乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

(8)手術開始

2006年12月23日 21時50分36秒 | 心筋梗塞
2006.11.18(土)朝~
○ 点滴
○ 尿管
○ 術着
局部麻酔なので気楽な簡易装備です。歩いても行けるんだけど、ストレッチャーで移動(なんだか気恥ずかしいモンです)この検査・手術は、スタッフがチームで行うので大人数の人が室内とモニター室内に別れてワサワサしています。ヒゲ先生と部長先生(循環器科の責任者)男性・女性の看護師が各ひとり、電子検査技師2名、メーカースタッフ1名
他スタッフ(こちらからは、何しているかはわからなかったで~す)閉所恐怖症の私がパニックにならないようにガーゼを目に当ててもらって、可愛い看護士さんに手を握ってもらっていました♪もちろん いつも通り・・・・半無きの精神状態です。この検査を受ける以前にテレビドラマで「ステント」の開発に尽力を尽くした方々のドラマを観たことを思い出しました。看護士さんとその事を話していました。このステント手術が出来なければ・・・・命を落とす人がたくさんいたんだと・・・・。この技術で沢山の人の命が救われているのだから感謝しなくてはね・・・と、シミジミ話していました。
右足の付け根 ほぼ恥骨に近い部分の動脈からカテーテルを挿入、造影剤を入れて画像診断 やはり心筋梗塞でした。手術にかわります。さっきまでお喋りしていた先生達の口数が減って・・・・チョットだけ不安になりました。私の目線からは見えにくい場所に画像パネルが設置されているので、つい
「画像を見てみたいなぁ~」
・・・・と、ノンキにヒゲ先生に声をかけたら
『簡単そうにやっているけど、難しい手術をしているところだから それは無理』
「ごめんなさい 大人しくしています 先生頑張ってね♪」
『オッケェ~!』
そうこうしているうちに終了!止血は新しい方法でやりました。これが一番痛かった! 我慢できず叫びました(笑)これで月曜日の退院が決定です。(あぁ~~っ モットゆっくりしたかった)この止血方法を選択すると、3時間後には歩くことが可能になるのです。(ちなみに、他の方法だと8時間以上、下手したら翌朝まで歩行禁止)手術室を出るときに私の顔をみながら ヒゲ先生曰く
『成功したから安心して♪ 結構大変だったけど、僕の腕はいいから♪』
『本当に硬かったよ この世の中で2番目に硬い針で貫通作業をしたからね!』
『この地域でこれだけ素早く(手術が)出来るの(医師)は少ないからね♪』
・・・・・・・
冗談炸裂させながら言っている先生は・・・
・・・汗だくである!!!!・・・青色の術着は濃紺にかわっている!!!!!!
胸がジンとなる。(この胸の痛みは病気じゃないヨ)ありがとうございました! ほんとうに ありがとうございました!声にならない感謝の気持ちでいっぱいになった・・・・。夕方、病状の説明あり。動画と停止画とで術前・術後を説明してもらう。これが私の心臓(左心房)♪ きゃぁ~~~恥ずかしいワン。
術前

術後 違いがわかるかな?

冠動脈のうち6番がガッチリと梗塞。。。
・・・・って・・・7番に血液が全く入ってなかったってこと (ぞぉ~っとした) 梗塞部分が長く、ステントが2本(1本じゃ足りなっかったそうだ)こんなにブットイ所が梗塞したまま生活していたなんて・・・・・ショックが・・・・。 梗塞していた期間が長かったため、右心房の右冠動脈から新生血管が左に向かって出来ていた。心臓が少しでも動こう! 栄養を摂ろうと・・・・・しているのが・・・・痛ましい・・・・。生命力とはすごい!不思議なチカラが私達のカラダの中にはあるのである!
心臓を正面から観た血管の模型です
画面の 左側にあるのが右冠動脈。 右側にあるのが左冠動脈の前下行枝と回旋枝                

