摩耶舞薮露愚

日々是口実日記(スパムメールの情報など)

「私の家政夫ナギサさん」

2020年09月02日 | 男女の心象風景
このブログに記事をアップするのはいつ以来だろうか。
昨年と今年、連れ合いと父を立て続けに亡くし、何もかもが面倒くさくなってしまったことあって、このブログはもちろんパズドラにログインすることもあまりなくなってしまった。
仕事をしながら、家のこともしなくてはならず、そういう生活臭のする行為以外にあまり気を向けなくなっていたわけである。

新型コロナウィルス禍の関係から、仕事の方もほとんど在宅ワークとなり、メールやWeb会議でのやりとりが主となって人と話す機会が激減し、それによって受ける刺激もまた激減していることも影響しているのかもしれない。

テレビも、ニュースを除いてほとんど観なくなってしまった。

そんな中だが、標題にも書いた「私の家政夫ナギサさん」にはなぜかはまってしまい、昨日の最終回までなんだかんだとほとんどの回を観ている。
ネット飲み会などでたまに無聊を慰めあっている仕事仲間の中にもこのドラマにはまっている人間がいて、見逃した時にはTVerを使っているなどと言っていた。

このドラマは「家政夫のナギサさん」という漫画を原作にしているのだが、いくつかの点で設定を変更している。
原作の方のナギサさんはちょっと気難しいクールな感じのおっさんだが、ドラマの方はまさしくナギサさん本人が目指す「慈母」という感じで、これを大森南朋が実にうまく演じている。
オレは前々から大森南朋という俳優が好きだったが、このドラマの演技でまたしても感動を新たにしてしまった。
男女の間における役割分担、という世間一般の決めつけを軽々と乗り越えている点もなかなかなものだが、暮らしをともにするその家の居住者たちが気持ちよく過ごせるように家事というものは存在するのではないか、という根源的なところにも目配りが働いているようで、その点も極めて好もしい。

亡くなった連れ合いとの間で、家事のことはことさらの担当分けをしなかったのだけれども、何となく得意分野の方を担当することがお互いにとって合理的、という方向性が確立されていった。
それでも、相手が疲れているようだったら自分が率先してやり、二人が疲れているときにはできる限りのことをお互いにしようという、互いを思いやる視点を失わないようにした。
家事なんて、できればしたくないのは男女を問わず当たり前の感覚だと思う。
女の方が家事に向いているなんていうのは、男の勝手な思い込みなのである。
独り身になって、料理はもちろん(自分の弁当も毎日作っていた)、洗濯も掃除もすべてやらなくてはならなくなったが、今では、レンジ周りやシンクの定期的な掃除はもちろん、三角コーナーや水切りなどの日光消毒もマメに行っている。
家事を人任せにはできないという意識が働くのか、部屋のホコリや汚れなどにも敏感になり、在宅ワークの隙間を使って掃除をしたりすると、これがまた意外なストレス解消になったりもする。

オレが「私の家政夫ナギサさん」にはまったのも、こうした背景があるからなのかもしれない。

ところでこのドラマ、意外なことに若い女性に人気があるという。

家事を完ぺきにこなすスーパー家政夫という存在はもちろん、その素顔が極めてシャイで優しく、何よりも主人公のメイの(仕事や人間関係に疲れて凝り固まった)心をほぐしてくれるところがうけるのだろう。
ナギサさんは、メイのことを否定せずにきちんと悩みなどを受け止めてくれる。余計な事(特に自分の自慢話など)は喋らない。
突っ張って生きてきたメイの心は、ナギサさんによって徐々に解きほぐされていくわけだ。
そういう人を、若い女性も求めているのかもしれないな、などと勝手に一人合点してしまった。

ただし、まさかとは思うが、こんな夢のような物語を本気にするおっさんがいたらそれは要注意だ。
自分自身がナギサさんのような存在になれるか、そういう役割に徹することができるのか、その根本的なところよくよく考えなければならないだろう。
言わずもがな、ではあるが。

何はともあれ、メイの家族も含めた人間関係の機微と、母と娘の間にあったわだかまりすらもときほぐしてくれたナギサさんという存在は、どのような時代にあっても貴重なもの。
人は一人では生きていけない、という理をいまさらながらに感じている。
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