由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

国家意識について、小浜逸郎さんとの対話(その1)

2015年02月25日 | 倫理
メインテキスト:小浜逸郎・ことばの闘い



 小浜ブログに長期連載されてきた哲学的エッセイ「倫理の起源」がこのたび完結した(2月2日)。私はこの論考全体について云々できるほどの力量はないのだが、最後の頃取り上げられた『永遠の0』については同席した読書会でお話したこともあり、私なりに思うところもあったので、「倫理の起源 60」にコメントを入れさせていただいた。それについては小浜さんからコメント返しで「またお話ししましょう」と言われ、対話を継続するつもりでいたのだが、私の悪い癖で、また勝手気ままに言いたいことが膨らんできた。もはや長さだけでもコメント欄に載せるには相応しくない。愚考について、小浜さんにも、他の方々にも、多少は興味を持っていただけることを願って、ここに出す。一応小浜さんへの手紙形式で。
 
小浜様

 「永遠の0」と特攻隊については既に拙ブログ「道徳的な死のために その2(特攻について)」に書きましたが、小浜さんのおかげでいろいろ気づいたことがあります。まずそれから申し上げます。
 この作品のどこが一番優れているか。それは、日本式「美しい死」への嗜好にはっきりノンをつきつけたところではないでしょうか。
 これは読書会では、長谷川三千子氏に、『神やぶれたまはず』の時に申しあげましたが、それより以前、佐伯啓思氏に、確か人間学アカデミーでお会いしたときも。『国家についての考察』の最後のあたりで、「大君の辺にこそ死なめ」の精神は、遥か万葉の昔から特攻隊に至るまでわれわれ日本人の心の中に滔々と流れている、という意味のことが書かれていたのを思い出し、「戦争で美しく死ぬことを最優先に考えたら、勝てないじゃないですか」と(もっと稚拙な表現で)言ったのです。佐伯氏は寛大な人なので、破顔一笑して、「ああ言わないと特攻隊員を救済できないと思ったんだよ」とおっしゃってくれました。
 実際、不思議です。ラ・マルセイエーズに歌われている「進め 進め/汚れた血がわれらの畑を赤く染めるまで」の「血」は敵の血です。「海ゆかば」の「水漬く屍」「草蒸す屍」の「屍」は味方の死体です。「御馬前の死」こそもののふの本懐だとしても、死そのものを良しとして我先にバッタバッタと斃れていったら、しまいには誰が戦うの? 戦う人がいなくなったんじゃ、いくさは負けってことじゃないの? とは思はないのでしょうか?
 もっとも、ラ・マルセイエーズでもしまいのあたりでは、「生き残るよりは先人と棺をともにせんことを渇望する/われらは崇高なる誇りを抱き、先人の仇を討つかあるいは彼らの後を追うだろう」と、醜い生より輝かしい死をよしとする詞もあって、こういう心性はけっこう世界共通であることはわかりますが、それにしても日本のは度が過ぎている。そう感じる私は、日本人として何か欠けたところがあるのでしょうか?
 という疑問を抱いていた私にとって、宮部久蔵の登場は、たとえフィクションの世界であっても、百万の味方を得た思いがしました。彼は敵に無茶な攻撃を仕掛けた部下にこう説諭します。

「たとえ敵機を撃ち漏らしても、生き残ることが出来れば、また敵機を撃破する機会はある。しかし――」「一度でも墜とされれば、それでもうおしまいだ」「だから、とにかく生き延びることを第一に考えろ」

 まったく。私もそれが言いたかったんだよ。溜飲が下がるとはこのことです。「武士なら死に場所を心得よ」「犬死にはするな」と家来や若侍を叱咤する武将は、時代劇でなら見た覚えはあるのですが、近代戦争を扱った作品だと、フィクションでも実録でも、私は知りませんので。
 実際、このユニークな人物像からくるショックが、「永遠の0」の読者をまず惹きつける要因、パフォーマンスの世界のいわゆる「つかみ」になっていることは確かでしょう。

