建築・環境計画研究室 (山田あすか)

東京電機大学未来科学部建築学科

建築・環境計画研究室

この研究室は,2006年4月に立命館大学にて開設され,2009年10月に東京電機大学に移りました.研究テーマは,建築計画,環境行動です. 特に,こどもや高齢者,障碍をもつ人々への環境によるサポートや,都市空間における人々の行動特性などについて,研究をしています.

*当ページの文章や画像の無断引用・転載を禁じます*

元木望,山田あすか:戸建住宅における 「子育て要素」と住空間構成に関する研究,地域施設計画研究シンポジウム2019

2019-09-09 12:40:50 | 書架(こども関係)

日本建築学会地域施設計画研究シンポジウム2019,論文誌『地域施設計画』掲載の論文(論文本体は1年以内のアップダメなので草稿,でもほぼ本原稿と変わりありません)と,発表プレゼンです。

この論文誌はしばらくオンラインでアプローチしにくいままので,興味のある方にお届けしたいと思い。

*画像悪いよ,本原稿見たいよ,という場合は,建築学会にお問い合わせいただければ上記論文誌ご覧いただけます。

*前半に論文(10p),後半がプレゼンPPTです。初見の方には後半の方がわかりやすいと思います。

 

 

商品化住宅と呼ばれる住宅形態があります。

1950年代に工業化住宅が普及し始め,その後1970年代後半には工業化、在来工法の別を問わず,

ライフスタイルを切り口にパッケージ化した商品としての住宅が多く売り出されるようになりました。

これらがいわゆる「商品化住宅」です。

 多様な商品化住宅の中には,子育て期の世帯を対象とした住宅も多く,

 ライフスタイルに合わせて変化する可変型のプランや家事動線に配慮した計画等,様々な提案がされています。

 これらの住宅がターゲットとする主な購買者層は,子供をこれから育てる,または育て始めて間もない時期の家族です。

その後,住宅を購入した時の価値観と、子育てのプロセスを一通り体験したあとの価値観は,

必ずしも一致しているとは限りません。

 

そこで本研究では、

①「子育て」を住宅設計の主たるコンセプトとする「子育て住宅」としての要素,すなわち住宅購入時の評価要素の整理と,

②子育て期の終わり時期での住宅の評価を比較を行います。

これによって、長期にわたる「子育て」の器となる住まいの在り方についての知見を得ることを目的とします。

調査概要を示します。調査内容は2つです。

まず「子育て住宅」を取り扱うハウスメーカー8社の子育て住宅誌を対象とし、そこに掲載されているコンセプト・説明文から抽出した単語を分析しました。

また,モデルプランの空間構成を整理し、さらにテキスト分析ソフトを使用した抽出語の分析をしました。

二つ目の調査として,大学生を子に持つ保護者9名へのヒアリング調査による「子育て」の視点からの自宅の評価とその変遷を調べました。

まず 各社のコンセプトや説明文章を、場所・キーワードと効果に着目して整理します。

場所キーワードは,家族が共有する空間,家族の構成員のための空間,家事関係の空間の3つに分類しました。

【場所・キーワード】の例を挙げます。1階が共用空間,2階が個室群だとして,帰宅した子供が自室に行く際に共用空間に居る家族が帰宅した子供への声かけができる「おかえり階段」や

子育て,特に子供の見守りをしながらの“母親のための”家事空間、兼保護者が見守れるこどもの作業空間である「ママコーナー」,

見守りや家族との交流をしながらの作業がしやすい,子供の家事参加がしやすい「キッチン」などが掲載されていました

  

【効果】の軸を見ると,「家事のしやすさ」は全ての社が言及しています。

また「見守り・安心」、「家族との交流」は7社、「気配を感じる」は6社あり,家族との関係性は言及頻度が高いと言えます。

また,例えばA社の「キッチン」には「子供の家事参加,見守り,安心,リラックス・憩い,家族との交流」の効果があるとされているなど,

個々の場所キーワードについて,複数の意味や効果が関連づけられていることが読み取れます。

【場所キーワード】と【効果】の,該当数が多い3つの組み合わせについて,各社での詳しい提案内容を見ます。

「変化する子供部屋×間取りの柔軟性」には6社が該当しています。

5社は“可動間仕切り壁や収納を用いることで間取りを変えられる”としています。

これに対し,C社は“廊下と開放的に繋がる共有スペースを,将来間仕切り壁をつくることで子供の個室に変えられる”提案をしており,販売時の優先事項に,差異があリます。

これは,将来の子供の数の希望や,子供の主たる滞在場所をどう想定するかの対応の差異と理解できます。

「収納×子供の自立」の組み合わせには4社が該当し,各社で様々な提案がなされています。

このうち,大まかに見ればC,D,G社は何らかの場所の近くにある収納空間の提案です。

見守りや介助,指示がしやすく保護者が家事や自分のことを「しながら」の子育て視点が重視されていると理解できます。

これに対して,E社は家族構成員それぞれの個人専用の収納ワゴンという家具の提案です。

家族の共用空間に家族それぞれのものの拠点を持つことで片付けの習慣づくりを支援することが重視されていると理解できます。

 

  「キッチン×見守り・安心」の組み合わせには5社が該当します。

キッチン正面にカウンターがある提案が2社,キッチン正面にダイニングテーブルがある提案が3社あります。

いずれとも調理をしながら子供を見守れる点は共通しています。

キッチン正面にカウンターがある提案はこれに加えて子供やテーブルにいる家族とのコミュニケーションを取りやすさが記載されています。

これらのように、同じ場所と効果の組み合わせであっても,提案されている空間性に差異がある場合があります。

次に、8社のうち,モデルプランを掲載していた6社の図面を機能図として整理しました。

機能図を見ると,6社のうち5社が階段とリビングが繋がっている(リビングに階段がある場合を含む)関係で,階段を設けています。

 

しかしながら先ほどの図を見ると,「お帰り階段」は4社のみ説明文で取り上げています。

このように,同じ空間構成で計画されていても積極的価値を見いだし優先的に説明する点には,社によって差異が見られます。

ベランダ・バルコニーと部屋との繋がりに着目すると,6社のうち5社がベランダ・バルコニーに出入りができる部屋が複数あります。

例えばC社はバルコニーにファミリールームと洗面室が繋がっており,D社はベランダに子供室と主寝室が繋がっています。

このように,部屋の利用者が異なる複数の部屋を繋げることでベランダ・バルコニーの利用者に柔軟性を持たせ,

洗濯物を干す,取りこむといった作業に対する家族の家事参加を促していると読み取れます。

廊下の構成に着目してみます。

6社のうちA,C,D,G社は吹抜け(A社)やファミリーライブラリー(D社)等,家族全員が利用する空間であることを積極的に活かして,

家族同士が自然にコミュニケーションを取るきっかけとなるように計画されています。

次に、出現パターンの似た語を線で結んだ共起ネットワーク図による分析を説明します。

この図の見方ですが,円の色が赤に近いほど中心性が高く,青に近いほど中心性が低いことを示します。

また,円を繋いでいる線が太いほど共起関係が強く,円が大きいほど,語の出現回数が多いことを示します。

子育て住宅全体の傾向として、「家族」「子ども」「成長」が中心性が高い語です。

また、「子育て」「ママ」「家事」「キッチン」が共起関係にあることから、

子育て=母親という前提で説明文が構成されている傾向があることが指摘できます。

(どうかと思いますね。)

また,「収納」「場所」「スペース」が共起関係にあることから,

子育て住宅における収納の場所と広さが重要視されていると読み取れます。

さらに,「家族」「コミュニケーション」「自然」が共起関係にあることから,

家族間のコミュニケーションが自然に喚起されることが重要視されていると理解できます。

頻出単語と各社の関係性を示す対応分析をみます。

寄与率の高い「子供の成長と家事」の軸を見ると,

原点から離れた位置にプロットされた「家事」「ママ」という語とG社が近くに位置していることから,

「母親による家事」がG社を特徴づける語であると理解できます。 

そしてA社は安心やコミュニケーション、B社は家族構成員個々の生活を重視していると読み取れます。

複数の分析の関係を,G社を例にみます。先ほどの場所・キーワードとその効果の図と合わせて見ると,

G社は「子供の家事参加」では4つの場所キーワード,「家事しやすい」でも4つの場所キーワードにおいて効果があるとしています。

このことからも,G社は家事を重要視していると理解でます。

この表は,他社と比べて特徴的な語の上位10語を示しています。

各社での特徴的な語を先ほどの対応分析と併せて見ると、

 

それぞれ,重視している項目は,(A社)家族とのコミュニケーション,(B社)子供の遊び,(C社)家の空間性,(D社)子供の学習,

 (E社)子供の安全,(F社)家族での時間の充実,(G社)“働きママ”の家事効率,(H社) 家の機能性,このように抽出できます。

また,F社とG社で同じ「時間」という語が見られます。

しかし,語の前後の文を見るとF社ではポジティブな意味(幸せな時間,など),G社は効率性の意味(忙しい朝の時間,など)で用いており,

より詳細に見ると会社ごとのコンセプトや理念の差異が見られました。

各社のモデルプラン機能図と合わせて見ます。

例えばA社では玄関とLDKの関係,LDKと和室の関係のように機能同士が曖昧に区切られている,又は部屋内にエリアとして計画されています。

 

一方,「家族での時間の充実」を掲げているF社の機能図には,こうした曖昧な構成が一切見られません。

F社の提案では,各部屋の独立性が高く,それぞれの部屋での“充実した時間”を重要視していると理解できます。

「働きママの家事効率」を掲げているG社の機能図は,洗面室,家事室,

テラスが繋がる構成によって家事動線を集約し,家事効率を高めていることが読み取れます。

次にヒアリング調査について、特徴的な事例を報告します。

h家のように、間取りは父親が全部決めてしまったという例が3件ありました。

その理由として、母親が子育てや学校行事への対応で時間がなかった、ということが挙げられました。

「子育て」を担うが故に子育てをする場である自宅の計画に携われないという、逆説的な状況です。

ベランダが子供部屋に隣接している事例は2件あります。

c家は2階の子供部屋に隣接しているため,1つのベランダしか利用できず不便であるという意見が得られました。

主に洗濯物を干す際に利用するベランダにどの部屋から出入りができるかを,

その部屋の機能と関連付けて計画することが重要だと言えます

次に、リビングに階段を設けている4件のうち、e家では、子どもの幼少期は階段に上ってしまう危険性から柵を付けていました。

先ほど説明した通り、「おかえり階段」による利点はあるものの、

採用を決める際には家族構成員の年齢や住まい方の変化に柔軟に対応できる間取りが重要です。

子育て住宅誌の分析とヒアリング調査の分析結果を比較します。

子育て住宅誌の分析から見守り・安心,家族との交流,家事のしやすさに着目して住宅が作られていることが分かる一方,

子育てを終えてこれらが重要だと感じたと述べた家庭は9件中2件ありました。

また,子育て住宅誌の中で子供の安全について取り上げた会社が8社中2社であるのに対し,ヒアリング調査では9件中8件でした。

また、6社中5社のモデルプランがベランダに複数の部屋が繋がっているのに対し,ヒアリング対象者の自宅では,3件のみでした。

このことから,売り手の意識と実際の住宅の居住者の住宅購入に対する考えに差異があると言えます。時差も考えられます。

まとめです。

子育て住宅誌の分析では,「見守り・安心,家族との交流,家事のしやすさ」に着目し「家族,子供,成長」を軸に文章が構成されていること,また母親をターゲットに子育てや家事のしやすさがアピールされていることなどを示しました。

