アウトドアライフの記録

四季それぞれに あちこちの山に登ったり、桜や紅葉の写真、および南の島の記録を写真とともに整理して、ブログにまとめました。

「古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて」 大和編 その2 奈良県櫻井市、ホケノ山古墳、箸墓古墳、射楯兵主神社

2015-03-02 14:29:37 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和歩きその2
 
奈良県桜井市 ホケノ山古墳と箸墓古墳、穴師坐射楯兵主神社 2015年1月29日

次に訪れた場所と人物
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ホケノ山古墳、箸墓古墳、穴師坐イタテ神社、相撲神社

 それぞれに関連する人物

豊来入姫、大和姫(イクメ大王の姫)、五十猛(徐福の息子)、野見の宿禰 (富 大田彦)
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次に檜原神社から眼下に見える「ホケノ山古墳」と「箸墓古墳」へ行く。
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ホケノ山古墳は道路で削られている。「山之辺の道」かもしれない。
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墳墓の一部を復元されている。
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発掘調査の結果 木製棺と瓶棺が発見されたそうだ。
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発掘された棺を復元したそうだ。
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この古墳の説明書である。
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埋葬施設の説明書。

誰が埋葬されているのかかかれていないが、先ほどの檜原神社「豊来入姫の宮」説明文にも
あったように豊来入姫」である。

イクメ大王(垂仁)が大和統一の邪魔になると 刺客を放ち 伊勢の椿大神社で殺された「豊来入姫」
であることは、複数の歴史学者の本にも書いてある。
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古墳頂部から三輪山を望む。あの山の麓に彼女がしばらく祭祀を行った檜原神社がある。
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古墳頂部から西を見ると すぐそこにこんもりとした森が見える。箸墓古墳だ。
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道路を歩いていくと この道は山之辺の道だと 表示があった。
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山之辺の道を下っていくと、こんもりとした箸墓古墳が見えてくる。
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北と西は かろうじて堀が残っている。
記念碑が立ててあり、何とか池の修理完工記念とか書いてあった。
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箸墓古墳の回りは環濠があったらしいが、東と南側は埋め立てられて畑になっている。
古墳の周りを歩いて回ってみる。かなり大きい古墳だ。
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この写真は「桜井市埋蔵文化センター」の箸墓古墳(左)とホケノ山古墳(右)の模型である。
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南側の畑の中の畦道を歩いていくと 鳥居が建っている。
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宮内庁の立て札があり、それを読むと思わず噴出した。

「大和トトビモモソ姫」の墓だと書いてある。なんのこっちゃ??。
しかもこのわけの分からん姫君は、磯城王朝第七代フトニ(考霊)大王の皇女だと書いてある。

大和姫とモモソ姫という二人の皇女姫巫女を並べてくっつけて書いてあるのだ。

つまりこの墓が大和姫の墓なのか、モモソ姫の墓なのか分からないと宮内庁は公にしているのである。
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石碑にも「大和(ヤマトの字は中国がわが国を蔑んで付けた卑字をそのままありがたく使用しているので
私が大和の字に訂正した。)トトビモモソ姫」と書いてある。

宮内庁も記紀の作り話を丸呑みにせざるを得ないのであろう。いろいろとまずいことがたくさんばれるので。
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モモソ姫は磯城王朝第八代クニクル大王と磯城家クニアレ姫との間に生まれた姫巫女である。

登美家当主 大田田根子の世話で 三輪山で大ヒルメムチの祭祀を行うと、それまで続いていた
第一次東征で大和入りした物部家とヤマトの豪族との間の戦争も徐々に収まった。

魏書に「そのヒミコが女王として立つと、戦乱は収まり国がまとまった」と書かれた最初のヒミコが
モモソ姫である。

祭祀の日には巻向の地に 各地から大勢の豪族の首長たちが集まり、巻向は大いに栄えたという。

当時の巻向は 登美家の領地、地盤であったので モモソ姫の亡骸は 当然登美家の土師氏で葬られた。

彼女の墓は 巻向の大きな古墳のどれかだろうと思われる。
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一方ヤマト姫は初代物部王朝イクメ大王(垂仁)と磯城王朝最後の道主大王の娘ヒバス姫との姫である。

