YとYの日々

Yuyuの日々の出来事と、時より登場するYoyoの交換日記のようなブログです

ゴッホ「オーヴェルの教会」その背景を考える

2023-08-23 09:53:27 | 美術館・絵画
毎年避暑地として北海道に出ているのですが、今年はキャンピングトレーラーの新車の納入が遅れて修善寺で過ごしています。

猛暑日の続くこの夏、茹だるような日の午後は図書館に行き、絵画の解説書を読んでいます。


ゴッホの「オーヴェルの教会」

パリのオルセー美術館で観て来ました。

すごく興味深いのは、絵画の歴史はヨーロッパの歴史を忠実に表現していることです。
宗教で言えば、カトリックとプロテスタントでは偶像という点で全く異なり、政治・経済も描かれた背景から考えるとヨーロッパ史を別の面から理解できそうです。
ざっくりと分類すると、フランスとイタリア、北方のドイツとベネルクス、それにスペインの歴史と宗教が関わってきます。
その文化に、大きく影響を与えたのはイスラム圏と、さらには日本の浮世絵です。

面白いのは、イギリスやスカンジナビア、東欧、そしてアメリカは絵画の歴史とは縁が薄いです。
ヨーロッパは様々な国に行き、フランス一周の旅行も3回経験がありますが、最後はコロナ前の2019年の1ヶ月のフランス旅行でした。
そこで、懐かしいフランス旅行の画像を探してみました。

この教会、トゥールToursに行く途中に立ち寄りました。

たまたま、その教会の前の店で売っていたお菓子がとてもおいしそうだったので記念で撮影しました。

「オーヴェルの教会」とそっくりのように思えたのですが、別の教会でした。

こちら、オーヴェルの教会ですが。


オーヴェルの教会よりもこちらを描いた方がよりゴッホの絵らしいんじゃないかな〜。

というか、ゴッホは様々な教会を見ているはずなので、「印象」という点ではイメージが似ているのではないでしょうか。

ゴッホの絵は、教会であっても宗教色がありません。

私はキリスト教徒ではないですが、ヨーロッパの古い教会は、ものすごく厳かな気持ちになれます。

フランスやイタリアの多くの街は、教会を中心に構成されています。
ナビもなかった時代では、街に入るとフランスではcentre、イタリアではcentroを目指せばそこには教会がありホテルがあります。
観光中も、街の中心にある教会を目安にすれば、迷子になりにくいです。

旅行中も、教会を見つけるとなるべく立ち寄るようにしています。

「フランスの美しい村」を巡っている間にも小さな教会がたくさんありました。

こういった風景を目にする中で、絵画が作成された背景を感じ取ることができそうです。


とても気に入ったので、5泊もした古城ホテルを思い出しました。

この城は、1100年代に建てられたそうです。

城主の奥さんの朝食


城主とは、毎朝挨拶を交わしています。
お城の説明を受けたり、「今日は何するのか?」などのたわいのない会話です。

駐車スペースには、私たちの車が1台だけ、そうほとんどの日は他のゲストがいなく、貸し切りでした。

お城の庭の中


お城の広大な庭(画面右側)に沿った道路の先にも教会が見えます。


夕食後に、まだ明るい貸し切りの庭を散歩しました。


お城の猫。


お城の庭から見える教会



その教会へ行ってみました。


周りの地図



これもゴッホの絵になりそうな教会です。


古い教会なので、特に地階の像が印象的でした。



そういえば、ゴッホの「夜のカフェテラス」


アルルにあるこのカフェテラスは現在も営業しています。


ローマ時代のアルル、そして中世からのアルルの発展は、このエーグ=モルトから始まったのでしょう。


こう言った異種の風景と文化・宗教を目にすると、さらに絵画への理解が深まると思います。




コメント (1)
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ディープなクールベ、マネも真似られない「世界の起源」(2)

2023-04-30 12:00:56 | 美術館・絵画
クールベの「世界の起源」がなぜ美術的に認められた絵画として、パリのオルセー美術館に飾ってあるのかを考えています。

「世界の起源」(一部画像を修正してあります)

クールベはどうして「世界の起源」を描いたのだろうか!
その答えは、「こんな絵は、オレ様しか描けないぞ」というのでしょうが、
そこに至る過程を「ルネサンス時代の画家の思想と技法」から洞察したいです。

まずブーシェの「オダリスク」(ルーブル美術館)ですが、この裸婦画がクールベの「世界の起源」と根元は同じであると考えました。

女性自身への注目度です。

根拠を、ブーシェ「水浴のディアナ」で示します。


侍女の視線が女性自身へと向くことが共通しています。

鑑賞者にも分かりやすくするために、ディアナが侍女の顔を(つまり自分自身を見られていることを)見ています。

絵画における共通点は、男をそそい立たせる(絵画が売れる)です。


絵画として成立するには、猫をこのような方向で描けません。


グルーズなら、アモルを使います。


ここまで説明すると、いかにクールベがリアリズムの頂点だとしても、少し行き過ぎでしょ?