また,家族のコミュニケーションや子供の安全性,遊びなど,会社ごとに重視する点に差異が見られました。

ヒアリング調査からは,いくつか特徴的な事例が見られました。

間取りを決める際の父母の話し合い等の必要性,また「子育て住宅」としてのウリとされている間取りなどの子育て要素も,「おかえり階段」に柵がつけられた事例からわかるように、実際の生活のなかでは危険につながりうるため住みこなしの工夫が必要な場合があることも指摘されました。

 

 

  

 

 

筆頭著者の元木さんは,この研究も,プレゼンテーションもとても頑張っていたのですが,発表当日にどうしても仕事の都合で自分で発表が出来なかったので。

なるべくたくさんの人に読んでもらえるように,アップしておこうね! と約束してから1ヶ月半・・結構経ってしまってごめんなさい。

研究成果はせっかくなので,時間と空間を超えて,興味関心を共有できる方に届くと嬉しいです。

  

 

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2019年度日本建築学会大会 建築計画部門研究懇談会 ディスカッションパートの記録

2019-09-06 17:17:55 | 研究日誌

2019年度日本建築学会大会 

建築計画部門研究懇談会「建築・都市・農村計画研究者の方法論的転換 ー若手研究者・実務家はいかに社会的課題と向き合っているか」  ディスカッションパートの記録

趣旨・・・・・・・・・・

前年度の研究懇談会「建築・都市・農村計画研究のカッティング・エッジ―若手研究者・実務家は研究テーマといかに出会い、発展させてきたか―」では、若手研究者の研究テーマとの出会いとその後のキャリア、研究の発展を題材として活発な討議を行った。今年度の懇談会では、研究の「方法論」に焦点をあてる。東日本大震災以降、専門家の社会的責務がよりいっそう問われる時代となった。また、モビリティや情報技術の高まりにより社会の流動性が高まり、眼の前の現実も捉えどころのないものとなってきている。このような中、建築の専門家が社会の中での実践も含めて有意義な研究を続けていくためにいかなる方法論的転換が必要であろうか。建築・都市・農村計画研究の最前線で活躍する研究者および実務家を招き、それぞれの課題認識とともに新しい方法論の可能性について討議したい。

 

司会 : 石垣文(広島大学)

副司会: 諫川輝之(東京都市大学)

記録 : 須沢栞(東京大学)

 

1 主旨説明 前田昌弘(京都大学)

2 主題解説

住宅・施設計画からみた転換

 井本佐保里(東京大学 助教):小学校・保育所等の施設計画。ケニア・ナイロビのスラムでノンフォーマルスクールの研究と建設支援の実践。福島の教育施設の避難・再編など。

 設計方法論からみた転換

 酒谷粋将(関東学院大学):パースの記号論などを応用し建築設計の方法論について研究。VRを用いた対話ツールの開発なども行う。

 設計実務からみた転換

 稲垣淳哉(早稲田大学芸術学校/Eureka共同主宰):東南アジアの半透明空間に着想を得た集合住宅Dragon court Villageなど。フィールドワークと建築設計を架橋。

都市計画・まちづくりからみた転換

 中島伸(東京都市大学):都市の形成史・文脈の読解にもとづき東京練馬区の景観まちづくり、地方都市(福井県)の空き家活用まちづくり等の実践・研究を展開。

農村計画からみた転換

 友渕貴之(宮城大学):農山漁村集落の研究に加え、震災後の集落復興計画づくり、模型復元プロジェクト、屋台を使ったまちづくり等の実践的活動を展開している。

引用終わり・・・・・・・・・・

 

以下

黒字:ディスカッションパートの司会=山田の投げかけ。

青字:主題解説・話題提供者の論考やプレゼンからのキーワード,キーセンテンス。話題の共有のフック。

緑字:投げかけを受けての回答。

オレンジ:会場から

 

前提として,【異なるものに共通する事柄をより抽象的なレベルで見いだす】ことが,課題の共通性や認識の共有につながる ということがあります。

これは酒谷先生の論考にある「転換する研究テーマの重なりから異なるテーマに共通する背景」や,中島先生の論考にある「実践・研究マネジメントと教育をまとめる概念」といった言及にも呼応するものです。

 

そこで,後半のディスカッションパートでは,ややメタな視点から共通性を取り出してみることで,話題を拡げたり共有したりを試みたいと思います。

資料集への寄稿・話題提供から取り出されたキー・センテンスを繋いだ,ディスカッションの流れは以下のように仮に想定します。

1.ご自身の研究・実践スタイルの独自性や特徴

2.何を) 研究と実践のステップの踏み方:研究と実践の「時間軸」での関係

3.どのように) 立場:「当事者性」。研究者,設計者,当事者の関係

4.捉えながら) 見方:認識の枠組みの変化,空間の認識とその変遷

6.つくり) 介入する方法・思想:生活の場を「つくる」,つくることを研究する(検証する,解釈する,意味づけする)

7.関わるか) だれと:(つくるための)主体の多様性による効果

8.研究と実践の関係について

 

 

1.

主題解説論文を通しで読んだ感想として,「研究方法をテーマとする」,という宣言に対して

【研究と実践の関係についてのそれぞれの経験/態度/理解】

【なにを研究(対象)として見いだすか?についてのそれぞれの経験/態度/理解】

が書かれている」 と読み取りました。

そこから,

Q・研究の対象として自らが見いだしたものとして,独自性や特徴があると考える研究事例, ないし研究の態度について,ひとつ挙げる(注目されたい)としたら,なんですか?

友渕:【実践=手足に対するブレーンとしての研究】実践と研究は,互いに連動しながらやっている。被災地域での向き合い方,地域の課題に対しては,一度の関わりではなく,走り続ける必要がある。その時に,実践だけをしていると,近視眼的な視野に陥る危険性がある。向き合い,実践するために,また実践の補強のために,研究を行うことは(実践を含む一連の活動の)意味や,方向性を見据えることに繋がる。

中島:【研究と実践相互の高速移動により一体的に見えることが理想】歴史研究とまちづくりの実践を,都市デザインという言葉をキーワードにして行なっている。その立場から,コンセプトとしては研究と実践を統合していきたいという気持ちがある。しかし歴史研究と実践はそれぞれの場面場面では違うものであり,「一人のバイリンガル」と表現できる(=言語Aを話しているときは言語Bを話すことはない。言語Bを話しているときは言語Bで思考し,言語Bで表現する。言語Aは話さない)。例えるならその状態は,現場で(言語Aと言語Bの間を)高速移動をしている,それははたから見ると,一体的に見えているのではないか。一体的に見えても,本人の中では異なっている,それが大事。それに対する概念として,(言語Aを思考や文脈ではなく「単語レベル」で言語Bに組み込む芸である)“ルー大柴状態”とでも言える状況は,自分では違うと思う。変に混ざっている状態というか。研究室で指導を受けているときには常に,「論文は単著で書きなさい。指導教員と混ざる言葉ではなく,自分が責任を持って自分で発するものとして研究は発表する,というスタイルだった。歴史研究やまちづくりは,(誰か一人の)作品とは呼べない。それでも,歴史研究とまちづくり実践は一体的に見えつつ,本質的に異なっていることを認識し,混ざるということではない,それが大事なのだと思っている。

稲垣:【時空間をつなぐ】仮にフィールドワークを=研究とした時,利用者や地域の人たち,将来的にそこで時間を過ごすことになる人たち,のために(そのニーズを捉えて空間化するためには)どんなフィールドワークが必要か,を考えてフィールドワークを行なっている。フィールドワークが,それぞれの設計のプロセスに伴うことを徹底している。エウレカという設計集団で実施していること,また利用者の関係性を考えているという意味で,「集団性」が,設計における一つのテーマと言える。

酒谷:【設計を研究する=設計と研究は渾然一体の関係】自分は「設計(行為,プロセス)を研究対象としている」というスタンスなので,それは中島先生の表現ではある意味“ルー大柴的”なのかもしれない。設計課題でも,学生は設計の前に敷地や関連事例の「リサーチ」をする。それは研究ではないのか? 研究と実践=設計を,分離すること自体が問題なのではないか。自分の研究スタンスとしてはそう。研究と実践は,織り交ぜてしまうような考え方。

井本:【実践の準備としての研究】理解,実践,理論化というキーワードで研究と実践の関係を整理した。自分のキャリアは,研究だけをしてきたわけではなく,修士課程修了後に設計事務所に勤務し,それから博士課程に入った。一回実践的なこと(設計,また研究成果としての実践)をしてみると,理解することはつくる(設計する)ことの準備だ,という感覚を持つようになった。いつか,それは10年後になるかもしれないけれど,いつかその関連の(建物を)つくるための理解。そう考えると,実践と研究がつながっていく。

 

2.

井本先生,酒谷先生,友渕先生,中島先生にとっては,「研究と実践は横にある=時間軸として並行」と認識しているように読めます。

井本先生:研究あみだくじ(横方向に実践,理解,理論化で,縦方向が時間軸)

酒谷先生:両義的活動(往復) 新しい研究分野・テーマを発見する道のりとしての実践

友渕先生:実践と研究を横断

中島先生:実践,研究,教育をプロジェクトがつなぐ。地域を具体的に改善するアプローチとしての都市デザイン,地域デザイン

前田先生:実践はあらかじめ研究に含まれる

石垣先生:実践を研究的(課題の発見と検証)に行う

稲垣先生:「研究成果を設計に活かす」という方向性が明確で,特徴があります。

1.では研究と実践の関係についてのスタンスを簡単にまとめていただきました。

Q・今回の企画の取りまとめ役の前田先生,司会の石垣先生にとっては,いかがでしょう? 

前田:これからますます実践が大事というのが基本的な立場です。資料集のp23をみてください。これは髙田光雄先生が作られた,研究と実践の関係を説明した図ですが,説明力のある図だと思う。研究と実践の間の,認識パターンを説明されている。建築計画の分野で言えば,住み方調査は住宅水準のベースアップを科学的に調べていく,科学的知識として法則化する。それを技術的手段として,形にする。検証型の研究もあった。今回の話題提供で,井本先生からアフリカのスラムエリアでも空間履歴の調査や実践が有効だと聞いて,研究と実践のサイクルは,時代や場所を超えて有効ということなのかなと思う。量から質へというところに住宅政策のパラダイムシフトがあった。何らかの科学的研究と技術的解決を一緒に考えることが大事なのではないか。この図は,自分が今何をやっているのかを考えることに使える整理方法でもある。人口減少,縮退と不確実性が高まる中で,個別の対象に深く入り込んでいくことが大事。個別のものは一般化しにくい。定量的にすることも難しい。研究と実践をどのように(矢印で),どこをつなぐかに関心がある。時代背景の中でアップデートしていく必要がある。

石垣:自分が携わっている領域は福祉・生活施設であり,より良い暮らしの場を建築として作っていく,変えていくことに終着点がある。研究として扱っている関心事を,実践につなげるときには,クライアントと設計者の,どちらに立つのかによっても関わり方,役目は変わってくる。価値観の多様化が今日起きてきている。対象が持っている個別性を見るほど,共通項を理論化することが大事と思う。

 

3.

