長年、不思議に思っていたことがあります。
この絵を初めて見たのは、中学校の歴史の教科書の挿絵です。
青い服の男が、跪いて自由の女神のおっぱいを見上げています。
当時、新任の若い男の先生は、恥ずかしそうに「この女性はだらしない格好をしていますが」と説明していました。
で、今やっと気が付いたのは、おっぱいを出すこと(出せること)が自由なんだと!
もう一つの疑問は、これです。
何で、裸の女性がいるのか!
これも理解できました。
このティツィアーノの「田園の奏楽」の再現です。
ここに描かれている裸婦は、ニンフなので、実際には存在しない。
だから男たちは、ニンフの笛をそよ風の音くらいにしか感じていない。
その言い訳があれば、堂々と女の裸を描くことができた。
そんな矛盾があるならば、いっそのこと実在人物で描いてしまえ!
ということで、ティツィアーノの「田園の奏楽」を逆方向の構図の絵として描いてしまった。
現実の女として表現するためには、脱いだ服を書き込んでやる!
・・・、凄いね。
このアイデアが出て実現されるまでに、何百年の月日が流れています。
すごく簡単なことなのに、それをやったのって、凄いです。
その発想と行動力に脱帽します。
「感動」です。
今やっている仕事のエネルギーにします。
男だと、生きているうちに「これくらいのこと(の1/100でも)」やってみたい!
この絵を初めて見たのは、中学校の歴史の教科書の挿絵です。
青い服の男が、跪いて自由の女神のおっぱいを見上げています。
当時、新任の若い男の先生は、恥ずかしそうに「この女性はだらしない格好をしていますが」と説明していました。
で、今やっと気が付いたのは、おっぱいを出すこと(出せること)が自由なんだと!
もう一つの疑問は、これです。
何で、裸の女性がいるのか!
これも理解できました。
このティツィアーノの「田園の奏楽」の再現です。
ここに描かれている裸婦は、ニンフなので、実際には存在しない。
だから男たちは、ニンフの笛をそよ風の音くらいにしか感じていない。
その言い訳があれば、堂々と女の裸を描くことができた。
そんな矛盾があるならば、いっそのこと実在人物で描いてしまえ!
ということで、ティツィアーノの「田園の奏楽」を逆方向の構図の絵として描いてしまった。
現実の女として表現するためには、脱いだ服を書き込んでやる!
・・・、凄いね。
このアイデアが出て実現されるまでに、何百年の月日が流れています。
すごく簡単なことなのに、それをやったのって、凄いです。
その発想と行動力に脱帽します。
「感動」です。
今やっている仕事のエネルギーにします。
男だと、生きているうちに「これくらいのこと(の1/100でも)」やってみたい!
自由な女は美しいですね。