 とはいえ、「お国のことを思ったら、本当にそれでいいのか」との感想が出るのもわかります。だからこそ、今までそういう主人公は描かれなかった【私が知らない例があるなら、どうぞ皆様、ご教示下さい】のでしょう。
 これについては、小浜さんもご存知のW.H.さんが、拙ブログにコメントを寄せてくださり、「宮部の人物造形には無理がある」と指摘されました。兵隊が「生き延びることを第一に考え」ていたんでは軍隊はなりたたないだろう、と。同じ戦争であっても、戦場が違えば戦闘の激しさはまるで変わってくる。同じ戦場であっても、まっ先に突入する者の危険度は後に続く者よりずっと高いだろう。「生き延びること」が第一なら、危険な戦場は人任せにし、突撃の際にはなるべく後から行くようにするのではないか。兵隊がみんなそうだったら、戦争に勝つことなど思いもよらないじゃないか、ということで、これももっともだと思います。
【実は軍隊内部ではそういうこともあったらしいです。私の父は一年違いで召集を免れた、とよく言っていましたが、赤紙が来て戦地にひっぱられた人は、しばしば「軍隊は要領だ」と体験者から言われたとのことです。この言葉のうちには上に述べたようなことも含まれていたらしい。それが実行できたかどうかはわかりませんが、世の中には表もあれば裏もあるのが普通なので、それは軍隊という、表向き最高度の「無私」が要求される場でも、というよりむしろ、だからこそ、そうなのだろうな、と感じられます。が、これはまた別の話。】
 この問題を解決するために、宮部久蔵は、合理主義者ではあっても、エゴイストではない人物として造形されました。自分も育成の一端を担った若い兵士たちが、特攻に出撃した時でも、ほとんどなすところなく撃ち落されるのを見るのは耐え難い。つまり、「なんとしても生き残る」の「なんとしても」の中には、味方の誰かを犠牲にしても、は入らない。これで彼はどこから見ても非の打ちどころのない兵士となった。
 実際にこれほど立派な人がいたのか、は残念ながら疑問ですが、理念型としてはあり得ます。そして、兵士の理想としてよいでしょう。つまり、「惻隠の情と、職務への責任感を備えた合理主義者」こそ、そう呼ばれるに相応しい。
 これを描いたところに「永遠の0」の画期性がある。いかに新しかったかは、小浜さんがasreadの記事「団塊文芸批評家のずっこけ」で取り上げた加藤典洋氏の「解説 もうひとつの「0」」(島尾敏雄・吉田満『新編 特攻体験と戦後』所収)からわかります。彼は、日本軍の非合理と「戦争の犠牲者」が描かれているのなら「どちらかといえばむしろ反戦につながる」はずだと決めつけ、さらに反戦ならば南京大虐殺を否定したり憲法改正・日本の再軍備を唱えたりはしないはずだと決めて、作者の百田氏はそうではないので、彼は本作では、本心を隠して読者の感動を操ったのだと言う。
 こういう論もそんなに特殊ではない、と考えられるほどに、戦後日本の「反戦思想」のステレオタイプは強固なものです。旧軍の不合理ぶりを批判的に検証するのは、今後日本が再び戦争をするようになったら、もっとましな戦い方をして、少しでも犠牲を少なくするためにこそ有効ではないか、という発想は根底からない。そこを突いて、戦後の風潮に風穴を開けたという点で、百田氏の功績は大きなものがあります。「戦中的なイデオロギーと戦後的なイデオロギーとの妥協不可能な対立の止揚・克服」がそういう意味なら、小浜さんに対する異論はありません。