少し広く捉えると,「当事者性」をキーワードとして共通に見える話題があります。

石垣先生:生活モデルによる,当事者の内なる欲求に寄り添い伴走する姿勢(設計者・研究者は当事者ではない。当事者の側に寄り添う存在)

前田先生:当事者として,「社会と計画学を接続する」都市のリアリティを捉える

友渕先生:「場所をつくる」ことでのプレイヤーの育成による人と土地の関係性の再構築

中島先生:住環境維持においては,住民は「それぞれの日常を生きる円環的な時間認識」をもつ

そこで,

Q・研究者,設計者,当事者の関係は,ご自身のご経験のなかではどのようなものですか?

友渕:研究のきっかけとしては,住民集会に呼ばれてのスタートだったので,そのときは住民の立場(に寄り添うこと)が基本になった。まだ学生で若かったということもあり,いわばプチ専門家としてのスタンスで,行政の意図を住民側に伝えたり,住民側から出てきた反応やニーズを行政側に伝えるということが役目になっていた。行政と住民の翻訳者。それに対して,DIYまちづくり的なことでは,一緒に楽しくということが大事。住民集会だとお年寄りが活躍することが多いが,DIYだと例えば小学生からお年寄りまで,多年齢がそれぞれの役割で関われ,自尊心やプライド,愛着を育てていくことができる。それには,参加者が楽しいことが大事。自分たちのまちを,自分たちの手で耕していくという意識につながっていく。翻訳者から,共に楽しむ人へ。それはケースバイケースでもある。

中島:ケースバイケースといえばそこまでなんだけど。円環的な時間を生きている人たちということに気づけたのは,直線的な時間の中に歴史を整理しようとしていたら,前田先生に批判されたことがきっかけ。「君の言っていることは,直線的だねえ」と。それを受けて考えてみると,まちの中では絶えず世代が変わっていっている。それを大事に考えるようになった。研究ではしばしば研究によるフィールドへの影響,フィールドによる研究への影響も言及される。文化人類学では,前世代の研究の仕方を,次の世代が批判して乗り越えていく。前の世代をどう批判して乗り越えていくのか,それはフィールドとの距離感を(今この時の時代に即して)考え続けるということでもある。

佃先生(東北大学)@会場から:震災を契機に,東日本大震災の復興に関わるようになった。復興はそのときには,初めて取り組んだテーマでもあったので,自分なりに方法論を探した。それ以前の研究とは直接の関連はなかったが,それまでの研究において,いっぱい引き出しを作っておけた。それが被災地に入った時に,役立った。今の自分の役割としては,当事者側というよりも,自治体側の手伝いがどちらかというと多い。住民移行がどう推移するか(場所と住まい手,住み方の変化),を研究としては記録してきた。住民の主体性を大事にしながら,まちの運営者として尊重しながら,一緒に考えていく方法論が必要。今は,縮小社会の中で資源の再分配をどうするかということに興味がある。そのためには,経済学や経営など,より大きな視点,広い視点から見ること,当事者ではない知識との連携が必要。

 

4.

研究・実践・当事者としての立場は,状況に応じて使い分けたり,融合したりするということでした。そこから少し違うお話として,「認識の枠組み」について共通する論考がありました。

井本先生:研究とは既出の知識・概念・仕組みを疑い,変えていくもの。そのために手続きが必要

中島先生:歴史を元に(うたれてきた施策やつくられてきた街を)批評する,転換点を見定める・与える=画期すること=解釈すること,が都市史・作家論の研究の方法

そこで,

Q・研究(の一側面)とは世界の見方を変えること,という言説に読めます。

 世界の見方に疑問を持つことや,違いを見いだすためにはどのような研究の姿勢や,興味関心の持ち方が有効でしょうか。

井本:今の研究の話ということだと,ケニアの学校のことになる。始めに,ボランティアで現地に行った。日本の建築の常識ではきっちり作るべきところ,現地では石を置いているだけとか,自分たちが当たり前に必要と思っていることが,なくてもいいということに感動した。それから,空間とか建物の形とか,その場にあるものが,あるように,実際にあることには,合理的な理由があるということを前提条件として捉えるように習慣づけている。自分が思っていなかった仕組みの可能性が,そこでは合理性を持って選択されている,そういう「齟齬」の存在を認識している。

酒谷先生:「自身の研究の背景的概念は一つ見つければそれで終わり、というわけではなく、視点を変えながら常に新しい可能性を探究し続けるべきだろう。」 

(研究の視点や認識は)変わり続けるという視点からは,いかがでしょうか?

酒谷:それは創造性の話題と言い換えられると思う。枠組み,フレームを各自が(無意識で)持っている。どうしても固執してしまうフレームを変えられることが大事。しかし,研究を進めていく上で,「よーし,今フレームを変えよう!」とは思えない。(それは無意識であるので)固執に気づくこと自体が難しい。他者から頭をぶん殴られるような機会が大事。それが実践という機会でもある。実践をしていると,否応無く専門外の話が出てくる。思っていなかった意見にさらされる。そういう意味では,実践と研究を両立することは,自分自身のためにもなる戦略的スタンスでもある。

 

5.

空間の認識とその変遷について共通する論考がありました。

井本先生:空間履歴

稲垣先生:集落研究(臨床的アプローチ)

そこで,

Q・使い手が認識する空間と,観察者が認識する空間のすりあわせについて,方法論としての課題や提案をご経験に即して教えてください。

稲垣:使い手の認識,という話題は難しい。賃貸だと,住まい手は特定できない。そうすると,建築側のエゴみたいなものも,反映されてしまう。管理する側という立場からすると,使い手の認識に寄り添うことが難しい。設計者としては,管理者側の思考だったり,ユーザー側の個別のニーズに(意識的に立場を変えて)寄り添うことを試みてきた。それらは必ずしも対比的なものとしては考えてはいない,ないまぜになっている。ただ設計の中では,ユーザー(のつもりで考えていた視点)が管理者(の視点)になっていたり,設計者の思想のエゴイスティックな現れという可能性もある。つくられた建築の,社会にとっての価値を考えるために,研究のアプローチは大事だと思う。集落の研究では,個人的経験としては,ユートピアのようなものを追体験したいと思って始めたのだが,そういうものではなかった。例えば,ヤオトンの事例を見にいったら,地上にバラックが建ち続けている,という光景があった。その地域にはすでに交通網が発展していて,ヤオトン建設時にはなかった,焼成レンガを運べるような物流などの変化があったりする。だから,その場所での住み方や住まいの原型は,社会や住まい手によっても変えられていく。そういう意味では,研究の成果を設計に直接結びつけることは,ある意味では容易なこと。

井本:空間履歴を調べることで,学校は,数十年の期間をへて,使い伝えられているということがわかった。自分が外国人として,関わることは,現地では長い年月の中での小さなイベントに過ぎない。空間履歴という手法は,そういった,今の活動の意義・位置付けを洗い出すことでもある(謙虚になれる)。向こうにとっては小さなイベントである,と外部者としての線の引き方を教えてくれる視点でもある。

人間―環境系のデザイン,はみなさん読んでいると思いますが,「人間と環境との関係を解読し、生活世界をデザインする理論と実践」に尽力してこられた,門内先生が会場においでです。門内先生,環境と人間の相互浸透的関係という観点から,研究と設計の実践の関係について一言いただけますか。

門内先生(京都大学名誉教授,大阪芸術大学)@会場: デザインというか,設計計画デザインの考えは,広がってきている。京都大学の時には,デザインスクールを作って活動をしていた。その時に大事にしていたのは,「社会をデザインする」こと。建築をデザインすることだけではなくて,例えば地域に建築を設計しても,そこに仕事がなかったら(地域経営としては)うまくいかない,ということがある。あらゆるものがシステムになっている。建築のことだけを考えて建築を設計することではなくて,生活スタイル,ライフサイクルを総合的に考えないといけない。そういう意味では,「設計を通して,コミュニティをデザインする。地域社会をデザインする」というスタンスが大事。建築設計の背景の理解として,多重的なデザインを求められている。経験経済という本にもあるが,コモディティのデザインからプロダクト,サービス,エクスペリエンスデザインと変化してきた。建築計画はその発祥の頃から,「生活者の使われ方」を研究し,設計に結びつけるということを行なってきた。それは,(一時期の趨勢と理解された)パターン化されたビルディングタイプではなく,多重の関係性を読み解き,生活者としての視点を大事にして設計をするということ。その意味で,方法のところまで遡ると,先進的な方法でやっていたのではないかと思う。ハーバード大学では「フィールド」という科目が作られている。チームを組んで,関係性の中で課題を発見し,解決する。先ほどキーワードとして出てきた,「環境」という言葉もあるが,環境も多重の要素によって成り立っている。今日の研究と実践は,非常に近しい関係にある。

 

「建築設計によるコミュニティや地域社会のデザイン」,関係性,多重な環境:主体の多様性というキーワードをいただきました。これを受けて,

 

6.