そこを、このブログで追求したいのです。

まず、裸婦画をアングルが描いたらどうなるか。

絵画の評論家は、胴の長いオダリスクだと言ってますが、それは間違ってます。

巨匠アングルのギリギリの頑張りが、臀部を誇張するに留まっただけです。


では、ベラスケスならどうするか?

(お尻のサイズは、誇張されていませんが)

鑑賞者からは、女性の顔が見えていますが、描かれた女性は自分自身を見ていることになります。


鏡を使って女性の(男から見られない)姿を映し出すことは、ティツィアーノがやっています。


人に見せない(見せたくない→見られると恥ずかしい)という気持ちをくすぐるティツィアーノは流石です。


マネも「鏡の前の女」を真似てみました。


マネは、「見られると恥ずかしい」ものを絵画で表現することを考えつきました。

鏡は使いません。

どうせ男の求めている姿は、これをひっくり返した姿だろ!


そこで、マネはとても大胆な試みをしたのです。

「オランピア」では、美術評論家は実在する女性として首や手の飾り、サンダルの装着などを挙げていますが・・・

マネは花束によって「拡げられた女性自身」を表現したのです。

オランピアの花芯は、黒人の召使によって開かれています。

で、クールベは思いました。
「マネには勝てない」

マネを超えるリアリズムは何か!


ダナエが人気だって?


どうせ女が・・・、女を・・・、女の・・・、それに尽きるじゃないか!


それがオスとして求める「世界の起源」、それ以上の表現はないだろう。



マネに関しては、下記をご覧ください。 

本当は裸の女性がいない「草上の昼食」
https://blog.goo.ne.jp/y-fukucyan701/e/5752772f7fd9bcbdeffc96b141c54a09


すでに最初の(1)のアップから一年が過ぎてしまいました。
今回は、クールベのリアリズムという観点でまとめてみました。
さて、まだまだ私の表現と解説が未熟で自分自身もどかしさを感じています。
いつの日かシリーズ(3)に続けたいです。









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え!なんでコローなの

2023-02-25 19:22:04 | 美術館・絵画
「え!なんでコローなの」と言われて「ん、何となく」と答えた。


風景ばかり描いていたのに、初めて裸婦画を描いたのが55歳の時だったそうです。


女は、閉経で女が終わる時がセットされる。


ん〜ん。

写実的な中に妄想を感じることができるのか?

クールべにはなれなかったと思う。


イタリアの女は、フランスの女と違う。


絵画的にいえば、フランスとイタリアの大きな違いは「光」だと思う。

写真を撮ってると、光の感じ方がわかる気がする。

じゃ、ジプシーの女の区別は?


イタリアの女を見て


フランスの女を見ると。


ディアナの本当の姿は、右端の女性だと思う。


コローの男としての世界を感じ取れる気がします。
何となく・・・


ただ、ミラノの最後の日に出会った自由の女神さん

多分、フランス女だったんじゃないかな・・・



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ステンドグラスの窓のよう

2022-07-08 06:36:20 | 美術館・絵画
あら綺麗。。。



種明かし…


偶然撮れる写真おもしろい♪。。。

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ルイ14世の愛人三姉妹

2022-06-14 07:04:05 | 美術館・絵画
ルイ14世の愛人三姉妹


その絵をここに飾りました。

何となく怪しげな感じが似合っています。

ルイ14世には、大勢の愛人がいたそうです。

この絵は、お城に飾ってあった絵画のコピーで、そこの売店でしか手に入りません。

プリマヴェーラをやらせて、

ほんのお遊びで三姉妹を愛人にして、お遊びで描かせたのだと思います。




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マネの描いたモネ

2022-06-13 06:21:45 | 美術館・絵画
日光の家の引っ越しで、一枚の絵が出てきました。


マネとモネは仲が良かったんだよね。
マネ夫人とモネ夫人も似てる気がするんだけど。



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本当は裸の女性がいない「草上の昼食」

2022-05-25 15:36:09 | 美術館・絵画
マネの草上の昼食です。

この絵画をパリのオルセー美術館で実際に観たところ「裸の女性は存在しない」のではないかと考えるようになりました。

なぜにスキャンダルであったのか、その読み方について過去のブログを再度まとめ直しました。

私には、このように見えました。

本当は裸の女性はいません。

では、この女性は何をしているように見えますか?

