しばらく辛気臭い話が続いたので今日は楽しく行きましょう。
私は一人旅に良く出ます。旅先では何故か良く、本当に良く声を掛けられます。
韓国のプサンに行ったときは3回も道を聞かれました。駅構内の雑踏の中、おばさんが私にどっちにいけばいいのかを聞くんですね。並み居る韓国青年を差し置いて。韓国語が分からないし駅のこともわからず、ノー、ノーっと言って断りました。あの日以来、少しづつ韓国語を勉強してるんですけどね。
別の日には、ビーチから駅に向かう途中で美少女の5人組に道を聞かれました。うーん残念。ますます韓国語に力が入るわけですね。この2例はまだ良いとして、プサンの空港で日本人に韓国語で道を聞かれたときはちょっとショックでしたな。ウーンなんでやねん。
サイパンに行ったときは、日がな一日ビーチで泳いだ後、夜になってレストランでメシを食い、カウンターに移って進められるままカクテルを飲んでいると、隣に座っていたハワイの海軍に居るとかいうアメリカの白人青年が声を掛けてきました。英語もできるとは言いがたいのですが全然できない韓国語よりマシということで、適当に好きな映画の話などで盛り上がり、そう、スターシップトゥルーパーズだったかな、まあ戦争映画っぽいのがいいだろうと思って、あれは良かったなあとうなずき合っていたわけです。じゃぼちぼち私は、と金を払って店から出ると、彼もついて出てくる。どうも一緒にもう少し遊びたいらしい。といいつつも腹も一杯,酒も飲んだ。帰ろうや、と言いかけると、ガールがどうのこうの言っている・・・???。
ナヌッと思うも、彼は私の帰りたい目線にも全く動じず、あくまで『行こうよ』と大きな澄んだ目でこちらを見下ろしている。彼はかなり背が高い。
しょうがない、と観念してそれらしき通りに出て、そう、女性が客引きをしているような通り、飲み屋通りです。そのうちのひとりと料金交渉をして、ちょっと値切って、それ以上はビタ一文出さないと念を押して、米青年に金額は許容範囲か確認して、ようやくご入店。何でサイパン初めてで外国人のオレ様がこいつを案内しているんだろう、とかなり酔った頭で思いながら席に案内される。どうもフィリピンパブらしい。
その時ちょっとしたハプニングが発生。ボーイさんが、といってもおっさんですが、女性を4,5人連れてきて、好きなのを選べと言って来た。スゴイシステムだな、と思いつつ、米青年に先に選べと言うと、ためらっている。
えっえっえっー???。お主が行きたいと言ったのに、何を恥ずかしがっとんじゃ。
助けて、という目をしたまま動かない。ウーン,お育ちが良いのですわ、っというかものすごくきちんと育てられている感じでした。ドラマや映画やニュースに出てくるアメリカ人典型とは随分違っているのですね。米国の保守性、厳格さ、立派な人はものすごく立派、ということを思うのですね。
面倒臭いのでさっさと選ばせて、席に着いてフィリピーナとしゃべっていると、米青年も楽しそうにしている。彼ののぞみ通りになってんのかな、と思っていると、そのうち彼女らがカラオケをしようと言い始めた。尾崎豊のオーマイリトルガールを歌え、と言っている。彼女がしゃべっていたのが英語だったのか日本語だったのか思い出せません。日本語だったんじゃないかな。で、なんでサイパンでオーマイリトルガールやねんと思いつつ、尾崎を熱唱して、米青年にも何か歌ってもらい、ヘロヘロになる頃店を出た。彼は、次はマッサージに行こう,と誘ってきたが、さすがに断ってホテルに帰りました。彼は私よりもずっといいホテル、というか島で一番いいホテルに泊まってました。士官だったのかも知れませんな。そういえば太平洋に差し迫った脅威はない、とかマジ顔でしゃべってました。外人がしゃべると難しい話題でも自然なのが不思議ですな。
で、表題の沖縄に行ったときの話しですよね。15日は沖縄返還35周年だそうで。沖縄が本題だったんですが、それは明日にしましょうか。