生活の場を「つくる」ということについて共通する論考から,お考えを教えてください。

Q・つくることを研究する(検証する,解釈する,意味づけする),という観点から,ないし研究を経てこそ得られる,「つくることの方法論」についてのお考えを,ご経験に即して教えてください。

友渕先生:場所の空間化,場所をつくることが住民の交流ともなる。コミュニティカフェを作る,活動を作る,機会を作る→コミュニティの再編 自らがもう一度場と関係を持ち,自ら場を作ることを再獲得

友渕:最近,活動や研究を進めるなかで,変わってきているのではないかということがある。よく聞かれるようになった,イノベーション,プレイスメーキングは,どんな市民の欲望によっているのか? 生活の営みを構築し,育む。機能性を引き直すことが今求められていると思う。土地と人の関係がはがれてしまった状況では,土地と人が繋がっていることが難しかった。一時期ものすごく速くなってしまったフローの速度が,ここにきて落ち着いてきた。その状況では,空間と人間が,土であったり山のような,新たな地形として,結びつくのではないか。それは,津波に流されてしまった街に,記憶という色のついた場所をもう一度作る作業とも言える。そこには,共鳴,共感が大事。誰でもなんでもいいから来てくださいということだと,つながりは作りにくい。まずは具体的なテーマがあると,関わりが引き出しやすく,人が集まりやすい。そこから耕していくことができる。そういう意味で,共鳴や共感のコアが大事。具体的なテーマの中で実践を進めながら,地元の人との接続も並行していく。その中で,ちょっとずつ,場所への関心が出てきていると思う。場所をどう作るか,考えられるフェーズに入ってきた。

稲垣先生:地域性の発見と「醸成」,生活景をつくる

稲垣:地域性の発見と醸成というキーワードでは,奈義町での「多世代交流テラス」がいい例だった。他の二つの建物は民間資本で,クライアントが特定されている。今日的には地域性はひたすらに求められると思う。発見や醸成を,悪戦苦闘しなければならないし,ああこれが地域性ですねちゃんちゃんという作り方は,したくない。切実に考える中で,共有されていくものだと思う。「生活景」という言葉は,後藤春彦先生に学んだ。自分たちは,建築を開くということを,大切に考えている。今日,建築をまちに開いて,地域との関係を作る,ということは,広く共有されているコンセプトだと思う。民間,個人からの依頼の仕事だと建築を開くということは難しいが,それを突破する具体的なアプローチが,高度でも具体的でもある,生活景という概念。障害者施設の設計事例は,立地というう意味では開くことに有利ではない。そのように,選ばれた場所が建築を開くことについて難しい条件だとしても,そこからできることを最大化していく。

酒谷先生:設計デザイン自体を通して,もっといいことが起こせるのではないか?(WS型) 作ると仲良くなる,DIYでレンタルスペースの発展 ―デザインを通してコミュニティを形成する

酒谷:WSを通して,印象深いのは子供達のワクワク感,エネルギーである。子供達は学ぼうと思う。設計デザインを通して,モチベーション,エネルギー,主体性を最大化する。作ること,場所を作る,生活の場所を作ること自体が,人間の根源的な喜びではないか。WSのデザインにおいても,作ることが楽しいということを大事にしたい。

中島:「本音は一人でやりたい」という文章があるのが印象的でした。話題提供では,「地域の共的な主観に基づく運動論を経て,ある種他律的に転換点をまちづくりの実践の現場 に与えることの危うさ・困難さ・意義深さ=革命の話法,都市計画とまちづくりの応答 計画の「主体」の設定,都市に生きる能動性」について,言及しています。補足すると?

中島:本音は一人でやりたい,と書いたのは,半分は自虐,半分は・・今はより社会性を伴っていなかったと思っているのだけど,建築学や都市は社会性を帯びているので,人と関わらざるを得ない。ということについての反動を表現したもの。人と関わる中で自分のいる世界もある。なんのために(研究や実践を)やっているのか? というと,都市に生きている人のためにやっている。論文を書くためにやっているのではない。都市に学ばせてもらって,その成果を都市に戻していく,ということ。都市をよくしたいし,自分もよく生きたい。良い人間であると思えたところで,向こうとも関係ができる。しかし,地域にはのっぴきならない課題があるわけで,そういうときには立ち上がらないといけない。穏やかに静かに革命するというのはそういうことかと思う。

 

7.

主体の多様性による効果について共通する論考の部分に,最後に触れます。

(酒谷先生:多種多様な主体によって創発されるコレクティヴな創造性)

井本先生:多様な人々のネットワークによるリスクの分散,設置主体の多様性

井本:公(おおやけ)によらない主体の重要性について述べたい。現地に行くと,たくさんの主体が立ち上がっていることがわかる。それらの「公によらない主体」の目的は何かというと,公の目的とはそんなに変わらない。例えば教育の場を作ること。ただできることには限界や違いがあるので,やり方には独自性や新しさがある。そうした多様な実践に触れること,主体に触れることは,研究の広がりにもつながる。主体性の多様さ=持続可能性がある,ということ。災害の時も,指定外避難所がたくさん発生するが,公だけでは賄えない,現実への対応である。困った状況が起きた時に,立ち上がれる主体がどれくらいあるかが,地域の持続性にもつながっていく。それは地域のレジリエンシーそのものでもある。

 

8.最後

「行き当たりばったり」「偶然」というキーワードはかなり共通するものでした。

Q・偶然の密度や質は,どうやったら高められるでしょうか? それは誰の仕事ですか。本人? 指導教員? 研究と実践がつながるために,若手へのアドバイス,ないし教育における提案といった意味を込めて,

井本:実践は一人ではできない。研究は,一人でもできることはあるが。自分の場合は,たまたまなのか必然なのかわからないが,研究や実践を続けているいうちに,長く一緒にやってきた,信頼の置ける人と一緒にプロジェクトに関われることがあった。信頼できる関係を組み立ていくことが,偶然のチャンスを生かすことにつながっていく。

酒谷:偶然を計画的に再現はできない。ただ,実際に動いていると,必然的に出会う。大切なのは,環境の中で,偶然の出会いが起こるような状況を整えてあげるということだと思う,偶然が入ってきたという認識ができるようになることとともに。例えば論文を書く作法とか。習慣とか経験とかを,身につけておくことが大事。必ずしも研究者は設計をしなければいけないわけではないと思うが,チャンネルを持っていることが大事。

稲垣:その研究の成果は,10年後に生きるかもしれない。10年後に作るためという井本さんの話は納得する。フィールドワークを続けることが,すぐその場にある実践と結びつくわけではないが,続けていくことが必要だった。アノニマスなものでも,幻の主体がそれを作っていくと仮説する。今の状態を構築した「設計者」を見出そうとする(いかにルールがつくられているか,思想が空間化されているかを,それを現実にあらしめた仮の思考体を想定することで,理解する)フィールドワークを行なっている。

中島:批評家の佐々木敦さんが書いていたことで,「自分に起きる全てのことはいいことであると考える」という,運命論者でありたい。自分の身の回りで起こる全てのことが,いいものとして発見されていくことが大事。例えば,自分の研究領域では,生まれ育った場所をフィールドにする人が結構な割合でいる。それは,その場所で生まれ育った自分だからこそできる研究だという,自己強化の構造がある。例えば自分は,昭和の区画整理の上に立地している病院で生まれた。自分は,いわば区画整理の子なんですね。そういった出来事に気づいて,過去は書き換えられるものなので,経験や思い出がフックになれる,ああこれは運命だと思ってはっきり走れるととてもいい。あの時がこの時のためにあった。と考えられることは,意識を強くする。

友渕:自分(の研究・実践キャリア)は確かに,行き当たりばったりだと思う。偶然の確度を上げていくのは難しいが,運動量と知識量を上げていくことは大事。積み重なっていくことが続くと,自分がやっていることがわからなくなったりする。やっていることが広がりすぎて。そういう広がりのなかで,自己反省的に振り返ると,点だった研究と実践(という個別の要素)をだんだん繋げてきた。どこかで合わさる時がある。そういう意味では,定期的に振り返ることは大事なのかなと思う。自分の関心がだんだん整理できる。偶然に出会うだけだったことが,意識的に手繰り寄せようとできるようになる。どストレート(な出会い)は難しいが,近くに来た時に,引き寄せることができるようになる。そういうことが,偶然を強化するという意味だと思う。

 

まとめは,松田雄二先生がしてくださいました。何かどこかの一つの結論ということではないにせよ,統合的な取り組みが新しいフェーズを切り開いていく,という研究と実践の方法論,社会的課題への向き合い方の様々な様態を,共有できたと思います。

話題提供いただいた先生方,会の企画・準備・運営をしてくださった先生方,ご寄稿いただいた皆様,ありがとうございました。

今年の建築学会大会も終わりですね。明日からの日常もまた,「当事者として」楽しみましょう。

 

 

 

 

 

 

今日の処方箋)

1)読み取りメモを作って,

2)共通項をもとにディスカッションの流れを組み立て

3)寄稿論文から,共通のワード・概念を引いて,どこの話題に結び付けられるかを想定し(今回は時間や裏番組の関係で,寄稿者に振ることが難しかったのですが)

4)当日の応答から,次の話題へのフックを見つけてストーリーをつなぐ

でした!

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カフェ化する施設、地域の拠点・ノードとしてのカフェ

2019-09-05 16:34:47 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪


寺カフェ。



寺カフェ! そういうのもあるのか。(ゴローさん風に)



クローズだった、残念。見たかった。

そのすぐ近くに、

薬屋カフェ。



薬屋カフェ! そういうのも(略


認知症カフェ(オレンジカフェ)、カフェ付き図書館や地域施設、福祉施設、コンビニのまちカフェ、などなど…。

道の駅兼・地域交流センターにカフェを入れたらそこがノマドワークの場所になったり,オープンオフィスにセルフのカフェ機能(カフェは店員さんが居るけど,そこでは自分でコーヒーを淹れる)をつけて地域の方の溜まり場になることを実現したりという話もある。

「みんなそんなにカフェ好きなの・・?」ってご一緒した先生がつぶやいた一言が面白かったことが印象深い。

 

「カフェ化する施設」=飲食を契機(滞在する理由)とした居場所化、について、これも今度の本に入れよう。



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2019建築学会大会・建築計画部門研究協議会プレゼ「利用縁コミュニティを生む拠点のつくり方」2/2

2019-09-04 18:22:34 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪

初めて,記事の文字数上限を突破しました・・。続きです。

 

 (この記事に使用している図・文章の無断転載はご遠慮ください。通常ルールに則った引用・参照はもちろん大歓迎です。引用の際のreferenceは,「2019年度日本建築学会大会(北陸)建築計画部門研究協議会資料」としてください)

1/2の記事はこちら 

 

 

2)オープンであること

そこが開かれた場所であること,利用者属性やタイミング等に対して開かれた事業であることは,利用者の拡大や,そこに関わる人の多様性を増すために重要な要素である。例えば先出の山草二木西圓寺は,まずは地域住民のための拠点としてつくられた温泉施設やカフェ,福祉サービスの拠点であるが,外来者を拒まないオープンな運営によって今や観光地ともなり,また外からのその集落への移住のきっかけにもなっている。他の例として,オフィスを地域に開いたJOCA大阪や行善寺では,スタッフがノートパソコンを開いて仕事をする同じ空間に(時にはスタッフが場所を譲って)お年寄りやこどもなどを含む多様な地域の人々が訪れ,めいめいがマイカップでコーヒーを煎れてただ居ることや集まることを楽しむ,オフィスでありながら地域にとっては公共性をもった集まりの場となっている。

 

3)異なること=特徴があること

従来の地域公共施設の整備においては,平等性の観点から複数設置される施設の機能,スペックが同じであることがしばしば尊重されてきた。それは,最近隣選択を前提とする計画にも根ざしている。しかし,例えばある町の児童館の利用実態として,最近隣選択には拠らず,それぞれの館の特徴(屋内遊戯場が充実している,本が充実している,など)によって町内からそれぞれ選択的に利用を集めている,こうした利用行動は全く珍しくない。それぞれの場所がもつ「選ばれる要素」をは利用者の共通項とも関連し,利用縁の形成においてはむしろ差異は有利にはたらく。

 