裸にならずに、下半身が水に浸かっているだけです。

こんな絵を描いても売れるわけはありません。

そこで、マネとしてはニンフを入れたつもりでした。

これを真似ました。


しかし、この絵画が評価されるのは、右奥に裸婦を覗いているエロオヤジが性的な刺激をもたらすからです。


この絵には、エロオヤジがいないばかりでなく二人の男性は女性の裸を見ていません。

当時の観点からすれば、つまらない絵なのです。

しかし大衆は、さらなる勘違いをしました。

脱いだ服が、この女性のものだったとしたことでスキャンダルとなったのです。

では、何故脱いだ服の上にパンを入れたバスケットが転がっているのか分かりますか?
もしも女性が服を脱いだのならば、青いワンピースはバスケットの横に置かれるはずですよね!

マネの「草上の昼食」の一部分を拡大しますので、あなた自身がこの絵の読み方を感じ取ってください!

この女性が下着のまま無造作に水浴しているのか、それとも下着をまくりあげて身体を清めようとしているのか、どちらに見えますか?


「草上の昼食」は、実在する裸婦を描いたことがスキャンダルとなったとされている作品ですが・・・。


まず「草上の昼食」という画題ですが、原題は「水浴」だそうです。
そして、水浴するために脱いだ服を描き込んだことにより、裸婦はニンフではなく実在するということが問題となりました。
しかし実物を観ると、この女性は裸でありながら「水浴」した様子は感じ取れません。

これに対して水浴している女性はとてもリアルな描写です。
水浴するなら裸になるはずなのですが、なぜ下着をつけてるのでしょうか。
フランス語で、chemise (シミーズ)はワンピースの下につける下着です。



注目すべき点は、左手が下着の内側を通って、女性自身をつかみあげているように描かれていることです。
そして右手は、何か薄手の繊維質のようなものをすすいでいるように見受けられます。
つまり、女性が下着を濡らさないようにまくりあげて女性自身を清めた後に、履物をすすいでいる風景です。



もしも純粋な水浴であればこのように描かれるはずです。

これからchemiseを脱ぎ裸になるという時間的経過を想像させる絵です。

そこで裸の女性と二人の紳士が存在しなかったとしたら?
・・・と考えてみることにします。
現実には存在しない三人をこの絵から消し去ってみましょう。

脱ぎ捨てた服と「水浴している女性」の光景が妙にリアルです。
遠近法から考えても、この方が自然に感じます。

このような構図は、画家の想像だけからでは生まれないでしょう。
つまりマネは、この光景を目にしているはずです。

画家のリアルな体験を描写した証拠として、右側の男性の頭上に描かれたボートを書き込んでいます。
つまり、ここにボートの持ち主がやってくる可能性を考えると、女性は全裸にはなれないのです。

しかし、リアルな体験を描写しただけでは絵画としての存在価値がないので、マネは古典をマネすることを考えました。
マネは、水浴(身体を清めている女性)を描くためのダミーとして、どこかの絵にあった手前の三人を当てはめただけです。

だから、「裸の女性がいる」のではなく「二人の裸の男性には服を着せた」と理解すべきです。
したがって、この絵が避難される理由があるとすれば、裸であるべき男性が服を着ているというだけですね。

さらに言えば、この二人(マネと水浴している女性)は、ほとんど昼食を食べていません。
食べ散らかした形跡がなく、手をつけてないパンが地面に転がっている。
青いワンピースと思える服の上に<なぜゆえに>バスケットが転がっているのでしょうか?

そこが重要です。

実は森に入ったときには、バスケットは敷物の上に置かれていたはずです。

黒い服がマネであり、赤いワンピースが「水浴した青いワンピースの女性」だとすれば理解しやすいでしょう。

お酒が進むにつれ、女性の胸に手を添えている男性が描かれています。


から瓶が、二人がお酒を飲んで盛り上がったことを示しています。

そこで女性が服を脱いで狭い敷物に横たわることになりました。
邪魔になったバスケットは、(マネによって)脱いだワンピースの上に移されたのでしょう。
二人は昼食を食べずに、バスケットの中身が散乱するような行為を行いました。
したがって本当の題名は「情事の後の水浴」です。