下画像の「5番が左冠動脈主幹部」 :LMT(left main coronary trunk)
そこから「6番の前下行枝」と「11番の回旋枝」に別れている

6番の前下行枝」の先がこの「7番」になるこの「7番」が左心先端まで伸びている。

6番の梗塞って・・・・ほとんど血液いってないってこと? もうこれ以上・・・・先生に質問する勇気が私には今のところ無い・・・カモ・・・。しかし・・・・・今回ばかりは珍しく・・・弱気な私・・・・。もう少し病院に居たいなんて思っていたりする。不安がいっぱいの・・・ドキドキ退院。(怖い・・・本当に大丈夫なの?)でも、何が何でも月曜の退院だぁい。さようなら、病院食♪(美味しくなかったけどカラダには良かったデス)

入院中は母の主治医のチュウ先生からも温かいお声をかけていただき、安心感とやる気をいただきました。沢山の人達に救われたこの命。感謝と共に、活用しなくてはなりませぬ。医療の発達で救われて生きることが出来事と共に、医療とは「人」であると!また、心から学んびました。どうか、少しでも、お役に立てればと、自分の体験ですが書かせていただきました。生きることは心なのだと・・・・・・! だから共に頑張ろうね。感謝の気持ちを込めて!
 2006.12.23(土)ムクより

(7)検査&手術

2006年12月21日 22時40分04秒 | 心筋梗塞
2006.11/17(木) 午後3時 入院
母がお世話になったときにイロイロと知り合いが増えていたので比較的楽に事が進む。母がアル意味有名人(この病院内に限り)でよかった♪夕方、先ほど救急で担当された先生が主治医となり治療をしていくことが告げられる。『僕になったけどいい? チュウ先生(母の主治医)は担当するって言っていたけど』「(銘々)ヒゲ先生 宜しくお願いします」『じゃぁ説明しますからカウンセリングルームに』『先に診断結果から申し上げますね』
病名 陳旧性心筋梗塞 狭心症
ご存知とは思いますが、心臓とは、血流を体中に循環させるためのポンプです。心臓から送り出された血液(動脈血)は、脳、腎臓、肝臓などの全身の臓器で栄養として使われます。冠動脈とは、その心臓の筋肉に栄養を運ぶ動脈のことです。
右=(1) 左=前下行枝(2)と=回旋枝 (3)
冠動脈が動脈硬化により狭窄→→血流(栄養)が減ってしまう→心臓の筋肉が悲鳴をあげる→狭心症→さらに狭窄が進行、もしくは完全に閉塞→さえに血流(栄養)が減る→悲鳴をあげた心筋が壊死してしまう→心筋梗塞
ムクさんの現在の状態は、心電図、心エコーからは陳旧姓(古い)心筋梗塞が疑われます。『そのため、これからの診療計画を申し上げますネ♪』明日11/18(土)の午前中!心臓カテーテル検査を行い、冠動脈の状態をチェックします。そこで、狭窄、閉塞の病変を認めた場合は、そのまま引き続きカテーテル治療(手術)をおこないます。止血方法ですが、従来の方法ではなく、新しい止血方法を使用していこうと思いますが、この場合止血から3日間で退院しなくてなりません。状態により止血方法の選択を致したいと思いますのでご了解下さい。手術になった場合は、薬剤溶出型ステントを用いたいと思います。これはサイファに血栓を作るのを防ぐ作用があります。術後は、バイアスピリン(100)パナルジン(100)の服用となります。この場合、副作用として主に考えられるのが、肝機能の低下、血小板の低下、白血球の低下です。こちらに関しては、通院時に血液検査でチェックしていきますので安心してください。ヒゲ先生の説明はわかりやすく、納得したのでその場で検査同意書と手術同意書にサインし、めでめでたくまな板のくまさん・・と、なったのである。その後、足の付け根の動脈からカテーテルを入れるため「剃毛」処理をしました。ついでにシャワーを浴びたけど・・・心臓が・・バクンバクンして倒れそうでした。いよいよ明日が手術ですから・・こういう時はやはり『もしも』を考えますよね(きっと誰しも)しかし・・やはり・・私は「見事なまでにアホでした!」だって、気になったのは弟の会社のゴミを始末している母なんですモン。寒い中、ゴミの片付けをしている母の姿に「親の思いやり」を感じると共に。もう少し弟達がちゃんとゴミの分別と処理の仕方を工夫していればやらないで済む事なのにぃ~と・・こんな事が心残り?? 今から考えるとおかしな、くっだらない事なんだけど、日頃から気になっていた事なんだね(うん)ばかばかしい。でも弟に電話して『ゴミはちゃんと出すように』って小言を言ったから気分はスッキリ♪これで思い残すこと無し!この当時に私が思っていたことは・・・・弟よ!私がいなくなったら、母のことはあんたに任せるからね! しっかりしろよ!でも、今は私は生きているから、母のことは心配するな。あんたは自分の家族をしっかり守りなさいネ♪ さぁ 明日は手術です!