4)生活における蓋然性をもつこと

人がそこに集うための要素として重要である遊ぶ・学ぶ・働くという日常的な活動ももちろん,コミュニティを形成しているが,利用を拡げる,そして安定させるためには,そこが日常生活に埋め込まれていることが有効である。衣・食・住という生活の基本機能は,そこを利用する理由としてはたらく。シェアハウスやコレクティブハウス,住み開き,一時的な「住」としての滞在施設,コミュニティレストラン,カフェ,こども食堂,ランドリーカフェ,これらは衣食住=生活を共有する場,「ライフコモンズ[1]」による利用縁コミュニティの起点となっている。



[1]主体的な学びの場,また学びの支援のための物理的・人的資源が整えられた空間「ラーニングコモンズ」になぞらえ,衣食住(+遊学働)を共用する場,また衣食住の支援の要素が提供されるシェアされる場を,筆者はライフコモンズと呼んでいる。

 

5.まとめ

「施設から事業拠点へ」「つくるから使うへ」「血縁・地縁から利用縁へ」の3つの“変化”についてまとめてきた。

今日,一定の質が保障された施設がすでに全国につくられ,ノーマライゼーションと個の尊重によって施設の住まい化が進み,同時に「施設」によるサービスが独立した事業として生活の場を含む社会のすみずみまで展開していこうとしている。また,生活の外部化が進み,人の生活は様々な場における時間や経験の総体として捉えられ,人の生活は住まいの中だけに納まるとはもはや認識されない。地域公共施設の将来を考える段においても,「住まい(生活の中心的拠点)」と「それ以外の場所(生活の部分/生活への支援の拠点)」「住まうを支える事業の対象範囲」はすでに不可分といえる[1]。「地域」はより広域を意味し,「公共」は公/民の別を問わず,人々が集まる場はある種の公共性を有し,事業拠点としてのポテンシャルをもつ。「施設」から自由になった事業は複数の事業での利用の相乗りなどの可能性を拡げる。日常生活に埋め込まれた,オープンな「ただ居ること」ができる場所は,混在を誘発して偶然の出会い性という魅力をもたらし,選択的に利用される場所となる。それらの場所には,「利用縁」によるコミュニティが形成される。利用縁は地縁や血縁を超えて互助の歯車の基軸の一つとなり,また地縁が結ばれなおす要素ともなる。これからの地域施設が担う役割の一つには,このような利用縁コミュニティが複層に渡って形成されていくため多様なグループが利用できること,また機能や場所をきっかけとしてグループが生まれること,を支援できる拠点性が期待される。



[1]従来,計画系分野での研究視点の表現語彙として,吉武泰水先生系の施設研究では「使われ方研究/調査」,西山夘三先生系の住宅研究では「住まい方(住み方)研究/調査」が使われていた。これらには意識的または無意識的に,施設の使われ方と,人々による住宅の住まい方,のように主体の差異を読み取れ,興味深い。

 

また,利用縁,利用縁コミュニティは,「結果として生じる」ものと理解することが大事だと思っています。

関わりを作る,コミュニティをつくる,関係性それ自体を(外部の専門家が)設計の対象とすることは,これからのニーズや地域運営の実態にそぐわないと考えます。

例えていうなら,関わり(互助)を期待して,人々を強制的に結婚させることは多くの場合不幸を生みます。お見合いもいいのですが,現代的にやるなら合コンの設定でしょう。もちろん,合コンにも工夫が必要です。

・誰に声をかけるのか(利用者の想定)

・参加者のことをよく知り(利用者のニーズ,利用者像の把握)

・お互いにキーとなる話題を振り(興味関心が発露・喚起される状況)

・集まりやすいところに素敵なお店を予約したり(アクセシビリティに配慮した場所・拠点の設定)

あるいは

・BBQなどの共同作業の機会(活動や状況)

を設けるなど・・場所・状況・仕組みをつくる ことで,関係性が生まれやすくすることはできると思います。

建築・都市の専門家のデザインの対象は,アフォーダンス(環境と生物の間に生じる関係として引き出される行為)ではなく,シグニフィア(アフォードするもの・要素)である,とも言えると思います。

アフォーダンスは,生物のモード(お腹が空いているとか,隠れたいと思っているとか)によっても異なるもので,モードに応じた価値が見出されるセッティングがデザインされることをお手伝いしたいなと思います。

と,そこまでが協議会でのお話だったのですが,帰りながら,モードを変えるようなデザインがあり得るかどうかということも,考えました。うーむ,どうだろう。それは実現としてはともかく,まずは思考実験として面白いと思う。うーむ。

 

 

アフォーダンスとシグニフィアについては,こちらを。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 単行本 – 2015/4/23
D. A. ノーマン (著), 岡本明 (翻訳), 安村通晃 (翻訳), 伊賀聡一郎 (翻訳), & 1 その他

生物のモードについては,こちらを。

生物から見た世界 (岩波文庫) 文庫 – 2005/6/16
ユクスキュル (著), クリサート (著), Jakob von Uexk¨ull (原著), & 2 その他

 

 

 

 

 

 

 

 

研究協議会は研究発表会ではないので,研究としての完成度を云々するところではないと思っています。荒削りでもなんでも,考えていることを交換して(=協議),お互いに刺激を得よう。話している間にどんどん新しいアイディアが出てきたり,発見があったりする。聴講者として参加する場合でも同様に(質疑応答の時間もありますし)。そういう場だと思っています。

こちらの内容にも,まだそこまで言えないのではとか,根拠はとか,荒削りだと思いますが,とにかくまず出してみて,そこからつながる意見交換の機会があれば幸いと存じます。

あと面白いのは,自分はあまりこの種の寄稿依頼に積極的に協力してきた方じゃないのですが,いくつかの研究論文等を別の視点で横串を通したりの「レビュー」の側面があることだと思います。博論は,複数の論文成果を一つのストーリーとして編み上げ直すものですが,そういった「個々の論文を超えた視点」を持つ,それもまた研究協議会や研究懇談会への参加の意義かと思います。いわば大人のミニ博論かなと。

(自分はずっとこちらの方面の優先順位は高く据えてきていないので言いにくいのですけど,やってみたらこれは大事なんだな〜と思いました。もし機会とお時間がありましたらいかがかなとお勧めします。他にやることで手一杯なのに,無理に時間を捻出するようなことではないと思いますが)

 

 
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地域施設の「反転」に関する思考実験

2019-09-04 18:18:25 | 雑記

思考実験の例を紹介します。

これは,電大建築学科の3年生前期のグループ課題「小学校の教室周り空間を,活動の視点からブラッシュアップする」での,ある学生グループの作品です。

エスキス・ディスカッションの中で,「地域に学校施設を開放するという考え方を反転させて,学校機能にも使える地域施設というアプローチを形にしてみるのはどうだろう」と提案したところ,その意味において見事に応えてくれた作品です(感動)(学生さんたちは,こういうものだろうという常識=経験と制度への適応の蓄積,から自由であるからこそのすごい応答の可能性があると思います。本当にすごい。教育の場に携わる醍醐味の一つだと思います)。

この地域施設は,学校としての利用が優先される時間帯を設けて運用される想定で,教室を使用する際は通常の小学校教室1.5倍程度に空間を使います。教室として使用しない時間は,机を寄せて0.5倍程度の空間に縮めて(必要に応じて施錠)管理できます。持ち物や黒板・掲示等の教室で使うものもこの「折りたたみ空間に属するようにつくります。

これは一つの思考実験の例ですが,その建物は誰がどのように「使う」のかに視点を置く ー所持ではなくー ことで,地域施設のあり方はもっと変わり得る,地域のニーズや社会の変化に対応ができると思います。

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利用縁とは何か?

2019-09-04 18:13:28 | 雑記

研究協議会プレゼについての補足です。

 

ただ同じ地域に住んでいるだけで,地縁は生まれない。でも同じ道を通っていれば,顔見知りになって挨拶をしたりするようになったりします。

私は,子供達を保育園に送迎する道すがら,植木鉢などを道に面してオープンに置いて,水やりをしたり手入れをしているご婦人と顔見知りになりました。ガレージスペースで魚や植物を育てているご家族と知り合いになりました。子供達も話しかけますし,いつしかそれらの関係は普通になっていました。これは従来の言い方で,「ああ,私にも“地縁”ができたのだな」と思っていました。

子供達が保育園を卒園し,小学校に入ると,その道は通らなくなりました。今でも時々,たまに顔をあわせることがあると(そちらの方が犬の散歩をしていたり,こちらが出かけるときにいつもと違う道として,送迎で使っていた道を通ることがあると,ごくたまにお目にかかります),懐かしさとともにお話をしたりもします。

「懐かしい」

私にとっては,そのご縁はもう次のフェーズに移っている=一旦終わったものなのだと気づきます。

お互いに同じ地域に住み続けていても,「終わる(フェーズが移行する)」ご縁がある。そういうことなんですね。地縁ならば,変わりも終わりもしないはずです。

だから,「ああ,私たちにとって,私たちの関係は,あの道・を使う・ことによって生じていた,ひとときのご縁だったのだな。」とわかりました。利用縁という概念を思いついてから,その関係性を,そのように呼べるのだと理解しました。

 

利用縁の概念を説明し,ぜひ流行らせたいんだと言ったところ,阪大の松原茂樹先生が「利用縁は地縁を結び直しますね」とおっしゃいました。なるほどと合点がいきました。

先に挙げた,保育園の送迎の道でのご縁は,従来確かに地縁とも呼べるものでした。でもそこに「利用」があったから,生じた地縁であるわけです。利用する=シェアすることは,地縁を結びます。例えば神社やお寺,公園,地域施設は,近くに住む人の縁を結び直すことができるでしょう(利用縁による地縁)。

でもそれは近くだという意味の地域でなくても結ばれ得ます。ネットを介して,あるいは人づてで(ある地域に転居して住んでいる親を訪ねてくる子供だとか,逆とか,または知人にゆかりのあるところだとか)利用することになった場所や建物,仕組みによって,利用縁が生じる(=広域利用縁?それはまだなんと呼べばいいのかわからない)こともあるでしょう。

 

また,利用縁,利用縁コミュニティは,「結果として生じる」ものと理解することが大事だと思っています。

関わりを作る,コミュニティをつくる,関係性それ自体を(外部の専門家が)設計の対象とすることは,これからのニーズや地域運営の実態にそぐわないと考えます。

例えていうなら,関わり(互助)を期待して,人々を強制的に結婚させることは多くの場合不幸を生みます。お見合いもいいのですが,現代的にやるなら合コンの設定でしょう。もちろん,合コンにも工夫が必要です。

・誰に声をかけるのか(利用者の想定)

・参加者のことをよく知り(利用者のニーズ,利用者像の把握)

・お互いにキーとなる話題を振り(興味関心が発露・喚起される状況)

・集まりやすいところに素敵なお店を予約したり(アクセシビリティに配慮した場所・拠点の設定)

あるいは

・BBQなどの共同作業の機会(活動や状況)