マネが水浴している女性と全体像を書きあげた後で、手前の三人を挿入したと考えると、とても自然に思えます。


ここで大胆な仮説をご提案します!
「モネは、マネがブローニュの森でセックスしていたことを知っていた」


さて!
なぜマネが「水浴」を「草上の昼食」に改題したかという理由を考えてみましょう。

この三角形の光の当たる部分にご注目ください。

この技法はセザンヌに通じます。

セザンヌの「草上の昼食」です。


光の当たる部分は、モネが真似ました。

光の当たる角度は、両者で一致しています。

さらに、モネはこの絵の中でマネに喧嘩を売っています。
モネの絵には、樹木の幹に「ハートの矢」がいたずら書きとして書き込まれています。


樹木の幹に刻んだ「P」の文字ですが、マネの奥さんとなる女性はピアノ「piano」の先生ですね。

もしもマネが結婚する前から住んでいたパティニョール街を意味するのであれば、昼食をとった場所は16区から近いブローニュの森となります。
水浴した場所が、川ではなく湖(または池にちかい)ように感じることから、マネはブローニュの森で逢引を重ねていた。

そしてマネと親交のあったモネは、森の中のことを知っていた。
そうなるとマネとしては、もう怒り爆発ですよね。


画題が「水浴」では、この絵の事実がばれてしまうことを恐れたマネは「草上の昼食」と改題しましたとサ。


マネの「水浴」をみたモネが真似たかったことは、「習作・草上の昼食」とオルセー美術館にある「修復・草上の昼食」を比較するとよく理解できます。
「習作・草上の昼食」の段階では、光の差し込みが上記のようにマネの真似でした。
しかし大作の「修復・草上の昼食」では、光が森の真上から全体にあたり、特に敷物の上に木漏れ日を描き込んでいます。

こちらでは、遊びごごろで描いた習作の「犬」は描かれていません。
多分、「ハートの矢」も消し去られているはずです。

その代わり、モネは別の形でマネをおちょくることにしました。
「習作・草上の昼食」と「修復・草上の昼食」おいての違いはそれだけではありません


中央にいる男性が入れ替わっています。


モネの黒服の男性は、マネの「水浴」の右側の男性を左側に対称に描いています。


そして!
その顔はマネそのものでした。


これはドガの描いたマネです。

そっくりでしょう!


続いて、「草上の昼食(原題は水浴)」がなぜ騒がれたのかについて、当時の「水浴」の絵画を考察して観ました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
草上の昼食は、2枚の絵の影響を受けています。

ひとつは、ディアナの水浴です。

この絵は、ニンフを隠れ蓑とした裸婦画です。
ニンフの美人画では、あくまでも女性は美しく且つエロチィックです。

もう一つは、スザンナと長老たちです。

これは神話を隠れ蓑とした裸婦画です。
若く美しい人妻が、高齢のエロオヤジに犯される描写です。

草上の昼食の原題が「水浴」であることから、マネはさらに3枚目の絵レンブラント水浴も参考にしています。

「水浴」という絵画の題材では「ニンフの美人画」と「エロオヤジによる陵辱画」が大多数を占める中で、レンブラントの「水浴」は異質です。
モデルが奥さんということで、美人画や裸婦画像とはしていません。
このような題材は、お金になるわけはないので、レンブラントの趣味の絵だと思います。

どうしてマネの「草上の昼食」が悪評であったのかというと、美術・芸術の名を借りたエロ画像ではなく、写真的な実写版だったからです。

ニンフの美人画としての水浴を2枚ご覧ください。


もう、「こんなに綺麗な若い女性の裸が観れるのか!」という絵でないとお金になりません。


エロオヤジによる陵辱画2枚ご覧ください。


いずれも、二人の高齢の男性に裸を覗かれています。

もう、こんなに綺麗な若い女性の裸が覗けるのか!<ということを想像させる絵>でないとお金になりません。

ここで、「当時の美術界の寸止め」についてご説明します。
宗教上の倫理から、単なる裸婦、特に恥毛を描くのは完璧にNGとなります。
そこで、画家たちは工夫をこらして言い訳を描きます。

この絵は、狩猟で怪我した足のケアを行っているという言い訳ですが、実は目線は足ではなく女性器です。

そしてニンフは、自分の身体が見られていることを意識させています。
ま、当時の男にとって、気絶しちゃうくらいエロい発想だと思います。
そして、見られている部分を犬を借りて表現しています。
特に、男色の方にとっては、、気絶しちゃうくらいエロい発想だと思います。

さて、エロオヤジによる陵辱画では、オヤジの視線にご注目ください。

ここでオヤジの視線が女性に向くとNGとなります。
ひとりは下方を向き、もう片方は目線を隠しながらも、腕の力と顔のシワによって裸を見るという微妙な表現がこの絵の価値です。
さらに、女性の身体は女性自身が見ているという、高度なエロい発想だと思います。
ここでも、さりげなく男色を見せちゃうなんて、これが「2枚の絵でたまたま」の偶然だと思いますか?

