盆前の仕事を終え、再び山陰へ。
親族でゴルフをするなど楽しんでいたが、
1週間前に行った竹田城を契機に
すっかり城攻めへの意欲が再燃し、岡山県へ。
岩盤の上に聳える石垣は圧巻です。さてこの城は?
ここは現存天守としてもっとも標高の高いところにある城、「備中松山城」。
国指定の重要文化財である。
猿が住む山を登ることおよそ15分。
眼前に聳える高石垣の佇まいは実に見事である。
二層二階の小さな天守閣であるが、昭和初期の修理時には、
周辺の小中学生を動員して、急峻な山道を瓦運びさせたらしい。
小中学生や保護者には気の毒であるが、そんな行動が
この時代にも輝きを放っているのであろう。
※天守閣「鉄砲狭間」より
親族でゴルフをするなど楽しんでいたが、
1週間前に行った竹田城を契機に
すっかり城攻めへの意欲が再燃し、岡山県へ。
岩盤の上に聳える石垣は圧巻です。さてこの城は?
ここは現存天守としてもっとも標高の高いところにある城、「備中松山城」。
国指定の重要文化財である。
猿が住む山を登ることおよそ15分。
眼前に聳える高石垣の佇まいは実に見事である。
二層二階の小さな天守閣であるが、昭和初期の修理時には、
周辺の小中学生を動員して、急峻な山道を瓦運びさせたらしい。
小中学生や保護者には気の毒であるが、そんな行動が
この時代にも輝きを放っているのであろう。
※天守閣「鉄砲狭間」より
城崎温泉を跡にし、城崎マリンワールドへ。
トドがウリらしく、トドの飛び込みやらアシカ・イルカショーでも
トド登場など、十分すぎるほどトドを堪能。(笑)
しかし、本当に見ごたえがあるのは、イルカショーであった。
イルカとはここまで訓練できるものかと結構びっくりした。
トド、アシカも登場したUSJ張りのショーであったが、
屋外のショーだけでなく、屋内のショーまで...。
ライティングされた屋内で、すっとイルカの影が屋内プールに差し込んだ瞬間、ジャンプ!
かなり美しいです。
そんなことを感じながらも、イルカのストレスはなかなか激しかろうとも思うのであった。
そんな休みを過ごしながら、カミサンと子どもを実家に置いて、翌日の勤務のため広島に帰るのであった。
トドがウリらしく、トドの飛び込みやらアシカ・イルカショーでも
トド登場など、十分すぎるほどトドを堪能。(笑)
しかし、本当に見ごたえがあるのは、イルカショーであった。
イルカとはここまで訓練できるものかと結構びっくりした。
トド、アシカも登場したUSJ張りのショーであったが、
屋外のショーだけでなく、屋内のショーまで...。
ライティングされた屋内で、すっとイルカの影が屋内プールに差し込んだ瞬間、ジャンプ!
かなり美しいです。
そんなことを感じながらも、イルカのストレスはなかなか激しかろうとも思うのであった。
そんな休みを過ごしながら、カミサンと子どもを実家に置いて、翌日の勤務のため広島に帰るのであった。
感涙の単独行動を終えて、家族に合流。
場所は但馬の名湯「城崎温泉」。
かの志賀直哉も愛した名湯で、小説「城の崎にて」が有名であるが、
暗い話らしいので自分は読んだ事がない,,,。
7つの外湯のうち2つしか入ることが出来ず、
旅館で食事を取り終わる頃にはすっかりと日が沈み
温泉街を流れる大谿川沿いに涼やかな風が流れ始める。
旅館の浴衣に身を包み、下駄を履いて散策へ。
昔ながらの温泉街を売りにしているのだろうか。
射的場などが何ヶ所かあり懐かしい。
ほどほど遊んだのちにやっぱりこれ↓
地ビール「城之崎地ビール」で乾杯!
夏の温泉街も結構いいですね。
温泉街が賑やかで、夏の時期はこの喧騒が心地いいです。
結構、寛ぎました!
場所は但馬の名湯「城崎温泉」。
かの志賀直哉も愛した名湯で、小説「城の崎にて」が有名であるが、
暗い話らしいので自分は読んだ事がない,,,。
7つの外湯のうち2つしか入ることが出来ず、
旅館で食事を取り終わる頃にはすっかりと日が沈み
温泉街を流れる大谿川沿いに涼やかな風が流れ始める。
旅館の浴衣に身を包み、下駄を履いて散策へ。
昔ながらの温泉街を売りにしているのだろうか。
射的場などが何ヶ所かあり懐かしい。
ほどほど遊んだのちにやっぱりこれ↓
地ビール「城之崎地ビール」で乾杯!
夏の温泉街も結構いいですね。
温泉街が賑やかで、夏の時期はこの喧騒が心地いいです。
結構、寛ぎました!
かねてから城が好きだと公言してきたが、
行きたいと思いながらもなかなか行けなかった城に今回ようやく行けた。
とはいっても家族旅行の最中に、カミサンと子どもを置いて、
自分一人城に向かったので、事は、迅速に実行する必要がある。
念願の城にもかかわらず、ゆっくりとは出来ないのである。
向かった城はこちら↓
知る人ぞ、知る兵庫県朝来市の「竹田城」である。
標高350mあまりの山の山頂に築かれ、日本4大山城の一つ(だったっけ?)
中腹の駐車場まで、車で向かったあと、早速サンダルで城攻めです。
「熊出没注意」の看板に少々驚く。こんな低山で里が近いところに熊がおるんだろうか?
そんなことよりも驚いたのは、若い女性の姿が多かったこと。
平城だけだと思っていたら、こんな山城にも、スカートやヒールのあるような靴で
恋人と登る女性の姿がいた。これには正直、驚いた!!