を設けるなど・・場所・状況・仕組みをつくる ことで,関係性が生まれやすくすることはできると思います。

建築・都市の専門家のデザインの対象は,アフォーダンス(環境と生物の間に生じる関係として引き出される行為)ではなく,シグニフィア(アフォードするもの・要素)である,とも言えると思います。

アフォーダンスは,生物のモード(お腹が空いているとか,隠れたいと思っているとか)によっても異なるもので,モードに応じた価値が見出されるセッティングがデザインされることをお手伝いしたいなと思います。

と,そこまでが協議会でのお話だったのですが,帰りながら,モードを変えるようなデザインがあり得るかどうかということも,考えました。うーむ,どうだろう。それは実現としてはともかく,まずは思考実験として面白いと思う。うーむ。

 

 

アフォーダンスとシグニフィアについては,こちらを。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論 単行本 – 2015/4/23
D. A. ノーマン (著), 岡本明 (翻訳), 安村通晃 (翻訳), 伊賀聡一郎 (翻訳), & 1 その他

生物のモードについては,こちらを。

生物から見た世界 (岩波文庫) 文庫 – 2005/6/16
ユクスキュル (著), クリサート (著), Jakob von Uexk¨ull (原著), & 2 その他

 
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2019建築学会大会・建築計画部門研究協議会プレゼ「利用縁コミュニティを生む拠点のつくり方」1/2

2019-09-04 13:37:43 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪

 (この記事に使用している図・文章の無断転載はご遠慮ください。通常ルールに則った引用・参照はもちろん大歓迎です。引用の際のreferenceは,「2019年度日本建築学会大会(北陸)建築計画部門研究協議会資料」としてください)

昨日,人口縮減社会におけるコミュニティとパブリックの新しいかたち ー2030年の地域施設の姿とはー で主題解説しました。

資料にないことも織り交ぜてお話ししたのと,資料がもう売り切れてしまっていたということもあり(大会終了後,しばらくするとデジタルアーカイブスでご覧いただけるそうです),また昨日共有できたキーワードに「オープン化」「情報発信」もありましたので,こちらに昨日のプレゼンに寄稿内容をミックスして,記事としてアップいたします。

・青い文字:資料集の寄稿内容です(掲載にあたり,若干の文言の修正をしている箇所があります=文章量調整でカットした箇所の補足や,読みやすさのための改行など)

・黒い文字:プレゼンテーションの時に追加したお話や,掲載にあたっての補足,関連する事柄への言及等です。

 

 

【主旨】 主旨説明:小篠隆生先生(北海道大学) 以下引用・・・・・・・・

急激な人口減少や少子高齢化により、15・30・45年後には地域公共施設の統廃合が大きく進んでいく。また、多様な価値観やライフスタイルの変化によって、地域公共施設や地域社会におけるパブリック自体の意味も大きく変化してきた。そのために、地域での各種施設の役割や機能を根本的に再検討する必要があることは、論を待たない。
 このような背景や問題意識のもと、過去5年間にわたり、「地域施設計画研究シンポジウム」のパネルディスカッションにおいて、人口縮減社会における地域公共施設の課題を議論し、
 ・高機能化から多用途化へ
 ・集約化や非施設化
 ・利用圏域の複雑な重なり合い
 ・融合化=施設機能の再構成
 ・ネットワーク化
 ・エリアマネジメント
というキーワードが見えてきた。地域施設に関するテーマは、大きく分野を超え、従来型の計画手法を超えた視点の必要性が生まれている。
 本研究協議会では、上記の視点を踏まえつつ、建築計画の関係各分野に止まらず、都市計画、建築社会システムからの視点も交えて、この新たな視点について多面的に論じる。そして、地域公共施設に関する新たな計画の方向性を「施設」から「事業を行う拠点」というパースペクティブを元に、それを支える計画論のあり方を展望したい。

引用終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

解体と再編の時代,「使う」がつなぐコミュニティ
An Era of Demolition and Restructuring, Communities Connected by " Use "

【要旨】施設が建物と事業に解体され,多様な事業や事業と建築の組み合わせとして再編されている。こうした場所やサービスの利用という共通性によって生じる関係性「利用縁」は,地縁や血縁を超えて互助の歯車の基軸の一つとなり,また地縁が結ばれなおす要素ともなる。利用縁が形成されるための要素として,「オープン性」「混在性」「異なること」「日常生活における蓋然性」があり,最も重要なのはそこに「ただ居る」ことができることである。これからの地域施設が担う役割の一つには,このような利用縁コミュニティが複層に渡って形成されていくため多様なグループが利用できること,また機能や場所をきっかけとしてグループが生まれること,を支援できる拠点性が期待される。

 

 


0.はじめに
コミュニティ,パブリック,地域(公共)施設のあり方の変容とこれからのあり様を,「施設から事業拠点へ」「つくるから使うへ」「血縁・地縁から利用縁へ」の3つの変化に着目して,整理する。これらは,地域に必要な機能や支援をいかに提供するか,地域とそこで暮らす人々にとっての価値をいかに捉えるか,そして今とこれからの時代ならではの地域施設の魅力や役割,の視点で着目される変化である。

 

今回のお題は,地域施設小委員会が幹事となって実施している協議会ということもあり,「地域(公共)施設のあり方」です。

地域施設を中心に置くと,それについて議論する目的は地域施設の「維持」にあると考えられます。維持を前提にしなければ,縮減(数や立地の適正化:アジャストメント)もあり方の変化も必要ありません。

地域施設を,なぜ維持したい,すべきだという前提に立っているかというと,それが「地域や,社会・生活の基盤としての役割を担っている」「担うべきだ」という思想によります。

そして,地域施設の維持には何が必要か,というと,①財政基盤の整備を含む,ハードとしての拠点の統合や再編,②利用者がいること=利用者の視点での現代的意味・評価・ニーズに対応していること,③担い手がいること=(主体となる)担い手を育てること,であると考えます。

今回,主題解説者を含む,協議会幹事団の事前のミーティングで, 「公共の施設(施設を公が整備する目的も含む),公共の立場(トップダウン,行政の側から見た規模・立地・内容のアジャストメントや求められる変化)」 と 「コミュニティ的視点(コミュニティ施設としての意味,ユーザーにとっての価値やコミュニティが求める変化など)」 ,ないしそれらのハイブリッドと,どの立場からの話題提供かを明言した上で,話をする,ということになっていました。

上の図中の△はそれを受けてのもので,私は今回はコミュニティ≒利用者の立場での話題提供を行います。

 

1.施設から事業と事業拠点へ


1)ノーマライゼーション,“建物・機能パッケージ”の解体

この数十年の地域施設,特に福祉施設における生活施設の計画は,ノーマライゼーションや個の尊重の価値観からの脱一斉処遇/大舎制,脱コロニー(隔離),「施設」の住まい化・地域化,などの大きな動きのなかにあった(図1)。介護保険の施行による「措置からサービスの選択へ」の移行や,民家等の既存建物を改修したグループホームや宅老所[i][ii],全室個室・ユニット型の新型特養を含め,外山義が提唱した「自宅でない在宅」[iii]の概念は,我が国の高齢者の生活環境を大きく変えた。介護保険の施行や,廃校舎等の社会資本としての空き家・空き建物の利活用への関心の高まりを背景に,「建築と機能のパッケージ(≒施設)の解体」という概念も同じ頃に聞かれ始めた[iv]

その後,施設設備における“建物と機能は一対一対応”,“一建物一用途”の原則も変化していく。ここでいうグループホームの正式名称は「認知症対応型共同生活介護」であり,宅老所の取り組みを元に2005年の介護保険法改正によって制度化された「小規模多機能型居宅介護」も,例えば「特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)」のように施設としての整備という旧来のあり方に拠っていない。特に小規模多機能は,“施設の居室の役割を住み慣れた家が,施設の廊下の役割を地域の道路が担う”と説明され[v][vi],障碍者の生活環境についても,同様に小規模化・生活の重視という流れがある。



[i]井上英晴, 賀戸一郎:宅老所「よりあい」の挑戦 −住みなれた街のもうひとつの家(OP叢書),ミネルヴァ書房,1997.07

[ii]下村恵美子,谷川俊太郎:九八歳の妊娠 −宅老所よりあい物語,雲母書房,2001.11

[iii]外山義:自宅でない在宅 −高齢者の生活空間論,医学書院,2003.07

[iv]西野達也,石井敏,小菅瑠香:多摩ニュータウンの廃校となった小学校を活用した地域福祉施設の提案【最優秀賞】,日本医療福祉建築協会主催デザインシャレット,2001.11

[v]日本医療福祉建築協会:小規模多機能サービス拠点の計画 −目指すべき方向性と考え方,2006.09

[vi]井上由起子:いえとまちのなかで老い衰える―これからの高齢者居住そのシステムと器のかたち,中央法規,2006.05

 

 

2)地域資源の活用によるまちと福祉の融合

また,東京都認証保育所や家庭的保育事業(保育ママ)など小規模保育拠点は,敷地内に屋外遊戯場を確保できないことでの保育の質の保障への懸念はあるものの,「施設」への囲い込みによる福祉事業から地域資源のネットワーク的利用の拠点型保育への移行により,地域でこどもが育つことが改めて可視化される契機となっている[i][ii][iii]。そして,これらの拠点型保育は,多くの場合新築ではなく既存建物の利活用による。その際,提供したい福祉サービスとその量に応じて,適切なアプローチをもった,使える床としての既存建物ないし空間が選択されている。近年では地域資源を活用する学童保育の拠点[iv]や福祉のまちづくり学会での活動,「まち保育」[v]の概念の提唱など,保育をきっかけとしたまちづくりについても関心が集まっている。

これは,空き家を活用した高齢者福祉事業拠点や障碍者福祉事業拠点の開設などでも同様で,施設の解体[1],事業主導化[2]に伴ってその実施の場としての地域の資源が見いだされ,福祉と日常の生活が再び近づく契機となっている。

既存建物の活用のため,多くの地域では利用率などに課題もありつつ,空き家バンクや移住・住み替え支援など中古不動産の流通の促進への施策や取り組みが多数行われている。既存の建物を「使う」事業拠点展開は,地域的ニーズの量や分布の変動のなかで,土地取得から始まる新築よりも比較的早く・安価に対応できる。



[1]「既存の大規模施設の(改築等を契機とした,小規模施設ないし事業拠点への)解体」という意味に限らず,そもそも新規開設しようとしたときに大規模にはつくれないように(社会的に)誘導されている状況を含む。例えば病院,特別養護老人ホーム,障碍者施設,保育所等の医療・福祉施設全般における傾向として理解される。

[2]施設整備に拠らず,事業オリエンテッドで拠点が形成されるようになること



[i]山田あすか,佐藤栄治,讃岐亮:小規模保育拠点の保育者による子育て環境としての都市環境評価に関する研究 −0~2歳児を保有する世田谷区・家庭保育福祉員と京都市・昼間里親を対象として,都市計画論文集,44.3巻,pp.175-180,2009.10