 しかしもちろん小浜さんの立論はそれに止まるものではありません。頭の整理のために、少し遡って、自分の言葉におきかえてみましょう。
 まず、主に「倫理の起源 54」などで開陳されている「男性の論理」対「女性のメンタリティー」の構図。これはつまり、「公私の別」ということで、「公」の担い手は男性、「私」のそれは女性、として、一般論としてはよいでしょう。そして、「私」(代表的なものは家庭)は所詮卑小で身勝手なものでしかしかないのだから、必ず「公」(最大にして代表的なものは国家)を優先させなければならない。いわゆる滅私奉公。戦前、特に戦中の日本は、戦争遂行の都合上、このタテマエが強く鼓吹された。また、「美しい死」の観念はその究極的な表現であるので、しばしば前面に押し出された。
 戦後も、「男性の論理」がなくなったわけではないですが、戦争が否定された結果、「公」は組織(代表的なのは会社)どまりになって、国家は意識の表面からはほとんど消えた。これが最大の違いです。そうなったのは、滅私奉公には大きな問題があったからです。論より証拠、この精神の下に動員されて戦われた大東亜戦争で、国民は失うもののみ大きく、何ら得るものはなかった。結果から見たら、国は国民に無用な犠牲を強いただけだった。そんなものなら、国家とはつまり悪ではないか。
 この感情は、論理的につめられないまま、主に進歩的文化人によって戦後日本に広く流布され、例えば前述の加藤典洋氏の感想のようなものが自然に出るまでになっているわけです。論理的に考えると、国家が悪だとすれば、地球上の陸地は南極などを除いてほぼ完全に国家で占められているのだから、そのうちのどこかがかつての日本のような悪さをしでかさないとは限らない。その対象に日本がならないという保証もまた、ない。ならば、その場合どう対処するか、視野に入れずにはすまないはずなのです。
 「いや、かつての日本以外にはそんなに悪い国はないんだよ。あっても、その悪が日本に向けられることはないんだよ」と感じさせるために、膨大な言論がこれまで積み上げられてきました。しかし、尖閣諸島問題などでこの思いも薄れてきた、だからと言って新たな方向もなかなか見出せないでいるのが、現在の状況です。

 このような不毛な思潮を是正し、日本にもっとましな国家意識を打ち立て、ひいてはもっとましな国家にしよう、というのが小浜さんの根本的な動機であるわけですね。この志は正当だし、立派なものだと認めます。
 そのためにはまず、滅私奉公は超克されねばならない。もともと無茶な話なんですから。「私」とは人間が具体的に生きて、愛や憎しみ、喜びや悲しみを体験する場所です。人倫が生まれてくる場所もまた、これ以外にはない。「私」に意味がないとしたら、「公」もまた無意味です。いや本当は、「公」は「私」に支えられて初めて存立するのです。
 そこへ「永遠の0」は、何よりも家族という「私」を大切にする軍人を描いた。この人物像によって「戦中的なイデオロギーと戦後的なイデオロギーとの妥協不可能な対立の止揚・克服」がなされたのだ、と小浜さんは言います。繰り返しますと、それに完全に反対というわけではないです。「命を大切にする軍人」には矛盾がないことは最初に申しました。また、「倫理の起源 61」に書かれている以下の軍事観・戦争観にも全く賛成です

大量の殺し合いが国家双方にとって良くないことは当たり前なので、戦争は最後の最後の手段であり、まずいかにしてそれを避けるかにこの合理的な努力を最大限注がなくてはならない。外交のみならず、軍事力の必要も経済力の必要も実はここにある。これらの潜在的な力の表現を背景に持たない外交は無力である。両者はパッケージとして初めて意味をもつのだ。
 しかしもしどうしても避けられずに戦争に突入してしまったら、いかにうまく勝つかということ、犠牲者をできるだけ少なくするために、いかに早く決着をつけるかということ、時には狡猾に立ち回っていかにうまく負けるかということに向けて、合理的精神を存分に発揮しなくてはならない。緻密な戦力分析、状況分析によって負けることがほぼ確実となった場合には、戦いは一刻も早くやめること、投了によるしばしの屈辱に耐える勇気を持つこと。