(6)速 !! 入院

2006年12月21日 13時46分46秒 | 心筋梗塞
2006.11.17(金)
朝、母も受診日なのでいそいそと支度をすます。病院へ行く。(救急車で行った方が良いのではないかと母は勧めるが病状は其程悪くない感じなのでタクシーを利用することにした。)・・・・・後から考えたら無謀で、母の言うとおりにしたほうが良いと判る。
病院について受付をしようとエントランスを歩いていたとき・・・・・・・・突然 発作に襲われる!息が苦しくて歩けない!! (ひぃっえっ~~~~~(焦る))車椅子が用意され、そのまま救急処置室へ運ばれる。慌てて後を追う母に、「おかあさんは、先生の所で診療してもらって 私は大丈夫」事務の方に向かって「母をお願いします!」
母「後で来るからね」
私「了解!」
救急処置室で、すぐに心電図が用意されて、同時に血中酸素を測る。心エコーがかけられる。おっ みたことある先生だ。看護師「紹介状があるそうです」
医師「・・・? うん? なんでこの病院から?」(訝しげな硬い顔で・・・・)私「やぁ! ○○の娘でぇ~す」(苦しいけどお気楽な調子で)人の顔みて(おいおい)医師「あぁ~~~~っ ○○さんの~~ 先に言ってよ♪ どうしたどうした」・・・・・なんじゃそりゃ?・・・・・・その明るい態度は?医師「こりゃ~ 陳旧性だなぁ~ 心筋梗塞だよ たぶん♪」私 「へっ?」医師「入院だね 今から部屋を用意するから あっレントゲン撮っておこうネ」医師「後で詳しく説明するからとりあえず入院しておいて」私 「じゃぁ 何日ぐらい?」医師「一週間ぐらいみておいて」私 「支度してくる時間もらえる?」 時計をみながら医師「何時ぐらいかかる?」私 「何時までなら大丈夫?」医師「じゃぁ~~~~3時まで」私 「よかった」医師「苦しくなったら救急車で来て! 必ず!」・・・・またここでも救急車か・・・・・なんだか申し訳ない感じ・・・・母と家に戻り入院の支度を済ませ、会社に連絡しメグを私の家の近くの駅まで連れてきてもらう。メグを受け取り、メグの御飯を買い込み家に戻る。そして支度を整え、タクシーで病院にひとりで向かうこととする。母はメグとお留守番ヨン♪(今から考えると私の行動はアホです。マネしないように!)