私は一人旅に良く出ます。旅先では何故か良く、本当に良く声を掛けられます。
韓国のプサンに行ったときは3回も道を聞かれました。駅構内の雑踏の中、おばさんが私にどっちにいけばいいのかを聞くんですね。並み居る韓国青年を差し置いて。韓国語が分からないし駅のこともわからず、ノー、ノーっと言って断りました。あの日以来、少しづつ韓国語を勉強してるんですけどね。
別の日には、ビーチから駅に向かう途中で美少女の5人組に道を聞かれました。うーん残念。ますます韓国語に力が入るわけですね。この2例はまだ良いとして、プサンの空港で日本人に韓国語で道を聞かれたときはちょっとショックでしたな。ウーンなんでやねん。
サイパンに行ったときは、日がな一日ビーチで泳いだ後、夜になってレストランでメシを食い、カウンターに移って進められるままカクテルを飲んでいると、隣に座っていたハワイの海軍に居るとかいうアメリカの白人青年が声を掛けてきました。英語もできるとは言いがたいのですが全然できない韓国語よりマシということで、適当に好きな映画の話などで盛り上がり、そう、スターシップトゥルーパーズだったかな、まあ戦争映画っぽいのがいいだろうと思って、あれは良かったなあとうなずき合っていたわけです。じゃぼちぼち私は、と金を払って店から出ると、彼もついて出てくる。どうも一緒にもう少し遊びたいらしい。といいつつも腹も一杯,酒も飲んだ。帰ろうや、と言いかけると、ガールがどうのこうの言っている・・・???。
ナヌッと思うも、彼は私の帰りたい目線にも全く動じず、あくまで『行こうよ』と大きな澄んだ目でこちらを見下ろしている。彼はかなり背が高い。
しょうがない、と観念してそれらしき通りに出て、そう、女性が客引きをしているような通り、飲み屋通りです。そのうちのひとりと料金交渉をして、ちょっと値切って、それ以上はビタ一文出さないと念を押して、米青年に金額は許容範囲か確認して、ようやくご入店。何でサイパン初めてで外国人のオレ様がこいつを案内しているんだろう、とかなり酔った頭で思いながら席に案内される。どうもフィリピンパブらしい。
その時ちょっとしたハプニングが発生。ボーイさんが、といってもおっさんですが、女性を4,5人連れてきて、好きなのを選べと言って来た。スゴイシステムだな、と思いつつ、米青年に先に選べと言うと、ためらっている。
えっえっえっー???。お主が行きたいと言ったのに、何を恥ずかしがっとんじゃ。
助けて、という目をしたまま動かない。ウーン,お育ちが良いのですわ、っというかものすごくきちんと育てられている感じでした。ドラマや映画やニュースに出てくるアメリカ人典型とは随分違っているのですね。米国の保守性、厳格さ、立派な人はものすごく立派、ということを思うのですね。
面倒臭いのでさっさと選ばせて、席に着いてフィリピーナとしゃべっていると、米青年も楽しそうにしている。彼ののぞみ通りになってんのかな、と思っていると、そのうち彼女らがカラオケをしようと言い始めた。尾崎豊のオーマイリトルガールを歌え、と言っている。彼女がしゃべっていたのが英語だったのか日本語だったのか思い出せません。日本語だったんじゃないかな。で、なんでサイパンでオーマイリトルガールやねんと思いつつ、尾崎を熱唱して、米青年にも何か歌ってもらい、ヘロヘロになる頃店を出た。彼は、次はマッサージに行こう,と誘ってきたが、さすがに断ってホテルに帰りました。彼は私よりもずっといいホテル、というか島で一番いいホテルに泊まってました。士官だったのかも知れませんな。そういえば太平洋に差し迫った脅威はない、とかマジ顔でしゃべってました。外人がしゃべると難しい話題でも自然なのが不思議ですな。
で、表題の沖縄に行ったときの話しですよね。15日は沖縄返還35周年だそうで。沖縄が本題だったんですが、それは明日にしましょうか。
ここが考えるスタートだと思う。