  我田引水を許してもらえるなら、私はかつて拙著『軟弱者の戦争論』でこれをもっと簡単な形でまとめました。軍隊という戦争の専門家集団がめざすべなのは、第一に戦争をできるだけ避けること。不幸にして始ってしまったら、一刻も早く終えることだ、と。これは実際には非常に難しくても、「窮極の目標」としてなら設定できると考えます。
 しかし、さらに進んで「生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認するという考え方」となるとどうでしょうか。これは、「家族など、身近な者たちのためになるなら、国家のためにも戦おう」という意味だと考えてよろしいですか? もし違っていたら言っていただくとして、ここでは勝手に話をすすめさせていただきます。
 サム・ペキンパー監督の映画「わらの犬」のように、家庭を直接襲ってくる敵と戦ったり、黒澤明監督「七人の侍」のような小集落を防御する(もっともこのとき戦いの中心になる七人は、金で雇われた傭兵ですが)なら、守るべき対象は目の前にあって、迷う余地はありません。対して、近代国家はでかすぎる。これを一団として機能させようとしたら、人情とは別の原理が必要です。「公」と「私」の分裂は、まずこの単純な事実から生じたのでしょう。それを統一しようというわけですか?
 宮部久蔵にしても、最初からそれができる、と考えていたわけではないですよね。自分だけ生き残ることに耐えきれなくなり、家族との約束を破るのもやむなし、として特攻に志願したら、そこにかつて自分を救うために無茶をして死にかけた大石がいた。そして、自分が乗るはずだった飛行機の不調を見抜き、特攻でも機が故障した場合には帰還が許されていたので、これを大石のと取り換え、自分は特攻で死んで大石の命は救った。その大石が戦後宮部の妻子を救ったのだから、宮部は「たとえ死んでも帰る」という妻との約束を結果として守ったことになる。このすばらしいご都合主義(よくできたフィクションということですから、貶しているのではありません)によって、宮部が背負った「公」と「私」の分裂・相克は克服された、と見えるのです。
 「現実は決してそんなふうにうまくいかないよなあ」という感想は自然に湧いてくるでしょう。小浜さんの言う「考え方」が、これほどの偶然の連続によってしか実現しないなら、失礼ながら、また残念ながら、それはしょせん絵空事とすべきではないか、とも。
 では、現実の特攻隊員はどうだったのか。小浜さんもたくさん例示しておられるのですが、それに加えて私も、W.H.さんへのコメント返しで既に述べた、最初の特攻隊長とされる(異説あり)関行男大尉(死後二階級特進して中佐)に関する話を、森本忠夫 『特攻 外道の統率と人間の条件』から引いておきましょう。
 出撃の前夜、彼は部屋に訪ねてきた報道班員に次のように語ったそうです。

日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。(中略)ぼくは天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍用語でKAKAつまり奥さんのこと)のために行くんだ。命令とあらばやむをえない。日本が敗けたら、KAがアメ公に強姦されるかもしれない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだすばらしいだろう!

