紘一郎雑記帳

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直木賞作家・難波利三氏講演録 安田紘一郎雑記帳

2009-11-23 05:45:15 | Weblog
【直木賞・難波利三氏講演会、安田紘一郎雑記帳】

「上方演芸よもやまばなし・てんのじ村」




私は以前この会場近くの寺田町に住んでいた事があり
久しぶりに参りましたがすっかり変わっておりびっくりしました。
我が家の在ったあたりはマンションになっていました。

直木賞を戴いた作品「てんのじ村」の取材に
この寺田町から自転車に乗って「てんのじ村」に
通った日々を懐かしく思い出しております。

「てんのじ村」は正式には「西成区山王1・2丁目」になり
天王寺から坂道を下って「古い長屋」立ち並ぶ町です。

この「てんのじ村」には大阪の芸人さん達が多く住み
昭和の20年~30年代の初めまでには300人~400人の
芸人さん達が、助けあって暮らしていたようです。

代表的な芸人さんは「都 蝶々、人生幸郎・夫妻、お浜・こ浜」
当時、売れっ子の芸人さんもおりましたが、
なぜか売れ始めると「てんのじ村」から脱出して行きました。

私が取材を始めた昭和36年には「てんの村」の芸人さんは
「30~40名位」で一番多い時の1割ぐらいに減っていた。

取材を始めて色々な多くの芸人さんに逢いましたが、
「吉田 茂」さんという「有名な元総理大臣」と
同名の芸人に興味を持ちました。

どんな「芸」をするのか全く知りませんが名前に惹かれたのです。

「吉田さん」を尋ねて取材を申し入れました。
「珍芸・かぼちゃ」という芸を見せる芸人との事でした。

「吉田さん」は「取材」は「お断りや」と「玄関払い」されました。
又、次の日も、次の日も断られました。

私も意地になり、続けて続けて「吉田さん」に取材依頼に行きました。

そして半年ほど過ぎた「年末」のある日「吉田さん」と世間話の中で
お互いの出身地の話になり、2人とも「山陰地方」が故郷と分かったのです。
私は「島根県の太田市」が故郷です。
それから一気に親しくなりました。田舎の話は良いですね!

帰りに「吉田さん」が正月はヒマですか、
【「2日」に寝屋川で私も出る舞台が有るので一度見に来なさい】

要約、取材の許可が出たのです。

「正月・2日」にやっと「吉田さん」の「珍芸かぼちゃ」に出会いました。

「吉田さん」の出番になると、まず「三味線のおばさん」が舞台に上がり
続けて衣装をつけた「吉田さん」が登壇しました。

その舞台姿は「学生帽子」を被り「絣の着物」を着て、
そして「短いスカート」をはく「珍しい衣装」でした。

そして、三味線がひく「童謡・お手てつないで」に
合わせて「足腰を曲げて小さくなり舞台を一周」するのです。

周りながら少しずつ「足腰」を伸ばし少しずつ大きく成って行き
一周して正面に戻った時には「立っている状態」になり
そこで短いスカートをパッとめくりのですが、
そのスカートの下には「真っ赤なパンツ」をはいていて
「笑い」をとる「しょーもない」芸なのです。

それが「吉田さんの”珍芸かぼちゃ”」の全容です。

なぜ「かぼちゃ」なのか、最後にスカートをめくって
上にあげた時の姿が「かぼちゃ」に様なのでその名前にしたのです。

半年間追いかけての「珍芸かぼちゃ」にはがっかりしました。
これでは「話し」にならず「小説や文」にならないと思ったからです。

次の日から「攻守」が逆転しました。

「吉田さん」から「次は何所」で「その次は何所」でと
舞台の予定を連絡してくるのです。

初めに「取材を頼み込んだ経緯」もあり「断りきれず」に
いつ辞めようか、どんな言い方をしようかと迷いつつ
「吉田さん」にずるずると付き合っていきました。

「吉田さん」に依頼し続けた同じ半年が過ぎました。
そして中国山脈にある「智頭町」の「農協文化祭」に出る
「吉田さん」について行った日でした。

私は「大切な事」を忘れていた事に気付きました。
その時が、この「珍芸」が、私の人生の転機となったのです。

「吉田さん」は20歳の時から、現在の「70歳」まで「50年間」
この簡単な芸「珍芸かぼちゃ」を続けているのです。

人は「単純な事を続ける」のは「複雑な事を続ける事」よりも
はるかに、難しい事と言われています。

こんな「単純」な「芸」を続けていく「しんどさ」は
余程「アホ」か「賢い」かのどちらかでしょう。

その瞬間から、私にはこの「珍芸」が「凄い芸」に見えてきたのです。

つまらないと思って見ると「つまらない」が
「凄い」と思ってみると「凄い物」に見える。

つまらない「単純」の中に宝がある!

物は「見方」を少し変えて「違う方向から・違う角度」で見る大切さを
「吉田さん」の「珍芸かぼちゃ」から教わったのでした。

私の直木賞受賞作品「てんのじ村」の原点です。

大阪の芸人のふるさと「てんのじ村」はすっかり形が変わり
今の「てんのじ村」に住む芸人は「一人」といわれております。

それでも「てんのじ村」には多くの一流、二流、三流関西芸人の
「夢」や「汗のあと」が今も残っているように思えるのです。


難波利三氏講演会 前半より 

後半はその「1人だけ、てんのじ村」に残っている芸人さんの話しです。
「後半は近々投稿いたします」


安田紘一郎雑記帳

難波利三氏の講演をお聴きして
「てんのじ村」で育った多くの芸人さんは自分の持ち芸に
「この芸しかない!」の気概を持ち、「ひとつの仕事・ひとつの芸」に
研磨し、人生を賭けて生きていく逞しさは、
他の仕事や人生においても同じだと学びました。

最近のバラエティ番組の「底の浅さ」が世にうけるのは
「時代」だけで片付けて良いのでしょうか?






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