(5)IN東京♪

2006年12月21日 13時17分16秒 | 心筋梗塞
2006.11.16(木)
やっとだよ!やぁ~~~~~っと着いたよ。羽田だ!東京だ!医師の忠告に従いタクシーに乗って時間外診療を受けるべくフクちゃん先生の待つ病院にGO!夕方4時半、病院でお手紙を渡して、別病院で母のかかっている循環器科に紹介状を用意してもらう。「母と同じ病院で診てもらいたいので紹介状と病歴を書いて下さい♪」『大変だったんだね ガンより心臓が先だからね すぐに書くから待っていて』今度はフクちゃん先生からのお手紙を持って母の病院を受診することにする。

(4)退院後・・・急変

2006年12月21日 12時33分21秒 | 心筋梗塞
2006.11.15(水)
採血 心電図 レントゲン この結果次第で退院が決まる。
退院が決まった。昼食後退院の準備に入る。流石に沖縄!病院食に沖縄そばがでてきました。(驚いたし、ちょっと感動)

退院時 下記薬を処方される
アダラートCR錠20mg(朝夕)
バッサミン錠81mg(朝夕)
ニトロペン錠 10回分(胸痛発作時に舌下に含む)

特に注意して使用するのはニトロである。胸痛がおきたら5分間隔で1錠ずつ治まり具合をみながら追加していく3~4粒飲んで治まらなければ・・・病院に行かなければならない。この時 脈拍にも注意しなければならない。ニトロを含むと脈拍が落ちる。脈拍の確認を怠ると意識低下につながる。
とも叔母ととの叔母の旦那様が母と一緒に迎えにきてくれた。ありがたい。4時をまわっていたので一緒に夕食でも食べて帰ろうと病院の近くにある自然食バイキングのお店を目指す。しかし病院を出るとすぐに発作がおきた。ニトロを舌下にいれ溶かす。時計をみる。心配そうに私をみる母と叔母夫婦。「大丈夫ヨン すぐに落ち着くから きっとビックリしたんだわ」・・・と言ってみる。まるで。。。。自分に言い聞かすように。だが発作は治まる様子が無く。。。。3錠目を服用しても発作が治まらない・・・・・!ここで やっと ダメだと悟り(遅っ!)叔母達に・・・・「すみません 我が儘を言わせていただけるなら 病院に引き返してもらっていい?」急遽病院に戻りました。救急で受け付け、採血、エコー、心電図 循環器科の医師が始め
『パニックになったことある?』「ありますが・・・・・今回のとは違う感じがします」『過呼吸じゃないかな? 血中酸素濃度に問題はないし、心筋が壊れた酵素も出ていないんですよね』「過呼吸じゃないかと自分も注意していましたが、それではないと思います」その時、横で看護士さんが左から血圧を測ろうとしたので「すみません 左は乳癌でリンパ節を郭清してますのでダメなんです」其れを聞いていた循環器科医師は『 郭清していても平気なのに。誰にきいたの? 』「(乳癌の)主治医からの指示です(!!!!!ちょい語気を強く)」