この様にして裸婦画を観ていくと、いかに「草上の昼食」が当時の絵画の常識から外れていたかということが理解できると思います。


以上、わたしは純粋に「草上の昼食」という絵画の意味を自分の感性で感じ取ってみました。
マネの研究者たち、絵画の解説者たちの観点とは異なる部分は、ご自身の感性でご判断ください。

コメント (14)
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マネ「草上の昼食」の深読み

2022-02-08 09:36:09 | 美術館・絵画
マネの「草上の昼食」は、裸婦画としてスキャンダラスな絵画として評価されています。

しかし、この絵の原題は「水浴」でした。

その「水浴」を何故「草上の昼食」に改題したのかと言えば、モネが「草上の昼食」を発表したからです。

これがモネの「草上の昼食」です。

モネは、光の当たる三角形をマネました。




この技法は、さらにセザンヌがマネしています。

セザンヌの「草上の昼食」も光の角度が一致しています。

しかし、マネをもっと怒らせたのが、恋人との情事後を描いた「水浴」の意味をモネが暴露していたことです。

樹木の幹に刻んだ「ハートの矢」と「P」の文字ですが、マネが結婚する前から住んでいたパティニョール街を意味するのかも知れません。

私は、マネの原題「水浴」は、マネが当時ピアノの教師をしていた奥さんとブローニュの森にピクニックに行き情事を重ねた時の描写だと考えています。

水浴している女性は、情事の後に女性自身を清めています。

これがマネ婦人です。


水浴している女性に似てませんか?


ブローニュの森では、人が来る可能性を考えると、裸になって水浴することができません。

マネは、「リアルなエロチズム」を表現したかったのです。

・・・・・・・・
この辺を解説すると、リアリティからクールベにつながってしまうのですが。
う〜ん、話が逸れて、

別のブログ<ディープなクールベ、マネも真似られない「世界の起源」>に続いちゃうので話を戻します。

・・・・・・・・

そう、モネはマネがピアノpianoの先生と、ピクニックpique-niqueに行っていることを知っていた。

それを「習作・草上の昼食」にハートの矢と頭文字「P」と書き込んでしまいました。

画題が「水浴」では、この絵の事実がばれてしまうことを恐れたマネは「草上の昼食」と改題しましたとサ。


それを知ったモネは、「修復・草上の昼食」を描きました。

大作の「修復・草上の昼食」では、光が森の真上から全体にあたり、特に敷物の上に木漏れ日を描き込んでいます。
こちらでは、遊びごごろで描いた習作の「犬」は描かれていません。
多分、「ハートの矢」も消し去られているはずです。

その代わり、モネは別の形でマネをおちょくることにしました。


この人物を入れ替えています。


それは、マネそのものです。

この絵は、ドガの描いたマネです。

そっくりでしょ!


このお話の詳細は、ブログ<本当は裸の女性がいない「草上の昼食」>をご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/y-fukucyan701/e/5752772f7fd9bcbdeffc96b141c54a09


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栃木県立美術館 名画でたどる西洋絵画400年

2021-12-17 13:28:27 | 美術館・絵画
午前9:30開場でしたが到着したのは10:00ちょうど
雨が上がる頃。。。



ここは撮影できる絵画はありません


クロード・モネの睡蓮は
11/28までの展示という事でありませんてしたが、それを除いても
1600年代から近代までの幅広いジャンルの絵画が82枚と
たくさんあってたいへん見応えがありました!

印象に残った好きな絵はミレーの“鵞鳥番の少女”かな~
それからそれもミレーだったかも知れませんが
黒衣の男性の肖像画

400年分の絵画の歴史の様な展示を一時間と少しで見たせいでしょうか
二人して会場を出たあと…疲れたね〜!

外に出ると空は青く晴れ渡っていました


常設展示も見られたので一周りしてきたのですが
藤田嗣治(つぐはる)の一枚の絵
青い服を着た女性を描いた“花を持つ女”がとても良かったです。。。
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三菱一号館美術館 イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜〜レッサー・ユーリィ

2021-12-12 13:19:56 | 美術館・絵画
人気の絵画展でした。。。



ここ三菱一号館美術館は建物やその周りの雰囲気も良いところです




写真を撮っても良い絵もあり


このゴッホは今までのイメージとは違った感じ
明るい色調で好きです



“麦畑とポピー”


この展示で初めて出会った
レッサー・ユーリィという画家



“風景”

光と影、コントラストの強い色使いが印象的


図録と、ポストカードを何枚か購入しました!

来年の1月16日まで開催されています。。。
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