山だろう。残念ながら写真にははっきりと写らなかった。



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正面に弥山八経、その左に仏生ヶ岳、孔雀岳、釈迦ヶ岳が続いています。



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大峰山寺境内から続く奥駆には、足跡がまるで無く、これ以上歩いて行く

のはあきらめた。ここらあたりでも太ももの辺りまで雪にめり見む場所

があり、一人でラッセルしようとすると、時間と体力が相当必要だ。



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下りも何回かは、深い雪だまりにのめり込み、前のめりに倒れながらも

時間的にはおおむね順調に降りて、清浄大橋に帰ってきた。

振り返れば、「西の覗き」と山上ヶ岳が並んで午後の光に輝いていた。



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春まだ遠き岩湧の森 2013年2月10日

2013-02-12 00:02:45 | 岩湧山の四季
「岩湧の森、千石谷でふきのとうを見つけましたよ」とNさんに教えていただき

早速岩湧の森へ出かけた。

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林道や駐車場には雪は全くなかったが

行者の道を登っていくと、やがてあたりは白くなった。



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岩湧の道、ダイトレ(ダイヤモンドトレイル)手前。



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ダイトレに出たが、春の感じはまるでない。



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山頂直下も 冬景色だ。






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山頂は日差しもあり風も無いが とても寒い。



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挨拶して、話しかけても 知らん顔して走り去った

無愛想なトレランおっさん。



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千石谷へ降りて「ふきのとう」を探すが一向に見つからない。

まだ冬景色が多い。あきらめて途中から引き返す。





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ごよう谷分岐まで引き返し、ごよう谷の三椏群生地を見に行く。



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ごよう谷も粉雪が積もり、冬景色だ。



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三椏の蕾はまだ固い。五つ辻まで戻り引き返す。





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岩湧の道展望台に戻り、水を汲んで下山した。



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千石谷の蕗の薹はもう少し下の大滝付近かもしれない。

今度そちらへ行ってみよう。

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岩湧の森は粉雪が積もった冬景色だった。

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春とおい岩湧の森 2013年2月10日

2013-02-11 10:21:36 | 岩湧の森の四季の風景

「岩湧の森、千石谷でふきのとうを見つけましたよ」とNさんに教えていただき

早速岩湧の森へ出かけた。

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林道や駐車場には雪は全くなかったが

行者の道を登っていくと、やがてあたりは白くなった。

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岩湧の道、ダイトレ手前。

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ダイトレに出たが、春の感じはまるでない。

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山頂直下も 冬景色だ。

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山頂はぽかぽかとして、風も無いが とても寒い。

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挨拶して、話しかけても 知らん顔して走り去った

無愛想なトレランおっさん。

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千石谷へ降りて「ふきのとう」を探すが一向に見つからない。

まだ冬景色が多い。あきらめて途中から引き返す。

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ごよう谷分岐まで引き返し、ごよう谷の三椏群生地を見に行く。

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ごよう谷も粉雪が積もり、冬景色だ。

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三椏の蕾はまだ固い。五つ辻まで戻り引き返す。

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岩湧の道展望台に戻り、水を汲んで下山した。

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千石谷のふきのとうはもう少し下の大滝付近かもしれない。

今度そちらへ行ってみよう。

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岩湧の森は粉雪が積もった冬景色だった。

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