 こう言いながら、この後書かれたと思しき彼の両親への遺書には「今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐることはありません」と書かれ、奥さんのには「何もしてやる事も出来ず、散り行く事はお前に対して誠に済まぬと思つて居る。/何も云はずとも武人の妻の覚悟は十分出来て居る事と思ふ」(遺書は森史朗『敷島隊の五人 海軍大尉関行男の生涯』から引用)とあったそうです。
 死を前にした若者(関はこのとき満23歳)の心意をあれこれ詮索するのはそれ自体心ない行為だと思いますが、素直に感じたことだけを記します。彼は、「武人の本懐此れにすぐること」なしという一途な思いだけを抱いて、敵艦に突っ込んでいったのではないことは明らかでしょう。しかし、奥さんへの思いだけかと言うと、そうとも言い切れない。日本が降伏したらアメリカ軍が押し寄せてきて女はみんな強姦されるという、終戦直前に流布された噂をどの程度に信じていたかはわかりませんが、彼の言葉からは、不条理な作戦に殉じる自分の死を自分に納得させるべく、文字通り必死に思いをめぐらせている青年の姿が目に浮かんできます。
 その結果、彼の心の中では、国への誠忠と家族への愛の分裂は昇華され超克されたのか。森本忠夫はそう述べていますが、私には信じられない。土台、この二つは次元が違いすぎます。三島由紀夫のように、国家、ではなくて天皇への忠義をエロティックなものとした人もいるが、それはむしろ変態的というものでしょう(変態は嫌いではないですから、馬鹿にして言うのではありません)。普通人にとっては、「公」と「私」のレベルは永遠に重ならないまま、生きて死んでいくのが当り前ではないでしょうか。
 因みに、関行男の最愛の奥さんは、戦後まもなく再婚したそうです。なんとなく、坂口安吾「堕落論」が思い出されますが、それでも、彼が命をかけて守ろうとした女性が、(たぶん)幸せに暮らすことができたなら、けっこうな話だと思います。それでもこの話では感動的な小説にはならないですよね。関の犠牲が奥さんを救ったというわけではないですから。
 我々の大半はその程度に無力で、だからこそ、「かくありたい」願いを形にした物語がある。一方、「僕は最愛の妻のために戦い、死ぬんだ」という言葉だけでも、私は感動します。たとえそれが「強がり」と呼ばれるような種類のものであったとしても、精一杯運命に抗い、自己の一分(いちぶん)を樹てようとする人間の姿が、そこには刻まれているからです。

 関大尉のお母さんの話は、それとは別の、やり切れないものとしてあります。世間から、戦中は「軍神の母」と持ち上げられ、戦後は戦争が否定された結果疎まれて、行商などで貧しい生活を送り、最後は「せめて行男の墓を」と言い遺して五十五歳で亡くなったそうです。「国のために死ね」と要求するなら、最低限、遺族の生活の面倒ぐらい、ちゃんとみてあげられなくてどうするのか。しかしどの国家でも、こういうことはあまりきちんとはなされていないようですね。因みにこの場合の「国家」とは、我々一人一人のことです。
 こういうことは改めよう、もっと国民一人一人の生活の場を大切にする国家にしよう、というだけでしたら、反対する理由など何もありません。国家はできるだけ、個々の国民に犠牲を強いないほうがよい。そして、戦後の日本は、いくらも問題はあるにもせよ、一応そういう目標を掲げてきたとしてよいでしょう。実際に私は、戦後日本をそんなに悪い国だとは思っておりません。戦争放棄を唱えて、人類究極の課題の一つである暴力の管理からは目を背けてきた以外には。
 違和はもう少し別のところにあるようです。
 かつて小浜さんは、拙ブログの記事「道徳的な死のために その3(テロについて)」にコメントを寄せて下さり、次のようにおっしゃいました。「倫理的な問いを、特定の状況に置かれた個人の「心理」としてとらえるのではなく、どうすれば限界状況的な境遇に多くの人を追い込まずに済むか、というように視線変更する必要がある」。
 ここで言われている「倫理的な問い」とは、直接には「革命が正しいとすれば、そのための罪、例えば殺人は許されるのか」というものです。「国家の存続が正しいとすれば、そのための国民の犠牲は許されるのか」という問いにすぐに転換できることは明らかでしょう。ここで小浜さんは、こんな問いには一定の答えがないのは明らかなのだから、個人に背負わせないようにするのが大事だ、とおっしゃったわけです。
 実際問題として、平和日本の一般庶民には、「公」と「私」の分裂・対立が鋭く意識される機会などめったにあるものではなく、それは「限界状況」であって、一般化するのは不適当だ、と感じられるのは自然です。マイケル・サンデルが有名にした「思考実験」というのも、要するにお遊びに過ぎないのではいか、とも。
 対して私は、これらは人間の根源的な不完全さが鮮明に浮かび上がった状況であり、それならばモデルケースとしての普遍性はあると考える者です。我々は一人では生きられないので、まず家族を、それから共同体を作った。しかしその共同体の運営も、とても完璧になどできない。我々は、事態の深刻さの度合いは別にして、この矛盾からくる軋轢にいつ直面しないとも限らない。日本が今、そして今後、どれほどよい国になろうとも、不幸の種が根絶やしにされることはないと思いますから。