( こういう事って見解の相違だからネ~ おいらはフクちゃん先生を信じとるから だからこれはユズレンのよ♪ )
『・・・・・・』  『それじゃぁ 入院中は誰が担当の医師でしたか?』「主治は男の先生で~病棟担当はほっそりした眼鏡の女性でした」『相談してきますからお待ち下さい』そのころには、外来には叔父達も駆けつけてくれて大人数になっていた。『過呼吸を表す数値にも異常はありませんでした。担当されていた医師とも相談しましたが入院がいいですよ』
「でも・・・・ここで検査をしてもできれば東京の病院でまた検査をするのですから・・・・侵略的治療と検査はできたら1度で終わらせたいです・・・血管に負担を何度もかけられないから・・・・」『そんなことを言っている場合ではないですよ このまま帰っても 東京の病院に着くまでの命の保証は出来ません』「・・・・・」「でも・・・今日が母の誕生日なんです・・・・母の誕生日を故郷の沖縄で祝いたくて来ていたんです・・・・今日は一緒にいてあげたい・・・・。それに母も心臓が悪くて不整脈がでているんです。明後日の金曜日に予約している病院に行かないとならないし・・・・このまま沖縄にいることは出来ません・・・・」「先生・・・・・・先生・・・・・どうにか・・・・生きて東京に戻していただけるお薬を処方してくれませんか」じっと互いの目を真剣に見つめ合った『・・・・・・ ・・・・・・・・ 考えます・・・・・・少し、時間を下さい』
私の中に・・・・・迷いはなかった。
母を連れて必ず東京に戻ってみせる!
しばらくして医師が戻ってきた『ご希望されたように出来る限りの処方をいたします。 この薬を飲んでください』「・・・・ありがとうございます!」
『この薬は2日分しか出せません必ず東京に戻ったらすぐに受診して下さい。約束です!』「はい」『ホテルや飛行場にもAEDがありますし、ましてや東京にはそこいらじゅうにあるから安心してください』「?」(・・・・・?・・・・・・ えっ? えっ~~~~!! ・・・・・まぁいいか・・・・・)「はい」『あとは、パニックと発作の違いを見極めることが肝心ですからね』「はい」『羽田に着いたらタクシーで病院に向かわれた方がいいですよ 出来るだけ無理は避けてください』「はい・・・・・ありがとうどざいました」『ご無事で・・・・必ず東京に戻って下さい それと、具合が悪かったらいつでも病院に来て下さい。ココなら那覇空港まで数分ですから』「はい! 必ず生きて戻りますから・・・・。」『・・・・そうして下さい。頑張って!』こうして、病院代を払いながら叔母達が用意してくれたお弁当を食べ早速薬を飲む。
もらったのは
心筋梗塞になった人が飲む治療薬
タップリのニトロ・・・・。
シロステート錠100mg(朝夕)


