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サンディワイル回顧録 その2

2008-01-07 23:41:29 | 英語情報
ちとワイル氏のことを悪く書き過ぎましたかね。

本書を読んでいて引っかかって引っかかって仕方のなかったこと。コーポレートカルチャーの問題です。

普通,米国流、といえばアグレッシブな市場原理主義、株主至上主義、高い利益率、資産効率の追求,というイメージですが(偏ってたらすいません)、これが米国流だ、と言っちゃっていいのか、ってことなんですな。

米国にもいろんな顔があるわけで。女性が社会進出しているのはもともと米国が女性の活躍する社会だったわけじゃなく、現代になってからのことですよね。

航空産業。規制が少なく自由化されて価格が安くなっていますが、これももともと米国が自由の国だから規制が少ないわけじゃなく、カーター時代から始まり、レーガン政権で実を結びました(とグリーンスパンは著書で説明しています)。昔はものすごく厳しく規制されてたみたいですな。

さて、本書でワイル氏がシティコープのことをボロクソに書いているのが、シティの人事制度です。人事部門が力を持ちすぎていて現場のマネージャーに人を雇ったり評価する権限がない。しかも人事部門の人の評価は官僚的で、複雑で理解不能なマトリックスにあてはめたあげくAabだの何だとランク付けされる,到底我慢できない・・・。

何を言いたいかと言いますと、米国にも人事部が強く、官僚的な一流企業が存在する(した)、ということです。よく、外資系企業は人事部が弱く、採用からクビからマネージャーが直接の権限がある、かのように書かれている本が多いのですが、そうじゃない場合もあるってことですね。シティコープは銀行だし人事は安定的に運用される必要があったでしょう。マネージャーの気まぐれや好き嫌いで人の配置が不安定になれば日々のオペレーションの信頼性が保てない。

それが、です。ワイルに支配されることになり、シティの人事制度は廃止されました。

カルチャーとカルチャーがぶつかり強い方が生き残った、ということですな。より合理的、とか効率的とかいう尺度で生き残ったのか、単にキャラの強さ、政治の強さで生き残ったのかが今ひとつわかりませんが、戦って決着がついたことです。


再び、何が言いたいか、と言いますと、これ、米国固有の文化がどうとかいうことではなく、米国内で勝ち残ったカルチャーだってことです。反対者も当然米国内にもいる、そんな価値観をはなっから認めていない人も結構いるはずですな。

というようなことを、本書を読んで強く感じました。本書は買収を繰り返す闘いがテーマであり、支配を拡大してゆく歴史物語です。カエサルのガリア戦記をちょっと思い出すんですね。野蛮なガリア人をやっつけろ、従うものは殺さないで支配するみたいな。自分は文明人の位置づけなんですな。

米国では、ジョンリードほどの人を敗者にしてはマズイ、みたいなことに配慮せず、あくまでリングに上がったボクサー並にしか扱われない。だからと言って人間が合理的にできていてビジネスだからと割り切っているわけではなく、やはりリードを追い出す結論を出すときには取締役会は不愉快な気持ちになるわけです。なぜ、こんな判断を下すような立場に追い込んだんだ、とワイルに非難の視線が飛びます。

私は米国礼賛派でもないし、市場原理主義者でもありませんが、ワイルは戦って勝っていった、単純に強かったんだ、という気がしました。

それと、証券カルチャーが銀行カルチャーを飲みこむ、ということにも強い印象を受けました。お笑い芸人にマジメなアナウンサーがキャラの強さで戦っても勝てない,そんな感じなんですな。

さて、収益を上げるものが勝ち残り、収益を上げるには証券会社は商業銀行と合併するほうが有利で<そうせざるを得ないというのがワイルの考え>、合併すれば証券会社は商業銀行のカルチャーを呑み込む、ということになると、どういうことになりますかな。

で、日本も制度改正が行われるんでしたっけ?








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