そんなことを思いながらも、だらだら登ると累々と横たわる見事な石垣と
南北に大きく張り出した立派な縄張りが...。(涙)
竹田城は、関ヶ原の合戦の年には、廃城になったようなので、
実に400年以上もこの姿を残していたことになる。
そんな時代の流れを少なからず感じながら、
家族と合流するためため、城崎温泉に向けてレガシィを走らせるのである。
行きたいと思いながらもなかなか行けなかった城に今回ようやく行けた。
とはいっても家族旅行の最中に、カミサンと子どもを置いて、
自分一人城に向かったので、事は、迅速に実行する必要がある。
念願の城にもかかわらず、ゆっくりとは出来ないのである。
向かった城はこちら↓
知る人ぞ、知る兵庫県朝来市の「竹田城」である。
標高350mあまりの山の山頂に築かれ、日本4大山城の一つ(だったっけ?)
中腹の駐車場まで、車で向かったあと、早速サンダルで城攻めです。
「熊出没注意」の看板に少々驚く。こんな低山で里が近いところに熊がおるんだろうか?
そんなことよりも驚いたのは、若い女性の姿が多かったこと。
平城だけだと思っていたら、こんな山城にも、スカートやヒールのあるような靴で
恋人と登る女性の姿がいた。これには正直、驚いた!!
そんなことを思いながらも、だらだら登ると累々と横たわる見事な石垣と
南北に大きく張り出した立派な縄張りが...。(涙)
竹田城は、関ヶ原の合戦の年には、廃城になったようなので、
実に400年以上もこの姿を残していたことになる。
そんな時代の流れを少なからず感じながら、
家族と合流するためため、城崎温泉に向けてレガシィを走らせるのである。
月曜日を1日休み3連休を取った8月。
せっかくなので家族旅行へと兵庫県の城崎温泉へ向かう。
その道中、登山家(むしろ冒険家か?)植村直己の冒険館をみつけ
立ち寄ってみた。
ここは、兵庫県豊岡市日高町というところで、植村直己が生まれたところである。
館の入り口は、クレバス(氷の割れ目)を模した通路の先。
植村直己の著作を読むとよく出てくるクレバスの出現に既に心は躍っています。
対照的に、冷静なカミサンと子どもは、スタスタと先へ。
植村が使ったアイゼンやピッケル、Nikon F2植村スペシャルなどに感激するも、
カミサンと子どもの反応が気になる...。
自分勝手なチョイスに若干後ろめたさを感じたところ、
予想外にも子どもは、テントやら屋外のボルダリングやらに大喜び。
そして、皿そばで有名な近くの出石で名物そばをすすり
自分の中では、一番楽しみにしていたポイントに向かうのであった。
せっかくなので家族旅行へと兵庫県の城崎温泉へ向かう。
その道中、登山家(むしろ冒険家か?)植村直己の冒険館をみつけ
立ち寄ってみた。
ここは、兵庫県豊岡市日高町というところで、植村直己が生まれたところである。
館の入り口は、クレバス(氷の割れ目)を模した通路の先。
植村直己の著作を読むとよく出てくるクレバスの出現に既に心は躍っています。
対照的に、冷静なカミサンと子どもは、スタスタと先へ。
植村が使ったアイゼンやピッケル、Nikon F2植村スペシャルなどに感激するも、
カミサンと子どもの反応が気になる...。
自分勝手なチョイスに若干後ろめたさを感じたところ、
予想外にも子どもは、テントやら屋外のボルダリングやらに大喜び。
そして、皿そばで有名な近くの出石で名物そばをすすり
自分の中では、一番楽しみにしていたポイントに向かうのであった。
広島に転勤して3度目の夏を迎えた。
いつ異動になるのか全く見えない身なので、
広島にいる間にと平和記念式典に足を運んでみる。
今年の夏は、国連の潘事務総長やアメリカのルース駐日大使らが参列と、
ある種、歴史的な式典となったが、遠く離れた位置からの参列に。
何せ、すごく人が多い。
午前中からうだるような暑さで、
とりわけ高齢の遺族には、気の毒な式典であった。
今までTVでしか見たことがなかったので、目にすることもなかったが、
周辺の道路は右○も左○も街宣活動をして格好のパフォーマンスの場と化していた。
毎回思うのだが、「自称」市民団体のデモには年端もいかぬ小さな子供がだいたい参加している。
平和な世の中は、誰しもが望むところであると思うが、
そんな小さな子供まで駆り出すデモ隊の姿には正直、辟易してしまう。
そんなことを感じながらも、決して忘れてはいけない65年前の8月6日。
ただただ犠牲者の冥福を祈る、夏の1日となった。
いつ異動になるのか全く見えない身なので、
広島にいる間にと平和記念式典に足を運んでみる。
今年の夏は、国連の潘事務総長やアメリカのルース駐日大使らが参列と、
ある種、歴史的な式典となったが、遠く離れた位置からの参列に。
何せ、すごく人が多い。
午前中からうだるような暑さで、
とりわけ高齢の遺族には、気の毒な式典であった。
今までTVでしか見たことがなかったので、目にすることもなかったが、
周辺の道路は右○も左○も街宣活動をして格好のパフォーマンスの場と化していた。
毎回思うのだが、「自称」市民団体のデモには年端もいかぬ小さな子供がだいたい参加している。
平和な世の中は、誰しもが望むところであると思うが、
そんな小さな子供まで駆り出すデモ隊の姿には正直、辟易してしまう。
そんなことを感じながらも、決して忘れてはいけない65年前の8月6日。
ただただ犠牲者の冥福を祈る、夏の1日となった。