みんなとは病院で別れ、叔父ととみ叔母と母の4人でホテルに戻る。用意してくれたお弁当と飲み物をとり4人で話した。楽しかった。本日もとみ叔母に無理を言って一緒に泊まってもらうことにした。現役看護婦長のとみ叔母が一緒にいてくれたので超安心。感謝 感謝。

ホテルの方々のもお世話になり、感謝致しております。ホテルというモノは本当に「人」なのだと思いました。ありがとうございました。沖縄の病院から東京の病院宛にお手紙を書いていただき、それを胸に東京へ!


  機内で母の手を握りしめていた自分がいました。


(3)旅先で入院

2006年12月21日 10時31分29秒 | 心筋梗塞
救急車が病院に到着。何度も同じ事を複数人の人に話さなければならなかったのが疲れる。。。。心電図、レントゲン、をとられ、鼻から酸素を入れられ、血液検査用の採血。そして、点滴を投与すれための血管を探すが、なかなか確保できず、腕も足もコレまで見たことがないくらい・・・・針刺しの山・・・・と・・・・化していた(泣)(へたくそぉ~~)入れていた点滴は・・・・栄養剤みたいなモンで、やっと入れた場所が、「右足甲の外側部」。。。。。スリッパも履けないし、歩けないじゃないか!ヘタもここまでくると(沈)付き添っていた母も、叔母が到着してくれたので一緒にホテルに戻っていった。叔母が一緒なので安心だ。姉妹でゆっくりしてくれるとうれしい。
その後。。。。放置。。。。
胸苦しさと、息苦しさと、違和感は解消されず
。。。。。ただそのまま。。。。放置。。。。
暇じゃぁぁぁぁぁ(そうじゃなく苦しい~~)  
救急処置室には救急車等で来た患者さんがベットを埋めている。ベットが足りないくらいだ。年輩者で、脳と心臓が多い様子が見て取れる。この病院がかかりつけの人が多いんだな、担当の医師の顔をみると患者と家族の表情が和らぐのがわかる。
9時過ぎに検査開始   心電図 心エコー あと・・・・何かしたかな?相変わらず苦しいが意識はしっかりしている。心エコーをかけているときの検査技師と医師(たぶん研修医)との会話がおかしかった。「左は何でもないが、右のこのあたりがおかしな動きをしているでしょう」「・・・・・・?・・・・・」(医師)「ほら この角度で変化を見るんだよ」(技師)「ああ 心臓の変異を見極めるポイントなんですね」(マジに新米か?・・・・おいおい)「そうそう」(技師・・・・・機嫌良く何度もグリグリ・・・って痛いんだけどぉぉ!)その部分は、胸がなくお肉も脂肪も無いんだから普通の人より痛いってば!その後、ラシックスを1/2A投与。トイレが近くなる!なる!で、息と胸が楽になる。検査結果が出たけど、あまりはなばなしい結果は出ていなかったのなか?「このままホテルに戻ってしまわない方がいいですね、入院して様子を診ましょう」「入院ですか?・・・・・・どうしてもしなくちゃダメですか?」「経験上 このまま返して倒れた人を沢山見てきたからね~ 様子をみておいたほうがいい状況だと思いますよ」医師の目をじぃ~~~っと見つめ 判断した。「・・・・・はい お願いします」病棟に移る。看護師さんが3人 口々に「この人心不全で入ってきたのね」と確認している。(えっ?私って心不全なの? なに? そんな話 聞いていないんですけど?)ひとりの看護士さんが「この人 何で点滴入れてるの?心不全ならとらなくちゃ 水分は入れちゃダメでしょ」
・・・・・その後すぐに点滴がハズされた
・・・・・・この病院にいてもいいのか?
・・・・・・この病院でいいのか?
・・・・・・この病院じゃぁ・・・・・・・・・・ 
マズイのではないか?!!!!!
口には出さなかったが不信感と不安が押し寄せてきた。病室に入った直後、自分の状態を把握するべく、歩き回る。ここなら倒れたり、具合が悪くなっても医師がいるし、この機会に試しておかないと、退院後の行動が心配だからね。ふと 本当に ふと ここで死ぬかもしれないと。シックスセンスが。この景色を観ながら・・「この景色じゃ・・・いやだな なんだか・・・・」(意味不明)

母のこと
メグのこと
会社のこと 
社長に話さなければ!(今のうちに!)
公衆電話で要件のみを話す。(話せてよかった)
社長に任せておけば金銭面処理は大丈夫。安心して死ねる。その日は食事もとれたし、ラシックス1/2Aを追加されたためか、少し楽にもなってきた。あいかわらず鼻から酸素は入れたままだが・・・・体内の酸素濃度は平均で94%あるので何ら心配なしの状態。なのにこの苦しさはナンだろう?だが、この状態ならいけるだろう。母ととも叔母、しげ叔父が病室に来て様子を話す。母をひとりでホテルにおきたくはないので、とも叔母に一緒に泊まってくれるようお願いする。天井を見ながら ここで死ぬわけにはいかない! そう思っていた。 明日は絶対に退院して、予定通りの便で東京に戻るぞぉぉ! 担当してくれた医師に(主治医は別)明日何時に退院できるか何度も訊いていた。(ごめんね しつこくて) 夜、とみ叔母と旦那様が来てくれた。何年ぶりかでお会いするとみ叔母の旦那様は、私がちっちゃいときから可愛がってくれた人だ。こんな形で会うことになろうとは・・・・。ちと残念である。胸が楽になったのか、横になって寝られた。(朝が迎えられるかな・・・・)疲れた どんなに不安でも眠りに落ちていた。