[ii]小林陽,山田あすか:東京都家庭福祉員制度での拠点内の環境づくりと都市環境の利用・評価に関する研究。日本建築学会計画系論文集,第77巻第681号,pp.2507-2516,2012.11

[iii]山田あすか:東京都内の種別が異なる小規模保育拠点における都市環境の利用・評価に関する研究,日本建築学会計画系論文集,第81巻第723号,pp.1069-1078,2016.05

[iv]塚田由佳里,小伊藤亜希子:民家等を利用した学童保育所にみる「拠点性」の利点と成立条件:-大阪市の事例調査より-,日本建築学会計画系論文集第74巻第645号,pp.2319-2328,2009.11

[v]三輪律江,尾木まり,稲垣景子:まち保育のススメ −おさんぽ・多世代交流・地域交流・防災・まちづくり,萌文社,2017.05

 

なお,既存建物の利活用や転用が当たり前であるヨーロッパ諸国での近年の例では[i],病院もその用途を終えた,または入院日数のさらなる削減などで必要な面積が縮小された時の転用可能性を考慮して建築されている(図3に例示)[ii]。我が国における一般的な認識では,機能に特化し専用の建築物としてつくる必要があると考えられる施設種別のなかでも,病院は最もその特性を考慮されるべきだとの認識は共有されていると考えられ,その差は大きい。なぜそのような転用前提の病院施設整備が可能かというと,病棟部門と中央診療部門を別の機能をもつゾーンとして独立的に捉え,病棟部門は順次縮小していくことが可能なようにゾーニングし独立動線を付置,ただし中央診療部門は当面縮小はしないが機器類の更新が比較的短時間で起こる前提のもとにつくられる,などの,これもまたある種「機能の解体」によって説明される現象と言える[1]。そして,病院としての役割を終えた建物やその部分は,住宅や商業空間として,まちに還元されるように計画されている。



[1]日本では入院期間がOECD各国の数値に対して突出して高いが,各国制度では「慢性期医療(生活を主体とした,医療看護が付加的に組み込まれる時期)」と「急性期医療」を完全に分離し,慢性期医療の場を病院から外に出す(Special nursing home,Patient hotel,帰宅後の訪問看護・診療・通院など)ことが徹底されてきた。



[i]森一彦,加藤悠介,松原茂樹,他:福祉転用による建築・地域のリノベーション −成功事例で読み解く企画・設計・運営,学芸出版社,2018.03

[ii]日本医療福祉建築協会,海外医療福祉建築研修2017報告書,2010.03

 

3)解体と再編の時代に
 施設が事業と建築に別れたことで,事業や複数事業の組み合わせの展開速度も,事業と建築,複数事業の組み合わせの可能性も増していく(図2)。施設はしばしば,建物+事業1+事業2・・などの複合要素によって成立している。例えば多くの特別養護老人ホームは入所型サービス+通所型サービス(デイサービス)+ショートステイ+介護相談,の要素を有する。これらの要素が一旦解体され,グループホームやサテライト・ユニット,ショートステイの専門施設,単独デイサービスや小規模多機能など,それぞれ異なる事業所が立ち現れている,と理解できる。あるいは,病院は入院人数の削減のために少数の病院と,多数のクリニックに解体される方向にある。

逆に,解体された事業,あるいは従来異なるものとして存在してきた事業が複合化することで,新たな価値や利便性,課題解決を得ている場合もある。例えば複合型高齢者施設,クリニックモール,小規模多機能,認定こども園(保育所機能+幼稚園機能+子育て支援機能),中高一貫校,認知症カフェをもつ特養,などが挙げられる。機能・事業が一旦解体されることで,異なる事業との連携がしやすくなる。例えば,クリニックのある有料老人ホーム,小規模多機能をもつサービス付き高齢者向け住宅,保育機能をもつ病院やオフィス,学童保育と就学前保育,など,枚挙にいとまがない。「解体」によらず,また必ずしも物理的一体性を持たず,もともとあった機能をネットワークに載せることで,統合的機能を持つ事例もある。例えば少し離れた幼稚園と保育所の連携型認定こども園,空き家を宿泊室として地域のカフェやレストランで構成される分散型ホテル(Alberghi Diffusi,イタリア)やまちホテル,集落を利用した滞在施設(図4として例示),集合住宅の住戸をバラバラに改修してフロントを別に設ける分散型サービス付き高齢者向け住宅,空き家が増えた郊外の戸建て住宅地の住宅を居室と見立てる見なしサービス付き高齢者向け住宅,などである。これら,解体と再編(統合・複合)は各地域の実情や利用者のニーズ,事業者のビジネスプランに呼応して,同時に起こる。また公的な動きとして,「共生型サービス」では,介護保険または障害者福祉のいずれかの指定を受けた事業所がもう一方の制度での指定を受けやすくなる[i]



[i]厚生労働:共生型サービス,< http://www.mhlw.go.jp/file/05-

Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000170288.pdf >,社保審-介護給付費分科会第142回(H29.7.5),参照2018.6.26

 

(事例:須賀川市民交流センターtette。公民館・地域交流・子育て支援センターの機能を【融合】している点が特徴。例えば調理室の横に料理関係の本を置く,スタジオに隣接して音楽の本の棚を設けるなど,活動スペースに隣接して本のある空間が設けられ,それら活動と情報が近しく存在している。)

(事例:幼保複合施設での交流場面の事例 は,ご利用者様の写真集なのでカット)

 

2.つくるから使うへ

1)利用による事業,利用者が集まると事業になる

 1.の変化は総じて,「機能+そのための建築」パッケージである施設の【整備】から,事業とそれを行える場所の【利用】へ,そして建築と事業,複数事業の組み合わせによる再編,と理解できる。

この先には,複数の事業で相乗りして利用する場所・設備,公共施設の時間/空間的部分利用による事業,などの拡大・展開が有り得る。

 

実際に,NPO活動など「事業」に対して助成や委託があり,活動場所は団体がそれぞれに状況に応じて確保することは一般的である。また現在では,例えば高齢者通所介護(事業)の入浴サービスには自前の入浴設備が必要だが,将来的には小規模サービスなどで,地域の公共浴場を活用することは可能だろうか。時間で利用/ゾーニング/混在など様々な運用形態が有り得る。あるいは,障がい対応した,自宅ではない個人宅の浴室を借りての入浴介助サービスの可能性は? 訪問入浴サービスの運用の拡がりの可能性を考えていくと,「訪問」と「通所」というサービス区分もいずれ緩やかに融合していく可能性があるかもしれない。

(内観写真をカット。「訪問介護」を利用される方の居室に,「居室にバスタブを持ち込み,同じフロアにある浴室からお湯をホースでひいて,訪問入浴を実施している」様子について。シュールにも見えるのですが,現場ではそのような工夫によって,現行制度下で必要な介護を実現している。新しい事業+その実施場所の組み合わせで運用をしようとしていくと,制度の想定していない状況が生じ,齟齬が生じ得ます。)

 

通所支援が担うある程度の介護の効率的提供や利用者相互の交流などの刺激の創出の視点でも,そこに「利用者=ケアを必要とする人が集まり」「ケアを提供するための場所や設備があること」が重要なのであって,そこが「デイサービスセンター(通所施設)である」必要はない。そして,人が集まっていることはそれ自体がポテンシャルであり,個人宅への訪問よりもケアを提供する効率の意味では有利となる。例えばご近所のAさんの家でも,自治会館でも,商店のイートインスペースにでも集まって,そこにケアスタッフがやって来る 。そのように,ケアの前提となる場所は施設から事業者提供型の(固定の)拠点や利用者宅へとの拡がりに加えて,人の集まる場所というよりテンポラリで利用者群主導型の拠点が加わっていくだろう。

(文字数上限の関係で,別記事に移行します。こちらの思考実験も読んでいただけたら嬉しいです)

 

2)「使う」の相乗り:基盤としてのシェア性

人が集まること,物が集まる,動線が集まることは大きなポテンシャルである。過疎化が進む地方都市でも新しく総合病院が建てばそこには循環バス等がめぐり,自家用車を利用できない患者も集まることで,病院の前には薬局やスーパーなどの「門前町」ができる。コンビニが撤退する(出店できない)生活密度・購買力密度の地域でも外来者が来る/通り過がりに立ち寄ることで道の駅の経営が成り立つ。道の駅に生活用品が置かれ,地域住民の売り買いの場を兼ねる。このような現象は各地でみられる。住民向け/外来者向けという従来は別であった事業の区分は融け,事業はお互いに利用を相乗り=場所や機会や集客力をシェアすることで,リスクを分散し,ニーズを調整し,安定化を図る。または,同じ持ち出しでより質の高い設備や場所を使えるようになる。これはシェアハウス,コワーキングスペース,AirbnbやUberなどの各種シェアリングエコノミーなど,シェア全般に当てはまる。そして,これからの地域公共施設のあり方を考える時,地域施設がもつ公共性の基盤は,広く薄く,人々が(必要に応じて)その建物や機能をシェアすることそのものであると気付く。

また,建築の長寿命化,加速するニーズの変化により,一度つくられた建物は,公/民の別によらず,次の用途で,あるいは次の利用者が使い継ぎ,利用されていく。これは,時間によるシェアとも言える。どのような物件であろうとも,この建物は時間を超えていく,と思うとき,それは個人の手には完全に乗り切らない,ある種の公共性を帯びる。

 

3)シェアの可能性を増す:混在という価値

さまざまな「使う」が相乗りする環境を考えると,それは多様な要素,例えば事業や利用者の属性が存在する状況が想定される。何をシェアするのか,誰とシェアするのか,それが多様であるほど,新たな展開が期待できる。それは,ある部分で施設を施設たらしめてきた「立地≒利用者の居住地・勤務地(最近隣選択,地縁)」や「属性別整備」「明確な用途」からの脱却を意味する。例えば先の例で,地域公共施設を観光客が利用しても一向に構わない。交流人口や関係人口が定住人口に変わる/加わる地域の活力の指標と理解されるに至ったように,むしろ地域の維持の観点から歓迎される。そして外来者の存在は,地域の利用者の意識をゲストからホスト側に変え,主体性や誇りを醸成する[1]

既存の枠組みを超えた混在を実現させることが,多様なシェアの有り様に繋がる。例えば,著名な先進的事例である三草二木西圓寺やシェア金沢では,多様な人々による細かい編み目のような支え合いの仕組みをつくるためには“ごちゃまぜ”であることが必要だとしている(図5)。ここでは,福祉を必要とするか否かで利用者を分けたりはしない。カフェ,レストラン,温泉,駄菓子屋,周辺の農作物や地元名物などの物販,フィットネス,集会・自治など多様な機能を内包しつつ,高齢者居住や高齢者支援,障碍児者への支援,児童への支援などの拠点となる地域の拠点施設やエリアを構築している。



[1]「運営者」ではなく利用者≒外来者としてその場所を使う地域住民でも,より“外”から来た人に対しては,その場にある種の責任や優先意識をもつ者として振る舞い,ホスト性が喚起される。

