いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

和[王申]少年物語46、供の控室にて

2017年01月22日 18時07分40秒 | 和珅少年物語
咸安宮官学は三つの四合院を重ねた「三進院」作りであった。

正門から入った「一進院」は、正面の南向き三間には孔子さまが鎮座まします祭祀堂である。
中国の伝統では、学問を身に着けるとは、儒教的な礼節を身に着けることであり、
学生たちは勉強に入る前に孔子像に跪いた後、授業に入った。  

東西の部屋は、それぞれ先生らの控え室であったり、供の者の控え室であった。
学生は十歳から入学するため、城内各地から馬に乗って通学するには単独ではいけないため、
お供の者をつけることが許されているのだ。


英廉はぶらぶらと手を後ろに組みながら、最初の中庭の中を歩き回る。
正門から入ってすぐの部分が簡単な応接間になっていたが、
英廉はすぐにそこに入らず、中庭と四方の家屋をつないでいる屋根つきの渡り廊下をゆったりと歩いていった。

ふと伴の者の控え室の前に差し掛かる。
英廉は何気なく中に入った。

むっと汗と垢、土ぼこりのにおいが襲い掛かる。
新陳代謝の塊のような青壮年の男たちの放つ強烈なにおいだ。

少年たちのお供をするとなれば、
坊ちゃまを馬に乗せて自分は歩いてそれを引いたり、あるいは驢馬車を御するにしても、
共に乗馬で伴うにしても、体を使った肉体労働である。

用心棒の役割も果たせなければならないから、壮健で腕力に自信ある連中ばかりだろう。
そんなむつくけき男どもが狭い部屋に集められれば、自然とそれを代表する異臭となるわけである。

そもそもこの時代の中国北方の習慣では、めったに風呂に入ることもなかったし、
ましてや冬の衣服を頻繁に着替える習慣もない。

ころころもふもふに膨らんだ綿入れの防寒着の袖のすそは、垢と鼻水とわけのわからない生活汚れで黒光りしているのが普通。
そんな綿入れから発せられる何ヶ月もの体臭と汗腺を通ってきたにんにくの強烈な匂い……。
推して測るべしである。

入ってきた人品卑しからぬ初老のご老人を見て、数人が気がついた。

ねずみ男が紹介するまでもなく、
「英大人」(インターレン)
とさっと立ち上がり、呼びかけた。

それを受けてほかの者たちも相手を悟り、次々と名前を呼んで立ち上がった。
 

ところが一人だけ笠を目深にかぶったまま片ひざを抱えて斜めに座り込み、ふてぶてしく無視するやつがいる。
立ち上がっていないのではっきりとはわからないが、骨格だけを見ても相当な大男だ。

そして体中から放つ殺気と存在感がすさまじい。
 
部屋中の者が一通り立ち上がって英廉の名前を呼び終わると、
一瞬の沈黙が流れ、皆の視線が自然とそのふてぶてしい物体に注がれた。

緊張した空気が流れ、場が凍った。
「お、おい。劉全! またおまえか・・・・。内務府大臣の英廉大人がお越しだ。ご挨拶は」
ねずみ男が怒鳴り声を上げた。

その声が響き終わると、再び静寂が訪れ、皆が固唾を呑んでその物体の反応を待った。
 
ところが、次の瞬間に聞こえてきたのは、ぐおおおお、と見事な吸い込み頭のいびきであったのだ。
 
英廉も呑まれた。
 
皆も呑まれた。


  

朝陽門外東岳廟


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