団塊じぃじ!気まぐれブログ

趣味の写真や野鳥観察、家庭菜園の様子など載せて見たいと思います
     宜しくお付き合い願えれば幸いです

愛岐トンネル群

2013年11月27日 | 日記

JR中央線定光寺駅前です、尾張藩祖の霊廟は山の上にあり、ここは最寄の駅です

明治33年(1900)国鉄中央線は名古屋~多治見間が開通して、昭和の高度成長期まで多大な貢献をした鉄路は、大量輸送時代に入り複線電化され新線が建設された為、、昭和41年、13基のトンネルは廃線、藪の中に忘れ去れてしまいました(案内文から)

40年間、藪の中に眠っていたトンネル群を愛岐トンネル群保存会再生委員会が、春秋2回一般公開しています

レンガ積みを基本とし、廃線後全く人の手が入らなかったにもかかわらず、半世紀を経てもレンガの崩落がほとんど見受けられず、ほぼ原形の姿のままである事は特筆すべきなのだそうです、トンネルを抜けると大きなモミジの木があり、鮮やかに染まっています

地面にはモミジの枯れ葉がじゅうたんの様に敷き詰められて木洩れ日が差し、影絵が写っているように見えます

藪の方から見ると明るいモミジが照明を当てた様に見えます

四つのトンネルが一般公開されて1.7km区間を往復で散策です

休憩所ではお弁当を広げた人々で賑っています

明治の職人が今に伝える赤レンガの威容も、D51が通過すると天井、側壁と数10cmの余裕しか無く、当時の機関士さんは壁に手が届いたそうです、今も煙のスス跡が残るトンネルです

公開区間の終点、愛岐渓谷の気持ち良い散策でした

尾張のモミジ寺

2013年11月24日 | 日記
犬山市 寂光院(ジャッコウイン)を訪ねました、尾張最古刹の先手観音霊場だそうです

大勢の参拝者で込み合っていました
先ずは300段の階段を克服しなければいけません

途中、案内板がありました

階段を登れない人には小さなスロープカーが運んでくれますが、待ち時間が掛かるみたいでした

ここは濃い赤色のモミジが目立ちました

真赤なモミジの下で多くの人が写真を撮っていました
近くの案内板に”永禄八年(1565)九月八日、信長公は柴田勝家を伴い参詣のみぎり、当山を清洲城の鬼門鎮護の霊刹とした”と書かれていました

本堂をお参りするには順番待ちをしなければいけません

本堂隣りには大髄求菩薩(ダイズイグボサツ)が祀っていて黄金色に輝いていました

この秋、この他にモミジのライトアップを2ケ所訪ねました、そろそろ紅葉狩りも終わりですね

50年前の出来事

2013年11月23日 | 日記
秋も深まって日増しに寒さが増してきました、御嶽山(3067)も真っ白に雪をかぶった姿を見せてくれます

50年前の今日、朝6時のNHKテレビで初めてアメリカから、通信衛星を使って生のテレビ映像が送られて来るのでした、私は高校生でした、アメリカ映画やテレビ放送にかぶり付いて観ていました、祝日で放送前からどんな映像が届くのかワクワクして待っていました
放送が始まって映像が映し出されたら何と、ケネディ大統領が狙撃され暗殺されたと衝撃的なニュースでした、それも狙撃された瞬間が映し出され、生々しさにびっくりした事を忘れません、葬儀の時、二人の幼い姉弟、息子のケネディJrが敬礼をした姿に、世界中に悲しみをもたらしました、当時、ケネディ語録成るものがあり、私もノートの端にその一端を書いたりしたものでした、その後、ケネディ家は数々の不幸が訪れました
あれから50年、アメリカ駐日大使として、笑顔が素敵なキャロライン・ケネディさんがやって来ました、彼女の活躍を期待し沖縄基地問題を始め、数々の困難を乗り越えて日米が発展を遂げて欲しいと願っています

虎渓山永保寺その2

2013年11月22日 | 日記

以前は春の様子でした、紅葉にも訪れる人が多い秋の景色です
心字池に架かる無際橋と赤く染まったモミジ

無際橋の左のお堂は国宝、観音堂です

心字池の周りに映える赤いモミジ

天気が良かったら水に奇麗に映るのに

塀の上にモミジの間から山茶花が見えました

木戸飾りから覗いた庭の景色です

修行僧が登る急な山道の上から望んだ永保寺

本堂と境内を見る、本堂の前の樹齢670年の大イチョウの葉はまだ黄色に染まっていません、葉が枯れると地面が黄色いじゅうたんになります

応夢山定光寺

2013年11月20日 | 日記

愛知県瀬戸市定光寺町(ジョウコウジ)です、この時期モミジ寺となり、多くの見物人で賑わいます、建武三年(1336)の創建とか

その昔は”美濃の嵐山”と云われたそうです

普段は静かな山間のお寺で訪れる人は少ないものの、紅葉の今は毎年賑わっています

このお寺は尾張藩祖徳川義直公(徳川家康九男)の廟所があります

義直公は生前、狩猟でこの地を訪れ、風光や自然を愛し自ら墓地を定めたと案内があります

少し登ると獅子の門があり、この門は左甚五郎が手掛けたそうです

門の上にある獅子の彫刻(網で保護)が左甚五郎作だそうです

廟所の入り口の龍の門、この廟所は帰化明人が設計し儒教様式の珍しい作りです

葵の紋が入った唐門です

この廟所内には九名の殉死者の墓も有り、四百年経った今も、あの世でお殿様のお世話をしている事でしょう

町内に公園があり、桜の名所にもなっています、四季桜の木があり開花していますが気付く人は少ないようです