彼女は信仰心が深く、伊勢志摩で井澤富彦(登美家出身)の世話を受けて、五十鈴川の
ほとりに内宮を建て 太陽の女神を祭り 最初の伊勢斎宮となる。

彼女の亡骸は 伊勢から登美家に送られて 登美家の土師氏に葬られた。

最初は土師氏たちの作った墓、「土師墓(はじはか)」と呼ばれたらしいが 後に箸墓と書き換えられたという。
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つまり ヤマト姫とモモソ姫は 姫巫女としてもお墓も 全く異なる別人なのである。

二人の皇女をくっつけて呼ぶとは宮内庁も よほど困った事情があるのだろう。
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なんせ嘘で固めた記紀は 魏書に書かれたヤマトの内情を一切無視して作成され、何百年も生きた大君がいる。

またヒミコが誰なのかいっさい触れていない。

朝鮮渡来人ヒボコの子孫オキナガタラシ姫(神功皇后)をヒミコと思わせる為、魏書に何回も名前の挙がった
平群王朝の祖である武内宿禰などなどは、3代の大王に仕えて 150年も生きたことになっている。


ヤマトタケルなどの架空人物を歴史の繋ぎに作ったり、150年以上も離れた物部王朝の前後2回の東征
を一つにまとめて「神武東征」としたり、いろいろと嘘が嘘を呼び大変なのだ。

持統女帝が記紀の編集で一番恐れたのは、自分たちが渡来人で元からの王朝(古代出雲)を倒した
征服王朝だということが知れること。そのために天孫降臨神話を作り出し、天上から築紫の日向に降り立ち
橘の小戸で禊をしたと 作り話を書いている。そして出雲国譲りなどという神話をでっち上げたのだ。

※ちなみに 築紫は徐福が再上陸した場所で、日向は第二次東征のため イニエ(崇神)が築紫から日向へ転進し
日向にツマ国をつくり、イクメが日向の生目で生まれ橘の小戸で産湯を浸かったということらしい。

次に無視したのは 和国が一時的に 魏の属国になっていたということだろう。
イクメ大王(垂仁)が若い頃 魏へ直接行き、イサチという名前で魏王に臣下の礼を
とったことなど、とんでもない卑屈なことなのだ。
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次は 徐福(素戔嗚)の息子五十猛を祀る 穴師坐イタテ兵主神社へ
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参道入口の鳥居脇の石碑には 兵主神社としか書いてない。

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境内から拝殿を見たところ。奥に本殿が見える。
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神社の説明文。手書きであり、どなたがかかれたのか 説明がない。
ここにも五十猛の名前は出てこない。
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本殿は良く見えないが、三連の造りのようだ。
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石見から丹波に移住した五十猛は、丹波で「香語山」と名を変える。

そしてさらに 数千人の秦国人を引き連れて 大和葛城の笛吹の地に移住する。
住んだ場所が 尾張村なので 尾張家と呼ばれるようになる。

先住の出雲族の登美家、カモ家よりもはるかに数の上で勝る尾張家は 「天の村雲」が初代大和大王となる。

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尾張家の一部は ここ穴師に移住する。「穴師」とは「金属精錬技術師」の意味だ。
そして村雲の父五十猛(香語山)をこの地で祀る。

イタテ神社のイタテとは 五十猛の五十をイと読み、タケをタテと書き換えたのだろう。

村雲にはじまる海部王朝は 3代目から磯城王朝となり、やがて五十猛の腹違いの弟ホホデミに始まる
九州物部家の東征で、物部王朝となる。

五十猛の名前をそのまま残すことがためらわれたのかも知れない。

それで五十猛を射楯と表記したのだろう。
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兵主とは 徐福が育った 古代シャントン半島で行われた八神信仰で 第3神が兵主
(ひょうず)という神様らしい。徐福が和国に持ち込んだといわれている。
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続いて相撲神社
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穴師坐射楯兵主神社は狭い山道の奥なので、神社鳥居脇の広場で一休みしたら、
相撲神社と書いた小さな祠があり、びっくりした。