 最後はやや舌足らずになりましたが、もう既に長くなりすぎましたので、今回はこのへんでやめます。
 非礼にわたる言い方になったのはお詫びします。また、私の愚昧のせいでとんだ誤解をしているなら、ご指摘下さい。それを含めて、ご迷惑でなければ、何かの形でお返事をいただけると幸甚です。
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2 コメント

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Unknown (W.H.)
2015-03-14 11:49:06

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

という古歌がありますが、捨て身で向かう以外になかったのが明治以後の日本の軍隊だったように思われます。アメリカの如き余裕のない、かなしい日本の軍隊です。そんな中で死なないためにはどうしたらよいか。家族のもとに生きて還るにはどうしたらいいのか──── 命令が下れば、その命令が如何なるものか、考える余裕もなく突進する人間を作り出す。それが昭和の軍隊教育だったと思います。考える余地を与えない。捨て駒ということがあるのも暗黙の前提である。そうしてはじめて日本軍は勝つことができた。捨て身でこそ九死に一生を得られたのかも知れません。そうした風土の中で、禁じ手だった特攻などという非人間的な戦法まで生まれた。しかし、特攻隊は際立っているので批判されるけれど、日本軍の戦法はどこもかしこも特攻隊と紙一重であったように思われます。勇敢で野蛮で非文明的な集団です。近代的軍装の中身は江戸の侍と農民です。なによりも名誉が大切だったし、兵隊は将棋の駒のようなものだった。そんな中に、個人の命を大切にし家族を第一に考え、部下にも敬語を用いる宮部久蔵という現代日本人(の嗜好を体現する人物)をタイムスリップさせた。それがこの小説の結構であると私は考えます。航空隊だから可能なのか、それともよほどその技能が買われたか。私の聞き知る軍隊だったら、徹底的な鉄拳制裁の対象だった人物でしょう。むろん面白いことは面白い。しかしリアリティはあまり感じませんでした。リアリティのないものには自づから限界があるだろう、と考えました。


さて、小浜逸郎氏ですが、家族、愛する者という具体的な者のために、そして共に生きるために戦うのだという、そうした当たり前の前提があって、その上に「国のために」という戦争の理念が意味をもつ。それが忘れ去られて、「お国のため」という抽象観念のみが肥大し実体化されていったのが大東亜戦争であり、またそれが現実の敗戦にもつながっていった。そのことを『永遠の0』は見事に剔抉、解決しており、そのために感動を呼ぶのだ、と言われたのだと思いました。

それに対し由紀さんは、「家族、愛する人のために」という思いが「国のため」へとつながっていく、そうした、ある意味で幸福な直接性は近代国家の戦争においては難しい。実際には若者は、巨大な国家というものを前にして、個々の人生をどうそれに調和し整合させていったらいいのか解決がつかなかったろうし、そこには限界状況が現出していたと思われるのであって、それは可能性として現在でも有効である。それに対し、『永遠の0』はそれを奇跡的に解決した。この不自然さが、却って現実にはそうは行かないということを物語る結果に終わっている。また、多くの人が抱いた感動は、特攻、いわば自己犠牲の究極にあるものに負っているのであって、そうした意味で特攻隊美学を長らえさせる危険をも孕むものだ。