シェア金沢 はこちら。三草二木西圓寺 はこちら。

 

 

例えば,縮退の中での“こども施設”の再編と圏域を例とすると,(従来の)異種機能はまず利用者の属性の類似性によって融合していく(図6)[i]。さらに,利用者の属性を超えていくことでお題とされた“こども施設”の枠組みを超えて,例えば高齢者やこども,障碍者など支援が必要である(サポート資源を共有できる)ことによる機能統合が起こる。いわゆる共生型ケアの拠点がこれにあたる。さらに,福祉の用途かどうかも問わない,そこが地域の拠点性=人が集まるというポテンシャルをもった,地域の互助・共助の拠点としての「地域施設」に再統合されていく。統合的拠点には,当然の帰結として利用者や目的の混在が起こる。

 



[i]山田あすか:人口縮減社会における「こども施設」の機能と圏域の再編,日本建築学会第34回地域施設計画研究シンポジウム パネルディスカッション:人口縮減社会のおける地域公共施設の課題「地域公共施設の圏域をどう変えるか」,pp.17-20,2016.07.21

 

十分に多様な人々,多様な価値観,多様なニーズによって構築される環境では,同じ場所に居ても,その目的や様態はそれぞれ異なることが自然である。これまでの変化を,寄宿舎食堂で同じ料理を一斉に食べていた状態からレストランで各自好きなものを注文できるようになった,と例える。すると,これからのさらなる変化は,フードコートで各自が自分の食べたい物がある店で,予算に応じて好みのものを自分の腹具合に合わせて選んで調達し(あるいは,運んでもらって),テーブルを共にする状況に例えられる。それはテーブルを共にする人々のうち,ある人には介助は不要で,ある人には食事介助が必要なのでその時だけ支援者が居る,またある人は移動にだけ補助が欲しいので同じ方向に移動する人に介助を依頼してここに集まった(シェアリング・ウェルフェア),という状況であるかもしれない[1]。ほぼ同じ機能を提供し・受け取る施設(施設)はもちろんすぐになくならないが,機能を提供する拠点(フードコート内の店)と提供される機能を個々人が受け取り楽しむ場所(フードコート内飲食スペース,テイクアウト,各種介助)の組み合わせは増えていくだろう。「混ぜるな危険」から「混ぜれば魅力」への価値観の転換は,大きな転機である。



[1]フードコートにはしばしば子連れ家族がいる。当然の光景として,「テーブルを共にする人」に,食事介助を受ける人,その必要がない人,食事をもってくることができる人,できない人(しない人)がいる。こうしたフードコート的サービス提供は,そのような多様性を受容する。場所を選ぶ,水を汲む,食事を注文してテーブルに運ぶ,テーブルを整える,こうした一連のプロセスを「利用者の主体性」に委ねることで,自由と多様性が実現されることは興味深い。レストランは店の人が取り仕切り,客に快適性を与えるが自由度の低い空間(店の設えや運営は,客を選ぶ),そしてフードコートは利用者自らが快適さをつくる,利用者の空間である(利用者はそこで自分が自分の望む食事をできるかを判断し,その場所を選ぶ)。

 

  

4)混在がもたらす「偶然の出会い性」こそが場の価値

 わざわざ映画館に行かなくても映画はオンラインで観られる。欲しいものはネットショップで頼めば自宅に届く。遠くまで時間やお金をかけて出かけなくても,趣味のコツはYouTubeで調べられるし,近場や自宅でVRやARを活用したスポーツも可能だ。このような時代に,「あえて」物理的な店に買い物に行くには,趣味活動に出かけてもらうには,どのような要素が必要か。

ひとつには,自分のこれまでの経験や価値観による検索・推薦の枠を超えた偶然の出会い性がより重要になる。欲しいとすら思ったことがないもの,会いたいと思ったこともない人との出会い,思いがけない経験,そういった(評価者個々人の)既存の枠組みを超越するものやことが価値をもつ。

また,建築計画やサイン計画では従来「わかりやすさ」が重視され,ゾーニングや適切なサインのあり方が研究・提唱されてきたが,もはやあらゆる施設でわかりやすさだけが魅力とは言えない。わかりにくさ,複雑さ,迷いがあること,も既存の枠組の超越を生じうる。例えばヴィレッジ・ヴァンガード,ドン・キホーテ,本以外のものとのコラボレーションに積極的なTSUTAYAなどが典型的な例としてあげられる。

そこには混在と出会いによる新鮮さがあり,欲しいと思えるものが見つかる場を演出する。「機能別」に特化してつくられてきた施設にはない価値といえる。一方,まちには多様性と出会いが必要だという指摘はジェイン・ジェイコブズ(1961)からある。その意味では,施設の機能複合化はまち性の獲得とも言えるかもしれない。

 

3.「使う」がつくる「利用縁」


公助が縮小し,自助の限界が自明であるなかで,人々の互助・共助の関係性を再構築すること,その重要性を再認識することが重要だという価値観が共有されつつある。一方で,地縁,血縁,性別,人種,出自のように自分では選べない要素によって,人はその生き方や期待される態度を決められるべきではない。という考え方が浸透している。こうした社会状況を踏まえた,これからの互助・共助の共同体=コミュニティの姿として,筆者は場所や機能/サービスを媒介とし,それらの利用という共通項 によって生み出される関係性を「利用縁」と呼ぶ。利用縁によって生じるネットワーク的関係性は「利用縁コミュニティ」と呼べる。 

 

利用縁コミュニティは,参加と離脱,そのタイミングは自由で,参加の度合いも人それぞれ異なる。コミュニティのメンバーは興味関心や必要な支援,お気に入りの場所などなんらかの「共通項」によってゆるやかに関係する。例えば,なんとなく顔見知りのカフェの常連,朝夕の送迎時にすれ違う程度の保育所の保護者同士,図書館の勉強スペースを利用する顔見知り,施設のボランティアメンバー,子育て支援の互助アプリの利用など,例えばその程度の関係から,サークルやサロンなど共通の趣味や目的で集まる人々も居る。

人々は多くの利用縁コミュニティに属し,それらを状況に応じて使い分け,生活に合わせて自然に移り変わっていく。自由で選択的で,個々人の自己決定の集積がゆるやかに形作る流動性の高いコミュニティである。「互助」の拡大が求められる現在,政府が進めようとしている地域包括ケア,共生型ケアも,互助の働きを前提としている。「自己選択的であること」を前提に「互助」が期待される社会において,利用縁コミュニティは「互助」の歯車の軸となりうる。そのためにも,偶然の可能性に満ちた,多様な機能や利用者が混在し,多様な人々の偶然の出会いのなかでお互いの繋がりが自然に形成されていく拠点としての地域施設の役割は大きい。

(記事の文字数上限の関係で,別ページでの補足:利用縁とは何か?)

 

4.利用縁を拡げる

 利用縁が形成され,また形成が促進される条件として,「利用」を生じさせる「シェア性」と,利用の拡がりに寄与する「混在性」に加えて,「オープン性」と「特徴があること」「生活における蓋然性」が挙げられる。そして,そこが選択的に使われる,人を惹きつけるために最も大切なのはまずはただそこに「居」られること,である。 

1)ただそこに居られること,「居る」から始まる

そこに居られること,滞在可能性は,とてもシンプルだがそれを土壌とした発展が期待できる。多様な滞留・滞在空間を設えた駅ナカ,休憩場所が点在するショッピングモールやデパート,滞在型図書館や書店,市民の居場所としての公園など,滞在可能性をホスピタリティの向上材料とし,利用の促進を図る例は多い。そこが多様な人々の多様な滞在の場所となることで,偶然の出会い性も増す。

建築家・渡辺武信は,居心地がよい,とは「ただ居る」ことができるかでどうかである,として,住まいの居心地は“どこか(there)ではないここ(here)性”にあると説明した[i]。居心地よい居場所があることは,その空間を生活の一部に昇華させる。先ほどのフードコートの例えに重ねれば,ここで食べようと思える場所がサービス提供の土台である。外からサービスを持っても来られる,まずはただ滞在のために居心地の良い場所,多様な滞在が誘発されるきっかけが埋め込まれた場所,利用するサービスによってカスタマイズ可能な場所,といったコンセプトは現代的なニーズに即した「物理的な場所」の一つの趨勢であろう。



[i]渡辺武信:住まい方の思想 –私の場をいかにつくるか,中公新書,1983.08

 

記事の文字数上限を突破してしまいました。  2/2に続きます。 2/2は,利用縁コミュニティを生む,拠点のつくり方を書いています。

 

 

 

 

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富山市立図書館・富山ガラス美術館(再訪メモ) 建築学会大会@金沢工大 周辺探訪

2019-09-03 01:00:06 | 【雑感・寄稿文他】建築・都市・環境探訪


富山市立図書館キラリ、富山ガラス美術館。

今回「雨が降っていたことで」気づいたんですが四つ角のうち、ここだけ既存のアーケード切ったんですね。

雨が降っていたことで気づきました、こういうの晴れてても気づくようにならないといけないよな。(つまり濡れた)(自分が困るまで気づかないのは想像力に欠ける。恥じ入る)


再訪なので前回と違うアングルが気になったりして。石だなあ、この取り付き面白いなあとか。


後ろ側が豊島区役所だなあ、とか。


エントランスからの、


「スパイラルボイド」見上げ、


見下ろし。
建築関係の方かな、撮影されている方、多数。

美術館を上下フロアに分けている動線(あちこち回ることになる&分割でミニテーマでの展覧会を開催できるのはいい面もあろうし、管理的には人をたくさん置くから大変、観覧体験としては没頭なくぶつ切り)はどちらからのスペック提示だったのかな。

あと

手摺のところにあった隙間は埋められていて、以前来たときに、ここ危ない、絶対このあと補修で埋められますね、って言ってたとこ、フラッシュバックみたいに思い出し。
そんなことを覚えていたことにびっくり。でもそのとき誰とここに来て、それを話していたのかは、思い出せないんだ…。
まったく思い出せない
ディテールに記憶は宿り、大切なことはすぐ見えなくなる


図書館をちゃんと見始めたのは最近なので
(トラウマがあったのだけど、図書館研究の中井孝幸先生との親交によって怖くなくなった話はどこかに書きましたかね。ピア・エンハンス大事)
「建築空間としての良さ/おもしろさ」と「図書館としての良さ/使い方の可能性/導時代性」を切り分けて観ることがまだ難しく、修行中。
(それらが違うということは、建築計画の人は考えないといけないと思います。それらが一致するのが一番いい…というのは少し前時代的思想になってきたのかもしれないのですが。)


今回一番感動したのはこれ。

おお…すごい…。


トイレサインも忘れずチェック。











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建築学会@金沢工大、周辺放浪中

2019-09-02 17:35:06 | 雑記


外観見て(病棟のプランがある程度想像できるからです)、あ、これあの事務所の設計でしょ!と思うようになってからが医療福祉系
(そんなことはない)(でもいくつかの事務所はプランに特徴があり、結構わかりやすい)
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