またまた今日の偶然の発見だ。

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相撲神社の謂れの説明だ。
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ご丁寧に「野見の宿禰 」の新しいレリーフまで設置してある。

嘘もここまでかためると本当に思えるから恐ろしい。

社やレリーフを造っている人も記紀の嘘の作り話に 踊らされているとは、夢にも思わないだろう。

皆さんの真剣さが伺える。

千年以上経つのに 記紀の呪縛は恐ろしいほど 強烈だ。
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もともと當麻のケハヤと野見の宿禰 は相撲など取っていない。
イクメ大王のために 戦をして野見の宿禰 が勝ち
イクメ大王から物部家の重臣の呼称「宿禰」を貰ったのだ。
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イクメ王がイコマ山脈を越えて大和入りしたときには、既に一足早く九州から田道間守(朝鮮渡来人ヒボコの子孫)が
古代出雲王朝の田和山神殿を破壊してすぐに、大和入りしていた。

田道間守も、イクメ王も数年前に魏へ イニエ王の使いで渡り、魏王から「中朗将」の称号を貰っていた。

田道間守は第二次東征で大和へ一番乗りし、しかも葛城地方に沢山の丹波人を移住させて自分が大和の王のように振舞っていたという。

その土地はタジマがなまって當麻タイマと呼ばれるようになったという。


しかも後から来たイクメ王の言うことを聞かず、磯城王朝第11代彦道主大王を倒す為に独自の動きをしていたという。

困り果てたイクメ王は 出雲に占領軍として進駐していた物部の十千根に 田道間守を撃つように指示するも 十千根は兵力が足らず

彼は旧出雲王家の向家に頼み込んだという。向井家は富家と名前を変えていて、当主の富大田彦は 田和山神殿が破壊された恨みもあり、

大田彦はトビではなく、野見大田彦と名を変えて 大勢の出雲兵を連れて葛城へ進撃し、田道間守を打ち破り淡路島へと追いやった。

喜んだイクメ王は野見大田彦に物部王家の重臣の称号「宿禰」を与えて、領地も与えたという。

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血で血を洗う 王朝交代の戦争を嫌う持統は この話を不比等に「田道間守(当麻蹶速)と野見の宿禰 が相撲をとり

野見の宿禰 が投げ飛ばして勝った。と言う話に作り変えたのだ。

それが相撲発症の神社になるとは、嘘で固めた記紀の呪縛もすごいものだ。
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射楯兵主神社鳥居付近から巻向の街を見下ろす。
このあたり一体が3世紀から4世紀にかけて 一大都市として栄えていたのだ。
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物部王朝2代目オオタラシオシロワケ(景行)の都もこのあたりにあったと書いてある。

先ほどの射楯兵主神社のたて看板に寄れば、オシロワケ大王は和国統一を進める為ヤマトタケルを各地に派遣し平定させたと書いてある。
大和の大王になったものの、オシロワケ大王 はまだ力も弱く、和国統一を自分が出兵しながら進めたという。

記紀の製作者や不比等は それでは大王家の権威がないし、大王が自ら戦争に行くのは格好が悪いというので
ヤマトタケルを作り出して彼に征服戦争をさせたように書いたのだ。
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イクメ大王の宮殿もこのあたりにあったと書いてある。

※イクメ大王を垂仁天皇と書いてあるが、この時代にはまだ「天皇」と言う言葉はない。「垂仁」も後の世で付けた「送り名」だ。
この時代は まだ大王(おおきみ)と呼ばれていた。

天皇と名乗ったのは天武からである。
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次は古代出雲王朝ゆかりの歴史道を歩く。
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古代出雲トップページはここから戻れます。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


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