以上のように読みとったのですが、今回、私は由紀さんの意見に、より大きな説得力を見出しました。顧みれば私の感動も、家族とともに生きたいと思う宮部が、現実には勇敢に見事に死んだことにあったのであって、公と私との矛盾が、特に宮部という個人のうちに例外的に止揚されたことにあったのではないように思われます。何かが解決されたように見えたとしたら、それはイリュージョンであるのかも知れません。また、それは「虫けらのように死ぬ覚悟なしでも戦える」「特攻隊の美学」という二者が矛盾なく手に入れうるかのような幻想を、若い世代に刷り込みかねない。ともかく、全体的にリアリティを感じられない以上、そこから生きた思想を読みとることは困難だというのが感想です。

小浜氏、由紀さんともに、人が臆病であり、軟弱であることを正面から認識・許容することが真の強さにつながると言われたいのだと思います。美学だけで戦争を語ってはならない、と。しかし、由紀さんはその戦争自体、そもそも美学から生まれている側面、いや、理性で処すことのできない側面を持つとも考えておられるわけです。ここはとても興味深いテーマです。また、小浜氏の、少なくとも議論を将兵と後方・統帥部とに分ける必要があるという指摘、これは必須のものと考えました。

『軟弱者の戦争論』を長らく読み返しておらず、無理解・反復があったらご容赦ください。

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W.H.様へ (由紀草一)
2015-03-17 22:40:35
 いつも丁寧に拙文を読んでいただき、ありがとうございます。御コメントにはとても勇気づけられます。
 おっしゃることにはほとんど異存はないのですが、特攻をめぐる考えはちょっと。
 まず、「日本軍の戦法はどこもかしこも特攻隊と紙一重であったように思われます」というのは、大げさというものでしょう。
 大雑把に、大東亜戦争に投入された全兵力は約八百万人、戦没者は約二百万人と言われています。25パーセントの死亡率ということですね。世界的に見て(ロシアなどを別にして)ずいぶん多いんだそうですが、それでも半分は死んでいない。特攻とか、日露戦争時の旅順攻略戦のような無茶な戦いばかりやっていたんでは、こうはならんでしょう。
 しかし、戦死者のうち六割は、戦闘で死んだのではなく、餓死だ、という話もあって、これにはがっかりしませんか? 食料が乏しい中で戦うのも「捨て身で向かう」のうちに入りますか? 南の島で、退路も補給路も断たれ、孤立して、餓えや病気で死んでいくのは、しかたのないなりゆきだったのでしょうか。それとも、やっぱり軍首脳部の無能と言うべきなのでしょうか。これはきちんと研究し、今後不幸にしてまた戦争の機会があったら、もっとましな戦い方のために生かすべきでしょう。
 かく言う私も、ほとんど徒手空拳で西洋列強に戦いを挑んだかのような近代日本の姿は、一個の巨大な悲劇だと思え、深い感慨を持たないわけではありません。ただ、どんなに追いつめられたとしても、特攻はいかんでしょう。映画「永遠0」(山崎貴監督)で、田中泯扮するヤクザの親分も言っていましたね。九死一生と十死零生は全然違う。前者なら、華々しく戦って見事に死んでも見せるが、後者は生き延びれば即ち失敗なのだ(かなり創作が入ってます)。これについては本ブログの記事「道徳的な死のために その3(特攻について)」に書きましたので、これ以上は申しません。
 最後にもう一つ。「特攻美学」というのか、「美しい死」の観念が消えることはありません。自己犠牲の美学ということですから。昨年、北海道で、娘をかばって自分は凍死した父親がいたでしょう。こういうのには大抵の人が粛然とします。まあ、自己犠牲がそんなにすばらしいのか、個人的にはちょっと疑問ですが、私がどう思っても、今後も存続するでしょう。

 今後とも宜しく、ご意見をお聞かせください。
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