(2)焦る・・・・

2006年12月19日 23時14分16秒 | 心筋梗塞
2006.11.14 早朝 バクン・・・・となった 胸の「動悸」で目が覚める。乳がんになってから、抗癌剤、ホルモン治療・・・・・と、こうした化学治療をおこなっているため、胸の動悸なんていっつもだから・・・・ 正直『 またか! 』っておもいました。暫くジィ~~ッとしていれば治まるから。・・・・そう思っていました。でも でも 変なんです!!!!!  治まらない??????
『大丈夫?』
母が気づいて様子を心配そうに見てくれている
『うん。。いつものことだから・・でもチョット変かな。。』
『 ・・・・・・・・ 救急車呼ぼうか?』
『そこまでしなくても治まるかもしれないから・・』
だめ だめ 焦っちゃダメ! 落ち着いて! 過呼吸にならないようにゆっくりと息をして! 楽に 楽に 気持を切り替えて! そう そう 焦っちゃダメよぉ~~心の中でいつものように唱える!(対処法はバッチリ)そう。。。。いつもしているように・・・・。でも変だ、あれ?あれ?息が出来ない!おかしい いつもと違う! (過去の母の状況が脳裏をかすめた!)
  やばい!
『おかあさん おかあさん 変!  私・・・・変! フロントに電話して・・・・』母が飛び起きてフロントに電話をしようとするが、フロントが何番かわからない!!焦る母。適当にボタンを押し、出た人に緊急を告げる!すぐに救急車とホテルの総支配人が部屋に来た。私は意識はある。しかし、息が苦しくて身動きがとれない。こうなってしまっては、ホテルの人に、とにかく残された母の状態を伝えたくて、『母は心臓が悪いから宜しくお願いします。気を配ってやって下さい。お願いします』 お願いしていた・・・・。心配は母のカラダだ! おいらはなんとかなる!(本気でそう思っていたから・・・・)ボ~~~ッとした意識の中で私は救急隊の人に 『左腕からは何もしないで! 乳癌で郭清していますから!』『母も心臓が悪いんです。だから、母をひとりにしないで下さい!』必死で何度も、何度も繰り返していたことを今でも強烈に覚えている。一緒に救急車に同乗していた母を目で何度も確認しては安心していた。そして・・・・・救急車で病院に運ばれることとなった。

(1)胸の違和感・・・

2006年12月19日 22時32分35秒 | 心筋梗塞
心筋梗塞、狭心症・・・・・まさか自分が! そう・・・・そのまさかが、自分の身におきてしまいました。事の起こりは 2006.11.13(月)~の 母娘旅行からです。
11.10(金) 母が循環器科を受診時、不整脈が発覚。旅行には差し支えがないモノだが、旅行から戻ったらすぐに受診しましょうね・・・ということで、次回の予約を 11.17(金)に入れました。(戻りが16日の木曜だから)やはり、母は心臓の術後、初めての遠出となることに負担があるのだろう。余分に処方された薬を出されたことでもわかるように、旅行中、母の状態に気を付けなければならないと肝に銘じる。
11.11(土) 出社
11.12(日) 午前中出社
メグのサロン行き、仕上げ後は会社に送り届けてもらう約束。
列車の予約をしチケットを受け取る。午後は自宅に戻る。母の旅行の準備。(自分のは既に完了)動き回る母がとにかく心配・・・・・たった3泊4日なのにぃ~ とにかく動いている母をなだめすかしてサボらせようと努力してみる。
11.13(月) 移動 とにかく時間に余裕をもって、焦らないですむように手配。自分のパニックも回避できるようにフンパツしてスーパーシートにしてみた。

母も嬉しそうにゆったりと食事して気分も落ち着いている様子。機内で出された食事も楽しんで会話も弾みました。



私も楽チンでしたわん。沖縄に到着。空港に一番下のとも叔母(母の兄弟姉妹の末っ子)が迎えに来てくれていた♪

叔母の運転でホテルに向かう。夕食をとも叔母と、とみ叔母(母の直ぐ下の妹)と取るために待ち合わせる。ホテルにてみんなで食べる。お風呂に入って就寝。明日は一日ノンビリ過ごすので、叔母や叔父達と会うのを母は楽しみにしている。
そして・・・ 明け方・・・ 私は倒れた・・・